2006年12月12日

水から上がったイアン・ソープ

イアン・ソープが引退した。

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ファンからすれば、残念至極の一言に尽きる。

不世出の水泳選手であると信じていたから、もっと泳いで記録を塗り替えると期待していた。

オリンピックで5度の金メダル、世界記録もいくつももち、
前途洋々と思っていた24歳の若者が、あっけなく引退の記者会見をした。


「水泳は、もう自分では最優先の種目ではない。人生には重要なことがある」 

と記者会見で言った。

来年のメルボルンでの世界選手権で当然泳ぎを見せてくれると信じていた者にとっては、
水をかけられたような気になった。

「不思議なアドバーザーから助けられた」

と、謎めいた発言もした。

「日曜日午後2時53分に、世界選手権には出場しない決定をした。
そして、私の水泳のプロとしてキャリアを実際上断つという困難決断も下した。
この決定に向けて、しばし考えた。私はもう24歳。そして、まだ24歳です。
まだ新しい挑戦ができ、人生の中でそれらの挑戦を受け入れることのできるほどの若さだ。
同時に、私の人生でこの場に立てるのは、自分のすべての業績のおかげであり、
それを認識するには十分の年齢に達している。私に泳ぎ続けてほしいと願う人々がいるのも承知している。
他の方々が私に願っている半分でも泳げたらと思っている」と言った。


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イアン・ソープは、世界タイトル11個、オリンピック金メダル5個、
長距離世界個人記録13を樹立した大物である。

アテネ・オリンピックで200メートルと400メートルの自由形で優勝したあと、
トレーニングの疲労から1年の休暇をとった。
しかし復帰の計画は、病気、負傷、さらには気力の衰えも手伝ってうまくいかなかった。

そして、今年ロサンゼルスで3ヶ月滞在し、復帰にかけた。

ソープは、ロスの滞在中に肉体的には最高潮を感じたが、
同時に水泳における自身の将来に疑問も感じたという。



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「自分の健康が回復し、私の心も健康になるにつれて、一つのことがロスでおきた。
私は数多くの疑問に自問自答し始めた。私は、人間として、自分自身を見つめ始めた。
それは、とりもなおさず、別の疑問を引き起こした。水泳無しの私の人生は何だろうか、と。
それは、私にとってセキュリティ・ネットでした。つまり、私が歩むべき人生のバランスを欠いていたということです。
私は、他のことも証明すらうために、今の段階で水泳をひとまず後ろにおくべきだと気づいた。
私は、もう次の段階に目を向けている。
そして、次の段階とは、私にとって最も大切なことを組み直しているということだ。
水泳は、いくらか中途半端に終わる。本来こうあってはならないことだ」


しかし、彼は、水泳への復帰の可能性を否定した。

「私は否定するつもりはない。いかなることも無いとは言えないが、
それは起きないだろう」と言った。


イアン・ソープの将来の計画が何かは明らかにしなかった。

「自身の決定について、私の眼前に競泳の姿が浮かんできているので、情緒的になっている」とも。

「私は大きな経験を積ませてもらった。スポーツ界から身を引くのは最良の時期ではないが、これも私の時代である」

当然、関係者の声があちこちから飛んできた。

オーストラリア・オリンピック委員会のジョン・コーツ会長は、

「ソープの残した記録は、今後50年は破られない。彼は、オリンピック史上最も優秀な選手だった。
偉大なチャンピオンだった。若きオーストラリア人に偉大な息吹をもたらした。
我が国にとってすばらしいスポーツ大使だった。彼は偉大なチーム・プレーヤーだった。
水泳チームを率いた貢献とシドニー。アテネの両オリンピックで彼の力量に預かるところ大だった。
われわれは、1956年のメルボルン・オリンピックの主役選手、
マレー・ローズ、ドーン・フレーザー、ベティ・カスバートに栄誉を表した。
今後50年たっても、オーストラリア人はイアン・ソープの偉業に驚くであろう。
彼の業績は、今後何年にもわたって忘れられることはないだろう」と語り、
ソープにオリンピックへの貢献に賛辞を送った。

オーストラリア水泳協会のグレン・タスカー筆頭理事は、

「ほとんどの水泳コーチは、彼の400メートル自由形の世界記録はほとんど
破られることはないであろうと認めている。カメラの前での彼の動作、謙遜さ、
彼のすべての競泳のほとんどすべてが、オーストラリア・スポーツの伝説として焼き付けた」


ハワード首相は、ベトナムで、水泳界を去った後の人生に幸あれと祝福し、
「すばらしいスポーツ選手であり、立派な男性だった。
彼の引退は、オーストラリア・スポーツ界に大きな損失だが、
すべてのスポーツ選手と同様、若いときから厳しい生活を切り抜けてきたのだ」と讃えた。

