2007年05月29日

料理アジア・カップ 予選リーグ

サッカー・アジアカップが近づいてきた。

7月7日より、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムの4カ国がホスト国となって開催される AFC ASIAN CUP2007。

そこで、前哨戦としてお国自慢料理アジア・カップの勝敗を占ってみよう。これは、いま、シドニーで密かに囁かれている話である。

 

グループA


タイ・レッドカレー
タイ


青唐辛子に比べて、かすかな甘みと香のあるプリック・バンチャン(乾燥した大型の赤唐辛子)をペーストに使ったレッドカレー。赤く鮮やかな色合いでタイでも大人気の料理。

 

オーストラリアン・パイ
オーストラリア


オージーパイ(ミートパイ)は、アメリカのハンバーグ、イギリスのフィッシュ&チップスと並び、オーストラリアの庶民的なタッカ-「食べ物」の一つである。一般的な殆どのオージーは、オーストラリアを象徴する物として1.「フッティ(Australian Football)」、2.「ミートパイ(俗称、Dog's Eye、オージーパイ)」、3.「ルー(Roo、Kangaroo)」と4.「ホールデン製自動車」を挙げる。海外から移住して新オージーになった人達のノージー(New Aussieを合成した造語Naussie)の多くは、これを正しく理解するのにかなり時間がかかる。

 

イラク・クジー

いろいろな発音がある。クージー、あるいはグージー。ここはクジーとしておこう。スルタナ(干しぶどう)、アーモンド、さまざまなスパイスを添えたご飯で、ラム・ミートを使った知りして、結構美味しい。イラクの有名なディッシュである。少しは他国の文化も分かってもらうために、アメリカ軍にたくさん食べさせたいが、無理だろう。

 

オーマン・サンド

ラム(羊)サンドは絶品。皮をはいだ羊(多分)が一匹吊り下げれていて、これを下から火であぶる。「一個」と注文すると、肉を包丁でチョイチョイとげずって、インドのナンのような丸い薄手のパン(多分)にアオ野菜と一緒にくる。グリーンタバスコ、パッパッパ。




グループB


日本・鮨
ベトナム


四方を海に囲まれた日本、折々の季節で最高の味を食することは、何よりの悦びである。とりわけ新鮮なネタが揃う鮨屋は最高の舞台。恵まれた漁場のすぐ近くで、その日の水揚げで登場する鮨ネタを、時価メニューを堪能する。これぞ食通の醍醐味。カウンターで鮨を食す。カウンターで、パイやフィッシュ&チップスなんか食えるかい。もちろん、鮨はお好みに限る。豪快に、繊細な魚の旨みをとことん食い尽くす。鮨屋にふらりと入れることはおとなの男になった証だ。が、それだけじゃまだ足りない。一人前の男たるもの、馴染みの鮨屋の数軒は持たなくては。それも、近所だけではだめだ。この魚ならこの漁場、この季節ならこの場所と、徹底的にこだわり抜いた馴染みのご当地鮨屋のナンバーを、携帯にストックする。わざわざそこに足を運ぶだけの価値のある鮨と、それを握る技術を持つ鮨職人。これらを選べるようになって初めて、食通と言う。これだけでも、アジアで勝利。いや世界で勝利だ。

 
ベトナム・ヘビ酒
日本


滋養強壮用とかいうが、私は信用しない。外見が面白いのは「ヘビ酒」。その名の通りヘビが瓶の中に入ったお酒だ。こちらもかなりアルコール度キツメ。ヘビのエキスが入っている分、RiceWineよりもクセが強く飲みにくい。大小さまざまな種類の瓶が揃っているので、おみやげとしてはヘビ酒の方が無難!? この趣味は、ベトナム文化とは言え、絶対なじめない。ヘビは皆健康なのかい? 虚弱のヘビってのはいないのかね?


