2009年12月02日

難民キャンプから世界のトップへ

ジュリアス・デイヴィスの驚くべき人生航路

先週、オーストラリアのスポーツ助成金削減提言の話をしたが、日本でも、オリンピック選手が補助金削減反対の声をあげ始めたようだ。目に見えない利益だから、削減の対象になりやすいが、金額はともかく教育費、「青年の夢」育成費用と考えると、そんな簡単に手をつけていいものかといいたくなる。


さて、今週の話題に移ろう。


いま、オーストラリアは、スリランカからのボート出国者の攻勢を受けてうけている。もちろん、オーストラリアへの難民亡命を希望している人ばかりだ。国連の難民スクリーニング制度があるにしても、軒並み来るボート・ピープルをすんなり受け入れそうな雰囲気には、厳しい対応を求める声は多い。

私も、長年の取材で難民の置かれた苦汁を分かっているつもりだが、インドネシアの仲介者がカネをとってオーストラリア海域まで運んでくる例もかなりあって、オーストラリア政府の及び腰を批判する声は、当然大きい。そういう亡命希望の船は、今年すでに50隻近くも、オーストラリア領海に現れているのだ。週1隻以上のペースである。同じく海に囲まれた日本では、想像できない現象である。

オーストラリアの現政権は、前政権とは違って人権擁護に傾いていることは確かだが、かといって、むやみに受け入れるのはどうかという問題が正直に言って存在する。

日本も、来年早々から、ミャンマーの難民の第三国定住として、年間30人を受け入れる。数は少ないが日本国としてはこれまでとは違った大きな政策転換になるのだが、それでも、今オーストラリアが抱えている問題とは大きな隔たりがある。


先日も、オーストラリアの税関の船に、70人以上が乗ったまま、1ヶ月近くもインドネシア沖で立ち往生したケースもあり、費用もただ事ではなかった。これだけ押し寄せてくると、もっと周辺海域の警備も厳しくすべきではないかという声が国内からわきあがってきており、私も当然のことと思うのだが、今日お話しするケースは、オーストラリアが難民への門を閉ざさなかったことで、一人の運命が大きく開かれることになったわけで、難民行政には一人の人間の大きな命運がかかっているということをいやがうえにも思い知らされるのだ。


飢えたフットボール選手が良いフットボール選手になるというなら、ジュリアス・デーヴィス君はスーパースターにならなければならない。また、なる価値がありそうである。ジュリアス・デーヴィス君の出身国はアフリカの西のシエラレオネ共和国である。シエラレオネ共和国では、1991年ごろから、東部のダイヤモンド鉱山の支配権をめぐる反政府勢力との大規模な内戦が起き、この悪名高いダイヤモンド戦争によって、ジュリアス・デーヴィス君は親に捨てられ、やがて孤児になった。

不法なダイヤモンドが、シエラレオネの紛争を激化させる役割を果たしていたのだった。国連安保理は2000年7月5日、決議1306号により、シエラレオネからの直接・間接を問わず、認証を通さない、シエラレオネ政府管理外のダイヤ原石輸入を禁止したのだ。ここでは、これ以上はこの問題に触れない。


彼は、生まれた母国を捨てざるをなくなり、隣国ギニア共和国の定住キャンプへ。一番上の姉のオリーブと一緒に住みながら、彼は小学校就学年齢で難民になってしまった。それから、ジュリアス・デイヴィス君は幼心の中で、自由への脱出を目指し、より良い生活へ向かってスタートを切ろうと小さな誓いをたてたのだった。


故国からははるか遠く離れた西オーストラリア州のパースが、唯一の故郷になった。たどって来た道は必ずしも容易な道のりではなかったが、安全であり、歓迎してくれる町だ。トゥアート・ヒルの公営アパートで育ったが、しばしばバス代すらもろくになく、夜もろうそくを使っての生活だった。それは、働き手のお姉さんのオリーブが電気代を都合できなかったからだ。


将来への彼のパスポートになったのは、フットボールだった。彼は学校に入学したが、めったに登校しなかった。彼の成績表には、”読書好き”とあるだけ。科目はゼロのオンパレードだ。それは、基本的に彼が殆ど出席していないからだった。その代わりに、彼は公園でボールを蹴っていた。やがて、彼のボールのタッチが人の目に留まることとなった。


地元のマウロというコーチが自分の手もとに置いた。家族を養うために、食料雑貨のお金も支払ってくれた。彼をトレーニングへ連れて行き、そこでマウロは、パースのサッカークラブであるイングルウッド・ユナイテッドに登録してくれた。デイヴィスの話が広がり始めた。州の監督ケニー・ロウは、コフス・ハーバーで開催された全国サッカー選手権に彼を出場メンバーに入れた。彼のスピード、強さ、ボールのタッチが、監督の目を引いたのだ。


デイヴィスは地元の教育計画に席を置いた。そこでも、ロウ監督は彼に助言し続けた。彼はその中に溶け込んだ。そして、物事は速く動いた。彼は、17歳以下のオーストラリア代表チームに選ばれた。彼はそれを誇りに思った。そして、ウズベキスタンに遠征した。そこで、オーストラリアは世界選手権出場をかけて予選を争った。


