2007年09月23日

オラ!、が消える日

しばらくサボっておりました。メタフットボールこと、菅野芳伸です。

酷暑の夏を乗り越え、やっと涼しくなりました。ヨーロッパ各国のリーグはすでに07-08年のシーズンがスタートし、Jリーグも熱い戦いが続いています。日本代表はアジアカップを4位で終えたものの、いよいよワールドカップ予選へ向けてチームの完成度を上げる段階に入っていますし、オリンピック予選はいよいよ佳境を迎えようとしています。そんでもって、涼しくなればまたボールをけりたくなるオヤジのココロ。夏に冷たいビールを飲みすぎて増えた体重をもとに戻すには、ボールをけるのが一番でしょうが、なかなか意気込みとタイミングが合わないのがオヤジ・ライフのつらいところ。

そんなこんなで話題満載のサッカー・シーンではありますが、今回はちょっとマジにスポーツ指導について考えてみたいと思います。


◆

「オラ!!、ちゃんと捕れ、ばか野郎」。

ある週末、自宅近くの小学校の横を通ると、叫び声が聞こえました。小学校のグラウンドでは少年野球の練習が行われています。下品な声の主はノックをしているコーチでした。さらに大声は続きます。オラ!!オラ!!オラ!! 。

見ればコーチは30歳代、ホームベース上で気合を込めてノックバットを振っています。各ポジションについた子どもたちは、どう見ても低学年。グローブの扱いも不慣れで、飛んで来るボールに腰が引けています。オラ!!オラ!!オラ!!ばか野郎。

わたしのこの光景を見て、またか、と情けなくなりました。

「ちゃんと捕れ、ばか野郎」が、なぜいけないのか。
わざわざ解説する必要はないとは思いますが、少し考えればわかることです。グローブをきちんと扱えない子どもには、キャッチボールから指導すべきではないでしょうか。
いきなりポジションについてノックするのは段階的に早すぎます。できなくて当たり前のことについて、「ばか野郎」と言われる筋合いはありません(もちろん「ばか野郎」という言葉遣いは論外です)。

もし仮に、セカンドやサードなどのポジションでノックをする必要があるのだとしても(そのほうが子どもはうれしいかもしれません)、「ちゃんと捕れ」という言葉は指導、コーチになっていません。なぜボールが捕れなかったのかを解説した上で、次にどうすればよいかを子どもたちにわかる言葉で伝えるのがコーチの役割のはずです。「今はボールを正面で捕らなかったからミスをしたんだよ、次はちゃんと正面で捕ろう」。「ボールから目を離したら、ボールは捕れないよ。しっかりボールを見てみよう。絶対にできるから、次がんばろう」。小学生時代に野球を少しはかじっただけのわたしでも、このくらいのことはわかります。

しかし、そんなことはまったく意に介さないコーチの声が、さらに校庭に響きわたります。週末におじさんコーチがバットを振り、子どもに罵声を浴びせることで職場でのストレスを解消しているようにも感じられます。バックネット裏では、保護者がのんびりとおしゃべりに興じています。


野球をやっている子どもたちは、きっとイチローや松井、松坂に憧れています。親にねだってグローブやユニフォームを買ってもらったに違いありません。テレビで見る選手のようになりたいと夢をもって少年チームに入ったはずなのに、そこでは親にも言われたことのない「ばか野郎」呼ばわり。子どもたちは、どんな気持ちで週末、グラウンドに集まって来るのでしょう。

保護者はどう感じているのか。週末にボランティアで指導してもらっている義理があるから、乱暴なコーチに意見が言えないのか。それてもスポーツはこれくらい乱暴なほうが、自分の子どもに根性がつくとでも思っているのでしょうか。


さらに残念なことに、こうした指導は野球だけでなく、サッカーもたいして変わりません。

この小学校には、わたしの娘が3年生として通学しています。野球だけでなくサッカーチームもあり、女子チームも活動しています。わたしは入学前から、娘がサッカーをしてくれることを期待してきました。娘も父親がサッカー好きなことはわかっていますし、幼稚園の頃から地元フロンターレの親子サッカー教室に通うなど、きちんと“教育”してきたつもりです。娘がサッカーを始めれば自分もボランティアのコーチとして参加する心の準備も整えていました。が、入学しても娘はサッカーにはあまり興味をもたない様子。わたしはあえて強制しませんでした。
そんなこんなで2年生になり、「わたしもサッカーやってみようかな」なとど言いだした娘。よし来た、と思ったときに、その事件はおきました。


「オラ!、てめえらなにやってんだ、早くしろ!!」


ある土曜日、サッカーチームの活動のあるときにたまたま校庭にいた娘は、チームの監督の大声を耳にします。気の小さい娘はその瞬間に、サッカーなんか絶対にやらないと心に決めたようです。サッカーでも「オラ!」の登場です。あんな乱暴な言葉づかいをする大人と一緒にサッカーをするなんて、「絶対無理、ありえない」。この瞬間に、一人の小学生がサッカーを楽しむチャンスを失ったのです。


小学生世代のスポーツ指導の現場では、何十年も前と同じ意味不明の“熱血指導”が今も当然のように行われているのです。いったいいつになったら、日本のスポーツ指導の現場から「オラ!」「ばか野郎!」がなくなるのでしょう。

最近はさまざまなコーチ理論や運動理論が開発され、書店にはたくさんの書籍が並んでいます。インターネットを検索すれば、情報の宝庫です。なのに、グラウンドでは「オラ!」の連発。わたしはなんとも気持ちが暗くなるのです。


日本サッカー協会では、小学生世代のクラブ、コーチを見極める指針を次のように紹介しています。

クラブ
 - クラブの指導理念がしっかりしている
 - クラブの指導方針をもっている
 - クラブ運営の基本がプレーヤーズファーストである
 - クラブ・保護者・選手のコミュニケーションがとれている
 - 子どもたちが楽しくプレーできる場がある
 - 指導者間で考え方が一致している

コーチ
 - 子どもが好き
 - 情熱がある(研究熱心・向上心)
 - 明るくさわやか(言葉遣い・服装・礼儀正しい・あいさつ)
 - 忍耐力がある(子どもの指導には時間がかかる)
 - 子どものレベルに自分をコントロールできる
 - モラルがある
 - デモンストレーション(実際にやってみせること)ができる
 - オープンマインドである(心を開いて人の意見を聞き入れられる)

(「JFAハンドブック3 保護者のみなさまへ」 より)

サッカー協会が紹介しているものだからすばらしい、というわけではありませんが、参考になると思います。ただ、うがった見方をすれば、サッカー協会がこのような指針をわざわざ紹介するということは、現実はまったく逆であることを証明しているわけです。


野球やサッカーに限らず、スポーツをすることはすばらしい体験です。特に子どもたちにとっては、多くのことを学ぶチャンスです。体を動かす楽しさと難しさ、仲間との絆や軋轢、苦しい瞬間を乗り越えた達成感と自信、勝利の喜びと敗北の悔しさ。もっと上手に、もっと強く、という希望や情熱。できるだけ多くの子どもたちにスポーツを体験してほしいと思います。それを実現するのは、わたしたち大人であり、保護者の務めでもあります。


子どもたちのスポーツをボランティアで支えることは、誇るべき行為です。無償の、無名のボランティアなくして、子どもたちのスポーツは成り立ちません。しかし、無償の行為だからすべて自分の好きに指導していいのか。逆に自らを律する謙虚さが求められるはずです。プロのコーチであれば、その指導理念(どんな理念だろうと)に納得した相手が契約して対価を払うのに対して、ボランティアはほとんどが曖昧です。だからこそ、子どもたちはもちろん、コーチ仲間や保護者など、まわりの人々の声に耳を傾け、自分の指導を客観的に検証し、勉強する必要があるのではないでしょうか。


わたしは子どもたちの指導のために自分の時間を犠牲にし、常に学び、努力している無名の指導者たちを何人も知っています。オラ!の声を聞くと、彼らの顔が頭に浮かび、気持ちが暗くなるのです。

「我々は学ぶことをやめたときに、教えることをやめなければいけない」。
元フランス代表監督のロジェ・ルメール氏の有名な言葉です。彼はプロですが、「我々」という言葉にはスポーツにかかわるすべての指導者が含まれていることは言うまでもありません。
自分自身も含め、改めて心に刻みたいと思います。


◆


今から30年ほど昔、中学、高校とサッカー部キャプテンだったわたしが、試合前の円陣でチームメイトにかける言葉はいつも決まっていました。「絶対、走り負けないぞ!!」。
意味はおわかりでしょう。テクニックや戦術に劣るチームは、相手より走らなければ勝てません。さらには、走らないやつは交代させられるぞ、と仲間に気合を入れるためでもありました。当時から、サッカーと走ることは一体でした。テクニックがあっても走れない選手、テクニックはないものの走れる選手。試合にどちらを出すか。これはまさに究極の選択だったのです(もちろん、わたしは「テクニック組」ではなく「走り組」でした)。オシム監督が就任してから、今さら走ることばかりを議論すること自体が不思議な感じがします。ただ、考えてみれば、ボールを扱うテクニックや戦術が進歩し、改めてサッカーの原点である走ることを見直す流れになっているのでしょう。これもまた、サッカーの進歩に必要なサイクルなのかもしれません。

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posted by buruta |20:47 | sugano | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年05月01日

幸運は勇敢な者についてくる(byオシム)、あるいは部活を考える

新年度が始まって1カ月。新入社員、新入生のみなさんにとって、新鮮かつ慣れない環境で、たいへんな1カ月だったのではないでしょうか。

新年度といえば、わたしがサッカーに本格的に出会ったのが、中学1年生の入学直後。さっそくサッカー部に入り、ボールをける楽しさを知りました。そして、高校でも当然のようにサッカー部に入り、その後の人生にとても大切なものを得ることとなるのです。

今回は、学校の部活について考えてみたいと思います。

◆

わたしの母校、I高校は、神奈川県のごく普通の県立高校です。わたしが7期生ですから、当時はまだまだ新設校といった風情でした。サッカー部も特に強いというわけではありません。自慢できるような成績を残していない、ごく普通のサッカー部です。


で、5年前、サッカーを専門とする体育教師が赴任しました。30数年のサッカー部の歴史のなかでは、サッカーに専門に取り組む教師は3人目。さっそくサッカー部の監督に就任し、チームづくりが始まりました。

また、その一環としてOB会が組織されることとなり、わたしは事務局の一員としてOB会のWebサイトの制作・管理を担当しています。

伝統も何もない高校が、監督が変わってすぐに強くなれるほど高校サッカーは甘くありません。わたしが現役だった30年前、神奈川には約100校の高校がありましたが、今は200を超えています。

まして、サッカーは人気スポーツですから、どの高校も部員は多く、そのなかで勝ち上がるのは容易ではありません。それでも、監督、選手、コーチ、マネージャーたちの努力の成果で、ここ2~3年は県のベスト32まで進出できるようになりました。逆にいえばそこがカベとなっています。現在、FIFAに加盟してワールドカップ予選に参加する国が約200あり、日本のランキングが46番(2007年4月現在)ですから、I高校は県内において、だいたい世界のなかの日本の位置づけと似たようなところにいるわけです。


そんなサッカー部が先日、関東大会の県予選を戦いました。ベスト32まで順調に勝ち進み、いよいよカベであるベスト16に挑戦です。ワールドカップでいえば、決勝トーナメントへの挑戦でしょうか。ところが、相手は2005年度の高校選手権に県代表として出場したF高校。