カタール・ケバブ

アラブ料理といえば、ヒヨコ豆のピューレのホモス。あと、羊をみんな好んで食べるから、羊のケバブ!丸焼きにしたり、ひき肉にしたり。ケバブは、アラブ全体の文化!


アラブ首長国連邦・マラグーグ
サウジアラビア


伝統的で、人気ある料理。アラブ首長国連邦の東海岸、及び山岳部では特にそうだ。お腹にたまる。最近ではスパイスは各自家庭の好みにあった物にしているが、シチュー、つまりサルーナは、ベドウィンの家庭では、非常にマイルドであった。

 


グループC


マレーシア・ラクサ
マレーシア


「ラクサ」というスープ麺。地域によって味や麺の種類が違うが、マレーシア半島では、うどんのような白い太麺を、魚を潰して作った辛くて酸味のあるスープでいただく。たまねぎのスライス、きゅうりやレタスの千切り、ゆでたまごなどの具をのせ、その上からライムを搾る。ミントの葉を入れたり、たっぷりのココナッツミルクで仕上げたものもある。

「カレーラーメンのようなものだ」と言った人がいたが、賛成はしない。ただし麺は中華麺ではなく、ビーフン。香辛料をふんだんに使い、ココナッツミルクを隠し味にした甘くて辛いスープは病み付きになる人も多い。ベーシックな具は厚揚げともやしとチンゲンサイ。チキンや海老も選択できる。そして何より、一食当たり344カロリーというヘルシーさがうれしい。スパイシーで発汗作用もあり、「食べ過ぎた翌日にはピッタリだ」と、その方面で好きな人もいる。

 
中国・酢豚
中国


調理法は、豚肉の唐揚げと素揚げした野菜を、片栗粉をスープで溶いたものに酢、砂糖、醤油を入れて加熱することで作った甘酢あんの中に入れて絡める。野菜は、筍、玉ねぎ、ピーマン、ニンジンなど、これに加えて椎茸、パイナップルなどを使っても可。パイナップルを入れると甘みが増すとともに豚肉が柔らかくなるが、そこで好みがハッキリ別れてくる。本来の酢豚は肉の香ばしさと甘味酸味の調和を楽しむ料理であり、そのため野菜は必ずしも必要ではなく、肉と果物のみを用いた酢豚の方がむしろ原型に近いという説もある。

実は、ほとんどの中華のコックさんでさえ、酢豚が嫌い。なぜ?あの甘ったるいタレ、舌に残るような重さがいやなのだ。サッカー前には向かない。

 
イラン・ポロチリン
イラン


これは、小生はお目にかかったことがない。甘酸っぱい味付けのサフロン色の米に、ブドウとアーモンドとオレンジを入れる。

 
ウズベク共和国・プロフ
ウズベク共和国


プロフは、油で炒めたニンジンやタマネギ、羊肉、各種スパイスと一緒にお米を炊き上げた、ウズベキスタンの伝統的なお米料理。結婚式などのお祝いの時には必ず出される晴れの日の料理で、その時は「カザン」という大きなお鍋で盛大に作られる。宴席に招かれた時、プロフが出される前に帰ることは失礼にあたる。そしてプロフと一緒に食卓に並ぶのが、ノンやスープ、サラダ等々。おもてなしやごちそうの時は、テーブル一杯に料理が並ぶ。スープはトマトの酸味が効いたお米のスープ「マスタバ」やヨーグルトスープ「チャロプ」など。サラダには、これもトマトのサラダ「アチクチュチュク」。この「アチクチュチュク」を、プロフに混ぜ合わせて食べたりもする。


 

グループD


インドネシア・ビーフ・レンダン
インドネシア


ココナッツも効いて、辛さもたっぷりあり・・のカレー風味。ちょっといけるかな。

 
韓国・キムチ

キムチは白菜の塩漬けを水洗いしたのちに、オキアミやイシモチなどの魚醤(チョッカル)、ニンニク、生姜、唐辛子粉を加えたものを基本とした韓国・朝鮮語でヤンニョム「薬念(やくねん)」と呼ばれる薬味を混ぜて漬けた、漬物の一種。

