2008年09月20日
シドニーで 北京五輪選手の帰国パレード
15日の快晴の中、北京五輪に出場した150人選手が、国旗を振る観衆の大歓声の中を、緑と金の紙吹雪が舞うシドニーのジョージ・ストリートを行進した。 五輪選手もまた、中国色を出したり、中国伝統のドレスをきた踊り手やぬいぐるみも登場して、パレードを盛り上げた。 6度目の五輪出場となるボートのジェームズ・トムキンス選手、金メダリストのスティーブ・フーカー選手、飛び込み銅メダルのメリッサ・ウ選手らが、群衆に手を振りながらタウンホールまで行進した。9月16日付けシドニー・モーニング・ヘラルド紙 カンガルーのぬいぐるみと跳ねるスティーヴン・フーカー選手 60年ぶりに棒高跳びで豪州に金をもたらした。 マリー・バシールNSW州総督が、「皆さんの活躍は、州民の心臓の鼓動を高めた」と、選手を讃えた。 長身のトムキンス選手に、ムーア・シドニー市長から“市の鍵”が贈られた。また、水泳で金メダルに輝いたリビー・トリケット選手には、435人の五輪選手を代表して、NSW州のリース新首相から、記念の銘板が贈呈された。 いつも思うことだが、五輪で活躍した選手が、メダルをさげて、たとえメダルがなくても五輪選手に選ばれた若人が、うれしそうに行進するのを見るのは、気持ちのいいものだ。 この国はスポーツに力点を置きすぎるという声もあるにはあるが、国民の夢を託された選手の労をねぎらって直接拍手をおくり、声をかけられるチャンスがあるのはすばらしいことだ。 だが、シドニー、メルボルン、アデレードと、金メダル3つのステファニー・ライス選手は、どういうわけか、パレードをボイコットした。 ほんの2年前は、ステファニー・ライス選手は、将来性ある若手水泳選手だった。一度もオーストラリアのシニア・チーム入りをしたことはなかった。 その20歳の彼女が、偉大な女性水泳選手シェーン・ゴールドに並び称せられるまでになった。シェイン・ゴールドは、1972年のミュンヘン五輪で、200米と400米の自由形で金を取っている。 北京オリンピックでは、初日に400米メドレー・リレーで金をとり、さらに200米個人メドレーで二つ目の金を獲得した。予選では、世界記録をも更新してしまったのだ。
8月14日付けシドニー・モーニング・ヘラルド紙 200米個人メドレーで2個目の金をとったライス選手 ステファニー・ライス選手の才能は、2006年のコモンウェルス大会で開花した。 しかし、2004年のアテネ大会のテレビ中継を夢中になってみていた。当時16歳になったばかり。「泳ぐのがすきだったし、テレビでみるのも好きだった。こんな大会で競技できるなんて思ってもいなかった」素直だ。 次世代を背負う1人が、豪州にも誕生した。世代をつなぐって、どうすればできるのか。それは偉大なことだ。 彼女は、かつてのボーイフレンドの泳ぎをみて、発憤したことを認めた。「今でも良い友人だ」という元ボーイ・フレンド、イーモン・サリヴァンも100米自由形で世界記録を破った。 五輪選手のパレードは、今日19日クインズランド州のブリスベンでも行われた。 ここにやっと、ライス選手は顔をみせた。これまでの欠席で、かなり非難囂々だった。スポンサーとのつき合いなどいろいろ抜けがたい理由はあったろうが、こういう大衆の行事を大事にしなくてはならない。 そういう観衆の中から、次の世代を担う選手が誕生するかもしれないことを思うと、バーチャルではなく本物をみること、力のある友人をもつこと・・発憤させる良い友人をもつことは、やはりすばらしいことなのだ、とつくづく思った。(了)
8月14日付けのシドニーモーニング・ヘラルド紙 オリンピック特集のトップ頁を飾ったライス選手
posted by buruta |10:10 |
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