2007年01月29日

大胆予想 2007年サッカー界10大ニュース

メタフットボール」こと、菅野芳伸です。

2007年になってもうその12分の1が過ぎようとしています。

本年もよろしくお願いします。



では、前置きなしにさっそく新年を飾るスペシャル企画。

「メタフットボール式」、2007年「日本サッカー界10大ニュース」をどぉーんと発表したいと思います。

すいません、ベタな企画で。


■日本代表、アジア・カップで準優勝

2007年、日本代表のスケジュールで最も注目されたのは7月に行われたアジア・カップでした。
カタール、UAE、ベトナムと戦う1次リーグは、2勝1分けで1位通過。
さらに決勝トーナメントを勝ち進み、決勝の相手は今大会からアジア大会に参加したオーストラリア。
日本代表は俊輔を中心にパスワークと運動量でオーストラリアのパワフルなサッカーに対抗するも、
決勝の舞台であるジャカルタの高温多湿な気候にスタミナを奪われ、次第に主導権を失ってしまう。
1 対1のまま延長に突入したものの、PKをとられてしまい、失点。
準優勝となって3年連続の優勝はかなわなかった。
それでも、俊輔、松井、高原が加わった日本代表は攻守のバランスが高まり、ワールドカップ予選への期待が高まった。
「人間は常に学ばなければなりません。しかし、学んだからといって必ずしも結果が出るとも限らない。
それでも、学び続ける選手が進歩するのです。今回、日本代表はそれを学んだのです」
とオシム監督は決勝後、語った。


■激闘の末、男女ともに北京オリンピック出場決定

2月28日からスタートした男子の北京オリンピック予選は、バーレーン、クエート、カタール
との2次予選を1位で勝ち上がり、最終予選に進出。最終予選は、北朝鮮、ウズベキスタン、
サウジアラビアと同グループとなる。ホーム&アウエーで1位だけ北京への切符を手にできるが、
日本は苦戦。最終戦の北朝鮮戦、アウエーのピャンヤンでの試合に勝たなければならなくなった。
しかし、それまで絶不調で無得点だったFW平山が爆発してハットトリック。
3対0で快勝して見事に北京オリンピック出場を決めた。
一方の女子はメキシコとのプレーオフ。3月10日のホーム、3月17日のアウエーの2試合を勝って、
北京への切符を手にした。特に活躍したのが、ママさんの宮本ともみ選手。
長男を連れて遠征に参加、スケールの大きなプレーで中盤を制圧して勝利に大きく貢献した。
母は強い。


■U-20ワールドカップで日本が優勝

20歳以下のワールドカップはカナダで6月30日に開幕。日本は予選リーグから快進撃を続け、
なんと準決勝でブラジルを破って決勝に進出。決勝の相手はフランス。
日本は猛攻に耐えてスコアレスのままPK戦へ。ここでGKが2本を止め、勝利。
初めてFIFA主催の世界大会で優勝を勝ち取った。
しかし、8月に韓国で行われたU-17のワールドカップでは予選リーグで敗退。
世界の厳しさを味わった。


■俊輔、チャンピオンズリーグでベスト4進出

何はなくとも、中村俊輔。チャンピオンズリーグの決勝トーナメントで、
まず3月にACミランを破ってベスト8へ進出。さらに4月、リヨンと準々決勝で対戦。
ファーストレグのアウエーを1-0と落としたものの、セカンドレグのホームでは俊輔が大活躍。
1得点1アシストを決めて、そのファンタジックな左足を改めて世界に見せつける。
準決勝の相手はバルセロナ。しかし、ここでその左足は輝かなかった。
2連敗で、俊輔のチャンピオンズリーグの冒険は幕を閉じたのだった。


