2006年08月18日

誕生日にあの男とその「存在感」を想う

全く個人的なことで恐縮ですが、8月18日は私の誕生日であります。
プロフや過去の記事にもある通り、今年で31となりました。

さて、林家ペーや一部のプロ野球ファンならご存知でしょうが、8月18日と言えばあの有名選手の誕生日として有名(?)であります。

清原和博。昭和42年8月18日生まれ。今年で39歳。

初めて清原を観たのは忘れもしない私が10歳の夏。
PL学園で既に大スターだった彼を甲子園に観に行きました。3年生だった彼が後に優勝することになる最後の夏の大会、3回戦の対津久見戦でPLが3-0で勝った試合だったことは覚えています。

それからの彼の経歴は詳しく書きませんが、彼がライオンズの若き4番打者として活躍していた頃に、幸いにして、私は数多く生で観戦する機会がありました。

中学2年の夏までを私は大阪で過ごしました(小5の夏まで枚方、中2の夏まで吹田)。私が子供の頃には、関西に南海、阪急、近鉄と今は無き私鉄3球団が存在していたので、ライオンズもビジターの半分以上は関西でゲームをしていたわけです。そんなわけでこれら3球団のホームスタジアムである、これも今は無き大阪球場、西宮球場、藤井寺球場にしばしば観戦に行ったものです。そのほとんどが、ライオンズの試合でした。
白状すると、私の少年時代の憧れの選手は彼の前を打つ秋山幸二だったのですが、やはり「存在感」を感じたのは同じ関西人の清原だったのです。
例えば、藤井寺で観たホームラン。近鉄ファンの方ならご存知でしょうが、藤井寺は住宅地のど真ん中にあるため、鳴り物が一切使えませんでした。「お前は過保護のキーヨハラ!」と近鉄ファンからの野次がモロに聞こえる中でかっ飛ばした豪快な一発を、私はたぶん忘れることは無いでしょう。

そんな清原を観ていた小学生がもう31になったのですから、彼も歳を重ねたことになるわけです。
何とも皮肉なことに、彼は今、かつて彼に激しい野次を浴びせかけた近鉄の後継球団オリックス・バファローズに所属しています。
FA移籍した読売で辛酸を舐め、大幅な減俸も厭わず再起を図ったはずでしたが、ここ数年と同様にたびたび怪我に悩まされていることもあり、残念ながらここまでの結果は無惨なものです。
8月17日現在、55試合出場、打率.218、本塁打8、打点27、さらに出場試合数を大きく上回る65三振を喫し、往時の影は薄くなるばかりです。

と、ここまで書くと、読売時代にスタンドに横断幕を掲げていた「清原信者」なる方々はがっかりするでしょうが、巷間言われている、彼の「存在感」を示す興味深いデータを見つけたので紹介しておきましょう。

パリーグでも最弱の打線と言ってもよいオリックスにあって、清原の四球32は何と球団トップ。わずか55試合の出場で規定打席に到達している北川や村松などよりも多いのです。
たとえどんなに低打率にあえごうが、三振を繰り返そうが、「存在感」は確かに存在し、相手投手にもはっきり影響を与えるのです。

さて、現在は名古屋在住の私ですが、交流戦という便利なものができたにも関わらず、もう20年近くも彼の存在感を生で感じていません。
彼が読売在籍時には、ほぼプロ野球公式戦をスタンドで観る環境になかったものですから……なんて、言い訳ですよね。
それでも、1人の選手の若き日々から最晩年までを知ることができそうなのは、私の人生史上、たぶん清原が初めてのような気がします。

「存在感」がもうしばらく消えないことを、今は願うばかりです。

posted by bunchousann |02:48 | 野球 | コメント(1) | トラックバック(1)
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