2006年11月25日

オーストラリア戦で、頭まっ白 ~その1~

「メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


いつの間にかもうすぐ12月。街でジングルベルが鳴り始めると、
うれしいような、焦るような、子供のころのように単純にうれしくないのが悔しいというか。


で、誰もが1年をふり返る季節になったわけですが、わたしにとって今年一番の出来事は
ワールドカップ・ドイツ大会。4年に1度のサッカーの祭典ですからサッカーファンにとっては
当然のことですが、わたしは仕事でワールドカップに“参戦”していたのです。


そこで直面した人生最大のピーンチ!!!

「頭まっ白事件」をわたしは一生、忘れることはないでしょう。



今回のワールドカップ・ドイツ大会をインターネットの「ダイジェスト速報」
で楽しんだ方は多いのではないでしょうか。


niftyやMSNなどが特別サイトを開設してストリーミング配信していましたし、
携帯電話にも配信され、ダウンロードして見ることができました。
ベッカムのフリーキック、ジダンの頭突きが試合終了後1~2時間くらいすれば
Webで何度も見られるのですから、すごい時代になったものです。


実はわたしはその制作現場で、スタッフの一員としてリアルタイムに
そのダイジェストをつくっていたのです。


蒸し暑い6月。


都内某所、とあるビルの一室。ところ狭しと並べられた編集機や各種モニター、MA機器、
さらに編集した映像データをWebや携帯向けに各種の圧縮形式にエンコード
変換)するパソコンなど、さまざまな機材の数々。そこに、男たちが夜な夜な集合します。


「速報」ですから、すべてはドイツ時間でスケジュールが組み立てられます。

日付が変わるころ、キックオフと同時に編集作業がスタート。

しかし、さまざまな条件があり、作業はそれほど簡単ではありません。

使える映像はFIFAとの契約上、1シーン最長20秒で、12シーンと規定(合計4分)。

しかも試合終了後30分くらいで12シーンの編集を終えてナレーション原稿を完成させ、
さらにナレーションを収録しなければならないのです。


試合の進行と並行してダイジェスト・シーンを選び、シーン毎に映像を編集し、
原稿を書かなければとても間に合いません。


試合終了と同時に12シーンできっちり収まればよいのですが、
何が起こるかわからないのがサッカー。


チャンスが多く、ゴールがたくさん決まる試合もあれば、まったく何も起こらない試合もある。
12シーンを効率よく、的確に選ばなければならないのです。


わたしはこのプロジェクトの「ディレクター」、
つまり12のダイジェスト・シーンを選び、編集の指示を出し、
ナレーション原稿を書く、という役割で参加しました。


どのシーンを選ぶかは、わたしがすべての責任を負うのです。
「速報」は別のテレビ番組で経験がありましたから、だいたいの様子はわかっているつもり。


もちろん、
「時間がなくてできません」 ということが許されないことも。


ワールドカップは6月9日から7月9日まで、全64試合。

ディレクターはわたしを含め3人が交代で努めました。

徹夜で、しかも時間に追われまくりつつ、きっちりとしたダイジェスト映像を
一発勝負でつくるという結果がすべて。体力勝負の面もあります。
気分はドイツで戦う日本代表と一緒。


「気持ちだよ、気持ち」。


わたしのシフト初日は開幕2日目、6月10日のトリニダード・トバゴ対スウェーデン。


キックオフは日本時間で夜中の1時。初出場のトリニダード・トバゴに対して
北欧の雄スウェーデンが攻め込みますが、ゴールが決まりません。


期待のイブラヒモビッチの調子も今いち。

わたしは決まらないシュートにいらいらしながらも、12シーンの構成を考えつつ、
ひたすら試合に集中し、原稿を書きました。


結局、試合はスコアレス。

それでもなんとか制限時間内にすべての作業を終えることができました。

プロデューサー、映像を組み合わせる編集マン、選手名や試合進行状況などを確認する
アシスタント・ディレクター、データ変換をするエンコード・チーム。


さらにさまざまな役割を担った15人ほどが試合展開に一喜一憂しながら進める徹夜作業。
まだまだ慣れない面があり、手探りの初日でした。


2日目は、6月11日。

セルビア・モンテネグロ対オランダ、アンゴラ対ポルトガルの2試合を担当。

担当する試合の間には1試合分(3時間)空いているものの、さすが2試合を集中するとぐったり疲れます。
すべての作業を終えたのは朝の8時。疲労と緊張感の名残りと眠気から、
全身がジーンとしびれているようでした。


