2011年05月25日

イアン・ソープ オリンピック出場で現役復帰を飾れるか?

今年の2月に現役復帰を公表してイアン・ソー プだが、いまは、どうしているか?

ちょっとびっくりしたのは、4月 29日のイギリス、ウィリアム王子の結婚式で、ロンドンのウェストミンスター寺院に登場したことだった。


その時の印象は、かなりスリム になったな・・ということで、、テレビをみていても、贅肉を落として引き締まった彼の体は一目瞭然だった。


「今なら、少しは水泳選手に見えるでしょう。特に私が水中にいる時に、かつてはこうやっていたのだと思い出せる体重になっている。私はまだ溺れていないので、良い証拠だと思う」と、彼は言ったという。 

およそ、イアン・ソープは選手復帰を心に決めたのは8ヶ月以上も前。それ以来、体重18キロを削ぎ落したという。なるほど、そのくらいの痩せようである。


イアン・ソープが現役復帰を発表して、3ヶ月たった。2012年のロンドン・オリンピックへ出場資格を獲得するには、体を作り直し、かつてより速く泳げる ようにする必要がある。


いま現在の彼のライバルは、皆はるかに軽量なので、彼の理想的なレース体重であった95~6kgにするために、たった5kgを目標に減量するのでは不十分である。スプリンターのレース体重環境が変わっているのである。


イアン・ソープは中距離レースに出場していたときは、もっと重くても戦うことは出来た。しかし、今日のエリートの短距離競泳選手は遙かにやせてスリムだ。筋肉のサラブレッドと言われる選手の例をあげてみよう。

スーパースター・マイケル・フェルプス(アメリカ)は83kg、オリンピック・チャンピオンのアラン・ベルナール(フランス)は84kg、世界チャンピオン・セザール・シエロ(ブラジル)は80kg、コ モンウェルスの金メダリスト、ブレント・ヘイデン(カナダ)は86kg、イーモン・サリヴァンは(豪州)78kgといった具合である。


「イアン・ソープの上体は非常に大きい」と、専門家は指摘する。


ほとんどの短距離選手が彼には脅威になるとみる専門家が多い。アラン・ベルナールは依然大型だが、彼は体が厚いわけではない。ソープは、腕は太いし胸板も厚い。


イアン・ソープの輝かしい思い出を刻むシドニー・オリンピックパーク水泳センターでの練習では、帰国後、当面、オリンピック選手選考会での ライバルになるジェームズ・マグヌッセン選手と一緒に泳いだりもした。 


水泳のスピードの戻りについては、ソープはかなり納得しているようだ。しかし、それよりも何よりも、イアン・ソープは現役復帰宣言後の自分の進捗状況に 満足している。しかし、その一方で、彼は泳ぎのタイムは明らかにしていない。 「自分の進展状況には、かなり満足している。私がやっていること、私が現段階でしていることに満足だ、ということだ」と、彼は言う。


「タイムというのは、訓練中の指標の1つであり、他にもいくつかある。心拍数を上げたり下げたりするトレーニングをいくつかしなければならない。だ から、トレーニング中に私は適正なエネルギーの使い方をマスターしなくてはならない」と、彼は言った。


彼が100mと200m自由形に焦点をあててトレーニングを積んでいるようで、現段階では、ロンドン・オリンピックでのリレー・チーム入りを目指しているという。「過去の100mのトライアルをみると、我々は素晴らしい結果を出している。リレーに関しては、オーストラリア・チームは、入賞可能の位置にある。だから、非常にスピードの速いトライアルなりそうだと思う。一部の人は、私が個人競技に出場するという結論を出しているが、そのリレー・チームを構成できるベストタイムで泳がなければならないということだ」と、彼は言った。 



来年オーストラリアのオリンピックチーム選考会で勝つためには、100m自由形で48.5秒のタイムが必要である。ということは、ソープが4年前に引退した時よりも速く泳げなければ出場資格はとれないということになる。 


もちろん、彼が来年3月のオリンピック派遣選考会で1~2位で通過すれば、個人競技への出場の芽も出てくるかも知れない。彼はそれくらいのことは狙っているだろう。 しかし、彼がライバルにまだ引け目があ る以上は、それは公言しないのではあるまいか。 


「私がこれを始めたということは、私がかつて出せたスピードが出せると思わなければ、私がトレーニングはしないということだ」と安心させる。つまり、今出しているタイムは公表できないが、往時のタイムを出せる自身がある・・ということを彼は言いたいわけだ。


ソープの今回の帰国は一時帰国で、今週にはスイスに戻る。 

現役選手の中には、シープ復帰 の悲観論を述べる人もいるが、彼が競泳選手のような泳ぎが出来るのかどうか、もう少し見る必要がありそうだ。 (了)

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2011年05月10日

ファイティング原田から世界タイトルを奪った ライオネル・ローズ 死去

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元ボクシング・世界チャンピオンのライオネル・ローズが、8日の日曜日に、62才で亡くなった。オーストラリア・スポーツ界からは惜しむ声が相次いでいる。


これを読んだ人は、誰?というかもしれない。


ライオネル・ローズ少年は、オーストラリア、ヴォクトリア州の西ジップスランドのドゥルーインに近いジャクソン・トラックのわずか4家族という貧困の村落出身だった。

アマチュアボクサーの父親について、ボクシングに親しんだ。12歳でリングに上がった赤毛の若者、ローズにとってのアマチュアの初戦は、負けに終わった。それからわずか7年後に、その少年は、、エッセンドン空港から運転手付きのリムジンにのって故郷の近くの町に錦を飾った。10万人以上の半狂乱状態の群衆から迎えられた。


1968年2月26日に、ローズは、19才で、東京でファイテング原田と戦った。結果は、原田を破り、世界バンタム級タイトルを獲得した。実に、アボリジニー選手として初の世界チャンピオンになった。


彼は、トレーナーのジャック・レニーに、「この群衆は町の有名人のために集まったのか」と聞いた。ローズは実際緊張していたのだ。 「彼らは、あなたのためにここに集まったのだよ」と、父親風情にトレーナーは答えた。

無理もない、出発時、彼の栄光を願って、彼を見送ったの わずか10人に過ぎなかったという。

ファイティング・原田のリングの光輝は日本では消えない。それはそうだろう。 彼は、1962年10月10日、蔵前国技館でポーン・キングピッチを、11RにKO勝ちして王座を奪い世界フライ級タイトルを獲得した。 

が、翌1963年1月12日に原田はリターンマッチを地元タイで戦い、王座を奪還された。

そして、バンタム級へ転向した。 

原田は一回ならず、二回も、ブラジルの偉大なエデル・ジョフレを倒した。一度目は1965年5月18日愛知県体育館で、2-1の判定勝ち。ジョフレがこれまでに負けた唯一の戦いでした。世界バンタム級王者・エデル・ジョフレ(ブラジル)は、「ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)」の異名通り、世界王座を獲得した試合、8度の防衛戦にいずれもKO勝ちした男だった。二度目の1966年5月31日、原田は2度目の防衛戦でジョフレと再戦、前回以上の差で判定勝ちし、完全に決着をつけた。ラッシングパワーを武器に、世界フライ級・バンタム級の2階級制覇(日本人初)をした名王者、原田の遺産は、創り出された。