■松井大輔、スペイン移籍

フランスの1部リーグで主力として活躍する松井大輔。
7月のアジア・カップでも切れ味鋭いドリブルで存在感を見せつけ、日本代表に定着。
オシム監督もそのプレーを高く評価した。
そして07-08シーズンを前にスペインのアトレチコ・マドリードからオファーがあり、移籍を決意。
スペインでもすぐにレギュラーを獲得して主力としてプレーし、
スペイン人からも「オーレ、ダイ!!」と声援を浴びた。


■中田英寿氏、宇宙の旅

世界を旅する元日本代表の中田英寿氏がまたも世間をあっと言わせる。
なんと、宇宙へ旅立つことを発表。サッカーで鍛えたフィジカルは宇宙飛行士としては水準以上。
某テレビ局と独占契約を結び、宇宙からのメッセージを生中継し、
さらに宇宙空間でCM撮影をするという世界初のプランも披露する。
旅行費用はほとんどこれらのスポンサー費でまかなえるというから、旅だか出張だか、よくわからん。
出発は2009年の予定。中田氏の旅はまだまだ続く。


■ベッカム、浦和レッズに移籍

Jリーグ制覇、天皇杯連覇と、日本を代表するビッグクラブとなった浦和レッズがやってくれます。
なんと、元イングランド代表、ディビッド・ベッカムの獲得を年末に発表。
アメリカMLSのロサンジェルス・ギャラクシーに移籍したものの、
アメリカでのサッカー環境になじめなかったベッカム。
多くのファンのいる日本でサッカーをしたいと決意し、2008年1月から1年の期限付き移籍。
レッズは高額な移籍金と年俸を証券化するという資金計画を発表し、
ベッカム人気にあやかろうと多くの企業が賛同して資金確保も速攻で完了した。
ベッカムがレッズの赤いユニフォームを着て、
さいたまスタジアムのピッチでお披露目をしたのが大晦日。
2008年はベッカム旋風が日本を駆け抜けるか。


■I高校OB、T高校に雪辱

私事です。わが母校、神奈川県立I高校サッカー部OB(40歳以上)は昨年、
同じ市内の県立T高校OBチームから試合を申し込まれ対戦したものの、1-2 で敗れた。
T高校のOBチームは県のシニアリーグに参加していてコンビネーションもばっちり。
一方のわがI高校は年に1回、母校に集まってボールをける程度。
さらにT高校は県内でも有数の進学校で、偏差値で負けてサッカーでも負けるというのは、
I高校OBのおじさんのプライドが許さない。2007年秋、再び対戦した両チーム。
今度はI高校が意地で3-0と快勝して、きっちり雪辱を果たした。


■川崎フロンターレ、Jリーグ初優勝


2007年のJリーグも白熱。開幕からレッズが首位を走るものの、
わたしの地元チームである川崎フロンターレが猛烈に追い上げる。当然、川崎は盛り上がった。
政令指定都市でありながら東京のベッドタウンで、帰属意識の薄い市民が地元愛に目覚め、
等々力競技場は毎試合満員。同じ勝ち点で迎えた最終節は、さいたまスタジアムで直接対決。
試合終了間際、中村憲剛のフリーキックを箕輪義信(川崎出身)がヘッドで決めて、
フロンターレが初優勝。赤いレッズファンを沈黙させる。


■カズ、ゴン、引退

今シーズンを限りに、日本サッカーを引っ張ってきた二人のベテランがスパイクを脱いだ。
J1での活躍が期待されたカズは40歳。シーズン当初は試合に出場したものの、プレーは生彩を欠き、
次第に出番が減っていく。横浜FCもはじめてのJ1で苦戦が続き、1年で降格となってしまう。
シーズン終盤はほとんど試合に出なかったカズは、引退を決意する。
一方、カズと同じ1967年生まれながら学年がひとつ下のゴン中山もケガが多く、
ベストコンディションには程遠いシーズンを送る。
クラブも本人に引退を勧告し、それを受け入れる。
「ドーハの悲劇」を知る選手はJリーグにはもういない。