世論調査では、イアン・ソープは正しい決定をしたか、という質問で、
そうだと答えたのは83%、正しくないと答えたのは17%だった。

庶民のショックは、織り込み済みと判断できる。


私は、2000年8月、つまりシドニー・オリンピックの直前に、
フレンチス・フォレストのプールで、彼にインタビューしたことがある。

彼が育ったニューサウス・ウェールズ・ショートコース水泳選手権に出場した時のことだった。
彼は、ローカル競技にもきちんと出場した。それはローカル競技で育ったからだった。


20世紀最大のスイーマーとコーチに言わしめたイアン・ソープ。
趣味は水上スキーに映画鑑賞、コンピューター・ゲームと普通の少年だった。

この時も、1日目に午前中の400メートル自由形に出場したあと映画鑑賞に
行くほど気分の切り替えをする選手だった。

37センチの超大型の足をみて、ドイツのキャプテン、
クリス・キャロル・ブレマーが成長ホルモンを使用していると主張した。

「無知な人間にどうやって無知を証明するのか」と、イアンの父親が怒ったという話もある。

15歳で世界選手権優勝。16歳のパン・パンパシフィック選手権で、
4日間で4つの世界新を出して、国際舞台に急浮上した。

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彼の良さは、何事にも動じないことだった。

「プレッシャーとは思いません。応援してくれていると思っています。
他のスポーツ選手がうけている応援と同じものと思います」


ドン・タルボット・コーチは、彼を20世紀最大の水泳選手と言った。

それをどう思うかと、聞いてみた。

「私の回りにいるすべての水泳選手に対して、しかもそれなりの記録を残している選手には
無礼な発言でしょう。私はまだオリンピックの経験の無い者です。それは不必要な発言だと思います。
オリンピックを含めて長期的に活動していい成績を残した時に、
世界の中で良い水泳選手といわれるかもしれない。まだ何も出ていないんですから」


長年ソープを指導してきたダグ・フロスト・コーチは、

「彼は3度のオリンピックで金を狙える逸材だ。水泳界のタイガー・ウッズだ」と言った。

だが、そのコーチも、こうなるとは、彼の心を読みきれなかった。

いつか、彼が言った。

「映画も観たい・・・何か特別でない人になりたい・・」

特別でない人にはなりえないであろうが、彼の夢をまたどこかで満たしてあげたい気がするのだ。


2007年は、彼にとっても意味ある年になるはずだ。



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posted by gensan |14:42 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年12月11日

オーストラリア戦で、頭まっ白 ~その2~

メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


そんなこんなで、12月になってしまいました。

Jリーグは「浦和レッズ」の優勝で幕を閉じました。そして運命の残留・昇格争い。


今年もドラマチックでした。まさに天国と地獄の分かれ目。スポーツに勝敗はつきものですが、
「それがなくては人生としてつまらないだろう」(“なんちゃってオシム”でした…)。
というわけで、ワールドカップ・ドイツ大会。6月12日の日本対オーストラリア。


いよいよ後半です。

中村俊輔の“おこぼれゴール”で1対0とリードした日本ですが、
後半もオーストラリアの力強い攻撃に日本は守備に追われています。


後半がキックオフされても、わたしは前半の原稿やら編集映像のチェックで、
なかなか試合に集中できません。そのかわり、アシスタント・ディレクターがモニターを見て、
何か動きがあれば、わたしに知らせてくれるのです。


10分には坪井が足をつらせてしまい、茂庭が交代でピッチに。その後も流れがつかめないまま、
オーストラリアが攻め、日本が守る時間が続きます。

しかもオーストラリアはヒディング監督が攻撃的な選手を次々と投入して勝負をかけてきます。

暑さのためか、日本は足が止まってしまい、攻撃どころか、
前線にボールが入らず、ディフェンス・ラインを上げられません。


この間、わたしはいくつかのシーンを選んでいるはずですが、よく覚えていないのです。

そして、後半31分、高原が相手ボールを奪って、ドリブルをしかけます。
すかさずフォローに入る柳沢。相手DFは2枚。2対2の圧倒的に日本が有利な局面。

「いけ、高原、柳沢!!」。

ピンチの連続に悲鳴ばかりだった仮設スタジオが、にわかに盛り上がります。
しかし、高原はシュートを打たず、柳沢にボールを預け、その柳沢のシュートはチョロチョロ。


「あーあぁぁ……なんだよそれ!!(怒)」


絶叫がため息にかわります。それでも、わたしはこのシーンを選択し、編集マンに伝えました。


そして、後半38分、オーストラリアの強烈なフリーキックが日本のゴールを襲います。
しかし、GK川口が見事に反応。
「よし、とにかく1点を守り切れ」。誰かが叫んでいます。わたしはこのシーンも選択。
この時点できっちり12シーンが揃いました。


