2007年09月27日

マルティ・カルチャーの国ならではの問題?

このコラムを読む前に、ここにアクセスして写真をご覧になり、子どもの大きさをみてからにして頂きたい。

http://www.smh.com.au/articles/2006/07/15/1152637915680.html



右から8歳、9歳、グランドで足をさすっている少年が9歳である。



そして、一つの論争が起きた。


この子ども達の両親を含めて、ジュニア・ラグビー・リーグで、子どもの体格に大きな差があるために、体重制限を設けよという声が挙がっている。


重量制賛成の声は:
- 小柄な選手の怪我の度合いが減る
- 体格の小さい選手を抱えるチームの競争意識が増す
- 大差のスコアが減る
- 大型選手へのチャレンジ精神が湧いてくる


これに対して

重量制反対の意見は:
- 年齢は通常、技術のレベルを決める
- 小学校年齢の大型の子は大人と試合させられる可能性がある。
- 子どもは、同年齢の子どもたちとプレーすることを望んでいる


などなどである。



ここオーストラリアでは、各地の競技会に出場する子どもたちの中には、南太平洋諸国出身の家系の子どもが増えてきた。同年齢の子ども達より最高で50キロも体重の多い子どもがいる。この体重差は、すごいと思いませんか?



シドニー西部の10歳以下の試合で、南太平洋諸国の血をもつフォツ・ルアニ君は、自軍のブラックタウン・シティに3ゴールをあげた。こういう体格の言い選手が、ブラックタウン・シティには7人もいる。


対戦相手の選手の親からは、体重85キロ、身長168センチというような体格の選手は、もっと年上のグループに出場すべきだと主張する。諺に曰く、「大は小を兼ねる」と。だが、この場合は、やはり大は大である。



ジョシュ君という小柄な子どもをもつドンナ・メーヤーズさんは、フツ君のような体格の少年とタックルするんでは、小柄な少年は怪我をしかねない、と心配気味だ。「少年が悪いわけではなくて、もっと同じ体格の人たちの中にいれてプレーすべきだ」と、言う。



フツ君の両親はトンガの出身だ。両親はこういう。「うちの子どもは普通の人より大きいが、技術は同年齢の子と変わらない」と、こちらも自己の主張をする。



「他のご両親が言っている気持ちはわかる。自分のこどもに怪我をしてもらいたくないでしょ。これは、技術でプレーしているもので、体重でプレーしているわけではない。これはそういうものなのだ。来月10歳になる。技術が上の11歳―12歳のグループに入れたらおかしいでしょ」と、ご機嫌斜め。



フツ君が所属しているクラブの監督は、「年上のチームに入れても、彼はやっていけるとは思わない。フツ君は他のこどもとタックルするのを怖がる。けがをさせるのではないか、と」 監督は、全選手に、怪我をしないように正しいテクニックを教えている。



「いま彼があるのは、彼の体格だけのおかげではない。強くなろうとしているし、正しいタックルをしようと学んでいる。そして、全力でタックするしている」と、フツ君をこのように見ている。



フツ君の両親は、体重別制度は、9歳の少年を18歳の人たちと対戦させることになってしまうと、こちらも心配だ。



小柄なジョシュの母親は、「精神的には、うちの子はまだ9歳だ。年上の人のプレーをみれば、学ぶことは多い。でも、10歳以下のこどもは、ただ、トライして得点をあげただけなのだ」と、わかってもらいたとばかりに言う。そして、更に一言。「ラグビー・リーグは、トンガ、サモア、マオリ系の人たちの自尊心をくすぐっている」と。



ペンリスの小学校では、体重別の編成をして成功したという。通常の年齢別の試合だけでなく、48キロ以下の子どもの特別試合も組んでいる。



ナショナル・ラグビー・リーグの開発役員のメラニー・クリニオンさんは、「両親、先生、子どもからのフィードバックはなかなか前向きだ」と評価している。



最近の子どもは、肥満傾向だ。南太平洋の出身でなくとも、体重・体格は大きめになっている。そのことも、併せて考えてみる時期でもないのだろうか?