しかし、遠征先のタシケントで、彼は最初の大きな困難にぶつかった。国際サッカー連盟(FIFA)が、ちょうど適性規則を変更したところだった。デイヴィスは、新規則に引っかかってしまった。彼は、そのことでどれほど悔しい思いをしたか今でも忘れることはない。「僕は、ほんとうにプレーしたかった。僕は、準備万端だったし、精神的にも完全に乗っていた。僕は、オーストラリアがもっとプッシュしてくれるのかと思ってがっかりした」と言った。



デイヴィスはパースに戻って、しばらく悩んでいた。しかし、それは長い間ではなかった。彼の持つ才能は、どこでもひっぱりだこだからだ。彼は、シドニーに本社を置くウルトラマネージメント・スポーツ社と契約した。かつてのNSLで長年のプレーしたバディ・ファラーが、この未加工のダイヤモンドを磨き始めた。バディは、彼を大人として扱い始めたのだった。


ちなみに、バディ・ファラーは、かつてのNSL(ナショナル・サッカー・リーグ)のディフェンダーだったが、サッカールーズ入りの夢が果たせず、故国レバノンのベイルートでスターになった人だ。


さて、長姉オリーブは、上昇志向でうずずしていた。そしてデイヴィスも然りだった。彼の年上のいとこ、サミュエル・ソプロンも同じだった。彼らは、それぞれの夢を追って、一緒にヨーロッパに行った。そして、そこで、デイヴィスは自分さえ想像できなかった方法で夢が実現した。


今年、デイヴィスは、ドイツの巨人バイエルン・ミュンヘンと5年契約で調印した。彼は、まだわずか15歳という若さだ。監督はステファン・ベッケンバウアーといい、あの往年の伝説の選手の息子である。時々、デイヴィスは17歳以下のチームで1年間プレーする。17歳以下のチームの監督は、メフメト・ショールだ。毎週月曜日、彼は、プロスペクティブズという名のエリート・チーム、バイエルン・ジュニア・チームでプレーする。そこには、光った才能を持つと認められている選手ばかりがいる。


ヘルマン・ゲルラント(1軍監督ルイス・ファンハール監督のアシスタント・コーチ)に、しごいてもらっている。先日、アルゼンチンのスター、マルティン・デミチェリス選手が1軍とともにトレーニングをした後、たった一言こう言った。「すばらしい、すばらしいじゃいないか」と。デイヴィスを取り巻く環境は、明らかによくなっている。



もちろん、デイヴィスがまだ克服しなければならないものがある。子どもが義務教育で毎日登校しなくてはならないように、バイエルンも無断欠席には寛容ではない。クラブの寮には生活規則がある。そこで、日課の作業きちっとこなさなくてはならない。それから、天気の問題もある。彼は、人生で初めて雪の中での訓練を受けている。彼がトラックスーツをどのくらいの重ね着しようが、どうにもならないものがある。彼の体は暖かくならないのだ。「僕は、パースが恋しくなった。パースの浜辺、パースの天気を恋しく思っている」と、彼は吐露した。



しかし、デイヴィスはホームシックを乗り切れそうだ。そうならなければならない。疑問が生じる時はいつでも、自分の両足と両足の傷を眺めることにしている。傷のすべては、ギニアの硬い土ぼこりのグランドで裸足でプレーしていた時に出来たものだ。それは、ギニアでの生活を永久に思い出させる物であり、彼らこれから生きようとする将来の人生の励みになるのだ。


「時々、僕はあまりいいプレーができない。バディは私で私がバイエルンミュンヘンの選手としてもっと興奮してプレーしないのか僕をみて、心配しながら忠告してくれる」と、彼が言います。「でも、心の中では、これは僕にとって何というチャンスなのかと興奮しているんだ。僕の過去が、頑張らせくれているんだ。僕は人生で1つの選択肢を得た。それは、フットボールにおける経歴を作るためだ。それしかない。それがすべてだ。だから、そうなれるように努力しているんだ」


それがどういう風に実現するのか、お楽しみだ。フットボール界は、情け容赦のないビジネスだ。しかし、デイヴィスが間違いなく確実に心に秘めていることは、オーストラリアに難民として自分を迎え入れてくれて、自分の人生の転換点を作り出してくれたことに恩返しをしたいということだ。「誰も将来のことは分からない。でも、いつか、ある日、サッカールーズの一員としてプレーしてみたい」と、彼は夢を膨らませている。


大きな怪我をせず、着実に、順調に、夢を現実のものしていってほしい。


孤児になり、難民にもならなかったら、デイヴィス君のサッカーは、大きな陽の目を見なかったかもしれない。幼い時からの逆境を覆そうと努力する姿は、難民の模範であるばかりでなく、私たち普通の人間にも学ぶものばかりだ。

若い難民の代表として、世界に散らばる難民に力強いメッセージを送ってほしい。こんなことが出来るのは、そうめったにいるものではない。
デイヴィス君しかいないだろう。


こんな彼の話を聞くと、オーストラリアの難民政策も悪くはないか・・・と思ってしまう。


いよいよ、2010年サッカーワールドカップの組み合わせ抽選会が目の前だ。

(おわり)

posted by buruta |23:19 | gensan | コメント(0) | トラックバック(0)
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