「川口がピンチをファインセーブで救い、そのままタイムアップ。日本が初戦を見事に飾りました」。
このコメントで締めくくる。わたしの構成は完璧です。


ここまでは。


その直後、絶叫が上がります。そのとき、わたしは原稿を書いていて、
モニターを見ていませんでした。


「やられたあ!!」。


相手のロングスローに川口が飛び出し、こぼれ球を押し込まれて同点です。


わたしの心臓が一気に心拍数を上げます。ひとつのシーンを削って、
この失点のシーンを入れなければなりません。


どのシーンを削るべきか……この時点で、わたしはまだ冷静でした。


しかし。

後半43分、福西がフリーでミドルシュート。
しかし、惜しくもゴールの枠を外れます。このシーンも入れなければなりません。


後半44分、またも絶叫。

こぼれ球をひろったケイヒルのシュートがポストに当たって日本のゴールに吸い込まれてしまいます。


なんと痛恨の逆転。このシーンも入れなければならない。
これらのシーンをわたしはリアルタイムで見ていないのです。

編集済みのシーンを確認したり、メモを書いたりで、
モニターを見ている場合ではありません。


さらにロスタイム、今度はアロイージがドリブルで切り込んで、シュート。


なんとこれも決まってしまいます。


現場は大混乱。

絶叫とため息が入り交じった大騒ぎ。

同点からわずか7~8分のできごとです。


わたしは「同点のまま試合終了」というところまではシナリオを想定することはできましたが、
その後の展開には頭がついていきません。
さらに日本が負けたというショックが加わり、ただ自問するばかり。


「どうする?」


そしてタイムアップ。

日本は1対3でオーストラリアとの初戦に逆転負け。


仮設スタジオに集まった20数人が大きなため息をつきます。
しかし、仕事はこれからです。


呆然と立ちつくすわたしにプロデューサーT氏が声をかけます。


「菅野さん、どうする。どのシーンでいく?」

「………」

わたしの頭はまっ白でした。
人間の頭の中は、思考が停止すると本当にまっ白になるのです。

今この瞬間に、削るシーンと残すシーンを決めなければなりません。
それはわかっています。しかし、頭の中は純白のシーツが広がっているのです。
PCで言えば突然のハングアップ。クリックしようがキーボードを叩こうが、何も動かない。

頭がまっ白になるという経験は皆さんもあると思います。

定番は失恋ですよね。
「もう終わりにしましょう」「ごめんなさい、お気持ちはうれしいけど…」。


自慢ではありませんが、こんな経験は豊富です。
さらに、さまざまな人生経験を積み、よくも悪くも動じないおっさんであるはずのわたしが、
思考停止で頭がまっ白ではシャレになりません。ところが、現実はまっ白なのです。


「菅野さん、どうするの?!」。


T氏がさらに呼びかけます。
スタッフ全員の視線がわたしに集中します。わたしが決めなければ、作業ができないのです。

「……あの、その、えーと…◎※〆†♭‡@♀♂∬∵≒∞」


手もとのメモを見て、必死に頭を回転させようとしますが、どうにもなりません。

人生最大のピンチ。わたしは生まれてはじめて「逃げ出したい」という思いにかられました。


どのくらい時間がたったでしょう。おそらく10数秒に違いありませんが、
わたしには永遠とも思える時間がすぎ、そこからやっと頭が少しずつ動きはじめました。


「菅野さん!!」


T氏はいらだっています。できない、では済まされないのですから、当然です。


「えー……○番と○番と○番、それから○番をカットして、13播、14番、15番と16番でお願いします」。

わたしはなんとかシーンを選択しました。

編集するシーンはすべて通し番号で管理するのですが、すでに編集済みのシーンを4つ削り
(柳沢のチョロシュートはカット)、新たに試合終了間際の4つのシーンを加えました。


さあ、ここからがまた、たいへん。編集マンはあわてて指定されたシーンの追加編集。

アシスタント・ディレクターはシーン毎の時間や選手の確認に集中し、
わたしはナレーション原稿を速攻で仕上げる作業に没頭します。
ロスタイムが長く、全体の時間が押しています。
次の試合の準備がはじまる30分後には、すべての作業を終えなければなりません。

