2010年02月02日

フェデラー優勝 全豪オープン2010

壮絶な試合だった。第3セット、崖っぷちに立たされたフェデラーだったが、崖から落ちることはなかった。


6-3 6-4 7-6 (13-11)


全豪オープンの決勝戦で、ロジャー・フェーデラーが、すばらしいテニスを展開し、2010年の全豪オープン3セット連取して、アンディ・マレーを破り、英国国民が待ちに待ったイギリス人によるグランドスラムの優勝は実現しなかった。


1936年の全米オープンで、フレッド・ペリーがスラムを制して以来、マレイが初のイギリス人になることをイギリス国民は期待していたに違いない。ところがふたを開けてみると、昨夏のウィンブルドンに優勝して以後、最初のグランドスラムを制したのは、やはりこのスイス人だった。


マレイが、フェーデラーに負けることは、恥でもなんでもない。フェデラーはグランドスラムのシングルスのタイトル数をこれで16に伸ばした。圧巻は、第3セットだった。マレイが第3セットをとったならば、勝負だからどうなっていたか、わからない。マレイは第3セットを5-2で有利に展開していた。マレイには、タイブレークで5つのセットポイントが訪れた。しかし、11-13と制したのは、フェデラーだった。表彰式で、2位が下唇をかむシーンが、全豪オープンの新たな伝統になりつつある。


昨シーズン、ナダルとフェーデラーは5セット闘った末に、ナダルが勝った。

フェデラーは表彰台の上で泣いた。そしてに、観衆に向かって言った。「神が、私を見殺しにした」と。今年それを感じたのは、マレイだった。死闘がすべて終わって、マレイは、優勝者フェデラーを褒め、イギリスとメルボルンのファンにお礼を述べた。やはり、涙で挨拶にはならなかった。それでも、一旦はマイクから離れたものの、彼は頑張って、マイクの前に進み出て言った。「私は、ロジャーのように泣きたい。ロジャーのようにプレーができなくて、恥ずかしい」と。


今年、フェーデラーがメルボルンで唯一涙を流すとしたら、双子の娘が待つホテルの部屋に戻ってからだろう。アンドレ・アガシが2003年に全豪オープンに優勝して以来、フェデラーは、グランドスラムに優勝した初めての父親となった。(双子の名前は、ミラ・ローズとシャーリーン・リヴァ)


マレイは、現代のイギリステニスでは、最高の選手であることは確かだと思う。エドワード8世治世以来イギリスで最も秀でた選手とオーバーな表現をする人にも納得出来るし、ひどい人になると、フランネルのズボン、木製ラケット、白いボールを使用していたテニスの『恐竜時代』以来の最優秀選手の登場だという。2008年の全米オープンの決勝を闘った二人だが、全豪オープンのグランドスラムの決勝戦にこの優れた彼が登場し、その相手が、すべての時代とすべての国籍を超越した最大の選手と見られている人とぶつかったことが、彼の不幸だったとしか言いようが無い。


フェーデラーが6-4、6-3、ととって、第3セットでアドヴァンテージ、ジュース、タイブレーク、マッチポイントと何回も緊張の応酬が続き、最後に13-11で制して、第3セット7-6で勝利したフェデラーは、全豪オープンのノーマン・ブルックス・チャレンジ・カップを手にした。これが4回目である。


その瞬間、司会者は、世界No 1のフェデラーを「王様、マスター」と表現した。「我々は、トーナメント期間中にウイリアム王子をここに迎えた。そして、今、われわれは、テニスの王さま、ロジャー・フェーデラーがここにいる」と。



マレイは、再び、グランドスラムの決勝で1セットも取れなかった。しかし、今回は、16ヵ月前のあのニューヨークでの決勝とは同じではなかった。今回のマレイは競争心旺盛だった。「ならば」の話が許されるなら、マレイがすべてのチャンスを生かしたならば、彼は第1セットと第3セットをとることができたはずだ。そうならなかったところが、28歳と22歳の経験の差であろうか。フェデラーは表彰式で、「あなたは驚くべきトーナメントをよく闘ったすばらしいプレーをした。そして、あなたはあまりにすばらしい選手だったので、グランドスラムに勝たなかったが、それについては心配しないほうがいい」と、後ろを振り返って、マレイに語りかけた。