いずれにしても、これはマルティ・カルチャーの国・豪州の悩みなのか。(了)

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posted by buruta |23:45 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年09月23日

オラ!、が消える日

しばらくサボっておりました。メタフットボールこと、菅野芳伸です。

酷暑の夏を乗り越え、やっと涼しくなりました。ヨーロッパ各国のリーグはすでに07-08年のシーズンがスタートし、Jリーグも熱い戦いが続いています。日本代表はアジアカップを4位で終えたものの、いよいよワールドカップ予選へ向けてチームの完成度を上げる段階に入っていますし、オリンピック予選はいよいよ佳境を迎えようとしています。そんでもって、涼しくなればまたボールをけりたくなるオヤジのココロ。夏に冷たいビールを飲みすぎて増えた体重をもとに戻すには、ボールをけるのが一番でしょうが、なかなか意気込みとタイミングが合わないのがオヤジ・ライフのつらいところ。

そんなこんなで話題満載のサッカー・シーンではありますが、今回はちょっとマジにスポーツ指導について考えてみたいと思います。


◆

「オラ!!、ちゃんと捕れ、ばか野郎」。

ある週末、自宅近くの小学校の横を通ると、叫び声が聞こえました。小学校のグラウンドでは少年野球の練習が行われています。下品な声の主はノックをしているコーチでした。さらに大声は続きます。オラ!!オラ!!オラ!! 。

見ればコーチは30歳代、ホームベース上で気合を込めてノックバットを振っています。各ポジションについた子どもたちは、どう見ても低学年。グローブの扱いも不慣れで、飛んで来るボールに腰が引けています。オラ!!オラ!!オラ!!ばか野郎。

わたしのこの光景を見て、またか、と情けなくなりました。

「ちゃんと捕れ、ばか野郎」が、なぜいけないのか。
わざわざ解説する必要はないとは思いますが、少し考えればわかることです。グローブをきちんと扱えない子どもには、キャッチボールから指導すべきではないでしょうか。
いきなりポジションについてノックするのは段階的に早すぎます。できなくて当たり前のことについて、「ばか野郎」と言われる筋合いはありません(もちろん「ばか野郎」という言葉遣いは論外です)。

もし仮に、セカンドやサードなどのポジションでノックをする必要があるのだとしても(そのほうが子どもはうれしいかもしれません)、「ちゃんと捕れ」という言葉は指導、コーチになっていません。なぜボールが捕れなかったのかを解説した上で、次にどうすればよいかを子どもたちにわかる言葉で伝えるのがコーチの役割のはずです。「今はボールを正面で捕らなかったからミスをしたんだよ、次はちゃんと正面で捕ろう」。「ボールから目を離したら、ボールは捕れないよ。しっかりボールを見てみよう。絶対にできるから、次がんばろう」。小学生時代に野球を少しはかじっただけのわたしでも、このくらいのことはわかります。

しかし、そんなことはまったく意に介さないコーチの声が、さらに校庭に響きわたります。週末におじさんコーチがバットを振り、子どもに罵声を浴びせることで職場でのストレスを解消しているようにも感じられます。バックネット裏では、保護者がのんびりとおしゃべりに興じています。


野球をやっている子どもたちは、きっとイチローや松井、松坂に憧れています。親にねだってグローブやユニフォームを買ってもらったに違いありません。テレビで見る選手のようになりたいと夢をもって少年チームに入ったはずなのに、そこでは親にも言われたことのない「ばか野郎」呼ばわり。子どもたちは、どんな気持ちで週末、グラウンドに集まって来るのでしょう。

保護者はどう感じているのか。週末にボランティアで指導してもらっている義理があるから、乱暴なコーチに意見が言えないのか。それてもスポーツはこれくらい乱暴なほうが、自分の子どもに根性がつくとでも思っているのでしょうか。


