2007年08月06日

ツール・ド・フランス

今年もやってきた世界最大の自転車レース「ツール・ド・フランス」。栄光のマイヨ・ジョーヌを目指し、死闘が展開された。


ツール・ド・フランスは、すべての信頼を失ったのか?


選手の相次ぐドラッグ使用で世界最高峰の自転車ロード・レースは高まる危機の中で、今年も開催された。


個人的には、こういうドラッグ使用が増えていることは非常に残念で遺憾に堪えないが、人が考えているほどこのレースに傷が付いているとは思わない。104年の歴史を誇る一つの確立された競技だ。


ドーピング・スキャンダルは、この10年ほどの最大の問題となっていることは確かだ。その前には政治的スキャンダルもあった。


昨年の優勝者アメリカのフロイド・ランディスの問題の後の今年ですら、問題が根絶やしになっていないことが証明された。

 

ステージ11の後、T-Mobileのパトリック・シンケヴィッツ(昨年プエルト事件に関与していたチーム"T-Mobile"所属)にプレ・ツール・レースでテストステロンの陽性反応が出たと発表された。ロイター通信によると、34歳のクリスチアーノ・モレリは19日の第11ステージ後の検査で筋肉増強効果があるテストステロンの陽性反応があった。その後、ステージ13で、優勝候補の一人、アレクサンドル・ビノクロフ(カザフスタン)に血液ドーピングが発覚した。2人目の違反者となった。その結果、カザフスタンのアスタナ・チームは辞退した。これで、オーストラリアのエヴァンスが2位に上がってきた。

 

しかし、“ツール”は単なる自転車競技ではない。ロマンが入りこんでいる。歴史がある。それに3500キロの競技だ。わずかながら、自浄作用もみえている。多くの疑惑の選手も認め始めている。

このスポーツを汚名のスポーツにしないためにも、死なせることはないだろう。

選手、主催者、団体、が真面目に競技に取り組み、マスコミなどが厳しく監視することで、善の動きに期待したい。

 

昨年の“オペラシオン・プエルト”以来、動きは多少変わってきたように思う。

こうした、ある意味では一方的なやり方で選手のキャリアを踏みにじるやり方に対してはファンからも疑問の声が上がっており、2006年ツール・ド・フランス優勝のフロイド・ランディスのドーピング疑惑と併せて、ツール・ド・フランスに他国の有力選手を出場させない為の陰謀なのではないかという憶測も絶えず、関係者のフェアにして厳正な対処がのぞまれる。

いずれにしても、“清潔で綺麗な人”が、きちんと勝利して、薬漬けの人を駆逐して行くしかない・・と思う。

 

バイシクル・モトクロス・キッドのエヴァンス 世界の頂点へ

 

7月7日:プロローグ ロンドン(7.9キロ)
 観光名所をめぐり、短いスピンが多い。

 

7月8日:第1ステージ ロンドン~カンタベリー(203キロ)
 ケント州の田舎の走りは、一定のウォームアップになる。
 

7月9日:第2ステージ ダンケルク~ゲント:ベルギー(168.5キロ)
 本格的なレースの開始。群衆とフランダース平野での風との闘いになる。
 

7月10日:第3ステージ ワレゲム~コムピエーニュ(236.5キロ)
 フランスに入っての初日。相当の全力疾走が要求される。
 

7月11日:第4ステージ ヴィエルコトレ~ジョワニー(193キロ)
 シャンパーニュやブリーを過ぎると、次のスプリントが。

 

7月12日:第5ステージ シャブリ~オトン(182.5キロ)
 難問を抱えたくねった山の道に入ると、競争は一層激しくなる。

 

7月13日:第6ステージ スミュルアノクソワ~ブールアンブレス(199.5キロ) 
 スプリンターが、山が現れる前に実力を見せる最後のチャンス。
 

7月14日:第7ステージ ブールアンブレス~グランボルナン(197.5キロ)
 山に入る。実力者が一歩抜ける所。
 

7月15日:第8ステージ グランボルナン~ティーニュ(185キロ)
 短いが急坂。ここでも実力のある者と素人を振り分ける。


7月16日:休養日。ここまでで選手は1500キロを走破。

     