「チェック、お願いします」。

編集マンから声がかかりました。

「うわっ」。

ここでわたしはまたも絶句してしまうのです。

後半43分の福西の惜しいシュートのシーンを選んだはずなのに、
なぜか40分に駒野が相手ゴール前で倒されてコーナーキックとなるシーンになっていたのです。


どこかで伝達ミスがあった。またもや心拍数が上がり、頭がまっ白になりつつ、
わたしの頭はなんとか回転を続けています。もう時間がありません。


今さらシーンを入れ替えるなんて絶対、無理。あり得ない。

後で
「あの福西のシュートはなぜ入れなかったの」

と誰かに言われるかもしれませんが、知ったことではありません(もう開き直っています)。


わたしは平静を装い、簡潔に「OKです」と言って、編集は完了です。
このことは秘密にしよう。一生、自分だけの胸にしまっておこうと誓いました。

さっそく原稿を直し、チェックもそこそこにナレーションの収録。
すでに次の試合、アメリカ対チェコを担当するディレクターがスタンバイしています。
時間ぎりぎり、なんとかすべての作業を終えることができました。


人生最大のピンチを切り抜けた、という安堵感や達成感なんてものはありません。
この時点でわたしの頭の中は
「福西、駒野、福西、駒野………日本負け、日本負け……」とリフレインが続いています。
時刻は夜中の1時。他のスタッフはアメリカ対チェコの作業に移っています。


頭がまっ白になったという事実に、わたしは大きなショックを受けていました。

なぜ、あんな状態になったのか、自分自身が信じられない。
しかし、うじうじばかりもしていられません。この日のシフトは2試合担当。
3時間後、早朝4時キックオフのイタリア対ガーナの試合をやらなければならないのです。
少しでも体と頭を休めたいのに、ショックでそれどころではない自分がさらに情けなくなります。


差し入れのユンケルをぐいっとあおり、さらにブラックコーヒーを3杯飲んで、
なんとか次の試合に向けて気持ちを切り替えました。
イタリアが2-0でガーナを下し、作業を終えた朝7時すぎ、わたしは本当の抜け殻になった気分でした。


で、話はまだ続きます。

それから2~3日たったころでしょうか。「頭まっ白&福西・駒野ショック」を引きずっていたわたしは、ある記事をWebで見つけて目を丸くしました。


日本対オーストラリアの試合の笛を吹いた主審が
「駒野が倒された場面は明らかにファールで、PKにすべきだった。わたしのミスだ」

というコメントを出したのです。なんと、意図に反して残したシーンが大きな話題となっていたのです。
まさにそれを誰もがWebサイトで何度も見ることができる。
結果的に福西のシュートよりも価値のあるシーンを残すことになったとは、
不幸中の幸いというか、けがの功名というのか、
サッカーの神様のいたずらか(だから、こうして書いているわけですが)。


さて、わたしは続く日本の試合、対クロアチア戦も担当しました。

選手入場の時、キャプテン宮本の落ちくぼんだ眼とほおを見た瞬間のいやな予感。

さらに、あのじりじりとしたスコアレス・ドローには、胃が痛みました。
そして、日本対ブラジル戦も当初のシフトではわたしの担当だったのですが、
若いディレクターにお願いして代わってもらいました(M君ありがとう)。


わたしの肉体と精神は度重なる激闘に耐えられるほどタフではありません。
全スタッフの中で、わたしは(推定)最年長なのですから。ぬははは。



◆


先日、「アディダスvsプーマ もうひとつの代理戦争」(バーバラ・スミット著)という本を読みました。

アディダスとプーマはもともとドイツのダスラー家の兄弟から発祥したというのは有名な話で、
この本には現在までの歴史が書かれています。
興味深いエピソードがたくさんつまっているのですが、わたしにとっておもしろかったのが、
ヨハン・クライフはアディダスのスパイクが気に入っていたという事実。

1974年、西ドイツでのワールドカップで準優勝したオランダ代表は
アディダスと契約していたのに、クライフは個人的にプーマと契約していたため、
クライフのユニフォームだけが3本線ではなく2本線だったことは有名です。

ですから、クライフは根っからのプーマ派だと思っていたのですが、
実はそれはあくまでも契約上のこと。プーマのスパイクが足にしっくりこないクライフはある時、
真っ黒のアディダスを試合で履いて、プーマに見破られてしまったそうです。

プロであるから、当然、道具には妥協できません。一方で、プロであるから、
契約に縛られてしまうこともあるわけです。そんな裏話を知ると、またまた選手の足元を凝視して、
いろいろと想像をふくらませてしまう、“スパイク・フェチ”のわたしなのでした。

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posted by sugano |14:21 | sugano | コメント(0) | トラックバック(0)
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