私立のサッカーに力を入れている高校で、いわばサッカーのエリート集団です。I高校は、レギュラーの半分が中学時代は控え選手で、そんな選手たちをこつこつと鍛えてきたわけですから、試合の結果はだいたい予想がつきます。そんなあきらめ気分で試合観戦に行ったわたしは、思いがけない光景を目にするのです。


試合会場は、F高校の整備されたサッカー専用グラウンド。アウェイで、しかも強豪相手に不安しかなかったわたしの予想は、キックオフから覆されます。

個々のテクニックに勝るF高校は、安定したボールポゼッションからI高校のゴールに迫ります。しかし、普段はおとなしいI高校の選手たちが、試合の立ち上がりから相手ボールにすさまじいプレッシャーを与えています。さらに、いつもは黙ってサッカーをしている選手たちが大声を張り上げ、仲間を鼓舞し、一歩も引かずに戦っている。1週間前、いつものように静かに進む試合を見ていたわたしは、驚きました。こいつら、こんなサッカーができるのか。


実力は相手が一枚も二枚も上です。バックラインを破られ、シュートを打たれますが、GKが懸命にセーブ。さらに相手のシュートはわずかにワクから外れます。クロスバーに助けられたこともありました。GKが抜かれ、無人のゴールにシュートが飛びますが、猛ダッシュでゴールをカバーしたDFの足に当たってクリア。ゴールを許しません。相手のミスもあり、ラッキーな展開です。


「幸運は勇敢なる者についてくる」。
日本代表のオシム監督の語録のひとつだそうですが、まさにこの日のI高校の戦いぶりは、勇敢でした。幸運は、ただの運ではなく、必然でもあるのです。シュート体勢の相手に粘り強く体を寄せる。シュートコースを消そうと、体を投げ出す。GKは勇気をもって前に出る。とにかく、あらゆる局面でボールに食らいつく。この積み重ねが、相手のプレーの精度を鈍らせたのです。


しかも、守るばかりではなく、攻撃も見事でした。ボールを奪ってからすばやくボールを動かして一気に相手ゴール前で勝負に出ます。弱いチームが強いチームと戦うセオリー、いわゆるカウンター攻撃ですが、その展開はスピーディー。相手が前がかりですから、当然カウンターが決まりやすいことを除いても、その切り替えは鮮やかでした。


緊張感のある試合となり、時間がどんどん過ぎています。前半32分、相手のコーナーキックから集中を欠いてしまい、失点。前半は0-0で終わるべきところを残念な失点でした。相手のベンチは大騒ぎ。それだけ、F高校は苦しんでいたのでしょう。


ハーフタイムのインターバル。またしてもわたしは驚かされました。
「あそこのマーク、誰だよ」。
選手たちはなにやらしゃべりながら、ベンチに帰ってきます。水分を補給しながら、選手たちの話は止まりません。これまでベンチで一言もしゃべらない選手たちを見て、わたしは歯がゆい思いをしてきました。

20070427-04.JPG



ハーフタイムにしゃべらないサッカー選手がいることに、驚きさえ感じていたのです。広いグラウンドに11人、自分ですべてを判断しなければならないサッカーをしていれば、ハーフタイムはチームメイトとお互いにしゃべりたいことだらけのはずです。

ところが、イマドキの高校生は、黙って水を飲み、黙って監督やコーチの話を聞き、後半のピッチへ向かう。こうした傾向はどこの高校も似たようなものだそうです。
この日の彼らは違っていました。前半終了間際の失点で気落ちするどころか、冷静に失点の事実を受けとめ、マークや戦術をお互いに確認し、監督の指示を聞き、目に闘志をたぎらせて、後半のピッチへ向かったのです。


同点コールが生まれたのは、後半開始40秒でした。相手ゴールに近い位置でボールを奪うと、ワンタッチでボールをつなぎミドルシュート。サイドネットにボールが吸い込まれます。歓喜の輪をつくるI高校のイレブン。

ここからは、一進一退の攻防です。ボールキープから短いパスとドリブルで攻めるF高校、しっかりしたディフェンスからカウンターを狙うI高校。初夏を思わせる強い太陽がグラウンドを照らしています。

後半15分、ゴール前をワンツーで切り裂いたF高校が、ゴールを決めて勝ち越し。しかし、I高校は崩れませんでした。自分たちのサッカーを貫き、運動量では相手に勝っていました。しかし、チャンスがありながら決めきれない。3分の長いロスタイムのあと、主審が長いホイッスルを吹きました。


まさに、緊張感に満ちた熱戦。彼らは一生、この試合のことを忘れないでしょう。卒業して30年たっても、居酒屋で飲むたびに、同じ試合の同じシーンを語り続けるわたしたちのように。学校の部活に取り組むことは、まさに一生ものの飲み会のネタを仕込むことでもあるのです。

昨日の夕食のメニューは忘れても、30年前の試合の光景は忘れません。サッカー部の仲間は、一生の仲間です。また、その後の人生にとっても大きな影響を与えます。わたしは、サッカーをやっていたことで、たくさんのサッカー仲間に恵まれました。年齢や、生い立ちや、仕事など、まったく接点のない人間が、サッカーを通じてすぐに仲間になれるのです。ひとつのボールをお互いにけってもいいし、戦術のウンチクを語り合っても、サッカーをネタにした話題は尽きません。


「部活」という独特のシステムによって、日本のスポーツは長い間、学校が中心になってきました。学校教育とスポーツが一体となることで、ある意味では効率的にスポーツを根付かせ、強化されてきました。ところが、一方でその限界もあることも指摘され、サッカーを中心にクラブ組織による普及と強化が叫ばれつつあります。


Jリーグの下部組織を代表とする、整った施設に専門的なスキルをもったコーチたち。地域から運動能力に優れた選手たちを集め切磋琢磨すれば、競技力は確実に向上するでしょう。多くのスポーツが、Jリーグのノウハウを学ぼうとしています。

しかし、だからといって、学校の「部活スポーツ」はその魅力を失っていないと思います。同じ学校で勉強し、スポーツに取り組むことで、濃密な時間を過ごすことができる。授業はもちろん、体育祭や文化祭、放課後のグラウンドや体育館での練習、友情や軋轢や葛藤や恋愛。あらゆるものがぎっしりとつまった中学、高校の6年間は、普通の子供たちにとって大切な時間となるはずです。


ところが、現在の学校はかつてのような余裕を失っています。教師たちは仕事が増え、部活に使える時間は確実に減っています。最近の学校の現場が抱える問題は複雑で、熱心な教師ほど、疲れてしまっています。


公立学校にも取り入れられはじめた“成果主義”という流れは、確実に教師たちを追い詰めていくでしょう。何をもって成果とするか、教育という分野ではこれまた難しい問題です。また、熱意をもって子供たちと真正面からスポーツに取り組む教師は確実に減っていますし、部活をやれば内申点が上がるからと、それだけの理由で放課後にスポーツをする生徒も存在します。学校の部活がいろいろな意味で転換点に来ていることもまた事実です。



現在は、わたしが無邪気にボールをけっていた牧歌的な時代ではありません。それでも、ピッチで戦う後輩たち、中学生や高校生を見ると、胸の奥底がざわざわします。おやじ世代にとっては過去が懐かしいだけかもしれませんが、今、スポーツができる瞬間を大切にしてほしいと思いますし、たくさんの1年ボウズが部活の門を叩いてくれればと願っています。

◆


母校の激闘も熱かったのですが、Jリーグも上位が混戦となり、なかなかおもしろい展開になってきました。これから暑くなれば、コンディションづくりがとても大事になってくるでしょう。また、日本代表は3連覇をかけたアジアカップも楽しみです。幸運を自らに呼び込む勇敢な戦いができるのか。走って、走って、時にはリスクを犯して、攻めきることができるのか。今年のアジアカップは、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムという東南アジアの4カ国の共同開催。しかも7月ですから、暑さと湿度に悩まされるはず。オシム翁の手腕に期待です。


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posted by sugano |07:43 | sugano | コメント(5) | トラックバック(1)
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2007年03月11日

パンツ問題

メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


歴史的な暖冬と言われつつ、春になってしまいました。

それにしても、あたたかい冬でした。かつて、わたしが学校のサッカー部でボールをけっていた頃、
冬は寒くて寒くて、いくら走っても体があたたまらない日が何日もありました。

しかも高校時代は顧問の先生の方針で、どれほど寒くてもジャージのズボンをはけません(GKは例外)。
当時は短いサッカーパンツが主流でしたから、太ももが寒風にさらされ鳥肌がたち、
そこにボールが当たるとしびれるように痛いのです。

今ではサッカーパンツは長めがスタンダードとなりました。
ただ、女性のスカートの長さが流行で上下するように、
サッカーパンツの長さも時代とともに変わるのは、なぜでしょうか。

さて、サッカーパンツというと、おじさんサッカー・プレーヤーにとって忘れられない重要な問題があります。
で今回は、パンツ問題です。


◆


1974年のワールドカップ西ドイツ大会、西ドイツとオランダが決勝で戦った時代は、
パッツンパッツンのサッカーパンツがトレンドでした。
ヨハン・クライフ率いるオランダ代表が着ていたサテン地のように輝きのある素材は、
当時15歳だったわたしにとって憧れでした。

しかし、そのトレンドを無視し、独自のスタイルを追求する人々がいました。
ツッパリ君=不良(今でいうところのヤンキー)たちです。
彼らはロングタイプのパンツ(通称「ロンパン」)に強いこだわりをもっていたのです。

当時のサッカー部にはなぜか多くのツッパリ君たちが所属していて、
ツッパリとスポーツの両立という崇高なライフスタイルを貫いていました。

なぜかツッパリ君の多いサッカー部は、学校の部活のなかでもちょっと異質な存在で、
しかも他の部活は白い体操着を着て練習するのに、目立ちたがりの多いサッカー部は
色とりどりの派手なウェア。といっても今のようにたくさんウェアの種類があるわけではなく、
ただ色のついたTシャツを着るだけで目立ったのです。


で、ツッパリ君たちにとって、絶対に譲れないのがロンパン、そしてリーゼントの髪型でした。


当時、サッカーショップには普通のパンツの他にロンパンがしっかりラインナップされていて、
ツッパリ君たちは必ず一番大きいLLサイズを購入していました。
そして、彼らのこだわりはそのパンツの大きさだけではありません。
彼らの美意識は、いかにしてかっこよくパンツを下げてはくか、ということにあります。

最近の若者がぶかぶかのジーンズをずるずるに下げてはいていますが、あの感覚とまったく同じです。

「短いサッパン(サッカーパンツの略称)はまじめでヤワなやつがはくもの」。

気合の入ったツッパリの象徴であるロンパンを抜きにして、彼らのサッカーライフはあり得なかったのです。
もちろん、リーゼントも大事です。ポイントはその固さと角度ですが、それを詳述するのはここではやめましょう。

彼らの試合前のチェックポイントは、チームメイトとの連係でも、シュートの精度でもありません。
いかにパンツが下がっていて、リーゼントが決まっているかに集中するのです。
もちろん、試合前に整列するときから彼らの戦いは始まっています。
ロンパンを腰の位置に下げ、リーゼントを固めて、対戦相手にガンを飛ばし(にらみつけ)、唾を吐く。