テキトーかつ勝手な妄想を交えつつ、2007年シーズンはこんな感じでどうでしょう。
いずれにしろ、話題豊富な1年であることを願っています。



◆

いよいよWindowsの新しいOS、「Vista」が明日(1月30日)発売されます。
わたしはパソコン・マニアではないので、特に感想もないのですが、
いずれPCを否応なく買い換えなければならないわけです(「まだXPですか…」なんて誰かに言われて)。
不自由なく使っているのでなんだかうっとうしいなあと。
最近はサッカーのクラブも毎年ユニフォームをモデル・チェンジしていて、
好きな人は毎年レプリカを買っているようですね。クラブ経営としては、
当然そのほうが収益を上げられるわけで。
ただ、古いユニフォームは持っている人にとって大切な価値があり、
それを周囲も認めてくれるでしょうが、古いパソコンはただ古いだけの箱。
デジタルってむなしい。なんておじさんはぼやきつつ、また次回。

Posted: sugano : 2007年01月29日 23:18

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2007年01月14日

干ばつに切れた豪農家とスポーツ選手

あけましておめでとうございます。

2007年の開幕を心よりお喜び申し上げます。

ブル太の一層の活躍 そして読者の皆さんのご健康をお祈りします。

さて、オーストラリアは干ばつです。

20070410-28.JPG

どこの農家も、最大の危機を迎えています。

鬱病の患者の相談にのっているビヨンドブルーというオーストラリアの団体によれば、
4日に一人は農家の人の自殺者がでている。そこでも、オースとラリア・スポーツ選手の必至の励ましがある。


(1)干ばつ農家の苦しみ


いま、オーストラリアのほとんどの農家が、干ばつに「切れている」。
若い羊の強制屠殺。長年苦労をともにしてきた農民の自殺。
先祖から引き継いだ思い入れのある農場を、一瞬のうちにして黒こげにしたブッシュ・ファイア。
そして、先の見えない干ばつの継続。

グラハム・ブラウンさんは、何度も自殺を考えたことがある。
彼は、この農家闇黒の時代に、生きるよりも死を選んだ方がましだと思いつめたこともあった。
ここ数年、自分の土地で農業を破壊するかのように起きた出来事は、
ほとんどの農家がこれまで耐えてきたこととは全く別次元の強烈なものだった。

彼は、“ゾンビー”という言葉を使って、自分を生きる屍と表現した。

「大方の経験をしてきた父親が、生きて行くに耐えないようだ」
と、ブラウンさんの娘は説明する。
ブラウンさんは、父親が1977年に死んだ後、農場を引き継いだ。
オレンジ市の近くで800ヘクタールの農場に、かつては8000頭の羊と300頭の牛を飼っていた。
1年ごとに80ヘクタールを再開発し、10年間、種子の空中散布を続けた。
だが、1979年から1983年までの干ばつで、羊の数は一気に3000頭に減ってしまった。

「1983年に雨が降ったんだよ。私はボブ・ホークが降らせたんだと思うね、
そうだと思わない?皆喜んだよ、皆祝福しあったね」


1984年の春まではよかった。

だが、その後また干ばつの夏。

ブラウンさんは、農場の滑走路を開放し、援助基地となった。
食料と干し草の緊急援助が運び込まれた。
奥さんのアネットさんは、日に60人分の食事を賄った。

「1985年の初めはひどいもんだった。全州が火だるま状態で、あちこちで火事だよ。
オーストラリアデーに、家の農場が焼けた。25の農場がやられた。
うちも、農場の3分の1と600頭の羊がやられた」
「この界隈の二人に一人は、投薬を受けていたね。
男が主だったが、中には婦人ですら投薬を受けていた人もいたよ」
 

ある1985年の朝。ブラウンさんが時計をみると。朝の7時半だった。
この10年、こんなに遅く起きたことはなかった。心の疲労が蓄積していたのだ。

1986年半ば頃には、ブラウンさんは、ついに心の健康を害し、鬱になり、自殺を思うようになる。
やがて、先祖から行き継いだ農場を、地元の鉱山会社に売却し、小さな農場を買って引っ越した。