さらに残念なことに、こうした指導は野球だけでなく、サッカーもたいして変わりません。

この小学校には、わたしの娘が3年生として通学しています。野球だけでなくサッカーチームもあり、女子チームも活動しています。わたしは入学前から、娘がサッカーをしてくれることを期待してきました。娘も父親がサッカー好きなことはわかっていますし、幼稚園の頃から地元フロンターレの親子サッカー教室に通うなど、きちんと“教育”してきたつもりです。娘がサッカーを始めれば自分もボランティアのコーチとして参加する心の準備も整えていました。が、入学しても娘はサッカーにはあまり興味をもたない様子。わたしはあえて強制しませんでした。
そんなこんなで2年生になり、「わたしもサッカーやってみようかな」なとど言いだした娘。よし来た、と思ったときに、その事件はおきました。


「オラ!、てめえらなにやってんだ、早くしろ!!」


ある土曜日、サッカーチームの活動のあるときにたまたま校庭にいた娘は、チームの監督の大声を耳にします。気の小さい娘はその瞬間に、サッカーなんか絶対にやらないと心に決めたようです。サッカーでも「オラ!」の登場です。あんな乱暴な言葉づかいをする大人と一緒にサッカーをするなんて、「絶対無理、ありえない」。この瞬間に、一人の小学生がサッカーを楽しむチャンスを失ったのです。


小学生世代のスポーツ指導の現場では、何十年も前と同じ意味不明の“熱血指導”が今も当然のように行われているのです。いったいいつになったら、日本のスポーツ指導の現場から「オラ!」「ばか野郎!」がなくなるのでしょう。

最近はさまざまなコーチ理論や運動理論が開発され、書店にはたくさんの書籍が並んでいます。インターネットを検索すれば、情報の宝庫です。なのに、グラウンドでは「オラ!」の連発。わたしはなんとも気持ちが暗くなるのです。


日本サッカー協会では、小学生世代のクラブ、コーチを見極める指針を次のように紹介しています。

クラブ
 - クラブの指導理念がしっかりしている
 - クラブの指導方針をもっている
 - クラブ運営の基本がプレーヤーズファーストである
 - クラブ・保護者・選手のコミュニケーションがとれている
 - 子どもたちが楽しくプレーできる場がある
 - 指導者間で考え方が一致している

コーチ
 - 子どもが好き
 - 情熱がある(研究熱心・向上心)
 - 明るくさわやか(言葉遣い・服装・礼儀正しい・あいさつ)
 - 忍耐力がある(子どもの指導には時間がかかる)
 - 子どものレベルに自分をコントロールできる
 - モラルがある
 - デモンストレーション(実際にやってみせること)ができる
 - オープンマインドである(心を開いて人の意見を聞き入れられる)

(「JFAハンドブック3 保護者のみなさまへ」 より)

サッカー協会が紹介しているものだからすばらしい、というわけではありませんが、参考になると思います。ただ、うがった見方をすれば、サッカー協会がこのような指針をわざわざ紹介するということは、現実はまったく逆であることを証明しているわけです。


野球やサッカーに限らず、スポーツをすることはすばらしい体験です。特に子どもたちにとっては、多くのことを学ぶチャンスです。体を動かす楽しさと難しさ、仲間との絆や軋轢、苦しい瞬間を乗り越えた達成感と自信、勝利の喜びと敗北の悔しさ。もっと上手に、もっと強く、という希望や情熱。できるだけ多くの子どもたちにスポーツを体験してほしいと思います。それを実現するのは、わたしたち大人であり、保護者の務めでもあります。


子どもたちのスポーツをボランティアで支えることは、誇るべき行為です。無償の、無名のボランティアなくして、子どもたちのスポーツは成り立ちません。しかし、無償の行為だからすべて自分の好きに指導していいのか。逆に自らを律する謙虚さが求められるはずです。プロのコーチであれば、その指導理念(どんな理念だろうと)に納得した相手が契約して対価を払うのに対して、ボランティアはほとんどが曖昧です。だからこそ、子どもたちはもちろん、コーチ仲間や保護者など、まわりの人々の声に耳を傾け、自分の指導を客観的に検証し、勉強する必要があるのではないでしょうか。