F・原田は、オーストラリアのライオネル・ローズ戦でタイトルを防衛するだろう・・・

タイトルが移動するなどほとんどの人が思ってもいなかった。ローズは有能な対戦相手だった。しかし、原田はジョフレの伝説を破った。

私は、ローズがその歴戦記を読んだいなかったと思う。ローズが原田と会った夜、彼はボクシング・クリニックにいた。 ライオネルは、ハラダの強さ、力と攻撃性をみた。これに対して、ライオネルは、純粋で単純なボクシング戦術だった。彼は、うまくジャブでかわした。 彼は、正確なパンチで応戦した。 彼は、サイドからサイドへとフットワーク軽く動いた。コーナーから巧みに出て、ロープから離れすばやい動きをみせた。ライオネルは、完全な戦術を展開した。本質的には、それは見事なものだった。



ローズ選手は、初のアボリジニーとし1968年のてオーストラリア大賞に輝いただけでなく、同じ年に大英帝国勲章(MBE)を与えられた。ロンドンのタイムズ紙は、アーティストのアブバート・ナマジラ以来、オーストラリア初のアボリジニーのチャンピオンとして、彼を讃えた。


この日曜日に、頑丈だったローズの心臓も、62歳で動きを止めた。昨日、まだ若くしてこの世を去ったローズを惜しむファンの群れの中に、ローズの元トレーナーのジャック・レニーはいた。彼は、健康を損ねていた。2007年に心臓麻痺を以来、言語障害が残り、車椅子の世話にもなっていた。


元トレーナーのジャック・レニーとローズが最後に会ったのは、昨年レニーの80歳の誕生日だった。


「リングがこの世で一番孤独な場所であると言われている。カネが鳴るとき、男の勇気が観るものにとってすべてわかるとも言われている。私は自分の仕事上、常にライオネルのコーナーにいた。そして、私は彼の勇気が決してブレることがなかったと言える。 彼は、勝つために猛烈な努力をした。誰も彼を車でタダで乗せてあげようという人などいなかった。彼が稼いだものは、刻苦勉励し、拳と汗で得たものだった」と、レニーは言った。


ローズの死が報じられると、彼を惜しむ賛辞が殺到した: 3回世界チャンピオンに輝いたアンソニー・マンダインは、「彼は、これまでで最高のオーストラリア人闘士だった」と。



1974年にWBAミドル級タイトルをアルゼンチンでカルロス・モンソンと戦ったマンダインは言った。「ローズは、ファイテング原田を破って世界バンタム級チャンピオンになったあと、ローズは私のために道を開いてくれた。それ以降は、彼は、私と全オーストラリア人ボクサーにとって先駆者だった。私は、ライオネルと長年親友の関係だった。私が会った中では彼以上の偉大なボクサーはいない。 彼は、稀な逸材だった。 そのような若さで彼を失うのは辛い。 私はしょっちゅう彼に電話したものだ。だが、彼は3回心臓発作をやっているから、彼と話すのは難しかった」



元スーパー・フェザー級世界チャンピオン・バリー・マイケルは、ローズは自分のボクシングに巨大な影響を与えてくれたと、次のように言った。 「彼は、13歳の時に私をとりこにした。私はあの人がたまらなく好きだった。そして、私は彼とは数えられないほどスパーリングした。 彼は、私がリングで出会った人の中で最も偉大なボクサーだった」



この8日にドイツでIBF世界ミドル級タイトルマッチで新チャンピオンになったダニエル・ギール選手も弔辞を贈った。


ドイツのセバスチャン・シルヴェスターを判定で破ったばかりのギール選手は、滞在先のドイツのノイブランデンブルクで語った。「非常に悲しいニュースだ。ローズは、偉大なチャンピオン、偉大なる男だった」 そして、ツイッターにこう書いた。 「ライオネル・ローズのご家族、友人への心からのお悔やみを申し上げる。ローズは他に類をみないボクサーだった。あなたはいなくなったけど、決して忘れることはない」と。



ギールは、オーストラリア人の生まれで、世界タイトルを獲得した4人目のボクサーである。オーストラリア初の世界チャンピオンになったライオネル・ローズ。しかも、1968年に東京でファイてイィング原田を破って、初のアボリジニー出身の初の世界チャンピオンに輝いたのだ。「歴代最も偉大な日本人ボクサー」としての原田を相手に勝ったのだ。


先の元トレーナー、ジェニー・レニーの言葉は、すばらしい。


「ライオネル・ローズが大きな遺産を残してくれた同じ日に、ダニエル・ギールが世界チャンピオンになるとは、信じがたい。ダニエルも背景に原住民の血をひいていることを誇りにしている。そして、その道も、ライオネル・ローズとトニー・マンダインが、ダニエルのために開いたとも言える。 彼らは、偉大な先駆者だ。ライオネル・ローズは自分たちがが懸命に努力すれば、何でも成し遂げることということを原住民オーストラリア人に示したと、私は思う。それだけでなく、彼は全オーストラリア国民にとってきら星の如くだったね」


原住民のスポーツ・スターであるスコット・プリンス、ベン・バーバ、ザビエル・クラークもローズの死を悼んでトゥイッターに書いた。


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最後に、あるスポーツ記者の話をご紹介しよう。

「F原田は1983年米国ボクシング名誉の殿堂入り。殿堂で顕彰されている唯一の日本人ボクサーである。当然その価値がある。 彼は、顕著な経歴に輝く偉大なボクサーだ。 ライオネル・ローズは殿堂入りしていない。そして、正直なところ、私は彼に投票するつもりはなかった。 しかし、 … 彼がF・原田を破ったあの夜のボクシングは、殿堂入りしても不思議ではなかった」



それにしても死は、早すぎた。 

どうか、安らかにおやすみ下さい。



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2011年01月26日

オーストラリア 建国記念日ショー 6-0

サッカー、アジアカップの準決勝。オーストラリア対ウズベキスタン。


前半2ゴール、後半4ゴール。サッカールーズのゴールのオンパレードだった。ウズベキスタンの存在感はまるでなかった。悪いけど、後半は練習試合に等しかった。



前半5分でハリー・キューウェル。

高い位置でボールを受けたハリー・キューウェルは簡単にペナルティーエ リアに入り、左足でクロスにシュートしファーサイドにゴールを決め、34分には、FKからのボールを、相手ディフェンダーは何をして いるのといいたいほど緩慢なプレーをついて、サーシャ・オグネノフスキが。最後はオグネノブスキ。リードを2点に広げて、後半戦に突入した。


AFC年間最優秀選手に選ばれた サーシャ・オグネノフスキ。

サーシャ・オグネノフスキは昨年11月の対エジプト戦のフレンドリーでオーストラリア代表デビュー。そして今シーズンは韓国の城南をAFCチャ ンピオンズリーグ2010で優勝に貢献。