7月17日:第9ステージ ヴァルディゼール~ブリアンソン(159.5キロ)
 アルプスの冷たい空気を中を行く。レースは一層過酷に。

 

7月18日:第10ステージ タラール~マルセーユ(229.5キロ)
 山の後。長くて平坦な区間が続く。ここで相手に攻撃を仕掛ける。

 

7月19日:第11ステージ マルセーユ~モンペリエ(182.5キロ)
 地中海の気候は、思わぬアクシデントを生む。風が予想外の展開を。

 

7月20日:第12ステージ モンペリエ~カストル(178.5キロ)
 スプリントのチャンスを生かせるか、チームワークが物を言う。

 

7月21日:第13ステージ アルビ(54キロ)
 このタイム・トライアルでは、技術の能力の見せ場。
 

7月22日:第14ステージ マザメ~プラトードベイユ(197キロ)
 ステージの最後にかなりの上り坂。体力の有る者が最後につなげる。

 

7月23日:第15ステージ フォワ~ルダンヴィエイユ~ルルーロン(196キロ)
 この1ステージに5つの山の上りが。ポイントの稼ぎ場。

 

7月24日 休息日 残り800キロ。ポーで足を休める最後のチャンス。

 

7月25日:第16ステージ オルテズ~グレット・オービスク
 ピレネー山脈のかなりの登りは、山岳コース終了のお土産。
 

7月26日:第17ステージ ポー~カステルサラザン(188.5キロ)
 この丘陵地帯で、トップグループが抜け出せる所に。

 

7月27日:第18ステージ カオール~アングレーム(211キロ)
 長くて平坦でないコース。驚異の逆転もあり得る。

 

7月28日:第19ステージ コニャック~アングレーム(55.5キロ)
 堅固な精神力をもつスペシャリストが試されるタイム・トライアル。



7月29日:第20ステージ マルクシス~パリ・シャンゼリゼ(130キロ)
 長い勝利へのパレードの道。神への感謝の道のりになるか?
 

マイヨ・ジョーヌは新人のコンタドールに。

2位になった、オーストラリアのキャデル・エヴァンス選手。3659.9キロを走行した。

 

オーストラリア人として、初めてツール・ド・フランスの表彰台にあがった彼の偉業もまた簡単に述べることはできない。

 

彼の心のヒーローは、エルジュの漫画「タンタン」。タンタンが自転車に乗っている漫画をフレームに入れて彼の寝室に飾ってあるという。

 

今回は、自分でそれを実現してしまった。しかも、他国の有名ライダーにように、有能なサポートチームがあったわけではない。

 

総合3位まで31秒差という激しいデッド・ヒートは、何を意味するのか。

 

小柄なマット・ギタウが、重厚なフォワード無しにラグビー・ワールドカップに勝つのに似て居ているものがある。

 

いや、もっと例をあげないと分かって貰えないかも知れない。一人のオーストラリア人アスリートが、1種目のスポーツの大タイトルを取れる寸前であったのだ。もしこれに勝てば、1983年のアメリカズ・カップの優勝、2000年シドニー・オリンピックの400メートルで取ったキャシー・フリーマンの金メダル、1996年のアトランタ・オリンピックで、キエレン・パーキンスが8レーン目から走って奪取した1500メートルの金。イアン・ソープのいくつもの世界記録や金メダルをしのぐ勝利だったと言えるかも知れない。

 

彼の第一声は、「勝てなくて、ごめんなさい」だった。

 

7月7日にスタートしたツール・ド・フランスが始まって以来、彼のひと漕ぎひと漕ぎに声援を送ってくれた人への彼のメッセージであった。

 