わたしは子どもたちの指導のために自分の時間を犠牲にし、常に学び、努力している無名の指導者たちを何人も知っています。オラ!の声を聞くと、彼らの顔が頭に浮かび、気持ちが暗くなるのです。

「我々は学ぶことをやめたときに、教えることをやめなければいけない」。
元フランス代表監督のロジェ・ルメール氏の有名な言葉です。彼はプロですが、「我々」という言葉にはスポーツにかかわるすべての指導者が含まれていることは言うまでもありません。
自分自身も含め、改めて心に刻みたいと思います。


◆


今から30年ほど昔、中学、高校とサッカー部キャプテンだったわたしが、試合前の円陣でチームメイトにかける言葉はいつも決まっていました。「絶対、走り負けないぞ!!」。
意味はおわかりでしょう。テクニックや戦術に劣るチームは、相手より走らなければ勝てません。さらには、走らないやつは交代させられるぞ、と仲間に気合を入れるためでもありました。当時から、サッカーと走ることは一体でした。テクニックがあっても走れない選手、テクニックはないものの走れる選手。試合にどちらを出すか。これはまさに究極の選択だったのです(もちろん、わたしは「テクニック組」ではなく「走り組」でした)。オシム監督が就任してから、今さら走ることばかりを議論すること自体が不思議な感じがします。ただ、考えてみれば、ボールを扱うテクニックや戦術が進歩し、改めてサッカーの原点である走ることを見直す流れになっているのでしょう。これもまた、サッカーの進歩に必要なサイクルなのかもしれません。

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posted by buruta |20:47 | sugano | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年09月18日

ホームレス・ワールド・カップ もっと注目されてもいいのでは・・?

毎年恒例のベトナムでの枯れ葉剤被害者の支援活動を終えて、久しぶりに、ブル太のコラム欄に復帰させてもらった。


そこで、またフットボールの話題だ。

ホームレス・ワールド・カップ(HWC)という言葉をお聞きになっているだろう。世界28カ国で売られている50紙のストリート・ペーパー(街頭新聞)の国際ネットワークが主催しているものだ。


ホームレスや世界的な貧困問題への意識向上のためにフットボールという国際言語を使って行われる大会だ。


このホームレス・ワールド・カップのアイディアは、残念ながら日本で生まれた物ではない。2001年に南アフリカのケープタウンで、ストリート・ペーパー国際組織年次総会の席上で生まれた。誰もが勝者、敗者のない世界、ホームレスのない世界・・・をめざして。



20070918-00.jpg


ストリート・ペーパーは、世界中で、生活収入と貧困脱出のためホームレスの人たちの手によって売られている。フットボールは世界的な言語。誰でも参加できる。ホームレスの人々がいる国なら、どこでもストレートで喜び興奮する。



2002年に第1回が始まったホームレス・ワールド・カップ。そもそも、大きな会場は使わない。ホームレスがいる場所で行うからである。



2004年のスウェーデンの第2の都市ヨーテボリで開かれた。自動車のヴォルボとカメラのハッセルブラッドの町だ。大会では、2003年の18チームから32チームへと急成長をとげた。新規参加は、アルゼンチン、カメルーン、ナミビア、ナイジェリア、ペルー、ポルトガル、ウクライナ、ウルグアイ、フランス、日本だった。



今年の会場は、コペンハーゲン市内だった。48カ国もの参加をみて、スコットランドが優勝した。



毎回の大会で、ホームレスの人も社会参加ができるという証明をしてきた。

「試合をみていると、この人達がホームレスだということをいつの間にか忘れるくらい」と、ある人が言った。



今年、オーストラリアから参加したジョエル・モニエルさん。「名前を聞いたことがなくても、アデレードの町にいけば見かけることはできるよ」と聞いた。



麻薬中毒、軽犯罪の常習者。それが、彼の人生だった。次の麻薬注射を探し求めて、バスの車庫で寝泊まりする。うつろな目をして麻薬の乱用でやせ衰えた。



この男性が、どうみても、コペンハーゲンの会場でデンマーク人から多くの拍手を受けた人とは思えないほど、スポーツ選手には似ても似つかわしくない人。彼は、ついに長年のそういう生活に勝利したのだ。