 
バーレーン・ムハンマー
バーレーン


バーレーンは、農業に適していない土地柄のため、必要な食糧のほんの少ししか生産できない。主要農産物は、ナツメヤシ、バナナ、柑橘類、果物、マンゴ、ザクロ、トマト、キュウリである。同国には、ヤギと牛、羊がいるだけだ。バーレーンは食糧の輸入大国である。しかしながら、漁業は盛んで、各種の魚とエビがとれる。では、バーレーン・フードとは何か?それは、魚、肉、米、ナツメヤシを使ったものだ。例えば、最も有名なものの一つはムハンマー。甘い米をナツメヤシか砂糖で味付けした甘いご飯だ。

 
サウジ・アル=マンディ

サウジ料理は、地域と習慣の多様性を反映して種類が豊富だ。出場してきたアル・マンディは、人類が火を発明した時に最初に使った古来の料理方法を駆使する。ラムかチキンを地下に穴を掘り、そこでバーベキューにする。そして、米、スパイス、水を加える。そして、穴に蓋をして出来上がりを待つ。

 

これで出場選手が出そろった。ここから予選に入ろう。お断りしておくが、私が決めているのではなく、オージーが決めているのである。


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2007年05月16日

短距離選手から長距離”庭師”へ

レーレン・ボイル2


レーレン・ボイルさんは、1951年、メルボルンに生まれた。


オリンピック出場は4度を数える。17歳で、オーストラリアのオリンピック代表選手に選抜された。時に、メキシコ・オリンピックの時である。そのメキシコ・オリンピックでは200メートルで銅メダル。1972年ミュンヘン・オリンピックで、100メートルと200メートルで銅メダル。モントリオール・オリンピックでは、オーストラリア女性として初めて、開会式で旗手を務めた。



レーレン・ボイル1



コモンウェルス・ゲームで7つの金メダルを獲った陸上短距離選手だ。

すでに、オーストラリアの陸上界では、生きた伝説上の人物になった。


1974年には、大英勲章第5位(MBE)とABC(オーストラリア放送協会)から1974年スポーツ大賞を受賞。1998年には、100人の人間国宝に指定された。輝かしい経歴の持ち主である。



この彼女が、周囲を驚かせたことがあった。

「オーマイゴッド! あなたはここで何をしているんですか?」
「なんでこういう仕事をしているんですか?」


それもそのはずだ。地方の役所の庭師に激しい“トラバーユ”したからだ。

エリートの陸上選手として16年間活躍した後は、次にやるべき仕事をすでに探していたのだった。


役所の庭師としての彼女の時代がやってきた。


「働く人生の中でこれまでで最高に幸せです。庭にいることは、陸上選手であることと全く同じくらいすばらしいことです」と。


20数年前に競技生活を引退してから、次の仕事は何に?と考えていた。某有名スポーツシューズメーカーが、話を持ってきた。しかし、それまでの人生の大半をトラック競技に捧げてきた彼女は新鮮な空気の中に飛び込みたかった。



オフィスの中に閉じこもるのは自分の好みではなかった。



一生涯、植物を相手に暮らしていこうと考えたのが、31歳。



メルボルンの農業・園芸ヴィクトリア・カレッジで園芸コースを修得。そして、その後、造園師としてプラーラン市役所で職に就いた。


彼女を見つけた地元の人々は、泥まみれになって土を掘っているスポーツの英雄をみて、腰を抜かした。



「何か罰を科せられたように見えたのでしょう。体全体が泥まみれでしたから」と、彼女は笑う。


やがて、彼女は、別の役所の庭師と見習いと一緒にヴィクトリア・ガーデンに移った。そこは、ハイストリートからすこしはずれにある、2ヘクタールの途方もなく大きいポケットのような庭だった。