孤立した農場の生活。家族へのプレッシャー。農業収入の激しい落ち込み。
それに伴う経済的苦境。
それらが多くの人々を崩壊寸前に追いやっている。

20070410-29.JPG

終わりの見えない干ばつと向き合って、農家は、
少なくとも2008年まで農業収入は途絶える可能性があり、それらが、
農家の心の健康に大きな問題を投げかけてきた。干ばつは境界線を選ばない。
「多くの家庭が干ばつで崩壊状態です。女性は、子どもを学校に通わせるために町に働きに出て、
男は家に残って作業。これが、災害時のレシピーだよ」という人も多い。
(つづく)




(2) モーラル・サポート


土地が死ぬと、農業従事者に犠牲者が出る。農業従事者の自殺率は、
オーストラリア人男性の倍だ。鬱病や他の精神的疾病になった干ばつ農家の人たちが、
精神科医に相談できる機会は乏しい。ニューサウス・ウェールズ州保健省は、
干ばつの影響を受ける奥地住民の精神健康診断の強化に乗り出した。


20070410-30.JPG


ニューサウス・ウェールズ州内陸の鉱山の町コーバーは、世界一自殺率の高い町と言われている。
コーバー出身のオーストラリア・ラグビー・リーグ、メルボルン・ストームの
元選手ピーター・ロビンソンさんは、地獄の苦しみを味わっている農家の友人の深刻さに心を痛めてきた。

「奥地では、自然災害に苦しめられている人々の精神的に助けてくれる施設が
ありません。深刻な鬱になっているんです」という。

ロビンソンさんは、故郷の人々を励まそうと、シドニー・スワンの元スター選手、
ウェイン・シュワスさんに呼びかけ、昨年10月、26人のサイクリス(ウィーリーと豪では言う)
とともに、オペラハウスを出発して、10日間をかけて、途中37の町で募金をし、
メルボルンのクリケット・グラウンドまで、サンライズ財団
(エリート・スポーツ選手の教育を提供する財団)の行事として募金集めに走破した。
1150キロのチャリンコの旅で、3万6000ドルも集まった。


10年続きの干ばつにやられたコーバーの町では、ロビンソンさんとコセフさんの
学校時代の学友が多く自殺している。ロビンソンさんが、12月8日、里帰りして
激励の夕べを開くきっかけになったのは、最近も学友二人が自殺したためだった。

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主催したのは、コーバーが生んだ二人の有名選手、
ロビンソンさんとナショナル・ラグビー・リーグの元選手ニック・コセフさん。
パブの経営者となったニック・コセフさんはゴールドコーストから飛んできた。
募金サイクリングのリーダーを務めたシュワスさんも加わった。3人の気持ちは一つ・・ 
“オーストラリアの自殺の首都”というこの町の汚名の返上だった。



コーバー・ボーリング・ゴルフ・クラブに、町の人300人以上が集(つど)った。
ビールを飲み、共に涙を流した。実は、シュワスさんは、14シーズンも、
自分が鬱病であったことを隠していた。

「鬱病は、弱さだと思います。だから、私はそれを隠したのです。3年間、
自殺を考え続けました。私は並木道を車で走りました。そして、一本の木を選びました」

しかし、シュワスさんは、サンライズ財団を創始し、理事長として仲間を助ける側にまわった。
ロビンソンさんは、メルボルン・ストームの福祉委員。この日の激励集会でも3万ドルが集まった。

「全額をコーバーの人に置いていきます」とロビンソンさん。

コーバーの人は鬱病を隠してユーモアを言う。

「町は水不足だ。プールは3レーンだけ閉める。牛は粉ミルクを出した」などと。
辛いときほど、自らを笑う。



最近連邦政府は、カウンセラーに診断を受けると医療制度から還付金を支給する決定をした。
農業者の心の負担を軽くするのは、当然政治の役目である。
農業を大事にしない政治など、罰当たりである。


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posted by gensan |15:36 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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