唾は、10秒に1回はペッと吐かなくてなりません。
なめられてはいけないのです。

試合中も、彼らにとって大事なのはロンパンの位置と、リーゼントです。

走りながらパンツが上がらないように、常に手で押さえてお気に入りの位置をキープしなければなりませんし、
リーゼントが乱れることは絶対に許せません。彼らは滅多にヘディングをしませんが、
たまにしてしまうと、気になるのはボールの行方ではなく、リーゼントです。
すかさず両手を使って、髪形の乱れを整えます。


当時はそれほどユニフォームの規定も厳しくはありませんでしたから、
チームの2~3人がちょっと違うパンツをはいていても、審判はうるさいことを言いませんでした。
今は常識となったロングパンツを見ると、どうしてもわたしの頭に浮かぶ言葉があります。


「つっぱってんじゃねえよ」。


そしてもうひとつ、当時はもうひとつの重大なパンツ問題がありました。

それはサッカーパンツの下に何をはくか。今のようにスポーツ用の下着はほとんどありません。
ショートタイプが主流ですから、ふつうのトランクス型の下着ではサッカーパンツからはみ出てしまいますし、
さらに「ヨコチ○」という危険性をはらんでいます。

ブリーフもなんだか落ち着きに欠ける。
普通のサッカー部の選手にとってはそれほど重大ではありませんが、
本気でサッカーに取り組む選手にとっては、悩みのひとつだったようです。


で、実際に何をはいていたかというと、なんと女性用の下着でした。
というが当時のもっぱらの噂です。噂なんてあいまいな言い方になるのは、わたし自身、
そのような経験がありませんし、実際に女性用の下着でプレーしている選手を目撃したこともないからです。
ただ、トップクラスの選手はフィット感のある女性用の下着を奥さんや彼女に買ってもらっている、
ということは当時のサッカー専門誌に載っていましたし、ほとんど常識化していました。
わたしは、まさか母親のパンツをはくわけにもいかず、
普段はいているパンツか、ときには水泳パンツをはいていました。

今ではさまざまなインナーウェアが開発され、ほんと、すばらしい時代になったものです。


◆

たかがパンツ、されどパンツ。パンツへのこだわり、
その変遷もサッカーという文化の一部であるということでしょうか。

いよいよJリーグが開幕しました。

各チームのユニフォームのデザインも変わり、新鮮です。
しかも、ユニフォームの機能性はさらに向上していて、なかでもジェフ千葉の新ユニフォームは、
素材そのものが「臭い」を科学的に中和・消臭するのだそうです。
スポーツが汗臭さと同義だった時代もいよいよ終わりを迎えたのでしょう。
そう、もうひとつ思い出しました。昔のサッカーパンツにはお尻のところになぜかポケットが付いていました。
サッカーパンツにポケットが必要なのかどうか、今も謎のままです。


ただ、スポーツにとってウェアというのは、単に機能を満たせばよいというわけではありません。
デザインの好き嫌いや誰かのプレゼントだとか、いろいろな意味合いで
モチベーションやパフォーマンスに大きく影響を与えます。


今やショップへ行けば商品があふれかえっているサッカーは幸せですし、恵まれすぎているかもしれません。
その一方で、専用のウェアや用具が乏しく、選手自身が工夫しながら競技に取り組むスポーツもあります。


まさに30年前、サッカー・プレーヤーがパンツで悩んだように。

そんな苦労も創意工夫も、あれやこれやも、
やはりスポーツのエッセンスであり、アスリートにとっての成長の糧なのかもしれません。

Posted: sugano : 2007年03月11日 22:26

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2007年02月18日

進化するボールとおじさん

メタフットボール」こと、菅野芳伸です。

先日、Windows Vistaが発売されました。

が、盛り上がりは今いちのようで、わたしを含めて様子見というパターンではないでしょうか。

実際、何かが劇的に変わったわけではなく、ただメモリをやたらと食って1GBは最低限必要なんて、
たいした大食いのOSです。というか、洋服やら化粧品を買いまくるファッション・デフォルト値の
高い見た目優先のおねえちゃんみたい…ま、言いがかりをつけるのはこのくらいにします。

いずれにしろ、テクノロジーの進化は止まらないわけで、
パソコンも冷蔵庫や洗濯機のように家庭になくてはならない道具になりました。
当たり前というのは、逆に言えば、それだけ使える道具なったということですから、
感謝すべきなのでしょう。

さて、サッカーにおける道具の進化といえば、何か。

シンプルで使う道具が少ないことが世界中に普及した理由のひとつであるサッカーですが、
まずはボール、そしてスパイク、さらに最近は人工芝の進化も目覚しいものがあります。


というわけで、今回はサッカーに絶対欠かせないボールの進化に着目します。



◆

1月、わたしの母校の高校で、サッカー部のOBの集まりがあり、みんなでボールをけりました。

毎年恒例のお正月の初けりなのですが、今年は楽しみがひとつ。
昨年のワールドカップ・ドイツ大会の公式ボール、「+(プラス)チームガイスト」の新品を用意したのです。
わたしがOB会の事務局長(先輩)におねだりして、会費で買ってもらいました。
実はわたし自身は昨年、このボールをける機会があり、その反発力がすっかり気に入ってしまい、
ぜひOB仲間に体験したもらいと思ったのです。

みなさんもご存知のように、最新のテクノロジーが注ぎ込まれたこのハイテク・ボールは、
世界のゴールキーパーたちを泣かせました。ブラジルと日本の試合でも、
ジュニーニョ・ベルカンブカーノがすばらしいミドルシュートを叩き込みました。
2006年はミドルシュートがたくさん決まった、と語り継がれることでしょう。

で、改めて最新ボールの感触はどうだったかといえば、コントロールしやすく、キックがよく伸びる。
足がうまくボールの芯に当たったときは、すごい勢いでボールが飛んで行くのです。
いくらハイテク・ボールでもテクニックまではカバーしてくれませんが、
筋力が衰えたおじさんプレーヤーにとっては、ありがたいボールです。
おれのキック、まだまだイケてるじゃん、なんて。


1998年、フランスでのワールドカップの時は、ボール表皮に気泡を埋め込んだ
「トリコロール」というボールが使われました。
このボールもけったことがあるのですが、こちらはとにかくソフトで、
キックした足がボールに一度めり込み、そこから飛んで行く感覚にはびっくりしました。
今回の「ガイスト」はそこまでソフトではないものの、反発力が強く、強いボールをけることができます。


OB会当日、ゲームで新品ハイテク・ボールを使ったおじさんたちは、
「ぶれた、ぶれた」「ボールが揺れたぞ!!」なんて大はしゃぎ。
楽しくボールをけることができたのは、最新テクノロジーのおかけでもありました。


ところで、みなさんはルール上、ボールがどのように規定されているかご存知ですか。
ちゃんと調べてみると、競技規則第2条に次のように記述されています。


(5号球)
・ボールは球状
・外周:68~70cm
・空気圧:0.6~1.1気圧
・重量:410~450g(競技開始時)
・外皮:皮またはその他認められた材質



おもしろいのは、重量がわざわざ「競技開始時」と定められていること。
ここに反応した人は、間違いなくおじさんです。
“本物の皮”のボールをけった経験があるに違いありません。

昔むかし、雨のなかでプレーすると皮のサッカー・ボールは水を吸い込みました。
時間がたつほどボールは水(泥水)をたっぷり吸い込み、どんどん重くなってきます。
思いっきりけっても、ろくに飛びません。ヘディングをすると、ボールは自分の足元に落ちます。
ボールがあまりに重く、ヘディングしたつもりが頭でトラップした状態になり、
前へ飛ばずに下に落ちるのです(痛いし)。しかも、ボールは重くなるだけではありません。
使えば使うほど皮がいびつに伸び、形が崩れ、さらに大きく成長し、
ぼろぼろのバスケットボールのようになってしまいます。
とても「球状」と呼べるものではありません。雨の日、他の学校で試合をした帰りは、
ボールを詰め込んだバックがずっしりと肩に食い込みました。


それでも、当時はそんなボールを大切に使っていました。まるで野球のグローブを磨くように、
練習後に保革油でボールを磨くのは1年生の仕事。多くの学校のサッカー部にとってボールは貴重品で、
一人にひとつの数もなかったのです。今から30年くらい前のお話です。


今では素材が人工皮革となり、水を吸ってどうしようもなく重くなったり、
変形することはほとんどありません。本当によくできています。
重量の規定が「競技開始時」なんて、もはや意味がない時代になりました。

さらに、わたし自身も最近知ったのですが、50歳以上と60歳以上のシニア用
ボールが開発されていて、それぞれ重量が次のようになっています。


・50歳以上用:400g
・60歳以上用:380g


小学生が使う4号球が390~430gですから、5号の大きさで4号の軽さという感じでしょう。
かなり軽量ですが、もちろん公式球として認定されています。
ボールが軽いと足への負担はかなり減るに違いありません。専用のボールが開発されるのですから、
シニア層にそれなりのサッカー・マーケットがある証拠です。
おじさんや爺さんも進化し、サッカーを長くプレーする人が増えているのです。


残念ながらわたしはシニア用のボールをけった経験はありません(まだ、40歳代ですから)。
いつかはお世話になるのでしょうが、それを考えるとやや複雑な心境。個人的には、
テクニックの衰えをカバーしてくれるボールが開発されることを祈っております(いったいどんなボールじゃ)。



◆

母校での初けりは、我々おじさん世代だけでなく、若いOBたちも新しいボールをけったのですが、
なんと彼らのゲームが始まると、またまたびっくりしてしまいました。
「バン!」、「ボン!」、「ドン!!」。ボールをけるたびに、すごい音がするのです。
これも新ボールの特徴です(自分がけったときは気がつきませんでした)。
若いって、すばらしい。


Jリーグの開幕は3月3日(土)。各チームはキャンプの真っ最中です。
日本代表も2月15日からの合宿で始動を開始します。今シーズンのボールは、
もちろん「+チームガイスト」ですが、カラーが赤と白の組み合わせとなります。
ひとつのボールをめぐって戦い、さまざまなドラマが生まれるサッカー。
今年はどんなハラハラドキドキを見せてくれるのか。楽しみです。

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2007年01月29日

大胆予想 2007年サッカー界10大ニュース

メタフットボール」こと、菅野芳伸です。

2007年になってもうその12分の1が過ぎようとしています。

本年もよろしくお願いします。



では、前置きなしにさっそく新年を飾るスペシャル企画。

「メタフットボール式」、2007年「日本サッカー界10大ニュース」をどぉーんと発表したいと思います。

すいません、ベタな企画で。


■日本代表、アジア・カップで準優勝

2007年、日本代表のスケジュールで最も注目されたのは7月に行われたアジア・カップでした。
カタール、UAE、ベトナムと戦う1次リーグは、2勝1分けで1位通過。
さらに決勝トーナメントを勝ち進み、決勝の相手は今大会からアジア大会に参加したオーストラリア。
日本代表は俊輔を中心にパスワークと運動量でオーストラリアのパワフルなサッカーに対抗するも、
決勝の舞台であるジャカルタの高温多湿な気候にスタミナを奪われ、次第に主導権を失ってしまう。
1 対1のまま延長に突入したものの、PKをとられてしまい、失点。
準優勝となって3年連続の優勝はかなわなかった。
それでも、俊輔、松井、高原が加わった日本代表は攻守のバランスが高まり、ワールドカップ予選への期待が高まった。
「人間は常に学ばなければなりません。しかし、学んだからといって必ずしも結果が出るとも限らない。
それでも、学び続ける選手が進歩するのです。今回、日本代表はそれを学んだのです」
とオシム監督は決勝後、語った。