「私の庭と、今でも呼んでいます。私の好きな木がありました。それは、心配する必要のないもってこい仕事でした。早起きして、7時に事務所に行きました」と、彼女は胸を張って言った。



1996年には、乳ガンを診断されて治療をうけ、数年前に心臓の手術をし、オリンピックの年2000年には卵巣ガンとも診断され再びの手術。そして病魔との闘いに勝った。


2000年のシドニー・オリンピック開会式では聖火を持った。病魔に勝った姿を、観衆の前で披露した。


病との闘いを終えた彼女は、今クインズランドに住んでいる。彼女は、ガン意識向上運動の委員を引き受け、パートタイムでガン患者のカウンセリングをし、また友人とカフェも経営している。


2002年には、マンチェスターで行われたコモンウェルス・ゲームでは団長に選ばれ、またチャンネル7の陸上のコメンテーターも務めた。


リタイアした後も、陸上競技との関係は切れなかった。オーストラリア世界ジュニア陸上チームの監督をし、ヴィクトリア州スポーツ評議会のメンバーとして活躍し、テレビのコメンテーターも務めるという幅広い活動を行っている。


「時々、次は何が自分の身にやってくるのかしらと思いますが・・」と彼女は言うのが、苦悩した健康問題が、自分に新しい人生術を教えてくれると、感謝に気持ちを隠さない。



その人生術とは「忍耐」だという。スタートからフィニッシュまで全速力で走る人生を過ごしてきた人には、自然の物ではない“もの”がある。


「忍耐とは、年をとるにつれて自分が学ぶ必要のあったものです。そして、それは以前には自分がなかったものです。ですから、いまは、走るよりも歩くようにしています」と、彼女は説明した。


彼女が引っ越しをする計画をしたのは、家の新築のためだった。いまは、友人、娘、二匹の犬と猫一匹と住んでいる。そして、もちろん、大好きな庭を設計している。


「珍しい植物が好きです。赤バナナの木、ヘリコニア(熱帯植物)・・・」しかし、完全なる日を楽しむために自分の時間は残してある。


「燦々と降り注ぐ陽光、犬を連れて海岸を散歩する、そして、嫌なニュースを聞かないように・・・」



1997年には、彼女は、マーク・テイラー、レグ・ガスニール(Reg Gasnier)、ボブ・スキルトン(Bob Skilton)らと、スポーティング・チャンス・ガン財団Sporting Chance Cancer Foundationの創立メンバーの一人となったほか、ブレストキャンサー・ネットワークなど多くの慈善事業にも協力してきた。



偉大な人は、きちんと他人を助けている。その輝かしい生き方に、私は彼女を尊敬している。(北村 記)


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2007年05月05日

GWのBLUETAGアスリートたち

5月4日

安直樹、イスバス日本選手権で、見事優勝。ベスト5にも選出された。
準決での動きがかなり切れていた。

千葉ホークスの皆さん、おめでとうございます!
随所に日頃のトレーニングの積み重ねが見れた気がしました。
対戦相手のNO EXCUSEも決勝初出場! 大きな自信と経験に繋がったのでは?

いやー。でも東京体育館、暑(あつ)なかった?

大会に関する詳しい報告は、後日安直樹本人より・・・



5月5日

日が変わって、今日は朝早くからお台場。
ビーチバレーボールの大会に森川太地がパートナー山本と組んで参戦。

朝からめちゃくちゃええ天気。

しかし、9時前やのにお台場めっちゃ人多い。しかもメディアの人らもめっちゃ多い。 さて質問 なんでや?
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓


答えは、   

「浅尾美和」

すごいなー。 ウォームアップするにもエリアが仕切られていて、カメラさんが後ろからゾロゾロ、ゾロゾロ。

こんなええ天気にお台場で、制服着て仕事についてる警備員のおっちゃんらは、偉い! 写真撮影が禁止だそうで、ただの警備以上に大変な仕事に見えた。お疲れ様です。


で、肝心の試合ですが、浅尾美和のパートナー西堀健実(にしぼりたけみ)。 彼女は非常にセンスがある。上手い。



森川太地・山本辰生ペア初戦もとりあえずは勝利。
ただ、まだまだしょーもないミスもあったし、ブロック時のカバーなど修正すべき点があるように思えたが、BLUETAGアスリートにはどうしても注文がキツイのかも・・・・