104年の伝統を誇りながら、近年数多いドラッグ・スキャンダルまみれになってきたツール・ド・フランスは、今年94回目を迎え、ロンドンからベルギーに入った。その後フランス、スペインを抜け、7月20日にチャンゼリゼへ。


彼は、更にメッセージを送った。「自分のベストを尽くした。自分が出来ることをやり遂げた。これは私の3回目の挑戦だ。だから、後何年か素晴らしいチャンスがある。来年また挑戦させてもらいたい」

 

身長174センチのエヴァンスは、完全に勝ちへ向かっていた。アルプスでもピレネーでも、彼は高く立っていた。

 

彼が生まれてからの4年間、オーストラリア北部準州のアバルンガ・ボリジニー社会では、友人は数えるほどもいなかった。お互いが離れていた。そういう生活環境の中で、彼の最も親しい友人はバイクしかなかった。

 

彼は2歳から自転車に乗った。その自転車は、祖父と父親が地元の店でみつけた部品から手作りで作ってもらったものだった。

 

母ヘレン・コックスはローカルの銀行を経営し、父親はポールは地元役所の職員だった。

父親は彼が7歳の時になくなり、父親は馬に蹴られて7日間昏睡状態が続いた。

 

母親とヴィクトリア州南部のぎーロングの近くのバーウォン・ヘッドに引っ越した。彼が自転車競技に興味を持ち始めたのは、1991年に入ってからだった。彼は、クロス・カントリーのマウンテン・バイクに熱中した。15歳で、コジオスコーのスレドボ・マウンテン・バイク選手権にも出場。

 

やがて、彼は、1998年と1999年の2回、マウンテン・バイク・ワールドカップに優勝。1996年(9位)と2000年(7位)にはオリンピック出場を果たした。

 

そして、2001年にプロに転向。

 

2005年にツール・ド・フランスにデビュー。デビュー戦は8位だった。

昨年はオーストラリア人としてタイ記録の5位へ上昇。3回目の今年、エヴァンスをほとんどの区間をチームメート無しに走行した。

 

ラグビー・ワールド・カップの準備が行われているマルクシスからの130キロ。最後のステージだ。ツアー・リーダーのアルベルト・コンタドールが優勝しそうに見えた。19回のタイム・トライアルを終えて、黄色いジャージを着たコンタドールに23秒差だった。コンタドールには、十分なマンパワーを抱えた豪華さがあった。彼のチームメイトの8人のうち、2人は10位以内に入っている。アメリカのリーヴァイ・ライプハイマーだ。コニャックからアングレーメまでの55.5キロのタイムトライアルを時速53.1キロで制して3位入賞を確実にしただけでなく、エヴァンスに逆転を迫る勢いだった。第20ステージを始める時点で、エヴァンスとライプハイマーの差は、8秒しかなかったのだ。それにウクライナのユロスラフ・ポポヴィッチがピタリ付いていた。

 

エヴァンスのPredictor-Lottoチームは、多難だった。第8ステージで、クインズランド出身のマッキーウェンがタイムリミット外で脱落。この脱落の衝撃は、エヴァンスにとってまだ小さいものだった。残り8人で、エヴァンスへのサポートに回ることになった。が、そのうち、山岳部でエヴァンスをアシストできたのは、クリス・ホーナーとダリオ・チオニのたったの2人だった。そして、彼らがペースを落としていくかなり前ですら、助けに回ったはこの二人だけだった。

 

ツールに勝つためには、8人の選手の固い支援が必要だ。そして、少なくとも4人が山登りに生き延びなくてはならない。しかし、仮にそういう支援が無くとも、彼は、山越えは出来ると言うことをオーストラリア人に見せつけた。

 

彼の最大のファンは、母親のヘレン・コックスを別にすれば、妻チアラだった。彼は、今、妻とイタリア暮らしだ。彼女には、“ツール・ド・フランス”デビュー戦でゴールしたその日に、エヴァンスがプロポーズした。(おわり)

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posted by buruta |11:52 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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