■激闘の末、男女ともに北京オリンピック出場決定

2月28日からスタートした男子の北京オリンピック予選は、バーレーン、クエート、カタール
との2次予選を1位で勝ち上がり、最終予選に進出。最終予選は、北朝鮮、ウズベキスタン、
サウジアラビアと同グループとなる。ホーム&アウエーで1位だけ北京への切符を手にできるが、
日本は苦戦。最終戦の北朝鮮戦、アウエーのピャンヤンでの試合に勝たなければならなくなった。
しかし、それまで絶不調で無得点だったFW平山が爆発してハットトリック。
3対0で快勝して見事に北京オリンピック出場を決めた。
一方の女子はメキシコとのプレーオフ。3月10日のホーム、3月17日のアウエーの2試合を勝って、
北京への切符を手にした。特に活躍したのが、ママさんの宮本ともみ選手。
長男を連れて遠征に参加、スケールの大きなプレーで中盤を制圧して勝利に大きく貢献した。
母は強い。


■U-20ワールドカップで日本が優勝

20歳以下のワールドカップはカナダで6月30日に開幕。日本は予選リーグから快進撃を続け、
なんと準決勝でブラジルを破って決勝に進出。決勝の相手はフランス。
日本は猛攻に耐えてスコアレスのままPK戦へ。ここでGKが2本を止め、勝利。
初めてFIFA主催の世界大会で優勝を勝ち取った。
しかし、8月に韓国で行われたU-17のワールドカップでは予選リーグで敗退。
世界の厳しさを味わった。


■俊輔、チャンピオンズリーグでベスト4進出

何はなくとも、中村俊輔。チャンピオンズリーグの決勝トーナメントで、
まず3月にACミランを破ってベスト8へ進出。さらに4月、リヨンと準々決勝で対戦。
ファーストレグのアウエーを1-0と落としたものの、セカンドレグのホームでは俊輔が大活躍。
1得点1アシストを決めて、そのファンタジックな左足を改めて世界に見せつける。
準決勝の相手はバルセロナ。しかし、ここでその左足は輝かなかった。
2連敗で、俊輔のチャンピオンズリーグの冒険は幕を閉じたのだった。


■松井大輔、スペイン移籍

フランスの1部リーグで主力として活躍する松井大輔。
7月のアジア・カップでも切れ味鋭いドリブルで存在感を見せつけ、日本代表に定着。
オシム監督もそのプレーを高く評価した。
そして07-08シーズンを前にスペインのアトレチコ・マドリードからオファーがあり、移籍を決意。
スペインでもすぐにレギュラーを獲得して主力としてプレーし、
スペイン人からも「オーレ、ダイ!!」と声援を浴びた。


■中田英寿氏、宇宙の旅

世界を旅する元日本代表の中田英寿氏がまたも世間をあっと言わせる。
なんと、宇宙へ旅立つことを発表。サッカーで鍛えたフィジカルは宇宙飛行士としては水準以上。
某テレビ局と独占契約を結び、宇宙からのメッセージを生中継し、
さらに宇宙空間でCM撮影をするという世界初のプランも披露する。
旅行費用はほとんどこれらのスポンサー費でまかなえるというから、旅だか出張だか、よくわからん。
出発は2009年の予定。中田氏の旅はまだまだ続く。


■ベッカム、浦和レッズに移籍

Jリーグ制覇、天皇杯連覇と、日本を代表するビッグクラブとなった浦和レッズがやってくれます。
なんと、元イングランド代表、ディビッド・ベッカムの獲得を年末に発表。
アメリカMLSのロサンジェルス・ギャラクシーに移籍したものの、
アメリカでのサッカー環境になじめなかったベッカム。
多くのファンのいる日本でサッカーをしたいと決意し、2008年1月から1年の期限付き移籍。
レッズは高額な移籍金と年俸を証券化するという資金計画を発表し、
ベッカム人気にあやかろうと多くの企業が賛同して資金確保も速攻で完了した。
ベッカムがレッズの赤いユニフォームを着て、
さいたまスタジアムのピッチでお披露目をしたのが大晦日。
2008年はベッカム旋風が日本を駆け抜けるか。


■I高校OB、T高校に雪辱

私事です。わが母校、神奈川県立I高校サッカー部OB(40歳以上)は昨年、
同じ市内の県立T高校OBチームから試合を申し込まれ対戦したものの、1-2 で敗れた。
T高校のOBチームは県のシニアリーグに参加していてコンビネーションもばっちり。
一方のわがI高校は年に1回、母校に集まってボールをける程度。
さらにT高校は県内でも有数の進学校で、偏差値で負けてサッカーでも負けるというのは、
I高校OBのおじさんのプライドが許さない。2007年秋、再び対戦した両チーム。
今度はI高校が意地で3-0と快勝して、きっちり雪辱を果たした。


■川崎フロンターレ、Jリーグ初優勝


2007年のJリーグも白熱。開幕からレッズが首位を走るものの、
わたしの地元チームである川崎フロンターレが猛烈に追い上げる。当然、川崎は盛り上がった。
政令指定都市でありながら東京のベッドタウンで、帰属意識の薄い市民が地元愛に目覚め、
等々力競技場は毎試合満員。同じ勝ち点で迎えた最終節は、さいたまスタジアムで直接対決。
試合終了間際、中村憲剛のフリーキックを箕輪義信(川崎出身)がヘッドで決めて、
フロンターレが初優勝。赤いレッズファンを沈黙させる。


■カズ、ゴン、引退

今シーズンを限りに、日本サッカーを引っ張ってきた二人のベテランがスパイクを脱いだ。
J1での活躍が期待されたカズは40歳。シーズン当初は試合に出場したものの、プレーは生彩を欠き、
次第に出番が減っていく。横浜FCもはじめてのJ1で苦戦が続き、1年で降格となってしまう。
シーズン終盤はほとんど試合に出なかったカズは、引退を決意する。
一方、カズと同じ1967年生まれながら学年がひとつ下のゴン中山もケガが多く、
ベストコンディションには程遠いシーズンを送る。
クラブも本人に引退を勧告し、それを受け入れる。
「ドーハの悲劇」を知る選手はJリーグにはもういない。


テキトーかつ勝手な妄想を交えつつ、2007年シーズンはこんな感じでどうでしょう。
いずれにしろ、話題豊富な1年であることを願っています。



◆

いよいよWindowsの新しいOS、「Vista」が明日(1月30日)発売されます。
わたしはパソコン・マニアではないので、特に感想もないのですが、
いずれPCを否応なく買い換えなければならないわけです(「まだXPですか…」なんて誰かに言われて)。
不自由なく使っているのでなんだかうっとうしいなあと。
最近はサッカーのクラブも毎年ユニフォームをモデル・チェンジしていて、
好きな人は毎年レプリカを買っているようですね。クラブ経営としては、
当然そのほうが収益を上げられるわけで。
ただ、古いユニフォームは持っている人にとって大切な価値があり、
それを周囲も認めてくれるでしょうが、古いパソコンはただ古いだけの箱。
デジタルってむなしい。なんておじさんはぼやきつつ、また次回。

Posted: sugano : 2007年01月29日 23:18

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2006年12月11日

オーストラリア戦で、頭まっ白 ~その2~

メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


そんなこんなで、12月になってしまいました。

Jリーグは「浦和レッズ」の優勝で幕を閉じました。そして運命の残留・昇格争い。


今年もドラマチックでした。まさに天国と地獄の分かれ目。スポーツに勝敗はつきものですが、
「それがなくては人生としてつまらないだろう」(“なんちゃってオシム”でした…)。
というわけで、ワールドカップ・ドイツ大会。6月12日の日本対オーストラリア。


いよいよ後半です。

中村俊輔の“おこぼれゴール”で1対0とリードした日本ですが、
後半もオーストラリアの力強い攻撃に日本は守備に追われています。


後半がキックオフされても、わたしは前半の原稿やら編集映像のチェックで、
なかなか試合に集中できません。そのかわり、アシスタント・ディレクターがモニターを見て、
何か動きがあれば、わたしに知らせてくれるのです。


10分には坪井が足をつらせてしまい、茂庭が交代でピッチに。その後も流れがつかめないまま、
オーストラリアが攻め、日本が守る時間が続きます。

しかもオーストラリアはヒディング監督が攻撃的な選手を次々と投入して勝負をかけてきます。

暑さのためか、日本は足が止まってしまい、攻撃どころか、
前線にボールが入らず、ディフェンス・ラインを上げられません。


この間、わたしはいくつかのシーンを選んでいるはずですが、よく覚えていないのです。

そして、後半31分、高原が相手ボールを奪って、ドリブルをしかけます。
すかさずフォローに入る柳沢。相手DFは2枚。2対2の圧倒的に日本が有利な局面。

「いけ、高原、柳沢!!」。

ピンチの連続に悲鳴ばかりだった仮設スタジオが、にわかに盛り上がります。
しかし、高原はシュートを打たず、柳沢にボールを預け、その柳沢のシュートはチョロチョロ。


「あーあぁぁ……なんだよそれ!!(怒)」


絶叫がため息にかわります。それでも、わたしはこのシーンを選択し、編集マンに伝えました。


そして、後半38分、オーストラリアの強烈なフリーキックが日本のゴールを襲います。
しかし、GK川口が見事に反応。
「よし、とにかく1点を守り切れ」。誰かが叫んでいます。わたしはこのシーンも選択。
この時点できっちり12シーンが揃いました。


「川口がピンチをファインセーブで救い、そのままタイムアップ。日本が初戦を見事に飾りました」。
このコメントで締めくくる。わたしの構成は完璧です。


ここまでは。


その直後、絶叫が上がります。そのとき、わたしは原稿を書いていて、
モニターを見ていませんでした。


「やられたあ!!」。


相手のロングスローに川口が飛び出し、こぼれ球を押し込まれて同点です。


わたしの心臓が一気に心拍数を上げます。ひとつのシーンを削って、
この失点のシーンを入れなければなりません。


どのシーンを削るべきか……この時点で、わたしはまだ冷静でした。


しかし。

後半43分、福西がフリーでミドルシュート。
しかし、惜しくもゴールの枠を外れます。このシーンも入れなければなりません。


後半44分、またも絶叫。

こぼれ球をひろったケイヒルのシュートがポストに当たって日本のゴールに吸い込まれてしまいます。


なんと痛恨の逆転。このシーンも入れなければならない。
これらのシーンをわたしはリアルタイムで見ていないのです。

編集済みのシーンを確認したり、メモを書いたりで、
モニターを見ている場合ではありません。


さらにロスタイム、今度はアロイージがドリブルで切り込んで、シュート。


なんとこれも決まってしまいます。


現場は大混乱。

絶叫とため息が入り交じった大騒ぎ。

同点からわずか7~8分のできごとです。


わたしは「同点のまま試合終了」というところまではシナリオを想定することはできましたが、
その後の展開には頭がついていきません。
さらに日本が負けたというショックが加わり、ただ自問するばかり。