そして、いよいよ運命の6月12日。

日本代表の初戦、オーストリラとの試合。

担当ディレクターはわたしです。

「初戦が大事だ」というジーコ監督の発言やらメディアの過熱で、日本中はもちろん、
集まったスタッフもテンションが上がっています。さらに、日本時間で夜10時のキックオフということもあり、
関係する企業各社から作業風景を見学しようと、いつもより多くの人が集まっています。


わたしは日本代表の試合はひとりのサッカーファンとして、
誰にも邪魔されずテレビ画面に集中して見るのが習慣でした。

もちろん、ピンチやチャンスでは大声を出して。


しかし、今回は仕事です。冷静に客観的に試合の流れを見て、
12シーンを選ばなくてはなりません。今までとは違う緊張感が高まります。

「キックオフです。よろしくお願いします」。
スタッフ全員に声をかけ、いよいよ試合開始。

最初のシーンは、選手入場からキックオフまで。
日本代表が君が代を歌うアップから、ジーコ監督のアップ。もちろん、
ヒディング監督とオーストラリアの選手の映像も入れます。画面から気温が高いことが伝わってきます。

次にわたしが選んだシーンは、前半6分。オーストラリアのエースストライカー、
ビドゥカが左足で放った強烈なシュート。これをGK川口が懸命にセーブ。


「うわ、やべい!」。大声を出した次の瞬間、
「このシーン、もらった!!」とさらに大声。


編集マンはわたしの合図とともに、このシーンの編集を始めます。

オーストラリアのDFラインがロングボールを前線へ。
そのボールを受けたビドゥカが、マークしていた坪井を振りきりシュート。


川口がはじいたボールをさらにシュート。

またも川口がセーブ。

この一連の映像にスローモーションの映像をつなぎ、20秒でまとめるのです。

その間も試合は続いています。わたしは選んだシーンのナレーションを考え、
原稿用紙に書きつつ、試合を映すモニターをちらっ、ちらっと眺めます。

前半22分、高原がDFをかわして右足のシュート。


さらに25分にはビドゥカのポストプレーから、
ブレシアーノが放ったシュートを川口が左手一本でセーブ。


このシーンももらいました。


そして26分、右サイド、ボールをキープした中村俊輔が左足でゴール前へクロス。
このボールがそのままゴールに吸い込まれてしまいます。


主審は大きな笛を吹いて、センターサークルを指しました。


「やった、来た!!、俊輔!!」。


スタッフ全員が絶叫を上げ、一気に部屋の熱気が高まります。

それでも編集マンの手は止まりません。

このゴール・シーンは、mustです。わたしの声を聞くまでもなく、編集作業が始まっています。


わたしは興奮する自分をなだめ、画面と原稿用紙に集中しています。
喜んでいる場合ではありません。

仕事ですから。


先制しても、試合の流れをつかみきれない日本。

その後はオーストラリアの力強い攻撃に受け身になってしまいます。そんなシーンばかりをわたしは選ばざるをえませんでした。

そして1-0のまま前半終了。ハーフタイムです。

強い日ざしが選手たちを容赦なく消耗させているようです。

主審の長いホイッスルを聞いて、ほっと一息。しかし、ハーフタイムに休めるのは選手だけ。

わたしたちは前半にピックアップしたシーンを改めて見直し、
ボールにからんだ選手や時間などを再確認しなければなりません。
「そのパス出したの誰、時間は? ちゃんと確認しろよ」。
異様な興奮状態にはいったスタッフたち。

まだ慣れていないこともあり、いろいろ手間取るのです。そんな喧噪のなかで、
わたしは必死に原稿書きです。さらに、編集を終えた映像はわたしがすべて確認しなければなりません。
それもディレクターの仕事です。
「起点になるパスを1本分、多く入れてください。あとの尺(時間の長さ)の調整はおまかせします」
などと指示して、また原稿用紙に向かいます。

後半のキックオフがどんどん近づいて来ます。

この興奮と喧噪はまだまだ序の口でした。ご存じのように、後半、
まさかの逆転劇。そしてわたしは人生最大のピンチを迎えるのです。



そのお話は、次回に。


◆


ところで、11月15日に日本代表の今年最後の試合が行われました。

サウジアラビアを相手に3対1の勝利。何度かスピーディーな展開からすばらしい攻撃を見せてくれました。


「短いパスを何本かつないだら、大きなパスを送る」。
わたしたちが中学生時代に教わった基本は、今も変わりませんね。

日本代表のサイドチェンジの長いパスが効いていました。さらに
「ボールをもった仲間を一人にするな、必ず助けにいってやれ」なんてことも教わりました。
この日の日本代表は両サイドでのサポートが速く、サウジをあわてさせていましたし。