以上、本日のブル太レポートでした。

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posted by buruta |18:37 | buruta | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年05月01日

祝 大家友和 50勝

大家投手 やるなぁ。 メジャーで50勝、野茂選手に次いで2人目の偉業やて。

一度大家さんのエージェントのご好意でランチミーティングをさせていただき、BLUETAGのためにインタビューにも応じていただいた経緯があるねんけど、「プロフェッショナルアスリート」という自身の立場に対して真剣に受け止め、自覚し、行動されている立派な方やった。

マイナーからのたたき上げで、大変多くの苦労を乗り越え、積み重ねてきた勝利。 彼は、チャリティーツアーもやっており、スポーツを通じての社会貢献にも積極的。

メディア受けは良くないとかいう話も聞いたことあるけど、彼のプロフェッショナルアスリートとしての自覚と行動には、BLUETAGアスリーとも勉強できることがたくさんある。


これからの益々のご活躍を祈ってます!

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posted by buruta |20:29 | buruta | コメント(2) | トラックバック(0)
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2007年05月01日

幸運は勇敢な者についてくる(byオシム)、あるいは部活を考える

新年度が始まって1カ月。新入社員、新入生のみなさんにとって、新鮮かつ慣れない環境で、たいへんな1カ月だったのではないでしょうか。

新年度といえば、わたしがサッカーに本格的に出会ったのが、中学1年生の入学直後。さっそくサッカー部に入り、ボールをける楽しさを知りました。そして、高校でも当然のようにサッカー部に入り、その後の人生にとても大切なものを得ることとなるのです。

今回は、学校の部活について考えてみたいと思います。

◆

わたしの母校、I高校は、神奈川県のごく普通の県立高校です。わたしが7期生ですから、当時はまだまだ新設校といった風情でした。サッカー部も特に強いというわけではありません。自慢できるような成績を残していない、ごく普通のサッカー部です。


で、5年前、サッカーを専門とする体育教師が赴任しました。30数年のサッカー部の歴史のなかでは、サッカーに専門に取り組む教師は3人目。さっそくサッカー部の監督に就任し、チームづくりが始まりました。

また、その一環としてOB会が組織されることとなり、わたしは事務局の一員としてOB会のWebサイトの制作・管理を担当しています。

伝統も何もない高校が、監督が変わってすぐに強くなれるほど高校サッカーは甘くありません。わたしが現役だった30年前、神奈川には約100校の高校がありましたが、今は200を超えています。

まして、サッカーは人気スポーツですから、どの高校も部員は多く、そのなかで勝ち上がるのは容易ではありません。それでも、監督、選手、コーチ、マネージャーたちの努力の成果で、ここ2~3年は県のベスト32まで進出できるようになりました。逆にいえばそこがカベとなっています。現在、FIFAに加盟してワールドカップ予選に参加する国が約200あり、日本のランキングが46番(2007年4月現在)ですから、I高校は県内において、だいたい世界のなかの日本の位置づけと似たようなところにいるわけです。


そんなサッカー部が先日、関東大会の県予選を戦いました。ベスト32まで順調に勝ち進み、いよいよカベであるベスト16に挑戦です。ワールドカップでいえば、決勝トーナメントへの挑戦でしょうか。ところが、相手は2005年度の高校選手権に県代表として出場したF高校。

私立のサッカーに力を入れている高校で、いわばサッカーのエリート集団です。I高校は、レギュラーの半分が中学時代は控え選手で、そんな選手たちをこつこつと鍛えてきたわけですから、試合の結果はだいたい予想がつきます。そんなあきらめ気分で試合観戦に行ったわたしは、思いがけない光景を目にするのです。