後半に入っても、勢いは止まらない。デイビッド・カー ニー(65分)、人間機関車ブ レット・エマートンが74分、 カール・ヴァレリ(82分)、とサッカールーズに初招集のメルボルン・ヴィクトリーのロビー・クルーズが83分と畳み掛けた。クルーズは22歳。メルボルン・ヴィトリーで、15試合で10得点挙げている。



18分で4ゴール。サッカールー ズはぼろ儲けで、今アジア大会最多得点で大勝した。



確か2004年に地元リーグ戦で 得点王になったウズベキスタンの旗、ウルグベク・バカエフが67分に退場してからは、ウズベキスタンは目に見えて力が落ち、3得点も許している。



前日、記者会見で、ウズベキスタンのアブラモフ監督は、「オーストラリアはブラジルではない」と自信を見せたが、せめて無得点は避けたいところだった。



26日は、オーストラリアの建国記念日。カタールのドーハのカリファ・スタジアムから、元気の良い6発の祝砲があがった。いや、オーストラリアの建国記念日ショーとなった。



オーストラリアのオジェック監督は、予想もしない6-0の勝利で、ぞくぞくしたと言った。アジアカップ2回目の出場で決勝戦進出に、身が震えたのだろう。



オジェック監督の話だ。



「選手たちは、すばらしいプレーを見せた。選手に対する賞賛と信頼でいっぱいだ。今日のプレーは素晴らしかった。

こういう結果になろうとは予想もしなかった。確かに、ゲームに勝って、決勝に進みたかった。しかし、この得点は予想もできないものだった。


この秘密は、ピッチ上で自分の力を出せたからだった。我々はしっかりまとまっていた。最大にいい形だった。最高のプレーで、 チャンスを作ろうとしていた。


ハリー・キューウェルも大きな働きをした。彼は大きな働きをしたが、それは、彼だけではない。


全選手が言いプレーをした。トーナメントを勝ち上がっていく姿に私はとてもうれしくなった」



ウズベキスタン監督ワジム・アブラモフは、自軍の混乱ぶりには一言の言い訳もできなかった。


「今日の我々のプレーは、解説ができない。我々は準備してきたが、お粗末なプレーだった。これは、大きな問題だ。我々には、ミスが多すぎた。


今の今まで、オーストラリアを破り、トーナメントに勝てると思っていた。私は、何がどうなったのかさっぱりわからない。オーストラリアの2番目のゴールの後、攻撃に転じたかったが、バックのミスが重なりすぎた。レッドカードの後にもミスが多すぎた。3-0になった時に反撃にでようとしたが、ここにも多くの問題があった。


ウズベキスタンにスタジアムに来てくれた人、ウズベキスタンで応援してくれたサポーターに申し訳なかった」と、詫びた。


ところで、ゴールキーパーのマーク・シュウォーツァー が、ウズベキスタン戦で、オーストラリア代表最多キャップ記録87にタイとなった。


シュワォーツァーがカナダ戦で代表デビューを飾ったのが、1993年。 


1988年から1998年まで活躍したアレックス・トービンに並んだ。


1988年3月9日のオリンピック出場をかけた対台湾戦で国際デビューした。



今度の決勝戦に シュウォーツァーが出場すれば、オーストラリアのキャップ新記録になる。



「サッカルーズの偉大な選手と肩を並べたことは名誉なこと」とシュワルツァーは喜ぶ。


この後を、ブレット・エマートン82と、ルーカス・ニール69で、代表最多キャップ記録を追っている。


さあ、これで、決勝戦は、日本対オーストラリアだ。


アジアカップ決勝に3回進出し、一度も負けたことがない日本との対戦を、オーストラリアはどう迎える か? 

アジアカップ出場2回目にして、決勝進出のサッカルーズは、 アジア大陸に確たる地保を築くことができるかどうか。 



決勝戦は、土曜ドーハでおこなわれる。

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2011年01月24日

準決勝進出を決めたキューエルのゴール

ハリー・キューウェルが延長戦で決めたヘダーで、サッカールーズはAFCアジアカップ準決勝進出した。勝つか、負けるのか、それしかない準々決勝戦。ドーハのアルサ ド・スタジアムでの対イラク戦はスリルに富んだ試合だった。ハリー・キューウェルがとどめをさし、1-0で、4年前の借りをイラクに返した。


どちらも優劣を決められなかったこの試合、いよいよデス・ペナルティできめるかという土壇場の118分目 で、決着をつけたのはキュー・ウェルだった。


マット・マッカイの左からの100%完璧なクロスを、キューウェルがヘディングして、ゴール右のネットに運んだ。それ は、2007年に1-3でイラクに負けた時の見事な返礼だった。キューウェルは脱いだジャージををぐるぐる回しながらピッチを走った が、チームメイトにむちゃくちゃにされた。



このイラク戦での彼のゴールは、彼が2006年 のワールドカップでの対クロアチア戦でみせたゴールと同じくらい価値のあるものだ。



この日のキューウェルはよく 動いた。自身、危険なポジションに飛び込み、見事なボールさばきでパスし、ティム・ケイヒルとの得点の連携が実を結び始めていることを示している。



嫌なペナルティ・キックはさけられないのか、観客の誰もが思った。



しかし、その時ブリズベーン・ロアのマラソンマン・マットマッカイが大きな仕事のきっかけを創りだした。



小柄なマッカイは左からのロングのクロスを放った。ゴールの華やかなステージ前で待つハリー・キューウェルの頭がタイミングよくボールをイラクの右ネットに運ぶ。準決勝を進出をきめたヘダーだった。



クロスが少しでも完璧さを欠けば、キューウェルのヘダーは成功しなかった。そのくらい、教科書のようなクロスであった。




「ゴールに運ぶことが大事なこと だった。何が起きるかわからないので、PK戦は全く望んでいなかった」と、キューウェルが言った。



マッカイのプレーAリーグのレベルを見せたという声もあがっている。所属クラブの話ではなくて、選手の能力で選ぶというオジェック監督に、 マッカイは両足で見事応えたといえる。



オーストラリアの最高のチャンスは、マッカイとキューウェルのコンビでハーフタイムの直前に訪れたが、2回とも絶好機を逃がした。



ブリスベーン・ロアーのMFマッカイは、出場停止のブレット・エマートンの穴を埋めるために左に起用された。ブレット・ホルマンから素晴らしいス ルーパスを受けて、42分 でゴールを狙ったが、ショッ トはイラクのゴールキーパー、モハメド・カシードのあまりにも真正面すぎた。マッカイのミスとも言えるプレーだった。



キューウェルはその1分後ゴールを狙ったが、アリ・エライマにかわされ、もう一つのチャンスを生かせなかった。


とにかく、両チームともチャンスをもちながら、決め手を欠いていた。



イマド・モハメッドは2007年のイラク優勝の立役者、MVPにもなったユニス・マハムードにボールをつなげたが、ショットはゴールを遙かに越えた。



オーストラリアのプレッシャーを続け、ササ・オグネノフスキ(Kリーグ所属)が、65分近距離からのヘッダーで、さらにホールマンが81分にロング・ショットを放ったがカシードにセーブされるなど、 いま一歩のところで及ばなかった。