「この前の試合より日本の出来は悪かった」。
試合後の記者会見でオシム監督はニヤニヤしながら言ったそうです。
実際はかなり手応えを感じているようなことが新聞に書いてありました。
まったく食えないジイサマです。

ただ、ひょうひょうとしていても、オシム監督自身、
年齢から言えば監督としては最後のチャレンジかもしれませんし、
世界で実績のある指導者が日本の代表監督を引き受けたのですから、
それなりの覚悟があり、また日本のサッカーには可能性あるということでしょう。
来年、どのような戦いをするか、楽しみです。


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posted by buruta |09:17 | sugano | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年11月22日

ザトペックの死から6年

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エミール・ザトペック選手といっても、若い方はご存じない方が多いと思う。
当時チェコスロバキア、現チェコの陸上選手であった。
1948年のロンドン・オリンピックの5千メートルで金メダルを獲得した。
1952年のヘルシンキ・オリンピックではさらに大活躍。
5千メートル・1万メートル・マラソンの、いずれの長期離陸上で金メダルを獲得した。
この長距離三冠の記録は今後達成する選手はいないだろうと言われているほどの大記録である。

顔をしかめ、喘ぎながら走るスタイルから「人間機関車」とあだ名をつけられ、
小生の子どもの時には、英雄の気持ちで崇めたものだ。夫人のダナ・ザトペコワさんも陸上競技選手で、
ヘルシンキ・オリンピックと1960年のローマオリンピックではやり投げで金メダルを獲得している。
夫妻で日本も訪問し、6年前の2000年11月22日になくなられた。今年は逝去から6年である。


シドニー・オリンピック・女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子がマークした2時間23分14秒の
五輪最高記録は、1952年ヘルシンキ五輪の男子マラソン優勝者、エミール・ザトペックの
優勝タイム2時間23分3秒に迫る快記録。「人間機関車」に迫る快走だった。
女子104年の五輪史を飾る「偉大な女王」の誕生となった。
84年ロサンゼルス大会で正式種目に採用された女子マラソンの五輪最高記録が塗り替えられた。
このタイムは、伝説のアスリート、ザトペックがヘルシンキ大会で出した当時の五輪最高記録から、
わずか11秒足りないだけの偉大な数字だ。

これらの人たちは、人に勝った記録を作った人たちなのである。

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(左から2番目のサングラスをかけた人がモンゲッティさん)

オーストラリアの前オリンピック選手でベテランのマラソン選手、スティーブ・モンゲッティさんは、
電車に挑戦して勝った。シドニーのシティ・レールといえば、運転手不足による間引き、
乗ってからの行き先変更、打ち切り、運休などで、各駅停車が、途中から準急になったり、
乗客が予定通り目的地につけないことで悪名高い輸送機関である。

モンゲッティさんはシドニー西部の4駅を列車と並んで走ったのだが、
モンゲッティさんの方が早かった。
モンゲッティさんは、午前8時14分サマー・ヒル発の各駅停車の電車と競走し、
リードしてスタート。ルイシャム駅では電車のドアが開く前に駅を通過。
2分後のピーターシャム駅では、150メートルをリード。スタンモア駅前で
電車がプラットフォームに入って停車したときには、
もうモンゲッティさんは、プラットフォームで待ち受けていた。

2.5キロを7分7秒という速度で走りきった。

さすが、おみごとである。モンゲッティさんは、各駅30秒停車を利用して終始リードし、
見事に4駅先の悠々とゴールイン。言っておくが、マラソン・コースのように
交通規制が敷かれた道路ではなく、沿線の道路の信号もすべて守っての結果である。

「時刻表と現地の道路を照らし合わせてみると、リズムに乗れれば勝つチャンスはありました。
信号にもついていましたので、勝てました。驚いたことは、シドニーでは、
電車と並んで走れるということでした。メルボルンでは、そんなことは出来ません。
ピーターシャムで、電車の停車時間が長かったので、決定的に勝つチャンスが作れました。
上り坂を登って、一気にスタンモア駅までくだれました。」


これは、シティ・レールの遅さをメディアとしてアピールするために
おそらく新聞社の仕掛けた“競技”であったと思う。

彼はビクトリア州バララット在住のスポーツマンだ。シドニー西部の地理には詳しくない。

「ピーターシャム駅で電車の警笛音を聞いたときには、接戦を制したと思った」と語った。

NSWの交通相は再試合を提案したらしい。距離はストラス・フィールドとペンリス間で、
3時13分発の電車で競走しようという。間抜けなことを言ってはいけない。
通勤時間帯を中心にオフピークの電車の運行に利用者の不満が募っているのをお忘れになっている発言だ。
公共輸送機関は、一介のランナーに勝つとかそういう物ではない。
安全に定刻で運ぶのが、義務である。その視点を忘れたら、おかしな物になる。