試合会場は、F高校の整備されたサッカー専用グラウンド。アウェイで、しかも強豪相手に不安しかなかったわたしの予想は、キックオフから覆されます。

個々のテクニックに勝るF高校は、安定したボールポゼッションからI高校のゴールに迫ります。しかし、普段はおとなしいI高校の選手たちが、試合の立ち上がりから相手ボールにすさまじいプレッシャーを与えています。さらに、いつもは黙ってサッカーをしている選手たちが大声を張り上げ、仲間を鼓舞し、一歩も引かずに戦っている。1週間前、いつものように静かに進む試合を見ていたわたしは、驚きました。こいつら、こんなサッカーができるのか。


実力は相手が一枚も二枚も上です。バックラインを破られ、シュートを打たれますが、GKが懸命にセーブ。さらに相手のシュートはわずかにワクから外れます。クロスバーに助けられたこともありました。GKが抜かれ、無人のゴールにシュートが飛びますが、猛ダッシュでゴールをカバーしたDFの足に当たってクリア。ゴールを許しません。相手のミスもあり、ラッキーな展開です。


「幸運は勇敢なる者についてくる」。
日本代表のオシム監督の語録のひとつだそうですが、まさにこの日のI高校の戦いぶりは、勇敢でした。幸運は、ただの運ではなく、必然でもあるのです。シュート体勢の相手に粘り強く体を寄せる。シュートコースを消そうと、体を投げ出す。GKは勇気をもって前に出る。とにかく、あらゆる局面でボールに食らいつく。この積み重ねが、相手のプレーの精度を鈍らせたのです。


しかも、守るばかりではなく、攻撃も見事でした。ボールを奪ってからすばやくボールを動かして一気に相手ゴール前で勝負に出ます。弱いチームが強いチームと戦うセオリー、いわゆるカウンター攻撃ですが、その展開はスピーディー。相手が前がかりですから、当然カウンターが決まりやすいことを除いても、その切り替えは鮮やかでした。


緊張感のある試合となり、時間がどんどん過ぎています。前半32分、相手のコーナーキックから集中を欠いてしまい、失点。前半は0-0で終わるべきところを残念な失点でした。相手のベンチは大騒ぎ。それだけ、F高校は苦しんでいたのでしょう。


ハーフタイムのインターバル。またしてもわたしは驚かされました。
「あそこのマーク、誰だよ」。
選手たちはなにやらしゃべりながら、ベンチに帰ってきます。水分を補給しながら、選手たちの話は止まりません。これまでベンチで一言もしゃべらない選手たちを見て、わたしは歯がゆい思いをしてきました。

20070427-04.JPG



ハーフタイムにしゃべらないサッカー選手がいることに、驚きさえ感じていたのです。広いグラウンドに11人、自分ですべてを判断しなければならないサッカーをしていれば、ハーフタイムはチームメイトとお互いにしゃべりたいことだらけのはずです。

ところが、イマドキの高校生は、黙って水を飲み、黙って監督やコーチの話を聞き、後半のピッチへ向かう。こうした傾向はどこの高校も似たようなものだそうです。
この日の彼らは違っていました。前半終了間際の失点で気落ちするどころか、冷静に失点の事実を受けとめ、マークや戦術をお互いに確認し、監督の指示を聞き、目に闘志をたぎらせて、後半のピッチへ向かったのです。


同点コールが生まれたのは、後半開始40秒でした。相手ゴールに近い位置でボールを奪うと、ワンタッチでボールをつなぎミドルシュート。サイドネットにボールが吸い込まれます。歓喜の輪をつくるI高校のイレブン。

ここからは、一進一退の攻防です。ボールキープから短いパスとドリブルで攻めるF高校、しっかりしたディフェンスからカウンターを狙うI高校。初夏を思わせる強い太陽がグラウンドを照らしています。