延長戦に入って、イラクからの再三のプレッシャーに、シュウォーツァーも忙しかった。


オグネノフスキが何回かセット・ピースから見事なバイシクル・キックをみせ、受けたマイル・ジェディナッ クのヘッダーが決まるかと思ったが、バーを越えた。


ネーサン・バーンズとニール・キルケニーの脚力も、イラクのプレッシャーを存分に吸収し、キューウェルのヘッダーにつなげたといえる。



「準決勝進出は、確かに大きな前進だ。延長戦に入ってしまったが、我々のディフェンスは固かった。形は非 常によかった。チャンスもずいぶん作った。…私の間違いでなければ、イラクには1つの大きなチャンスがあっただけだ。我々は90分でkちんとまとめなくてはいけなかったと思う。イラクは延長 時間で非常に強いものを感じた」と、オジェック監督は言った。



イラクのウォルフガング・シドカ監督の話は、オジェック監督と反対だった。


「勝てた試合だったのにな・・。私は、延長戦では、イラクの方がいゲームをしてた。チャンスも 作れたし・・」




このゴールは、Aリーグの選手がチャンスを作り、オーストラリアの最も代表的な選手に成し遂げられたゴールだった。Aリーグに対するオジェック監督の信頼に報いたゴールを産んだクロスだった。



彼はハーフタイム終了直前に簡単なチャンスを逃したが、雌雄を決するダイナミックなプレーでミスを帳消しにした。


これで、Aリーグも一矢を報いただろう。Aリーグにさらなるチャンスが訪れることになればいい。



これで、準決勝には、日本、ウズベキスタン、オーストラリアと大韓民国が残ったことになる。


いよいよ、水曜日のカリファ・ス タジアムでの準決勝、ウズベキスタン戦だ。



韓国も延長戦の末、イランを1-0で破り、決勝戦進出を果たした。日本はその韓國と火曜日に対戦する。



サッカースルーズが、アジアカップを制してもおかしくないが、まずはウズベキスタン戦(FIFAランキング109位くらいだったかな)にしっかり勝たねば、先の話はできない。

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2011年01月21日

アジアカップ サッカールーズ 準々決勝進出 土曜日イラクと

オーストラリアの準々決勝進出のために、オジェック監督がほしかったのは、1ポイントだけ。ジェディナックの前半37分であげたアジアカップ二つ目のゴールを手堅く守り きった。




優勝候補の日本が、常に先行して勝つ。サウジ戦で大勝した日本。韓国も4-1でインドに大勝。そういう環境の中で迎えたオーストラリアの対バーレーン戦。負けられない一戦だった。マイル・ジェディナックが、この日もヒーローだった。韓国戦で、自身初の国際試合で同点のヘッダーを決めたジェディナックが、 先日の対バーレーン戦では、37分、長距離のシュートを放ちネットに運んで、オーストラリアが1-0で先行した。唸りをあげたジェディ ナックの長距離の落雷が、いずれここ数年のサッカールーズのブランドになればうれしい。




26才、働き盛りのジェディナック。

アジアカップで瞬時にして注目を集め始めた。韓国戦での同点打、バーレーン戦での決勝打。Cグループを同ポイントながら、オーストラリアが韓国を抜いてトップで決勝リーグに突破できたのも、ジェディナックのおかげである。マイル・ジェディナックの前半37分の見事なドライブは、結論から言えば、バーレーンに大きな釘を刺したことになった。




Aリーグ、セントラル・コースト・マリナーズにいたジェディナックは、いま、トルコのクラブ「ゲンチレルビ ルギ」のMF。常に強力なショットを飛ばす選手だったが、ようやく陽の目をみた。これまでに、20の国際試合に出場している。




「いわゆる得意のショットでまた 1点を取れたことは大きい。与えられた日に機会を活かす・・そんな日だった。


出場したけど、うまくいかない日もある。常に捨て身で行く限り、チャンスはいつか必ずやってくる。


オーストラリアのためにと願っていけば、もっとゴールをとれる。勝ち続ける限り、すべてが前向きになれる。だから素晴らしい」




快調なしゃべりだ。




ジェディナックは、カタールで無名状態から急浮上し、代表チームの要にまでなった。



わずか4年前、Aリーグのマリナーズでスタメン入りを激しく狙っていた彼である。その後マッキンナ監督のもとで力を発揮したが、トルコへの移籍は動かし難かった。


サッカールースのフェルベーク前 監督が代表チームに組み込んだジェディナックは、後任のオジェック監督の下でスタメン入り。


「自信を付けさせてもらった。私の自信は上昇しているが、チームとしても自信つけていると思う。勝つことを習慣にしたい。現在、我々は良い方向に進んでいると思う。我 は最高ではないが、非常に前向きだ」と、彼は言った。




彼の表情は、いつもクールだ。



表の役者はジェディナックだが、陰の役者はフラムのゴールキーパー、シュウォルツアーだった。C組のトップでオーストラリアがアジアカップ準々決勝へ進歩を決めた裏には、シュウォルツアーの見逃せないセーブがあった。ホルガー・オジェック監督はマークシュウォーツァーをベタ褒めだった。



3年半前、アジアカップでオーストラリアを窮地から救ったのはマーク・シュウォーツァーだった。



2007年 のタイ。

開幕戦で、オマーンがオーストラリアからリードを奪い、サッカールーズは度肝を抜かれた。その時、シュウォーツァーは0-1の得点差が開かないようにセーブに次ぐセーブで健闘した。そして、ティム・ケイヒルが、インジャリー・タイムでゴールを決め、辛うじてドローに持ち込んだのだ。



2011年のドーハ。シュウォーツァーは、再び、 あの時の活躍を再現した。今度の相手は、バーレーンだった。長身のシュウォーツァーは重要なセーブを見せて、準々決勝への進出につないだ。


ジェディナックが前半でロング・ショットを決めてリードを奪っていたので、2007年のようにシュウォーツァーにとって味方の同点打を期待する場面ではなかったが、相手の同点弾や逆転を見舞うことを計算に入れなくてはならなかった。だから、この試合、シュウォーツァーがいなかったら、勝てたかどうかは分からな かった。



オーストラリアは後半は苦戦した。そして、攻め立てるバーレーンの攻撃、特にイスマエール・アブドゥラ ティフのショットを、シュウォーツァーは超美技で阻んだ。イスマエール・アブドゥラティフはインド戦で4ゴールをあげていた。



バーレーンが引き分けに持ち込んでも、オーストラリアは準々決勝進出を果たしたが、やはりトップ通過は肝要である。ここで予選落ちとなると、オジェック新監督の地位は安泰なものではなかったかもしれない。そして、年齢の高い選手もサッカールーズからの引退に追い込まれた可能性もある。


試合後記者会見で、アジアサッ カー連盟の役員は、「3ポイント、グループのトップ、決定的な勝利」 と、オジェック監督を評価した。



オジェック監督は、押さえ気味の発言だった。


「非常に厳しいゲームだった。バーレーンは非常に強いパフォーマンスをみせた、そして、時々、我々は窮地に立たされた。わがチームは最後まで気が抜けなかった。しかし、我々は勝った。グループのトップに立った。士気が高揚していることは確かだ」