「どうする?」


そしてタイムアップ。

日本は1対3でオーストラリアとの初戦に逆転負け。


仮設スタジオに集まった20数人が大きなため息をつきます。
しかし、仕事はこれからです。


呆然と立ちつくすわたしにプロデューサーT氏が声をかけます。


「菅野さん、どうする。どのシーンでいく?」

「………」

わたしの頭はまっ白でした。
人間の頭の中は、思考が停止すると本当にまっ白になるのです。

今この瞬間に、削るシーンと残すシーンを決めなければなりません。
それはわかっています。しかし、頭の中は純白のシーツが広がっているのです。
PCで言えば突然のハングアップ。クリックしようがキーボードを叩こうが、何も動かない。

頭がまっ白になるという経験は皆さんもあると思います。

定番は失恋ですよね。
「もう終わりにしましょう」「ごめんなさい、お気持ちはうれしいけど…」。


自慢ではありませんが、こんな経験は豊富です。
さらに、さまざまな人生経験を積み、よくも悪くも動じないおっさんであるはずのわたしが、
思考停止で頭がまっ白ではシャレになりません。ところが、現実はまっ白なのです。


「菅野さん、どうするの?!」。


T氏がさらに呼びかけます。
スタッフ全員の視線がわたしに集中します。わたしが決めなければ、作業ができないのです。

「……あの、その、えーと…◎※〆†♭‡@♀♂∬∵≒∞」


手もとのメモを見て、必死に頭を回転させようとしますが、どうにもなりません。

人生最大のピンチ。わたしは生まれてはじめて「逃げ出したい」という思いにかられました。


どのくらい時間がたったでしょう。おそらく10数秒に違いありませんが、
わたしには永遠とも思える時間がすぎ、そこからやっと頭が少しずつ動きはじめました。


「菅野さん!!」


T氏はいらだっています。できない、では済まされないのですから、当然です。


「えー……○番と○番と○番、それから○番をカットして、13播、14番、15番と16番でお願いします」。

わたしはなんとかシーンを選択しました。

編集するシーンはすべて通し番号で管理するのですが、すでに編集済みのシーンを4つ削り
(柳沢のチョロシュートはカット)、新たに試合終了間際の4つのシーンを加えました。


さあ、ここからがまた、たいへん。編集マンはあわてて指定されたシーンの追加編集。

アシスタント・ディレクターはシーン毎の時間や選手の確認に集中し、
わたしはナレーション原稿を速攻で仕上げる作業に没頭します。
ロスタイムが長く、全体の時間が押しています。
次の試合の準備がはじまる30分後には、すべての作業を終えなければなりません。

「チェック、お願いします」。

編集マンから声がかかりました。

「うわっ」。

ここでわたしはまたも絶句してしまうのです。

後半43分の福西の惜しいシュートのシーンを選んだはずなのに、
なぜか40分に駒野が相手ゴール前で倒されてコーナーキックとなるシーンになっていたのです。


どこかで伝達ミスがあった。またもや心拍数が上がり、頭がまっ白になりつつ、
わたしの頭はなんとか回転を続けています。もう時間がありません。


今さらシーンを入れ替えるなんて絶対、無理。あり得ない。

後で
「あの福西のシュートはなぜ入れなかったの」

と誰かに言われるかもしれませんが、知ったことではありません(もう開き直っています)。


わたしは平静を装い、簡潔に「OKです」と言って、編集は完了です。
このことは秘密にしよう。一生、自分だけの胸にしまっておこうと誓いました。

さっそく原稿を直し、チェックもそこそこにナレーションの収録。
すでに次の試合、アメリカ対チェコを担当するディレクターがスタンバイしています。
時間ぎりぎり、なんとかすべての作業を終えることができました。


人生最大のピンチを切り抜けた、という安堵感や達成感なんてものはありません。
この時点でわたしの頭の中は
「福西、駒野、福西、駒野………日本負け、日本負け……」とリフレインが続いています。
時刻は夜中の1時。他のスタッフはアメリカ対チェコの作業に移っています。


頭がまっ白になったという事実に、わたしは大きなショックを受けていました。

なぜ、あんな状態になったのか、自分自身が信じられない。
しかし、うじうじばかりもしていられません。この日のシフトは2試合担当。
3時間後、早朝4時キックオフのイタリア対ガーナの試合をやらなければならないのです。
少しでも体と頭を休めたいのに、ショックでそれどころではない自分がさらに情けなくなります。


差し入れのユンケルをぐいっとあおり、さらにブラックコーヒーを3杯飲んで、
なんとか次の試合に向けて気持ちを切り替えました。
イタリアが2-0でガーナを下し、作業を終えた朝7時すぎ、わたしは本当の抜け殻になった気分でした。


で、話はまだ続きます。

それから2~3日たったころでしょうか。「頭まっ白&福西・駒野ショック」を引きずっていたわたしは、ある記事をWebで見つけて目を丸くしました。


日本対オーストラリアの試合の笛を吹いた主審が
「駒野が倒された場面は明らかにファールで、PKにすべきだった。わたしのミスだ」

というコメントを出したのです。なんと、意図に反して残したシーンが大きな話題となっていたのです。
まさにそれを誰もがWebサイトで何度も見ることができる。
結果的に福西のシュートよりも価値のあるシーンを残すことになったとは、
不幸中の幸いというか、けがの功名というのか、
サッカーの神様のいたずらか(だから、こうして書いているわけですが)。


さて、わたしは続く日本の試合、対クロアチア戦も担当しました。

選手入場の時、キャプテン宮本の落ちくぼんだ眼とほおを見た瞬間のいやな予感。

さらに、あのじりじりとしたスコアレス・ドローには、胃が痛みました。
そして、日本対ブラジル戦も当初のシフトではわたしの担当だったのですが、
若いディレクターにお願いして代わってもらいました(M君ありがとう)。


わたしの肉体と精神は度重なる激闘に耐えられるほどタフではありません。
全スタッフの中で、わたしは(推定)最年長なのですから。ぬははは。



◆


先日、「アディダスvsプーマ もうひとつの代理戦争」(バーバラ・スミット著)という本を読みました。

アディダスとプーマはもともとドイツのダスラー家の兄弟から発祥したというのは有名な話で、
この本には現在までの歴史が書かれています。
興味深いエピソードがたくさんつまっているのですが、わたしにとっておもしろかったのが、
ヨハン・クライフはアディダスのスパイクが気に入っていたという事実。

1974年、西ドイツでのワールドカップで準優勝したオランダ代表は
アディダスと契約していたのに、クライフは個人的にプーマと契約していたため、
クライフのユニフォームだけが3本線ではなく2本線だったことは有名です。

ですから、クライフは根っからのプーマ派だと思っていたのですが、
実はそれはあくまでも契約上のこと。プーマのスパイクが足にしっくりこないクライフはある時、
真っ黒のアディダスを試合で履いて、プーマに見破られてしまったそうです。

プロであるから、当然、道具には妥協できません。一方で、プロであるから、
契約に縛られてしまうこともあるわけです。そんな裏話を知ると、またまた選手の足元を凝視して、
いろいろと想像をふくらませてしまう、“スパイク・フェチ”のわたしなのでした。

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posted by sugano |14:21 | sugano | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年11月25日

オーストラリア戦で、頭まっ白 ~その1~

「メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


いつの間にかもうすぐ12月。街でジングルベルが鳴り始めると、
うれしいような、焦るような、子供のころのように単純にうれしくないのが悔しいというか。


で、誰もが1年をふり返る季節になったわけですが、わたしにとって今年一番の出来事は
ワールドカップ・ドイツ大会。4年に1度のサッカーの祭典ですからサッカーファンにとっては
当然のことですが、わたしは仕事でワールドカップに“参戦”していたのです。


そこで直面した人生最大のピーンチ!!!

「頭まっ白事件」をわたしは一生、忘れることはないでしょう。



今回のワールドカップ・ドイツ大会をインターネットの「ダイジェスト速報」
で楽しんだ方は多いのではないでしょうか。


niftyやMSNなどが特別サイトを開設してストリーミング配信していましたし、
携帯電話にも配信され、ダウンロードして見ることができました。
ベッカムのフリーキック、ジダンの頭突きが試合終了後1~2時間くらいすれば
Webで何度も見られるのですから、すごい時代になったものです。


実はわたしはその制作現場で、スタッフの一員としてリアルタイムに
そのダイジェストをつくっていたのです。


蒸し暑い6月。


都内某所、とあるビルの一室。ところ狭しと並べられた編集機や各種モニター、MA機器、
さらに編集した映像データをWebや携帯向けに各種の圧縮形式にエンコード
変換)するパソコンなど、さまざまな機材の数々。そこに、男たちが夜な夜な集合します。


「速報」ですから、すべてはドイツ時間でスケジュールが組み立てられます。

日付が変わるころ、キックオフと同時に編集作業がスタート。

しかし、さまざまな条件があり、作業はそれほど簡単ではありません。

使える映像はFIFAとの契約上、1シーン最長20秒で、12シーンと規定(合計4分)。

しかも試合終了後30分くらいで12シーンの編集を終えてナレーション原稿を完成させ、
さらにナレーションを収録しなければならないのです。


試合の進行と並行してダイジェスト・シーンを選び、シーン毎に映像を編集し、
原稿を書かなければとても間に合いません。


試合終了と同時に12シーンできっちり収まればよいのですが、
何が起こるかわからないのがサッカー。


チャンスが多く、ゴールがたくさん決まる試合もあれば、まったく何も起こらない試合もある。
12シーンを効率よく、的確に選ばなければならないのです。


わたしはこのプロジェクトの「ディレクター」、
つまり12のダイジェスト・シーンを選び、編集の指示を出し、
ナレーション原稿を書く、という役割で参加しました。


どのシーンを選ぶかは、わたしがすべての責任を負うのです。
「速報」は別のテレビ番組で経験がありましたから、だいたいの様子はわかっているつもり。


もちろん、
「時間がなくてできません」 ということが許されないことも。


ワールドカップは6月9日から7月9日まで、全64試合。

ディレクターはわたしを含め3人が交代で努めました。

徹夜で、しかも時間に追われまくりつつ、きっちりとしたダイジェスト映像を
一発勝負でつくるという結果がすべて。体力勝負の面もあります。
気分はドイツで戦う日本代表と一緒。


「気持ちだよ、気持ち」。


わたしのシフト初日は開幕2日目、6月10日のトリニダード・トバゴ対スウェーデン。


キックオフは日本時間で夜中の1時。初出場のトリニダード・トバゴに対して
北欧の雄スウェーデンが攻め込みますが、ゴールが決まりません。


期待のイブラヒモビッチの調子も今いち。

わたしは決まらないシュートにいらいらしながらも、12シーンの構成を考えつつ、
ひたすら試合に集中し、原稿を書きました。


結局、試合はスコアレス。

それでもなんとか制限時間内にすべての作業を終えることができました。

プロデューサー、映像を組み合わせる編集マン、選手名や試合進行状況などを確認する
アシスタント・ディレクター、データ変換をするエンコード・チーム。


さらにさまざまな役割を担った15人ほどが試合展開に一喜一憂しながら進める徹夜作業。
まだまだ慣れない面があり、手探りの初日でした。


2日目は、6月11日。

セルビア・モンテネグロ対オランダ、アンゴラ対ポルトガルの2試合を担当。

担当する試合の間には1試合分(3時間)空いているものの、さすが2試合を集中するとぐったり疲れます。
すべての作業を終えたのは朝の8時。疲労と緊張感の名残りと眠気から、
全身がジーンとしびれているようでした。