2006年の時刻表で、発着の時間厳守は90%改善されたと当局は自信を持つ。
JR西のように、カーブを殺人的スピードで走るのは困る。
定時運行を実現するために速度を落としたという。それでもなお、利用者の不満は耐えない。
「のろのろ運転」、「日中とオフピークの電車が来ない」と。

郊外の駅では、運行の時間に関係なく各駅とも最高30秒の停車だという。
ロンドンから帰ってきたばかりの女性は、
「ロンドンでは2分ごとに電車がくる。ここはね、電車に乗るということではいらいらが募ります」と。

新ダイヤでは、オフ・ピークの列車が270本も削られた。道路の混雑が論議されている折、
このサービス低下は、シティ・レールの魅力を失わせている。お急ぎの方は、車でと言わんばかりだ。

「そんなに減ったのなら、寒い時に、サーキュラーキー駅で電車を待つ理由が
どこにあるのでしょうか?東京などと比べれば恥ずかしい限りです」と、ニュータウンからの通勤客は言う。


シドニーに初めて電車が走った1930年代から比べると、
所要時間はあきらかに増えた。電車の高速化が世界的主流になっている時に。

もしシドニーが、いろいろな点で大都市を自称するなら、都市交通の要を担うシドニーのシティ・レールは
義務を果たしていないどころか、義務を放棄していると言える。


最後に、モンゲッティさんは、
「これは真実の亀の話ですね。電車は駅に止まります。私は止まりません。
遅くても安定した走りが明らかに速いということです」

シドニーの電車が遅いと言っても、初の2階建て飛行機エアバス380の一番機は、
本来なら今年の10月にカンタス航空に届くことになっていた。
更に2年遅れるという。それに比べれば、シティ・レールは速いのかもしれない。


しっかりしろ! シティ・レール。エアバスに負けるな。
全員が、電車をおりて人間機関車になるぞ。


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posted by gensan |08:22 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年11月10日

健康大使 ハリー キューウェル

日本から友人夫妻が来た。

オーストラリアでは肥満の女性が目に付くと言っていた。

男性よりも女性が太っているとも言った。


大正解である。


この国では、太った人が大手を振って歩いている。

そういう女性たちの服をみていると、布を単に縫い合わせたような、
つまり市販のものでは用を足せないことが如実である。

格好よくいえば、テーラーメードなのである。

そして、太ってもなお、コーラの瓶を持ち歩く、
あるいは、フライド・ポテトをついばむ姿は常軌を逸しており、病気である。人の振り見て、わが振りをなおさないのは、心の病気である。

レストランでうっかり、
「太るから、もうここでやめておこう」などと声に出してしまったら、気分を害する人が、必ずや一人や二人そばにいるものだ。

「私太っているかしら?」と聞かれて、

「太ってますね」と言えば、そのものずばりで失礼になる、

「痩せてますね」と言えば、嘘になる。
そういうことを気にしなくてはならない人が、周囲に多すぎる。


何事も、やはり、小さい時からの教育が重要である。


サッカールーズでお馴染みのハリー・キューウェル(リバプールのMF)が、この9月にオーストラリアのハワード首相から
健康大使に任命された。本名はハロルド・キューウェルで、
鼠径部(足の付け根)の治療のために、現在オーストラリアに滞在中である。

学校や地域をまわって、体を鍛え、体をスリムにという政府の肥満対策運動に一役買おうというものだ。
また、ビデオを作って、子どもたちに運動の勧めと体重の減少を訴えるというものだ。


ギャラは無し。

ヨーロッパからの航空運賃は政府持ちという、これも健康的でいい。ボランティアだ。


キューウェルは、二つ返事で、健康大使の話に飛び乗ったという。

オーストラリアのスポーツ選手の社会貢献は、結構目立つ。

「オーストラリアに少しでも何か還元したいと考えていたので、特に子どもたちのために、私がお手伝いができることを感謝しています。
子どもの時はスポーツばかりしていました。外で遊び、スポーツをし、健康的な生活をすれば、
素晴らしい生活ができるというのを、私が示せるかなと思っています。」

彼はジャンク・フードを食べていたことを認めましたが、月に1回あるかないかぐらいだという。
そういう余裕が家庭になかったという。現代は、やはり多くが経済的余裕が出来たのと、
主婦が働きに出る機会も多く、子どもに食事を作ってあげられなくなったこと、
学校がキックバックを受けられるために、校内にコーラなどの販売機を置いてしまったことなど、
いろいろの原因がある。