オジェック監督は、ベンチで、彼の経験豊富なゴールキーパーに如何に救われているかを肌身感じていたからこそ、いち早く彼のプレーを最大限に褒めたのだ。



「私は、彼にゴールを任せていることに常に満足している。 今日は優れたプレーを見せてくれた。マー クがみせたプレーの質は高い。彼のゴールキーパーとしての活躍が嬉しい。特に後半には優れたセーブを見せてくれた。彼は試合中にずっ と我々を守ってくれた、彼への信頼感は絶大なものだ。


準々決勝進出は我々の目標だった。それが達成できてうれしい。他にも質の高いチームがある。これから、そういうチームと戦えるのはうれしい」



シュウォーツァーは、謙遜気味だった。



「今日はすべての点で非常に難しいゲームだった。そして、わがチームも普通のレベルに達していなかった。しかし、そういう中で戦い、結果を出し、準々決勝に進んだ。だから、願わくば、ここから伸びていきたい。今後の数試合でゲームの質をあげてきたい」



オーストラリアの流れはよくなっては来たが、やはりこのままでは楽観は全く許されない。準々決勝進出はし たが、負の側面もある。



ルーク・ウィルクシャー、ジェイソン・カ リーナとデイビッド・カーニー全員は準々決勝に出場できるだろう。ティム・ケイヒルも、おそらく 復帰しそうだ。重機関車、ブレットエマートンは、イエローカード2枚もらい、 出場できない。


カリーナはジェディナックととともにMFの中心に組める。ゴールドコースト・ユナイテッドのトミー・オアを、右に起用してエ マートンの穴を埋めるトみられる。


あるいは、バーレーン戦でカーニーの代わりに左のフルバックに投入したマット・マッケイも、エマートンの穴をうめられるのではないか。、ネイサン・バーンズも風邪さえなおれば、エマー トンの代わりにはなる。ジェイドノースをフルバックにキープして、 エマートンの穴埋めにウィルクシャーを前に持ってくるてもある。オジェック監督には、いくつかの オプションがありそうだ。



ケイヒルはひざ損傷で、後半ベンチに引き上げたが、オジェック監督は、トーナメントからはずことはないと言った。



「一試合一試合を大事にし、全力で当たる。勝ち残ったチームはそれなり優れたチームだが、同時に我々自身 の力を信じている」と、シュウォーツァーは言った。



オーストラリアは D組2位のイラクと対戦だ。試合は土曜日だが、オーストラリア時間の日曜日にはいった深夜になる。


韓国はD組1位のイランと。これはひょっとするとイランが良い線をいく可能性もある。

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2011年01月18日

アジア・カップ オーストラリア対韓国 1-1のドロー

アジアカップCグループのオーストラリア第二戦の対韓国戦は、シドニー時間の15日に、アウ・ガラッファ競技場で行われ、1-1の引き分けに終わった。


韓国は、ティム・ケイヒル、ハリー・キューウェル、デイヴィッド・カーニー、ルーク・ウィルクシャー、ジェイソン・カリーナらを徹底的にマークし、フィジカルでも結構いやらしくごつく当たり、前半でイエローカードがポンポンポンと。

そのせいで、上記選手で最後の3人は対バーレーン戦に出場できるかどうかである。またボールポゼッションも、韓国側が若干上回った。
前半24分にク・ジャチョルがゴールを決め、後半16分にオーストラリアが、マイル・デジナックが、国際戦初の同点ゴールを決めて1対1で引き分けた。

この結果、勝ち点では同じだが、得失点差で、オーストラリアがトップに立っている。オーストラリア側にツキがあれば、勝てていた一戦だった。


以下は、韓国KFAの公式サイトからの引用である。


『韓国代表は1月14日(韓国時間)に行なわれたオーストリア代表とのアジアカップ・グループCの第2戦を1-1で引き分けた。ク・ジャチョルのゴールで先制したが、後半16分に同点を許し、勝ち点1で満足しなければならなかった。

特有の機動力をベースにオーストリア代表を圧倒した韓国代表は、ショートパスを何度かつないで魅力的なサッカーを展開。前半23分に決まったク・ジャチョルのゴールも、正確なパスによって生まれたゴールだった。初戦で2ゴールを決めているク・ジャチョルは、さらに得点を追加して、得点ランクのトップに躍り出た。

しかし、体力面で優れたオーストリア代表は、時間が経つにつれて脅威的な攻撃を展開。特にキューウェルとケイヒルの2人が作り上げるコンビプレーは脅威的だった。キューウェルは老練な試合運びでオーストラリア代表の攻撃をリードし、ケイヒルは小さいながらも制空権を握り、同点ゴールへの口火を提供した。オーストラリア代表は後半16分、コーナーキックから続いたゴール前での混戦から同点ゴールを決めた』


オジェック監督も、優勝を争ってもおかしくない2チームと考えているようだが、実際思ったよりも手応えがあったのではないか。



さて、ケイヒルの話の続きだ。


洪水の惨禍に心を痛めるケイヒルである。

「洪水の惨禍、これが人生である。こういうことは起こるもんだ。あの洪水に対して、人は何もすることはできないと思う。しかし、洪水といった、この種の自然災害に対処する最高の方法は、完全に撃退することだ…」と、彼は言う。


サッカールーズ・スター、ティムケイヒルは、茶色の水に呑み込まれた犠牲者のことと、「荒廃した郊外」の姿をみて、途方も無い無力感に襲われたという。しかし、クイーンズランド、NSW北部とビクトリアを襲っている大洪水をみて、被災者をなんとしでも援助しようとする力が自分に湧いてきていることを明らかにした。


必死でゴールを決めようとするケイヒル、これまた必死で防戦する韓国。そんなプレーがしばしばで見られた。


「美しいオーストラリアが、今は、あんな国になってしまった。それが現実の姿だ。テレビで見たけど、見るのが辛かった。子供が亡くなる、多くの人々が行方不明になる、家屋が流失した家族。しかし、ゼロからやり直せば、きっとこの辛い時期をくぐり抜ける事ができる。皆が団結してこういう困難な時期を潜り抜けようとしている姿を見て、また励まされた」と、ケイヒルがドーハで語っている。


ケイヒルは、今度も、スポーツ選手とクラブの最前線にたって、洪水被害者の援助に動いている。前回も書いたが、ケイヒルは、面白いパッケージと考えついた。


『ティム・ケイヒル エヴァートンとともに』が、それだ。場所は問わない、世界のどこからでもエミレーツ航空のビジネスクラスの航空券2名分、そして、エヴァートンのホームゲームをケイヒルの個人ボックスで2名で観戦、ケイヒルとの夕食、アウディで運転手の送迎、エヴァートンの選手に会うチャンスあり・・チーム全員がサインしたケイヒル・ジャージ、試合用のシューズ贈呈 これがパッケージのの内容だ。