そして、いよいよ運命の6月12日。

日本代表の初戦、オーストリラとの試合。

担当ディレクターはわたしです。

「初戦が大事だ」というジーコ監督の発言やらメディアの過熱で、日本中はもちろん、
集まったスタッフもテンションが上がっています。さらに、日本時間で夜10時のキックオフということもあり、
関係する企業各社から作業風景を見学しようと、いつもより多くの人が集まっています。


わたしは日本代表の試合はひとりのサッカーファンとして、
誰にも邪魔されずテレビ画面に集中して見るのが習慣でした。

もちろん、ピンチやチャンスでは大声を出して。


しかし、今回は仕事です。冷静に客観的に試合の流れを見て、
12シーンを選ばなくてはなりません。今までとは違う緊張感が高まります。

「キックオフです。よろしくお願いします」。
スタッフ全員に声をかけ、いよいよ試合開始。

最初のシーンは、選手入場からキックオフまで。
日本代表が君が代を歌うアップから、ジーコ監督のアップ。もちろん、
ヒディング監督とオーストラリアの選手の映像も入れます。画面から気温が高いことが伝わってきます。

次にわたしが選んだシーンは、前半6分。オーストラリアのエースストライカー、
ビドゥカが左足で放った強烈なシュート。これをGK川口が懸命にセーブ。


「うわ、やべい!」。大声を出した次の瞬間、
「このシーン、もらった!!」とさらに大声。


編集マンはわたしの合図とともに、このシーンの編集を始めます。

オーストラリアのDFラインがロングボールを前線へ。
そのボールを受けたビドゥカが、マークしていた坪井を振りきりシュート。


川口がはじいたボールをさらにシュート。

またも川口がセーブ。

この一連の映像にスローモーションの映像をつなぎ、20秒でまとめるのです。

その間も試合は続いています。わたしは選んだシーンのナレーションを考え、
原稿用紙に書きつつ、試合を映すモニターをちらっ、ちらっと眺めます。

前半22分、高原がDFをかわして右足のシュート。


さらに25分にはビドゥカのポストプレーから、
ブレシアーノが放ったシュートを川口が左手一本でセーブ。


このシーンももらいました。


そして26分、右サイド、ボールをキープした中村俊輔が左足でゴール前へクロス。
このボールがそのままゴールに吸い込まれてしまいます。


主審は大きな笛を吹いて、センターサークルを指しました。


「やった、来た!!、俊輔!!」。


スタッフ全員が絶叫を上げ、一気に部屋の熱気が高まります。

それでも編集マンの手は止まりません。

このゴール・シーンは、mustです。わたしの声を聞くまでもなく、編集作業が始まっています。


わたしは興奮する自分をなだめ、画面と原稿用紙に集中しています。
喜んでいる場合ではありません。

仕事ですから。


先制しても、試合の流れをつかみきれない日本。

その後はオーストラリアの力強い攻撃に受け身になってしまいます。そんなシーンばかりをわたしは選ばざるをえませんでした。

そして1-0のまま前半終了。ハーフタイムです。

強い日ざしが選手たちを容赦なく消耗させているようです。

主審の長いホイッスルを聞いて、ほっと一息。しかし、ハーフタイムに休めるのは選手だけ。

わたしたちは前半にピックアップしたシーンを改めて見直し、
ボールにからんだ選手や時間などを再確認しなければなりません。
「そのパス出したの誰、時間は? ちゃんと確認しろよ」。
異様な興奮状態にはいったスタッフたち。

まだ慣れていないこともあり、いろいろ手間取るのです。そんな喧噪のなかで、
わたしは必死に原稿書きです。さらに、編集を終えた映像はわたしがすべて確認しなければなりません。
それもディレクターの仕事です。
「起点になるパスを1本分、多く入れてください。あとの尺(時間の長さ)の調整はおまかせします」
などと指示して、また原稿用紙に向かいます。

後半のキックオフがどんどん近づいて来ます。

この興奮と喧噪はまだまだ序の口でした。ご存じのように、後半、
まさかの逆転劇。そしてわたしは人生最大のピンチを迎えるのです。



そのお話は、次回に。


◆


ところで、11月15日に日本代表の今年最後の試合が行われました。

サウジアラビアを相手に3対1の勝利。何度かスピーディーな展開からすばらしい攻撃を見せてくれました。


「短いパスを何本かつないだら、大きなパスを送る」。
わたしたちが中学生時代に教わった基本は、今も変わりませんね。

日本代表のサイドチェンジの長いパスが効いていました。さらに
「ボールをもった仲間を一人にするな、必ず助けにいってやれ」なんてことも教わりました。
この日の日本代表は両サイドでのサポートが速く、サウジをあわてさせていましたし。


「この前の試合より日本の出来は悪かった」。
試合後の記者会見でオシム監督はニヤニヤしながら言ったそうです。
実際はかなり手応えを感じているようなことが新聞に書いてありました。
まったく食えないジイサマです。

ただ、ひょうひょうとしていても、オシム監督自身、
年齢から言えば監督としては最後のチャレンジかもしれませんし、
世界で実績のある指導者が日本の代表監督を引き受けたのですから、
それなりの覚悟があり、また日本のサッカーには可能性あるということでしょう。
来年、どのような戦いをするか、楽しみです。


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2006年11月09日

激闘の秋、ジョホールバルに歓喜する。 ~その3~

「メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


いつの間にか秋はずんずん深まり、Jリーグの優勝争いはいよいよ佳境に入ってきました。

レッズがそのまま優勝というゴールに飛び込むのか、ガンバ、フロンターレが巻き返すのか。

わたしは川崎育ちの川崎在住ですので、当然フロンターレを応援しています。
しかも、日本代表の経験もあるDFの箕輪義信選手は、中学のサッカー部の後輩。
箕輪選手と特別な接点があるわけではありませんが、心情的には応援してしまうわけです。
その中学は特にサッカーが盛んではなかったのですが、最近なかなか強くなったと聞いています。
熱心な顧問の先生が赴任し、地元の少年チームが活発に活動して底あげをしているから。
その少年チームを支えているのがわたしの同窓生や先輩・後輩たち。
日本のサッカーは、全国各地でそんな人間関係によって支えられているのです。



で、やっと「ジョホールバル」です。


前回までの2回で日本代表が最終予選のグループBを2位で終えたことを書いてきました。

紆余曲折、ジェットコースターに乗ったようなハラハラドキドキを経て、やっとプレーオフ進出。

ドーハから4年、改めて日本はワールドカップへの扉を開ける一歩手前まで来ることができたのです。

ただ、マスコミは最終予選を通じて絶望的崩壊論調で悲観的な日本国民を不安のどん底に落としました。
客観的な勝ち点による可能性よりも、試合に負けたり引き分けた瞬間の感情を全面に出して
報道するわけですから、そりゃ、「絶望」や「崩壊」になってしまうわけです。
アジア予選は少なくともグループの2位に入ってプレーオフで勝てばいいし、たとえ負けても、
次は大陸間のプレーオフ(相手はオセアニア)が待っているのです。まずはグループ2位に入る。
この指針さえぶれなければ、それほど大騒ぎする必要はない。


わたしは、そう自分に言い聞かせることで、比較的落ち着いて最終予選の推移を見守っていました。

これこそが、ドーハでの学習効果です。

ただ、プレーオフの相手がイランと聞いた時には、さすがにビビりました。
イランといえば、アリ・ダエイ。

見るから怖そうなストライカーは抜群の決定力を誇ります。それから、鋭いドリブルのアジジ。
一筋縄ではいかない、ひとクセもふたクセもあるチームです。


それにしても、わたしは試合の前、なぜか相手が強そうに見えてしまうのです。

中学生のころも、いい歳をした大人になっても。試合前に相手がアップしているのを見ると、
テクニックがあって、パワーがあって、いかにも強そう。

試合前に整列すると、「うわっ、やっぱ強そうだよ」なんて。


入学試験もそうですね。受験生が全員、自分よりも勉強ができそうに見える。

プロの選手はどうでしょう。
Jリーグは、もうバレバレなのでそんなに緊張することはないでしょうが、日本代表の国際試合はやはり、
「やべえよ、ガタイでかくて、強そう」なんて思うのでしょうか。

そんなわけないですよね、日本代表なんだから。

またまた脱線してしまいました。話をもとにもどして。

そして迎えた97年11月16日。

季節はまさに今ごろ。場所は中立国のマレーシア、ジョホールバル。

大勢の日本のサポーターが駆けつけました。もちろん、わたしも集中してテレビの前に座り、手を合わせました。
「ワールドカップ、ワールドカップ……」とつぶやきつつ。

異常な緊張感のなかで進む試合。日本は前半39分、中田英寿氏のスルーパスに
反応したゴン中山のゴールで先制し、前半を1-0とリードして折り返します。


後半はイランが反撃。開始25秒でアジジにこぼれ球を押し込まれ同点。

さらに14分にはアリ・ダエイに決められ、1-2と逆転されてしまいます。


心臓のどきどきが止まりません。

心拍数はすでに140超(たぶん)。

11月の夜だというのに、全身が汗ばんでいます。

後半18分、岡田武史監督がメガネをぎらつかせながら動きます。
カズとゴン中山のツートップを同時に交代。


「カズ、おまえだよ、おまえ。時間がないんだよ、早くピッチから出てくれ」。


代わって入ったのは城彰二と呂比須ワグナー。

この交代から、再び流れをつかんだ日本。後半31分、中田英寿氏がゴール前へ渾身のクロス。そのボールを城が起死回生のヘディングで叩き込み、2-2の同点に追いつきます。

「来た、きたー、キター!!!!」。


わたしはいつの間にかTシャツ1枚になっていました。試合は前後半では決着がつかず、延長に入ります。


延長に入る前、テレビ画面に映るふたつのシーンにわたしは目を奪われました。


ひとつは、ベンチに帰った選手やスタッフの輪からひとり離れ、腕を組んで
じっと地面を見つめて考えている岡田監督の姿。3人目の選手交代として野人
こと岡野雅行を延長開始から投入して勝負に出るべきか否か。
もし負傷者が出た場合は、もうカードは残らない。逡巡する岡田監督。
結論は、リスクを負っての岡野投入でした。


もうひとつのシーンは、延長のキックオフ直前に選手・スタッフが組んだ大きな円陣。

「おら、全員で気合いだぁ!!」。

まるで高校生チームの試合前の光景です。全選手、全スタックが肩を組んで気合いを入れようとする瞬間、
そこにダッシュで加わる女性がひとり。チーム唯一の女性スタッフである栄養アドバイザーの浦上千晶さんです。

浦上さんは明治製菓の「ザバス」に所属し、96年から日本代表チームに帯同して選手の栄養指導や
食事のメニューづくりなどを通じて一緒に戦っていたのです。

もちろん、フランスの本大会でもスタッフとして参加しました。
実はその後、わたしは自分が企画したサッカー指導者講習会の講師を
浦上さんに依頼することになるのですが、そのお話はまだ別の機会に譲りましょう。

大きな円陣で気合いを注入した日本代表。

いよいよ延長戦のキックオフです。

この試合はVコール方式ですから、ゴールが決まれば、それで試合終了。
当時のJリーグと同じですから、日本の選手は戦い慣れていたかもしれません。

岡田監督がぎりぎりまで迷って投入した岡野の大暴れ。
しかし、決められない。チャンスを逃すたびに大きくのけぞる中田英寿氏。
誰もが、テレビの前でのけぞっていたに違いありません。
もちろん、わたしもベッケンバウワー、じゃなくてイナバウワー状態(ちょい古っ)。