オーストラリア政府は、すでにオリンピック金メダリストの
キャシー・フリーマンとキエレン・パーキンズの二人を健康大使に任じている。

ハワード首相は、肥満対策運動に一役かってくれるキューウェルに感謝した。


「肥満は、西側社会では大きな問題になっています。特にオーストラリアでは大問題です。
このまま放置させてはいけません。国民が運動不足に陥っているということであり、
いい加減な食事のせいでもあります。われわれのライフスタイルは変わりました。
子どもは歩いて学校に行かなくなっています。車に乗りすぎています。
テレビを見過ぎています。外で遊ばないで、ビデオ・ゲームをやりすぎています」と、首相は話した。



バドワイザー・マン・オブ・ザ・マッチには、オーストラリアのフォワード、ハリーキューウェルが選ばれた。
FIFAテクニカル・スタディ・グループ(TSG)のメンバーのアルビン・コーネールは、キューウェルの受賞理由を、
「彼はチームを触発した。戦いにおける本当の勇気を見せた。ただフォワードとしてだけではなく、
相手を追うプレーも素晴らしかった。彼は、チームを決勝トーナメントへ導いた決定的ゴールを決めた。
技術的に非常に優れ、常にボールを持って走ろうとしていた。
彼はチームのために多くのチャンスを作った。
クロアチアの守備陣にとって大きな脅威だった」 と。



オズの魔法使いと言われるキューウェル。
サイドを駆け上がり、45度くらいの角度から強烈なミドルを狙ってくるキューウェルの決め手は何か?


国民の健康を牽引するスポーツ選手。



国民に夢を売るスポーツ選手の役割は、いまこそ大きい、と私は思う。

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posted by gensan |14:31 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年11月09日

激闘の秋、ジョホールバルに歓喜する。 ~その3~

「メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


いつの間にか秋はずんずん深まり、Jリーグの優勝争いはいよいよ佳境に入ってきました。

レッズがそのまま優勝というゴールに飛び込むのか、ガンバ、フロンターレが巻き返すのか。

わたしは川崎育ちの川崎在住ですので、当然フロンターレを応援しています。
しかも、日本代表の経験もあるDFの箕輪義信選手は、中学のサッカー部の後輩。
箕輪選手と特別な接点があるわけではありませんが、心情的には応援してしまうわけです。
その中学は特にサッカーが盛んではなかったのですが、最近なかなか強くなったと聞いています。
熱心な顧問の先生が赴任し、地元の少年チームが活発に活動して底あげをしているから。
その少年チームを支えているのがわたしの同窓生や先輩・後輩たち。
日本のサッカーは、全国各地でそんな人間関係によって支えられているのです。



で、やっと「ジョホールバル」です。


前回までの2回で日本代表が最終予選のグループBを2位で終えたことを書いてきました。

紆余曲折、ジェットコースターに乗ったようなハラハラドキドキを経て、やっとプレーオフ進出。

ドーハから4年、改めて日本はワールドカップへの扉を開ける一歩手前まで来ることができたのです。

ただ、マスコミは最終予選を通じて絶望的崩壊論調で悲観的な日本国民を不安のどん底に落としました。
客観的な勝ち点による可能性よりも、試合に負けたり引き分けた瞬間の感情を全面に出して
報道するわけですから、そりゃ、「絶望」や「崩壊」になってしまうわけです。
アジア予選は少なくともグループの2位に入ってプレーオフで勝てばいいし、たとえ負けても、
次は大陸間のプレーオフ(相手はオセアニア)が待っているのです。まずはグループ2位に入る。
この指針さえぶれなければ、それほど大騒ぎする必要はない。


わたしは、そう自分に言い聞かせることで、比較的落ち着いて最終予選の推移を見守っていました。

これこそが、ドーハでの学習効果です。

ただ、プレーオフの相手がイランと聞いた時には、さすがにビビりました。
イランといえば、アリ・ダエイ。

見るから怖そうなストライカーは抜群の決定力を誇ります。それから、鋭いドリブルのアジジ。
一筋縄ではいかない、ひとクセもふたクセもあるチームです。


それにしても、わたしは試合の前、なぜか相手が強そうに見えてしまうのです。

中学生のころも、いい歳をした大人になっても。試合前に相手がアップしているのを見ると、
テクニックがあって、パワーがあって、いかにも強そう。

試合前に整列すると、「うわっ、やっぱ強そうだよ」なんて。


入学試験もそうですね。受験生が全員、自分よりも勉強ができそうに見える。

プロの選手はどうでしょう。
Jリーグは、もうバレバレなのでそんなに緊張することはないでしょうが、日本代表の国際試合はやはり、
「やべえよ、ガタイでかくて、強そう」なんて思うのでしょうか。