競売は残り4日となった。eBayの競売(www.timcahill.com)は、前回の6万ドルから32万ドルにはねあがった。ケイヒルはこの値がもっと伸びてほしいと念願している。


「洪水が引き起こした混乱と悲惨さが、類まれな勇気を与えてくれた。私は、大陸の人々に慈善行為をしてきた。私は、人々への支援で間断なく電話をかけまくっている。誰かが私の案を買ってくれることが大きな責任だと思う。私は真剣だ。多くの人々はスポーツ愛好家だから、スポーツの大義をわかってくれることも理解している。私は、全世界の有力者からメッセージをもらうことがある。それは、フットボールのもつ力ゆえである」と、彼は話した。


そして・・・・・ケイヒルは、特にクインズランドの13才のジョーダン・ライス少年の話に心を動かされた。ジョーダン・ライス少年は、1月10日にトゥウォーンバ(ブリスベンの西130キロ)で発生した「内陸の津波」で危険にさらされた時、10才の弟ブレイク君を安全な場所に運んでほしいと救援者に頼み、その数秒後、彼は流され、自分の命を犠牲にした。


「私はニュースでその話を知った。その行為に胸が傷んだ。…私にも子供がいる。[ジョーダンとブレイク・ライスの]2兄弟のことを考えと、喉が詰まる。これに匹敵する悲しい話は私がこれまでに聞いたことがない。そして、私は勇敢な少年の話は、多くの人びとの心に生涯に残る話だろう。フットボールというのは、ゲームにすぎないと、常々私は言ってきた。だが、フットボールは、私に起きた最大の出来事である。私のフットボールが続く限り、私は人々の団結に道を開き、人々を助けるためにフットボールの力を使っていきたい」と、彼は力をこめる。


ケイヒルは、アジアカップで強敵、韓国と1-1の引き分けに終わった時も、クイーンズランド、NSW北部とイクトリア州の人々のことが、頭の中にあったと言った。「私は、奮発力を出して十分に戦っていくためにも、人々の苦難をてこにしていく。私は、人々が苦しんでいる限り、より一段と馬力をだし、少しでも良いプレーをするための方法を探っていく」と、彼が言った。


ケイヒルはシドニー南西部育ち。彼は、必要とあれば、常に前線に出ることで有名だ。彼は、2年前ヴィクトリア州の山火事の被災者の義援金募集でも最前線に立った。そして、サモアに暮らしていた彼の親類が住んでいる村が津波に破壊された時も、最前線で募金の旗を振るった。彼は、また、ユニセフの子供慈善事業を支えている。


「良い家族で質素な環境で成長することに、尊敬の気持ちを植えつけてきた。そういう背景が、あまりに恵まれすぎるとか、人の上に行きたいと、私に思わないようにさせてきた。…私は自分の考えを実現するために一生懸命に働いてきた。しかし、私は自分がどういう家庭の出かという点を決して忘れたくない」と、彼は言った。



オーストラリア各地の大洪水が、スター、ケイヒルを非常に燃え上がらせ。対バーレーン戦も走りに走るだろうと思う。ゴール目指して。

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2011年01月14日

豪 クイーンズランドの洪水被害者を助けよう!

一丸となるサッカールーズ


サッカールーズは、カタールでのアジアカップの直前に、クイーンズランド洪水の被災者を支援することを誓った。サッカールーズのチームメンバーにはクイーンズランドとつながりがある選手も数人い る。MFマット・マッケイ選手はブリズベーン在住だ。


キャプテンのルーカス・ニールは、選手の署名入りのジャージーをeBayのオークションにかけたほか、洪水被害者支援のために、他の方法も検討していると話した。



「サッカールーズ全選手の想いは、クイーンズランドで壊滅的な打撃を受けた洪水被災者の家族と共にある。我々は、個人でも、チーム内でも、さらに義援金の支援をしようと動き出している。 我々は、オーストラリアの誇りを示し、洪水被害者を取り巻く暗闇に光を灯してあげたい」 と、ニールがドーハで強調したのは、9日の日曜日だった。


これが、初戦の対インド戦のためアル・サド・スタジアムに向かう時の彼らの誓いだった。 



その誓いは力となり、結果は、4-0での勝利だった。MFティム・ケイヒルは、クイーンズランドの洪水被害者に、アジアカップの対インド戦で、2ゴールのパフォーマンスを披露した。


そのケイヒル自身は、先週から、寄付金集めのために、プレミアリーグ・クラブ・エ ヴァートンで、航空券と夕食付きの個人的な経験を提供するオンライン・オークションをeBayでいち早く始めた。そして、競売にだしたのは、「ティム・ケイヒルとの経験」だった。



「私は、2人を世界のどこかからでも招待する。そして私の個人ボックスに座って、エヴァートンゲームを観戦し、夕食も一緒に食べて、練習もみられるようにし、1足ずつブーツと1着ずつジャージをもらえるような賞を贈呈したい」と、ケイヒルは言った。



「私がホテルの部屋で考えたことは、人々にテレソンに電話をかけてもらって、高く買ってもらうことだ、と。だから、 私はゴールを決めたあと、グラウンドで電話をかけるジェスチャーをした。人々に私の競売品に(高い)値をつけて欲しい。ボクは単にフットボールの世界にいる人間にすぎない。世界ではフットボール以上のことがおきているのだ。苦しんでいる家族があり、人々がいる。これが、激励を送る私の方法だ」と願っている。



残り時間は後1週間だが、これまで60,000ドルの値を付けている人がいる。


キャプテンのルーカス・ニールは、「犠牲者に黙祷も捧げたい。選手は、今日のアル・ガラハ・スタジアムでの試合中、喪章ををつける」と言った。



サッカールーズは、今晩の対韓国戦では、オーストラリアの大洪水を世界にアピールするために、ウォームアップ中に、特別のシャツを着用することになった。


サッカールーズのウォームアップシャツには、「オーストラリア・洪水 救援アピール、今寄付を!」と書き、ウェブサイトへのリンクを示したものになると いう。シャツはクイーンズランド伝統のマルーン色(海老茶色というか栗色)になりそうだ。



「家族と家を失っている人々がいる・・・.それは、フットボールは二の次でいいんだ。これはちょうどオーストラリアの人々に対してだけではなく、できれば、世界中の人々が、時としてフットボールは世界最大の関心事ではない、人の命こそ最優先なんだということを訴えたい」 と、キャプテン・ニールは言った。



オーストラリア・フットボール連盟は、Aリーグの1節の売り上げをまるまる寄付する計画などを含めて寄付の方法を検討している。



AFLとその加盟クラブは、500,000ド ルの寄付を決めた。



AFL選手協会(ルーク・ パワー会長)も、洪水被害者に150,000ドルを贈ることを決定した。


テニスのサマンサ・ ストーサー選手は、オーストラリア・ トーナメントでのサービス・エースを決めるごとに100ドルを寄付することを申し出た。また、アメリカのアンディ・ロディック選手はブリズベーン・インターナショナルで同じような申し出ている。