決勝の二時間前に、ロッド・ラバー・アリーナの屋根が閉じられ、まるで試合が行われているようにみえた。それは史上初の屋内のグランド・スラムの決勝のようにみえた。そして、おそらくこれはマレイに有利ではないかと思わせた。マレイの14のシングルス・タイトルのうちの8つは屋根付きのコートでの優勝だ。それでも、優勝を争う二人がロッカールームから出てくる10分ほど前には屋根は開けられ、美しいメルボルンの夕方の空は鮮明な黄色、赤とブルーに染まっていた。そして、灰色のテニスをするとか、冷酷なテニスをするといわれているフェーデラーを責めることはできない。


まるでフェーデラーには汗腺がないように思われ、彼は汗をかかない選手と過去に言われた。しかし、31日は湿度の高いべたべたの夕方だった。そして、オープニング・セットではストレスもたまっていたようだ。フェーデラーの顔は若干赤味を帯びていた。


ゲーム毎に、彼シャツは、汗で沈んだ色の面積が増えていく。第1セット第7ゲームの後、彼はシャツを着替えた。


第3セット。マレイが5-3からセットを取ろうとしたところまで、彼のミスはほとんどなかった。だが、フェーデラーはマレイに激しく食い下がった。マレイの最高のチャンスは、6-5になった2回目のセットポイントの時と、バックハンドのボレーを決めて7-6としたときだった。


このあと7-7にしたフェデラーのショットと、11-11の後、フェーデラーは3回目のマッチポイント(われわれは、これをチャンピオン・ポイント呼ぶが)を迎えて勝ったときのショットは1ミリと違わなかったと言われる。11-11の後、マレイは苦しそうな息遣いを見せた。フェデラーのボールをマレイはバックハンドで返したが、ネットを越えることはなかった。すかさず、スイス人応援団から、大声があがった。「ヤー」

苦労したが、終わってみれば、3セット連取のフェデラーだった。


見ていても力の入った試合だった。


今大会も、7試合して、失ったのは2セットだけだった。


オーストラリアの新聞のマレーに対する反響は意外だった。


(1)チャンピオン 優勝おめでとう。私自身ではテニスプレーヤーといえるほどの者ではない。しかし、マレイに何らかのアドバイスを与えるとすれば、ベースラインから離れて立たないほうがいい。離れて立つ方がコートをカバーできると考えているかもしれない。それでは、悲惨だ。


(2)『イギリス人がグランドスラムに勝つのに、あと150,000年はかかりそうだ。”フェデラー・エクスプレス” 、もう一度、おめでとう』


(3)再び、一人のポム、おっと、ごめん。一人のブリッツ(英国人)、...おっと、これもまたまた失礼、彼はスコットランド人だったよね。彼は勝てそうになかった。彼がイギリス人ならねぇ・・・?...。とにかく、再び、一人のスコットランド人の息は絶え、すべての道はウィリアム・ウォーレスに戻るという歴史も潰してしまった。彼らはやはり敗北者なのだ!!

(註:POMとはオーストラリア、ニュージーランド英語で、イギリス人を指す。オーストラリア国立大学のブルース・ムーア博士は、 “Pom”の用語は差別的用語としては使用されておらず、むしろ親近感を込めてイギリス人を呼ぶときに使用されている言う。ムーア博士は、一般的に“Pom”は“Prisoner of Mother” (囚人の母:イギリス)の頭字語だと考えられているが、この考えは馬鹿げていると主張する。 “Pom”が使用され始めたのはイギリス人がオーストラリアへ移住を開始した1860年。“Pom”の語源は“Pomegranate”(ポメグラネイト:ざくろ)と言われており、“Immigrant”(イミグラント:移民)と音が似ていることから音韻俗語として使用されてきた。だが、この投書欄は????) (おわり)

posted by buruta |10:03 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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