そんなわけないですよね、日本代表なんだから。

またまた脱線してしまいました。話をもとにもどして。

そして迎えた97年11月16日。

季節はまさに今ごろ。場所は中立国のマレーシア、ジョホールバル。

大勢の日本のサポーターが駆けつけました。もちろん、わたしも集中してテレビの前に座り、手を合わせました。
「ワールドカップ、ワールドカップ……」とつぶやきつつ。

異常な緊張感のなかで進む試合。日本は前半39分、中田英寿氏のスルーパスに
反応したゴン中山のゴールで先制し、前半を1-0とリードして折り返します。


後半はイランが反撃。開始25秒でアジジにこぼれ球を押し込まれ同点。

さらに14分にはアリ・ダエイに決められ、1-2と逆転されてしまいます。


心臓のどきどきが止まりません。

心拍数はすでに140超(たぶん)。

11月の夜だというのに、全身が汗ばんでいます。

後半18分、岡田武史監督がメガネをぎらつかせながら動きます。
カズとゴン中山のツートップを同時に交代。


「カズ、おまえだよ、おまえ。時間がないんだよ、早くピッチから出てくれ」。


代わって入ったのは城彰二と呂比須ワグナー。

この交代から、再び流れをつかんだ日本。後半31分、中田英寿氏がゴール前へ渾身のクロス。そのボールを城が起死回生のヘディングで叩き込み、2-2の同点に追いつきます。

「来た、きたー、キター!!!!」。


わたしはいつの間にかTシャツ1枚になっていました。試合は前後半では決着がつかず、延長に入ります。


延長に入る前、テレビ画面に映るふたつのシーンにわたしは目を奪われました。


ひとつは、ベンチに帰った選手やスタッフの輪からひとり離れ、腕を組んで
じっと地面を見つめて考えている岡田監督の姿。3人目の選手交代として野人
こと岡野雅行を延長開始から投入して勝負に出るべきか否か。
もし負傷者が出た場合は、もうカードは残らない。逡巡する岡田監督。
結論は、リスクを負っての岡野投入でした。


もうひとつのシーンは、延長のキックオフ直前に選手・スタッフが組んだ大きな円陣。

「おら、全員で気合いだぁ!!」。

まるで高校生チームの試合前の光景です。全選手、全スタックが肩を組んで気合いを入れようとする瞬間、
そこにダッシュで加わる女性がひとり。チーム唯一の女性スタッフである栄養アドバイザーの浦上千晶さんです。

浦上さんは明治製菓の「ザバス」に所属し、96年から日本代表チームに帯同して選手の栄養指導や
食事のメニューづくりなどを通じて一緒に戦っていたのです。

もちろん、フランスの本大会でもスタッフとして参加しました。
実はその後、わたしは自分が企画したサッカー指導者講習会の講師を
浦上さんに依頼することになるのですが、そのお話はまだ別の機会に譲りましょう。

大きな円陣で気合いを注入した日本代表。

いよいよ延長戦のキックオフです。

この試合はVコール方式ですから、ゴールが決まれば、それで試合終了。
当時のJリーグと同じですから、日本の選手は戦い慣れていたかもしれません。

岡田監督がぎりぎりまで迷って投入した岡野の大暴れ。
しかし、決められない。チャンスを逃すたびに大きくのけぞる中田英寿氏。
誰もが、テレビの前でのけぞっていたに違いありません。
もちろん、わたしもベッケンバウワー、じゃなくてイナバウワー状態(ちょい古っ)。

「決めろよ、決めて下さい、岡野」。

延長はいよいよ後半に入ります。イランはGKが名演技で露骨に時間をかせぎつつ、
カウンターを炸裂させます。12分、右サイドからの鋭いクロスの先には、アリ・ダエイ。


「あぁーやられたぁ!!!」

しかし、そのシュートはわずかに日本のゴールを外れます。

その1分後、クライマックスがやってきます。ここからはもう説明の必要はないでしょう。


岡野のVゴール。スライディングでシュートを放った後、副審をちらっと確認(妙に冷静)してから、
日本のベンチへ駆け出す野人。すでに岡田監督はベンチからダッシュしていました。