スポーツ選手の間に、大きな支援の広がりをみせている。



さて、今晩のサッカールーズ対韓国戦・・・クイーンズランドの洪水被害者への激励試合になってほしいが・・・。

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2011年01月12日

アジアカップ 対インド戦 オーストラリア ビッグ・ウイン

サッカールーズにとて、インド線は味合いカップの初戦である。



去年あまり良いことのなかったサッカールーズだが、今年はいいスタートを切っ た。


4-0でインドを破り、軽く初戦を飾った。




前半11分にティム・ケイヒルが、25 分にはハリー・キューウェルが、前半終了ぎりぎりにブレット・ホルマンがゴールを決め、前半で3-0と圧倒的に優位に立った。いくら相手 がFIFAランクの142位のインドであったとしても、まあ、すばらしい新年早々のお年玉である。素直に喜びたい。


実際は、前半30分に審判のお粗末な判定で、ケイヒルのゴールがオフサイドをと られて、ゴールは成立しなかった。後半65分のケイヒルのゴールを入れれば、ハットトリックになっていたのだ。審判には、泣かされる。


オジェック監督にとって、対インド戦は本格的な国際試合へのデビュー戦である。


「練習量豊富で、まとまりのあるチームのインドに油断はできなかった。トーナメ ントに入るにあたり、良いスタートを切り、リズムをつけ、思い切りプレーし、選手が一体になることは 非常に大切だ。前半で、相手のディフェンスを破るのは、常に難しい問題だ。今回は、相手の攻撃陣に戦術的にかなり仕掛けることができたと思 う。ただ、もっと得点できるシャンスを作っていけたのにと思う。次の韓国戦では、そういうことをやっていかなくてはならない」と締めくくっ た。




イエロー・カードもレッド・カードもなく、また負傷者もでなかったので、この態勢で金曜日の韓国戦に臨めそうである。



それにしても、ケイヒルの気迫というか実行力は凄い。



しかも、祖国の水害に遭っている人たちを激励しようという精神が痛いほど伝わってくる。



今のサッカールーズの選手で、ケイヒルほどグリーン&ゴールドにかけている選手 はいないと・・ということでは、誰も疑う人はいない。

救世主なのだ。

それは、彼の所属クラブである「エヴァートン」のデイビッド・モイーズ監 督も同じ気持であると思われる。ケイヒルは、自分の責任をフルに発揮している。




彼は、対インド戦の最初のゴールで、手を耳に当て、携帯で知らせよとジェスチャーをした。それは、故国オーストラリアの水害の被害者に激励を送る仕草と考えられた。山火事が起これば、すぐにそれを点数にむすびつけ、 募金を呼びかける。常に、故国で声援を送る人の琴がモチベーションになっている。なかなかできないことだ。



「ボクのボスはいつも支えてくれる偉大なボスだ。ボクにとって、国際試合が大切だということをよくわかってくれている。ボクはたしかに体調をできるだけ整えてここに来る義務があるし、全力を出しきり、ここを去るときに も、できるだけ最高の体調でイギリスに戻り、そしてシーズンを終わりたいんだ」 と、ケイヒルは言う。



全くその通りである。立派な意見であるし、おそらく、ドーハに行っている選手も みなそういう気持ちに変わりはないと思う。



先月で31歳になったケイヒルだが、あと数年はサッカールーズで活躍できそうな気もする。



エバートンのモイーズ監督と、サッカールーズのフェルベーク前監督、アーノルド 元監督、そして、オジェック新監督とは、いいコミュニケーションが出来ていて、ケイヒルも非常に安心しているといえる。



来るべき第二戦の韓国戦は、対インド戦ほど楽ではないに決まっているが、初戦の 流れを大事にしていけば、何かが開けるように思う。



自分のため、新監督のため、故国で声援を送ってくれているファンのため・・・それがあるからこそ、力はでるのだろう。

posted by buruta |19:38 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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2010年11月05日

観客頭打ちのクリケット オーストラリア

前回は、シドニーのクリケット・グラウンドの大改修工事について書いた。


もう1回、オーストラリアのクリケット事情に書いてみよう。


ここオーストラリアでは、テレビ視聴率の急降下、入場者数の頭打ち、収益の下落現象が続き、、国民スポーツの中でも高い位置にあったクリ ケットが追放されそうな危機的状況になっている。


オーストラリア・クリケット当局も、夏の ゲームに、AFLとラグビーリーグによる攻撃的市場作戦の影響を恐れている。


テレビを見ても、ガラ空きのスタンドにボールが飛んでいくのをみると、閑古鳥すらそっぽをむ いているのではないかと思う。自宅近くのグラウンドでは、男性たちだけが試合をしていて、何だ家族も見に来ないのか・・・と、甚だ寂しさを覚える。


クリケット・オーストラリア(CA)が用意した内部資料では、次の点が明らかにされている。


●テレビ視聴者は、この10年で、24%下落した。

●クリケット・オーストラリアは、初めて財政的赤字となった。

●子どもたちが13歳に達すると、急にクリケットから離れていく。

●女性ファンは背を向けている。



観客取り戻しと財源強化に取り組む中で、クリケット・オーストラリア(CA)はトゥ エンティ・トゥエンティの試合が2011~12年の季節から6チームから8チー ムに拡大し、各チームが個人から財政的支援を求めることができる措置を講じることになりそうだ。名前も新たにビッグ・バッシュ・リーグとして再スタートを切るという。


クリケットの人気下降は、AFL(オーストラリア・フットボール)とNRL(ナショナル・ラグビー・リーグ)が、クリケットの観客数を大幅に上回る観客数をすいあげていることが原因だという。


1980年以降、AFLの観客層は急上昇し、NRLの観客数は倍増したのに対して、クリケットの観客数は停滞したままだ。 テストや国際試合の1-dayマッチとトゥエンティ・トゥエンティ合計で、年間観客動員数は平均100万を下回っている。観客動員がピークは、2006-07 Ashesシリーズ中だった。


他の数字では、テレビ局のチャンネル9の視聴率が過去10年で24%も減ったという。それは主として、AFLが2つ地上波のテレビ局の放送と大型の広告料など「テレビの完全な支配」を実現したからだと、CAはみている。


テスト・クリケットの視聴率が、この10年間で2006-07のシーズンをピークに落ち込んだだけでなく、国際試合のワンデ イ・クリケットの視聴率もこの10-年間 低迷している。そして、トゥエンティ・トゥエンティのク リケットの視聴率は、6年前の20-20開始以来最も低い視聴率となっている。


CAは、クリケットが「成熟してしまったスポーツなのか、成長スポーツなのか」を問いかけている。


対策会議の参加者の中から、クリケットはテレビ視聴者の減少に対処するために、従来の観客を超える拡大作戦を展開する必要がという声がだされた。当然のことである。その一方で、5歳から12才までの女の子の参加が増えたが、特に13歳~18歳までの年齢層が、逆に大きく落ち込んでいることも議論された。


文書では、「我々は、特に女性と若者の分野で苦闘を続けている。他のスポーツとレジャー活動の多様化で、参加者獲得の激戦を展開中だ」と、苦しい胸の内を明かしている。


メディアの買収で知られるオーストラリアのハロルド・ミッチェル氏は、クリケットが若いファンを獲得するために、トゥイッターのような新しい社会ネットワークを利用していく必要があるのではないかと提案した。