モニエルの話は、南オーストラリア州で始まる。幼い時は、誰しも同じように、夢を膨らませていた少年だった。しかし、夢ははかなく消えた。



彼は、失業者の両親の家庭に生まれた。母は、重度のアルコール症だった。何念も虐待されたあげく、15歳で家から放り出された。



最初、友達の家を泊まり歩いた。やがて、街頭へ。「これは、生活ではなかった」と、彼は言う。 一大決心して、所持品を詰めて、アデレードの明るい街灯の下へ向かった。



亥年の新年の決意をした。学校をきちんと終えて更なる教育を受けようと。教会都市アデレードに着いた直後に、彼は間違ったグループに入ってしまった。ずるずると抜けることもできなく。



10代の彼は、友達に勧められて犯罪と麻薬の道に入った。


「私は外でそれほど寝たわけではなかった。自分でそのくらいは何とかできたからだった。それがすべてだった。私は、非常に健康的な田舎の少年だった。しかし、私が町で麻薬をやってから、そういうものすべてを失ってしまった。私は、人生を前向きに捉えてきたし、物事をやってきた。しかし、私はへまをやってしまった。愚かなことをしでかしてしまった。法律を犯してしまったのだ。酒と麻薬に手を出してしまった。よろしくない物だった」



一瞬の光明が見えた。


アデレードのユースセンターに行った時、モニエルは、ストリート・フットボール試合のポスターを目にしたのだ。それを見た途端、笑い声のように響いた。あるいは少なくとも大きな心の重みからの一時的な解放にもみえた。そこで、彼と友人は参加の登録をした。これが、人生の最良の決断になった。



毎週の試合毎に、モニエルは健康と自尊心の高まりを感じた。


「とても楽しかった。少なくともここ数年で最高の喜びだった」


彼はめちゃくちゃ楽しんだ。麻薬の虜になっていた彼の心は、次の週の試合の期待で高鳴るようになった。




その時だった。オーストラリア・ホームレス・サッカー・チームの監督で、“ビッグ・イシュー”の社員ジョージ・ハルキアス氏の目に、彼の足が映った。ハルキアス氏は、彼を誘った。「デンマークで行われるホームレス・ワールド・カップにオーストラリア代表として参加しないか?」と。



ゴールにボールを蹴りこんだ歓喜の経験をもつ少年にとって、これはノーマークのネットにズバッと蹴りこんだ時の感触を得た。



今年8月4日、場所はデンマークの首都コペンハーゲン。ストリートに作られたフットボール・スタジアム。ここで、モニエルの最近のストーリーが追加された。スウェーデンに3-1で勝利し、ワールド・カップ3位入賞を物にしたのだった。


「デンマークの人は、オーストラリアの人ほど冷たくなかった。立派な人たちだったよ」




「サッカーをやり始めて半年、マリファナを断った。子どもの時のような気分になれた。凄いことだった。国に戻って、今はシェフ見習いだ。シェフを夢見て楽しみにしている。すべてのことは、熱狂的な若者たちが私を引き上げてくれたことだ」と、嬉しそうに語る。




うれしい統計がある。ホームレス・ワールド・カップ主催者の調査で、この大会に出場した選手のうち77%が、ワールド・カップから半年以内に職と住居をみつけている、と。中には、そのままフットボールの選手になった人や、監督についた人もいるというのだ。



来年は、ご当地、オーストラリアのメルボルンで、HWCが開かれる。ここでまた、いろいろの悲劇・苦闘を経験した500人以上の選手が、歓喜の舞台で顔を揃える。(了)


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posted by buruta |15:00 | gensan | コメント(2) | トラックバック(0)
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