後半15分、ゴール前をワンツーで切り裂いたF高校が、ゴールを決めて勝ち越し。しかし、I高校は崩れませんでした。自分たちのサッカーを貫き、運動量では相手に勝っていました。しかし、チャンスがありながら決めきれない。3分の長いロスタイムのあと、主審が長いホイッスルを吹きました。


まさに、緊張感に満ちた熱戦。彼らは一生、この試合のことを忘れないでしょう。卒業して30年たっても、居酒屋で飲むたびに、同じ試合の同じシーンを語り続けるわたしたちのように。学校の部活に取り組むことは、まさに一生ものの飲み会のネタを仕込むことでもあるのです。

昨日の夕食のメニューは忘れても、30年前の試合の光景は忘れません。サッカー部の仲間は、一生の仲間です。また、その後の人生にとっても大きな影響を与えます。わたしは、サッカーをやっていたことで、たくさんのサッカー仲間に恵まれました。年齢や、生い立ちや、仕事など、まったく接点のない人間が、サッカーを通じてすぐに仲間になれるのです。ひとつのボールをお互いにけってもいいし、戦術のウンチクを語り合っても、サッカーをネタにした話題は尽きません。


「部活」という独特のシステムによって、日本のスポーツは長い間、学校が中心になってきました。学校教育とスポーツが一体となることで、ある意味では効率的にスポーツを根付かせ、強化されてきました。ところが、一方でその限界もあることも指摘され、サッカーを中心にクラブ組織による普及と強化が叫ばれつつあります。


Jリーグの下部組織を代表とする、整った施設に専門的なスキルをもったコーチたち。地域から運動能力に優れた選手たちを集め切磋琢磨すれば、競技力は確実に向上するでしょう。多くのスポーツが、Jリーグのノウハウを学ぼうとしています。

しかし、だからといって、学校の「部活スポーツ」はその魅力を失っていないと思います。同じ学校で勉強し、スポーツに取り組むことで、濃密な時間を過ごすことができる。授業はもちろん、体育祭や文化祭、放課後のグラウンドや体育館での練習、友情や軋轢や葛藤や恋愛。あらゆるものがぎっしりとつまった中学、高校の6年間は、普通の子供たちにとって大切な時間となるはずです。


ところが、現在の学校はかつてのような余裕を失っています。教師たちは仕事が増え、部活に使える時間は確実に減っています。最近の学校の現場が抱える問題は複雑で、熱心な教師ほど、疲れてしまっています。


公立学校にも取り入れられはじめた“成果主義”という流れは、確実に教師たちを追い詰めていくでしょう。何をもって成果とするか、教育という分野ではこれまた難しい問題です。また、熱意をもって子供たちと真正面からスポーツに取り組む教師は確実に減っていますし、部活をやれば内申点が上がるからと、それだけの理由で放課後にスポーツをする生徒も存在します。学校の部活がいろいろな意味で転換点に来ていることもまた事実です。



現在は、わたしが無邪気にボールをけっていた牧歌的な時代ではありません。それでも、ピッチで戦う後輩たち、中学生や高校生を見ると、胸の奥底がざわざわします。おやじ世代にとっては過去が懐かしいだけかもしれませんが、今、スポーツができる瞬間を大切にしてほしいと思いますし、たくさんの1年ボウズが部活の門を叩いてくれればと願っています。

◆


母校の激闘も熱かったのですが、Jリーグも上位が混戦となり、なかなかおもしろい展開になってきました。これから暑くなれば、コンディションづくりがとても大事になってくるでしょう。また、日本代表は3連覇をかけたアジアカップも楽しみです。幸運を自らに呼び込む勇敢な戦いができるのか。走って、走って、時にはリスクを犯して、攻めきることができるのか。今年のアジアカップは、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムという東南アジアの4カ国の共同開催。しかも7月ですから、暑さと湿度に悩まされるはず。オシム翁の手腕に期待です。


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posted by sugano |07:43 | sugano | コメント(5) | トラックバック(1)
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