CAは、「裏庭からバギー・グリーンまで」というスローガンのもとで、クリケット愛好家掘り起こし戦略計画、組織の体制、財政的モデルを 再構築する必要を痛感している。


CAのピーター・ヤング広報担当部長は、対策会議で 明らかにされた情報はオーストラリア・クリケットにとって「目覚まし」の役目を果たしたと語る。ヤング氏は、かつて、「我々は、青白の、男性の、腐りかけた管理者に管理されるスポーツになりさがる危機にさらされている」と警告した人だ。


「興味を持って参加している婦女子を大切にする必要があるという点で一致した。我々は、若年層の数を増やすために、7~10歳の子供たちを対象にしたジュニア・選手計画を練り直している。この10年間のテレビ視聴率は、新しいデジタルテレビネットワーク誕生 で、全地上波の局で下がっている。観衆というものが崩壊したのだ。我々は観客数が増えなかったこと、観客が動かなかったことに危機感 を抱いた。しかし、我々はAshesシリーズにすでに大販売作戦をを展開し、チャンネル・ナインは昨夏よりはるかに高い予想をしている」と、ヤング氏は言った。


彼は、「オーストラリアのクリケット復活のキーファクターは、CAのビッグ・バッシュ・リーグにかかっている。学校でのクリケット実習計画に資金を充てるために、リーグ内で個人投資家から資金集めをすることについても議論した。CAは4年間の財政サイクルの中で、次の3年間は経常赤字でいくが、4年目には6000万ドルの年間の経常利益をあげたい」と話す。


オーストラリア女子クリケットチームの元キャプテンで、ブリズベーンのCAエクセレンス・センターのマネージャー、ベリンダ・クラークさんは、「選手、管理者または観客として参加するにせよ、クリケットの女性の参加は、それだけでクリ ケットに寄与することになる。だから、CAは真っ向からその問題に取り組む必要がある。」と話す。

女性をより効果的に参画させ、物事をより迅速に進めていくために、電光石火の対策が求められている。



時代は変化が速い。また、疑惑がかかっているパキスタンの選手の八百長のようなことをすると、それだけで人心は離れていく。長期的な目標はもちろん、中期目標も常に見直しながら進めないとゴールは大きく狂ってくる。飛行機のパイロットのように、軌道はこまめに修正しなくてはならない。大きくズレてから、まとめて修正すればいいという考えは、間違いも危険も大きくなる。



特に、学校教育への取り組みと同時に、子供の夢を満たすスター選手の育成も急務だと、私は思 う。


教育・育成には、時間がかかる。


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2010年10月29日

世紀を越えてやっと平坦になったシドニー・クリケット・グランウンド

クリケットは私が英国放送協会に 勤務している時に、何回か話を聴いたが、未だに馴染みのスポーツにはなっていない。

野球の原型とも呼ぶ人がいるが、 もしそうなら、やはり野球は生まれるべくして生まれたと思う。クリケットのあの悠長なスピードにはついていけない。

ま、それがいいという人も当然いるわけで・・。



クリケットは、紳士の国イギリスの発祥のスポーツだから紳士のスポーツとか思われがちだ。

うちの家内など 白いユニフォームが素敵で、取っ組み合いもしないし・・とかいうが、白いから完全に潔白かというと、ちょっと待てよといいたくなる。 8月下旬以来、イギリスでは、イングランド/パキスタン戦での八百長を仕切ったとされる人物とのインタービューを、スポーツ紙が暴いてしまった。現ナマが動くもでてしまったので、大騒動になった。

結局パキスタンクリケット選手の八百長疑惑が浮上したりして・・・またまた、馴染めなくなってしまった。


クリケットというのは、試合の勝敗を決める八百長以外にも、試合中に故意落球するなどの細かい八百長が組めるので一層疑惑が多い。


まあ、なんだかんだで、今日は、 シドニーのクリケット・グランウンドの話だ。


サッカーの試合にも使用されるシドニー・クリケット・グランド(SCG)が、今年の9月、150年にして、初めて水平なグランドに生まれ変わったという話だ。水平とは、360度方向で平らという意味で、高低差や窪み、うねりなどがないことをいう。


「ある方向からは上り坂の戦い」と皮肉る人がいる。そう言う話がされないように、シドニー・クリケット・ グラウンドの改修工事では、芝を敷き詰めるのに最新のレーザー機器を使った。

SCGの広さは1.8ヘクタール。決して狭くない。完璧なグランドを作るためにこそ、初めてレーザ機器を導入したのだ。


芝生をはがし、起伏とくぼみを取り除いた。排水を改善することで360度方向で勾配をなくした。驚くことに、いままでは、南側のランディック側から上り坂になっており、 クリケット選手のボーラー(野球のピッチャー)にとっては、この改修工事で楽になるというのだ。それはそうかもしれない。本来水平であるはずのものが、上り坂になっていたからだ。


改修工事にあたって、ほぼ1000トンの土砂が現場から取り除いたという。もともとは、1850年代に兵士が砂地の低木地を削って作り上げたグラウンドだったのだ。


トラクターに備え付けられたレーザーシステムを使って、15人の作業チームが、肥料、砂、土と新しいシバムギを敷いた。


93台のスプリンクラーが稼働し、芝生に散水できるようになった。ついでに、ビデオによる新しいスコアボードも付けられた。


新技術を初めて駆使したグランドの大化粧直しで、このグランドでプレーする選手にはやりやすくなる。オーストラリアン・フットボールでは、草の深さが30ミリメートルとされており、クリケットの試合の規定の3倍の伸びが必要である。それにも対応出来る。


シドニー・クリケット・グランドの8代目のグラウンドマンである若干43歳のトム・パーカー氏の双肩には、伝統と責任が大きくのしかかっている。


彼の仕事場の近くには、石のローラーが置かれている。その石のローラーを曳かせたのは馬であるが、当時は馬の蹄がピッチに穴を開けないように特別な大 きなブーツを馬に履かせた。その石のローラーはそういう懐かしい日々の思い出を語るものである。


フィリップ・デリマンの著書『偉大なる昔日のグラウンド』で、彼は、前任者のビル・スチュアートが試合のためにウィケット(野球のバッテリーゾーンに相当するもの)をならしている時に、馬が「急に催しそうになった」と書いている。


糞を受けるバケツが間に合わず、彼のアシスタントのジャック・ホイが、とっさに広縁の帽子を脱いで、馬の排泄物を受けた。排泄物はなんと帽子にあふれそうなくらいまでになったらしいのだが、その行為に25,000人の群衆は大拍手を送ったという。


排泄物を処分した後、ホイは帽子を頭に戻し、不器用にお辞儀をした。という逸話がある。


そういう懐かしのグラウンド表面は装いを一新した。


経験豊富な8代目グランウンド・ キーパーのトム・パーカー氏は、この大改修工事にも悠然として構え、改修工事を成功させた。いまは、平らなグランウンドでプレーが行われている。

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