「決めろよ、決めて下さい、岡野」。

延長はいよいよ後半に入ります。イランはGKが名演技で露骨に時間をかせぎつつ、
カウンターを炸裂させます。12分、右サイドからの鋭いクロスの先には、アリ・ダエイ。


「あぁーやられたぁ!!!」

しかし、そのシュートはわずかに日本のゴールを外れます。

その1分後、クライマックスがやってきます。ここからはもう説明の必要はないでしょう。


岡野のVゴール。スライディングでシュートを放った後、副審をちらっと確認(妙に冷静)してから、
日本のベンチへ駆け出す野人。すでに岡田監督はベンチからダッシュしていました。

「やったぁー、やったぁー」。


テレビの解説をしていた清水秀彦氏(元ベガルタ仙台監督)は、
解説者であることを放棄し、素のまんまで大喜び。

フジテレビの平均視聴率47.9%でした。

わたしはといえば、ゴールの瞬間にガッツ・ポーズ。


その後は、体の力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまいました。

そして「ワールドカップ、ワールドカップ……」と、いつまでもつぶやき続けたのです。


試合後のインタビューで中田英寿氏が「Jリーグもよろしく」と
コメントしたとのことですが、あまりよく覚えていません。


1997年11月16日。


1次予選から数えて15試合目。日本サッカー界が10度目の挑戦でつかみとった、
初めてのワールドカップ本大会への切符でした。



◆


さて、今年、2006年。


大きな期待をもって臨んだドイツ・ワールドカップは、大きな失望を味わいました。1分け2敗で、勝ち点1。

でも、この結果はそれほどひどいものでしょうか。


Jリーグがスタートした1993年のドーハで初めてワールドカップ出場を土壇場で逃し、
97年のプレーオフに勝ってワールドカップに初出場した98年フランス大会は3戦全敗。
自国開催の2002年日韓大会はベスト16へ躍進。ただ、2002年をイレギュラーとすれば、どうでしょう。


ドイツ大会はアジア予選を勝ち上がって2回目の本大会出場。98年が勝ち点ゼロですから、
ドイツで勝ち点1を取ったということは、確実に日本が進歩している証拠だと思うのです。


2002年に4位となった韓国は、フランス大会までワールドカップに
4大会連続5回出場していながら1勝もできず、初勝利はその2002年。
いくら日本でプロリーグが定着したといっても、たかが10数年の歴史しかありません。

2002年はあのオランダがヨーロッパ予選で敗退し、本大会に進めませんでした。
今年のドイツ大会には、ベルギーもルーマニアもブルガリアもウルグアイも
カメルーンもナイジェリアも予選で敗退しているのです。

ワールドカップは、それだけ厳しいものだということをサッカーファンは
もう一度認識する必要があるのかもしれません。

日本のサッカーは一歩一歩、階段を上っています。

まだまだ伸びる余地があり、少しずつ強いチームを食ってやろうと思えば、
楽しみではありませんか。


秋の夜長、9年前のジョホールバルでの歓喜を思い出しつつ、
わたしにそんなことを感じるのです。

Posted: sugano : 2006年11月09日 15:21

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2006年10月24日

激闘の秋、ジョホールバルに歓喜する。 ~その2~

「メタフットボール」こと、菅野芳伸です。


10月11日の日本代表とインドとの対戦。

すでに出場が決まっているアジアカップの予選だったわけですが、3-0で勝利。

いろいろチャレンジするオシム監督は、この試合も中村憲剛を初先発させ(遠藤の発熱はあったものの)、
DFの水本が負傷して後半からは3バックに鈴木啓太をポジションチェンジ。
DF全員が本来はMFの選手にしてしまいました。


DFの投入を考えなかったのかと問われ
「それではサッカーとして面白くないだろう」
と一言。

ピッチがデコボコだったり、照明が消えたり、犬が走ったり。いろいろなことが起こった試合でした。
改めてアジアのアウエーは環境面で厳しいことを改めて知らされました。


で、「ジョホールバル」です。

前回はまだ最終予選の途中でした。97年11月16日の「ジョホールバル」は
予選グループ2位同士のプレーオフですから、その前に最終予選のドタバタをふり返らなければなりません。
やはりアウエーで苦しむのです。

日本代表は、フランス・ワールドカップのアジア最終予選で、
ウズベキスタン、カザフスタン、UAE、韓国と同じBグループになります。
ホーム&アウエーで対戦し、グループ1位はフランスへ。2位はプレーオフへ回ります。

最初の試合は97年9月7日、ホームでのウズベキスタイン戦。満員の国立で、
カズと城のツートップがキックオフ前にボールに祈りを捧げたシーンを覚えている人も多いでしょう。
この試合を6-3という大味なスコアで勝った日本は、続いて9月19日にUAEとのアウエーに臨み、
灼熱のなかでスコアレス・ドロー。
テレビ画面からもその暑さが伝わってきました。

9月28日の韓国戦はホーム。山口素弘のループシュートで先制したものの、
残り6分で逆転を許してしまいます。
試合の1週間前からサポーターが国立競技場の前にテントを張るなど、日本中の注目を集めた決戦。
それだけにショックな敗戦でした。
ライバル韓国にホームで負けてしまったことに日本中がパニックに襲われたのです。
フランスへ行かなければ、日本は2002年の日韓大会が初出場となる。
これまでの歴史でワールドカップに出場していない国が開催国となることはありませんでした。


プレッシャーを抱えた日本代表は10月4日のアウエー戦のため、
カザフスタンの首都、アルマトイへと向かうのです。


この頃、わたしはサッカー指導者の講習会に参加していました。

2年前に草サッカー界に再デビューを果たして改めてサッカーの魅力にとりつかれてしまい、
もっとサッカーを知りたいと、コーチになる当てもないのに
「横浜市立大学リカレント講座 少年サッカー指導者セミナー」に申し込んだのです。

当時、日本サッカー協会では指導者育成のためのシステムの整備を進めていました。
わたしが受けた講座は、現在の「公認D級コーチ(旧 少年・少女サッカー指導員)」の原形となるもので、
この年からサッカー指導者の質・量の確保を目的に、小学生世代の指導者ライセンスをつくろうとしていたのです。

3日間の講習にはテスト的な意味合いもあり、充実した講師陣が揃っていしまた。
その中心が、現在のサッカー協会・専務理事の田嶋幸三さん。
ジーコ監督時代の「技術委員長」と紹介した方がわかりやすいかもしれません。
わたしより少し年上ですが、日本代表選手としても活躍し、ドイツでコーチ学を学び、
当時は日本サッカー協会指導員・筑波大学客員助教授を務めていて、
コーチ育成システムの構築に自ら取り組んでいたのです。
我々の世代にとってあこがれのプレーヤーが直接指導してくれるのですから、期待を胸に講習に通いました。


そして講座の2・3日目が10月4日(土)・5日(日)。まさしくカザフスタン戦とかぶっていたのです。

10月4日、朝10時から夕方6時までみっちりと実技を含む講習を受けたわたしは、
疲れた体で自宅のテレビの前に座ります。キックオフは日本の夜11時頃だったでしょうか。


今日こそはすっきり勝ってくれ。


前半23分、名波のコーナーキックを秋田がヘッドで合わせ先制。

しかし試合終了間際、同点ゴールをけり込まれ、勝ち点3を逃がしてしまいます。

やはりピッチではデコボコでした。

なんたる失態。

ドーハでいったい何を学んだんだよ、日本代表。

この夜、加茂監督は更迭され、岡田武史コーチの監督就任が決定されました。

翌5日、日曜日の朝、講習に集まる受講生約30名は、みな一様に暗い雰囲気です。
スポーツ新聞の一面は「ワールドカップ絶望」「日本代表崩壊」と大きな見出し。

「やばいよね」。


誰とはなしにそんな会話が始まります。
そこに田嶋幸三講師がこれまた暗い雰囲気で教室に登場。

「みなさん、おはようございます。昨夜はとても残念な結果でした。
でも、まだ予選は始まったばかりです。暗くなる必要はありません。まだまだこれからです」

と、少しも明るくない表情で語り始めるのでした。

ただし、だからといって講習の内容が暗くなるわけではありません。すばらしい講習をしていただきました。

特に「ゲームフリーズ」。

これは、ゲーム形式の練習の途中でゲームを止めて、指導すべきポイントを
選手に伝える指導手法なのですが、そのタイミングと内容が見事なのです
(当たり前といえば当たり前です)。受講者が5対5のゲームをして田嶋氏が指導の模範を見せるのですが、
ある瞬間に笛を吹いてゲームを止め、指導を始めます。


「今のボールの位置で、あなたのパスコースはいくつ見えますか。ひとつだけですね。
それをふたつにできるようにするには、味方はどのようなポジションに移ればよいですか」

なんてことを言ってから、
またゲームを再開するのですが、すると見事にパスがスイスイつながりはじめます。


まるで魔法を見ているみたい。


指導者のレベル向上は競技力向上に欠かせません。
日本のサッカー界がそれを全国的に展開しようというなかで、日本代表は中央アジアで戦っていたのです。

岡田武史監督となった日本代表は、カザフスタンからそのまま移動し、10月11日、
ウズベキスタンの首都タシケントでの第4戦に臨みます(ピッチ、デコボコ)。
そしてこの試合もまたもや1対1のドロー(ただ、これは試合終了間際に呂比須が決めて追いついた試合)。
もはやプレーオフに進出できるグループ2位すら危うい状態に、日本中が代表チームへのパッシングを始めます。

そして10月26日、UAEのホームでの試合にまたも引き分けると、サポーターの怒りと絶望は頂点に達し、
試合後に国立の外でカズを取り囲むという騒ぎも起きました。

追いつめられた日本。

そして迎えて11月1日。韓国とのアウエーでの戦い。

韓国はすでにグループ1位でフランス行きを決めています。
日本は負ければ、本当にワールドカップへの道が閉ざされてしまう。しかし、日本代表は蘇ります。
名波、呂比須のゴールで2対0。
アウエーで13年ぶりの勝利でした(チャムシル競技場はグッド・コンディション)。
さらに翌日にはUAEとウズベキスタンが引き分けてしまい、日本は最終戦に勝てば、
プレーオフ進出が決まるという願ってもない状況となったのです。


そしてカザフスタンを国立で5対1と撃破。


日本代表は、苦しんで苦しんで、やっとの思いでプレーオフ進出を果たしたのでした。
相手は、グループAの2位、恐怖のFWアリ・ダエイを擁する、強豪イランです。

さて、3日間の講習を終え、簡単なテストに合格して、わたしは公認ライセンスを得ることができました。
一応、小学生を教える資格が得られたわけですが、残念ながらその資格を生かすべく、
コーチをする機会はまだありません。
ただ、その時に得られたさまざまな基礎的な知識はいろいろな意味で役に立っていますし、
サッカーを見たり楽しむ上での貴重な財産になっています。

そして、講座には真剣にサッカーを教えたいと勉強する人々がいたことを忘れることができません。
子供たちにちゃんとコーチしなければと、往復4時間以上もかけて
通い続けたサッカー経験のないお父さんたち。