「やったぁー、やったぁー」。


テレビの解説をしていた清水秀彦氏(元ベガルタ仙台監督)は、
解説者であることを放棄し、素のまんまで大喜び。

フジテレビの平均視聴率47.9%でした。

わたしはといえば、ゴールの瞬間にガッツ・ポーズ。


その後は、体の力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまいました。

そして「ワールドカップ、ワールドカップ……」と、いつまでもつぶやき続けたのです。


試合後のインタビューで中田英寿氏が「Jリーグもよろしく」と
コメントしたとのことですが、あまりよく覚えていません。


1997年11月16日。


1次予選から数えて15試合目。日本サッカー界が10度目の挑戦でつかみとった、
初めてのワールドカップ本大会への切符でした。



◆


さて、今年、2006年。


大きな期待をもって臨んだドイツ・ワールドカップは、大きな失望を味わいました。1分け2敗で、勝ち点1。

でも、この結果はそれほどひどいものでしょうか。


Jリーグがスタートした1993年のドーハで初めてワールドカップ出場を土壇場で逃し、
97年のプレーオフに勝ってワールドカップに初出場した98年フランス大会は3戦全敗。
自国開催の2002年日韓大会はベスト16へ躍進。ただ、2002年をイレギュラーとすれば、どうでしょう。


ドイツ大会はアジア予選を勝ち上がって2回目の本大会出場。98年が勝ち点ゼロですから、
ドイツで勝ち点1を取ったということは、確実に日本が進歩している証拠だと思うのです。


2002年に4位となった韓国は、フランス大会までワールドカップに
4大会連続5回出場していながら1勝もできず、初勝利はその2002年。
いくら日本でプロリーグが定着したといっても、たかが10数年の歴史しかありません。

2002年はあのオランダがヨーロッパ予選で敗退し、本大会に進めませんでした。
今年のドイツ大会には、ベルギーもルーマニアもブルガリアもウルグアイも
カメルーンもナイジェリアも予選で敗退しているのです。

ワールドカップは、それだけ厳しいものだということをサッカーファンは
もう一度認識する必要があるのかもしれません。

日本のサッカーは一歩一歩、階段を上っています。

まだまだ伸びる余地があり、少しずつ強いチームを食ってやろうと思えば、
楽しみではありませんか。


秋の夜長、9年前のジョホールバルでの歓喜を思い出しつつ、
わたしにそんなことを感じるのです。

Posted: sugano : 2006年11月09日 15:21

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2006年11月08日

はじめまして レーシングドライバーの大塩です

BLUETAG.JPに訪れる皆様、

はじめまして。
ブル太さんよりご紹介いただいたレーシングドライバーの大塩です。
まわりのレーシング仲間からは TAKA と呼ばれているので、
こちらでは TAKAでいきたいと思いますので皆さんよろしくお願いします。



それでは早速ですが、先週土曜日に私自身が参戦したHDX
(ハンドドライブカート)最終戦の様子を画像を交えてお届けします。


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カートとはいえ、久しぶりのサーキット走行、それも改修後初めての富士スピードウェイ。

前日の昼過ぎに福岡空港を発つ時から、不安よりも期待に満ちていました。

土曜日、朝6時からゲート前で受付、8時半からの走行に向けてマシンのチェックを行いました。

雨の心配は無いと言うものの、あいにくの曇り空。

秋から冬に変わろうとしている富士スピードウェイは、早朝ということもあり肌寒く、
ちょっと早めにレーシングスーツに着替えを済ませることにしました。

レーシングスーツは燃えにくい材質で作られているため、
真夏のレース等ではサウナスーツと化すのですが、暖かく感じるほどの寒さと表現すれば、
その寒さがわかって頂けるのではないでしょうか。


さて、8時半からの走行1回目、初めてとも言えるコース、そして初めてのマシン。

当然走り慣れた他の選手たちはどんどん離れて行きました。

慣れている選手の後ろについて走り、ラインとコーナーリング速度を憶えてと・・・

そう思っていたのに! そしてヘアピンへオーバースピードで進入・・・

あ~ぁ、みんなどこかへ行っちゃったよ~、と単独走行。

次の周から気を取り直してタイムアタック!少し慣れてきたところで予選終了のチェッカーフラッグ。
初めてのコースだから仕方ないか・・・と自分で自分を慰め、午後の決勝まで一人作戦を練ることに。



そして迎えた決勝。

参加24台中24番手、早い話が最下位。

決勝はスタートで2~3台抜いて、と・・・考えてはいたものの・・・

そう簡単にはいかないのが世の常。

5周で行われる決勝レース。2台のリタイヤにも助けられ22位でゴール。

いつも走っている4輪との違いに少々とまどいながらも、久々に楽しくサーキットを走ることができました。

この日が今年最終戦でしたから、次は来年春の開幕まで待つことになります。
それまで練習走行を重ねて開幕戦ではポイントゲットを狙います。

ここでこのカートレースについて少々説明を。

カートは公園などで見かけるゴーカートに形は似ていますが、最高速度は約150km/hほど出ます。
お尻の下4センチのところには路面がありますから、体感速度は200km/hを超えるでしょうか。

最大の特徴は、ブレーキとアクセルを足ではなく手で操作することです。
そうです、ハンドルを握ったままブレーキとアクセルを操作し、カーブを曲がっていきます。
そうするのは何故か?
それは健常者、障害者を問わずに誰が乗っても同じ操作をするマシンで競いあうためです。

今大会も中学生の男の子から50歳台の男性まで、そして女性ドライバーも交え、
和気あいあいとした中に良い意味でのライバル意識も感じられ、とても良い雰囲気の中で開催されました。


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これからこのHDX (ハンドドライブカート)の話題を中心に、
私のレーシングドライバーとしての活動や趣味としてのシーカヤック、
そして国際車いすテニスの事務局ボランティアとしての一面などなどみなさんにお届けいたします。


乞うご期待!



Racing Driver  大塩 隆浩


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posted by buruta |17:41 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年11月08日

新しい仲間を紹介 ~福岡よりレーシングドライバー~

先日、支援対象アスリートの受付フォームよりお問い合わせをいただきました。

後日電話で色々とお話を聞かせていただいたところ、我々の取り組みにもご賛同いただき、
BLUETAGプロジェクトにブル太の仲間として加わっていただくことになりましたので早速紹介させていただきます。


名前:    大塩 隆浩(おおしお たかひろ)

生年月日: 1961年12月4日

出身地:  福岡県福岡市

性別:    男

使命:    夢を抱くことの大切さ、そして夢を実現させることの素晴らしさを伝えるためにこの地球上に降りてきました。

特徴:    すべてにおいてポジティブ・シンキング

性格:    特に温厚・怒ることを知らない

好きな食べ物:  ラーメン、パスタ、ハンバーガー

尊敬する人:   中嶋 悟氏、クレイレガッツォーニ氏

普段は:     もちろんレーシングドライバー

得意技:     車いす・シーカヤック

座右の銘:    Dreams come true


大塩さんは、車いすを必要とされる生活を送られておりますが、めちゃくちゃ元気なアスリートです。

97年に車いすユーザーとしては、国内初の国内A級ライセンスを取得され、レースのみならず
シーカヤックなど他の競技や大会運営などにも積極的に取り組まれております。

翌年98年には、国際C級ライセンスに昇格され、日本国内におけるサーキットでの公式戦に
参戦しているドライバー中、車いすユーザーは大塩さんただ1人とのこと。

我々の支援対象アスリートにも車椅子バスケで安直樹(やすなおき)という選手がいますが、
それぞれ一般社会ではハンディーキャップやハードルと思われる事をしっかり受け止め、乗り越え、
そしてスポーツを通じて前進、成長されています。 
その姿とそこからうまれる感動には何の境界線もなく改めてスポーツの素晴らしさを感じさせてくれます。

それでは、大塩さん、これからもよろしくお願いいたします。


Posted: keni : 2006年11月08日 

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posted by keni |16:25 | buruta | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年11月06日

bjリーグ開幕

週末、bjリーグが2年目のシーズンを開幕しました。
試合開始2時間前から有明コロシアムには大勢のファンが。

「おっ。結構来てるやん!」

実際に試合が始まるころには、会場内は結構埋まっており、
開幕戦を多くのファンに見守られる素晴らしいスタートになったと思います。

試合は、ホームの東京が負けてしまいましたが、
大阪の33番マットに試合を決められたなぁというのがブル太の印象。
試合の流れの中で決めるべきとこ、守るべきとこ、強引に行くべきとこなど ポイントをよう抑えてる。


当日は学生や子供たちも見かけました。
まだまだ始まったとこやけど、多くの人に感動と夢を与えるリーグになってもらえることを願ってます。


話は変わるけど、昨日学校の給食代を払わん親がいるというニュースを見た。
カネはあるのに「義務教育だから払わなく良い」とか「頼んだ覚えはないとか」・・・

「アホちゃうか こいつら」

これほどまでにこの国は病んでいるのかという情けない気持ちと
今の親の世代のモラルの低さに呆れてます。


アスリートもそうやけど、育てるヤツがしっかりしてないと育つものも育たへん。

BLUETAGで給食費支援プログラムは一切考えていないので、
該当するお父様、お母様、もう少し親としての責任をしっかり果たしなさい。 以上。



Posted: keni : 2006年11月06日 16:52

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