「塾に行かされるように親に言われて、いやいやサッカーをやっている
子供に、サッカーの楽しさを伝えるにはどうしたらよいのか」

と悩んでいた女性コーチ。

いろいろな人がいました。みなさん、きっと今でも週末はグラウンドで
真っ黒になってコーチを続けているに違いありません。
わたしはテレビや新聞などで田嶋幸三氏を見かける度に、
あの講習と苦しみ続けたワールドカップ予選のことを思い出すのです。

現在、「公認D級コーチ」は週末の2日間で取得することができます。

わたしが受けた受講内容より簡略化されていますが(わたしはラッキーでした)、
興味のある方はサッカー協会のWebサイトで調べてみてはいかがでしょうか。

2回で終わらせようとした「ジョホールバル」でしたが、
あの歓喜の瞬間は延長戦(第3回)で語りたいと思います。


◆


で、先日の10月11日のインド戦です。

それにしても、日本の選手はボール・コントロールに苦しんでいました。
プロの選手がワンタッチでボールが止まらないのですから、
かなりひどいピッチ・コンディションだったのでしょう(これは皮肉です)。


それから、今回の遠征でのオシム語録のランキング1位は「ポリバレント」。
いろんなポジションが的確にこなせることを意味するのでしょうが、
草サッカー・プレーヤーにとっては何を今さらって感じっすね。
なんせキックオフされてからポジションを決めるというスーパー・アバウトな(楽しい)
草チームでプレーしていたわたしにとって、ポリバレントなんてのは当たり前。

初めて一緒にプレーする「ゲスト参加」も日常茶飯事。その時その時に応じて、
どのポジションでもこなさなければならないのです。
メンバーが寝坊をすれば、8人でも闘うのです。なにも驚くことではありません。

それにしても、“ドン”オシムは、走れとか、考えろとか、チャレンジしろとか、
リスクを冒せとか、ポリバレントとかとか、いろいろ言うわけです。
ただ、改めて考えればサッカー・プレーヤーにとって当たり前のことばかり。
当然、選手だってわかっているでしょう。プロなんだから。

ということは、当たり前のことをことさら大げさに記事にしているマスコミの話題づくりばかりを追った
報道というか、右習え的な姿勢が、なにやら事態をややこしくしているようにも感じます。
もちろん、サッカーに詳しくない読者や聴取者の方がたくさんいるので、何かわかりやすいテーマ(話題)
があればこぞってそれに飛びついてニュースにまとめてしまいたい気持ちもよくわかります。

でも、それだけでいいのかなぁ。
なあんてことを考えつつ、11月15日サウジアラビア戦(札幌ドーム)に期待いたしましょう。

Posted: sugano : 2006年10月24日 17:15

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2006年09月25日

激闘の秋、ドーハに泣く。

『メタフットボール』こと、菅野芳伸です。


秋の気配が色濃くなり、いよいよJリーグの優勝争いが白熱してきました。

優勝争い以上に盛り上がる残留争いも、毎年すごいドラマばかり。
気温と湿度が下がるにつれて選手のコンディションは上がり、毎週、各地で激闘が繰り広げられています。


で、「」、「激闘」とくれば、
中年サッカーファンは瞬時に「ドーハ」、「ジョホールバル」へと連想を広げるのが鉄板。


前回に引き続き、今回もおじさんの昔話におつきあいください。

まずは「ドーハ」から。「ドーハの悲劇」という言葉は、多くの人が知っていると思います。
1993年(平成5年)10月28日、カタールのドーハで日本代表がイラクを相手に
ロスタイムに同点ゴールを決められてしまい、94年のアメリカ・ワールドカップの
出場を逃してしまいました。あと1分守りきれば、悲願のワールドカップ出場が決まる。
サッカーは、試合終了のホイッスルが鳴るまでわかりません。
日本中のサッカーファンがテレビの前で泣き崩れた、伝説の試合です。


前回、1985年10月26日のメキシコのワールドカップ予選の韓国戦について書きました。

それから8年、日本のサッカーを取り巻く環境は激変していました。
この年、93年5月15日、マリノス対ヴェルディの対戦から、Jリーグがスタートしたのです
(実質的には前年の秋、ナビスコカップで当時のJリーグ10チームが公式戦を戦っています)。
突然訪れた、Jリーグ・ブーム。日本中がサッカーに熱中します。
その勢いはヨン様か、ハンカチ王子。老いも若きもJリーグ、カズ、ラモス、アルシンド。
「友だちならあたりまえ」。スタジアムは連日の満員です。チケットはプラチナとなり、
チケットが買えずに「Jリーグ・チップス」や「Jリーグ・カレー」を買う子供たちが全国にあふれました。
今ふり返っても、異常なほどの盛り上がりです。


1985年の敗戦から日本のサッカー界はプロ化へ向けて大きく動き出し、
サッカー関係者とファンの情熱、そしてバブル景気末期の勢いも借りてスタートした Jリーグは、
幸運なスタートを切ったのです。その背景には、以前から全国各地で少年サッカー・チームが
地道に根を広げていたことも見逃せません。小さい頃から技術を磨いてきた子供たちが次第に成長し、
この頃からテクニックに優れた選手が多く出てきたのです。
日本のサッカーは、「とりあえず前にけって走るサッカー」から
「テクニックで組み立てるサッカー」へ質が変わろうとしていました。

Jリーグが注目されれば、当然ワールドカップにも注目が集まります。
ときを同じくしてワールドカップのアジア予選が始まっていました。
当時の監督はハンス・オフトです。92年4月に就任、代表監督では初の外国人
(オランダ)で、「アイコンタクト」「スリーライン」「トライアングル」と
いったキーワードを全面に出し、個性的なメンバーをまとめ、その年の秋のアジアカップを制覇。
93年4月からのワールドカップ予選も一次予選を無敗で勝ち進み、
本大会へ向けて大きく自信を深めていました。


そしてJリーグ開幕で盛り上がる10月、日本代表は最終予選の行われるカタールの首都、ドーハへ乗り込むのです。


1970年代、部活でサッカーに熱中していたわたしはといえば、複雑な心境でした。
誰も彼もが口を開けばJリーグ、サッカー。

「菅野さん、サッカーやってたんですよね」、


「まあね、昔の話」。


「カズのフェイント、すごいっすね」、


「そうでもないよ」


「サッカー選手って、かっこいい!!」、

「………」


素直に喜べないのです。

とまどい、もあったでしょう。

「オレは誰も見向きもしない頃にサッカーをやってたんだ。けっ、ブームに乗っかったやつらにサッカーを語ってほしくない!!(女の子にぜんぜんもてなかったし)」 と心の底で叫んでいました。

今思えば、嫌な中年です。自宅でポテトチップを食べながらテレビ中継にかじりついているくせに
(チケットが手に入らないので、スタジアムへ行けないのです)。

ドーハでの戦いには、日本中が注目していました。なんといってもワールドカップですから。
最終予選に残ったのはサウジアラビア、イラン、イラク、北朝鮮、韓国、日本。
6カ国の総当たりで、上位2カ国が本大会に進出。このときは、現在のようなホーム&アウエーではなく、
1カ所で集中的に行う「セントラル方式」で行われたのです。


日本の初戦は10月15日、サウジアラビアにスコアレスドローで、まずまずのスタート。
次のイラン戦は1-2で落としてしまい、いきなり崖っぷち。第3戦は北朝鮮を3-1で破り、
息を吹き返す日本代表。カズ、2得点。わたしはテレビの前で叫びました。

「おまえのフェイントは最高だ」。

続いて宿敵の韓国を1-0で沈めます。カズ、決勝ゴール。

「ありがとう、カズ。あなたはすべてが最高です」。

そして10月28日、最終戦の相手がイラク。勝てば文句なく、ワールドカップ。
引き分ければ、他の試合の結果に左右されます。


キックオフは日本時間の22時。もちろん、わたしはテレビの前です。
食事も入浴も早々に済ませ(身を清めて)、テレビに向かって祈ります。

'「カズ、おれをワールドカップに連れてって」。
'

しかし、ご存じのように、その願いはかないませんでした。
2-1で迎えた後半ロスタイム。ショートコーナーから、ボールにプレッシャーを
かけたカズの足元をすり抜けるようにゴール前にクロスが入る。
長身のオムラムのヘディング・シュートが、ゆっくりとゴールネットに吸い込まれる。
GK松永成立は、ボールの軌道を目で追いながら、反応できない。その後は、思い出したくありません。
日本は引き分けに終わり、得失点差で韓国がアメリカへの切符を手にするのです。


わたしがサッカーで涙を流したのは、初めてでした。

中学3年と高校3年のとき、部活の引退が決まる試合(敗戦)で涙があふれそう
になるのを我慢したことはあっても。へこんだわたしに残されたのは、
これが本当のワールドカップ予選なのだと、無理矢理思うことだけでした。この試合の視聴率は48.1%。


どのようなスポーツも、いきなり強くなるということはありません。
まして世界の舞台で戦うということにおいては。いくつもの激闘を重ねた上に、
さらに厳しい戦いと悔しさを味わい、そこから何かをつかんだものだけが、上を目指せる。
しかも、努力をしたからといって、望んだ結果を必ずつかめるものでもありません。
何の結果も得られずに終わることの方が多いのです。それでも、激闘を積み重ねなければ、何も得られない。
最も不幸なのは、戦う力と意志がありながら、そのチャンスを得られないことかもしれません。


サッカーは、たとえ負けてばかりでも、常に世界へのチャレンジを続けて来ました。
最初の国際大会出場は1917年(大正6年)の第3回極東大会
(日本、フィリピン、中華民国<当時>が参加)と記録されています。
FIFAに加盟したのは1929年(昭和4年)。
ワールドカップ予選に初めて参加したのは1954年(昭和29年)のことでした。

1985年、日本のサッカーたまたまワールドカップ一歩手前まで進んだものの、
韓国の厚い壁を崩せませんでした。その4年後、89年のイタリア大会(90年)のアジア予選で
またも一次予選で敗退となったことから、やはり本来の力がついていなかったことが証明されています。


そしてJリーグ(プロ)が生まれて初めて挑んだ93年のドーハが、本当の意味で
ワールドカップ出場を懸けた最初の激闘だったのです。そして、手が届きながらも土壇場で敗れました。
やはり甘くなかった。経験が足りなかった。プロになったからといって、
簡単にワールドカップの舞台に立てると思うな。


この激闘の経験は、4年後に引き継がれることとなるのです。


この間、わたしのサッカー人生もひとつの転機を迎えます。


そのお話は、次回に。


◆

オシム監督率いる日本代表は、10月4日(水)、ガーナとの親善試合を控えています。
ガーナといえば、ドイツ・ワールドカップでアフリカ勢として唯一、決勝トーナメントに進出。
実は、わたしはワールドカップのインターネット配信の制作チームの一員としてガーナの試合を2試合、
担当しました。アフリカ人特有のフィジカルの強さはもちろんですが、組織的にもしっかりしたチームです。
特にアサモア・ギャン(21歳)のスピードとシュートを打つ積極性が印象に残っています。
FWなのになぜか背番号3をつけていました(今回来日するかどうかは不明)。いつも言われることですが、
フィジカルではかなわないアフリカのチームに対して、日本の組織力がどこまで通用するか。
オシム翁が繰り出す語録と共に、期待してテレビの前に座りたいと思います。


それにしても、水を運ぶ選手が必要なことはわかりますが、では誰がその水をおいしく飲むのか。
みんなが水ばかり運ぶわけにもいかないわけで。そこに注目。

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