2008年01月01日

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

「ホークスは昔は弱かったんだよ」
なんて言うと、平成も二桁の生まれとなる最近の小学生にはピンとこないかもしれません。彼らが知る最近のホークスは、常に優勝争いができる強豪の地位を確立しており、弱小球団だった面影さえも今は感じません。

すっかり強くなってしまったホークス、そしてしっかり九州に根を下ろしたホークスが、今年、前身の南海ホークスの創設から70年、またフランチャイズの九州移転から20年を記念して、それぞれ前身球団である南海ホークスとダイエーホークスのユニフォームを製作するという話を聞くと、冒頭の一言を、つい福岡の小学生に投げかけてみたくなるというものです。

管理人は今から20年以上前、南海ホークスが本拠地を置いていた大阪府で小学生をやっていたわけですが、当時の南海ホークスは、万年Bクラスの弱小球団でした。
「ホークスは昔は強かったんやで」
なんて周囲の大人は言ったものですが、オイルショックの後に生まれた私たちの世代は、ホークスの毎年の豪快な負けっぷりを見続けているわけで、そんな過去の事実をまともに認める気にはなれないものでした。

その頃はセリーグの阪神だけでなく、関西圏には南海の他にも、阪急、そして近鉄と、いわゆる初代&87年度版ファミスタで「レールウェイズ」とまとめられてしまったパリーグの球団が3球団もフランチャイズを置いていたものです。
そんなこともあって、子供の頃は阪神ファンや巨人ファンだけでなく、パリーグの阪急や近鉄のファンの友達も結構いたものですが、どれだけ記憶をたどっても、南海ファンだけは出てきません。
まあ、それだけ弱かったので魅力がなかったのかもしれませんが……。

それでも、私にとってはやはり思い出のあるチームでして、記憶にあるプロ野球の初観戦は、大阪球場だったはずです。
地下鉄のなんば駅を降りて、地上に上がれば球場は目の前。
交通の便もよく、当時の大阪のサラリーマンにとっては最も行きやすい球場だったのではないかと思います。

急傾斜のスタンドの、一塁ベンチの上あたりで、休日のデーゲームだというのにまばらな観客とともに声援を送っていました。
現在のナゴヤドームでは、おそらくシーズンチケットを持っていないと入れないようないい席が、当時は簡単に手に入ったということなのでしょう。
今では外野に陣取っている応援団が、この頃はまだ内野席に生息していました。
彼らに混じって、ダブル山内やドカベン香川、そしてのちに不惑の二冠王となる門田らに声援を送っていました。

その後も大阪球場に何回か足を運びましたが、残念ながら南海ホークスは少年時代の私の心のチームにはなれませんでした。
当時の私は、強かった西武ライオンズ、なかんずくその3番打者である秋山に心酔しており、緑色のユニフォームが介在する余地はありませんでした。

しかし、人間心理というのは現金なものでして、大して関心のなかったものでさえ、失われることがはっきりすると、それを名残惜しむようになるものです。
1988年、南海ホークスはダイエーに身売りすることになり、それにともなって本拠地が大阪から福岡になるということが発表されると、それまで南海ホークスに見向きもしなかった人々が、急にこのチームのことを気にし始めます。

そんな人間が、ここにもいたというわけです。
1988年10月15日、土曜日。南海ホークスの本拠地最終戦が行われることになっていました。
管理人は中学1年生。この日は中間テストでした。
勉強をしなさいということで、試験の1週間前からは部活もありません。
このような時、勉強と野球観戦、どちらを選ぶのかは自明の理。
普段はめったに行かない百貨店に、閉店セールをするとなるととたんに押しかける人々と同じ心理で、阪神ファンや、巨人ファン、阪急ファン、近鉄ファン、そして西武(の秋山)ファンやらが大阪球場へと向かうことになりました。

ところが、そのような「にわか」な人々は私たちの他にも大勢いたようでした。
残念ながら満員御礼のため、観戦することはできなかったのです。
この年は東京ドームが開場した年。その新しいピカピカの球場と比較して、
「大阪球場はボロいから、金網乗り越えてタダで観れるで」
なんて強がりを言う子もいましたが、もちろんそんなことは無理でした。

悄然とした足取りで日本橋まで歩き、電気街の店頭にあるテレビで最後の南海ホークスを見届けました。
弱かったホークスが、最後に地元のファンに意地を見せて勝利しました。

あれから20年の月日が流れましたが、つい最近、BCリーグの試合会場であの南海のユニフォームを着た人を見かけ、思わず懐かしさに目がいってしまいました。
今でも京セラドームの試合では南海時代のホークスファンが緑のハッピ、当時のユニフォームでホークスを応援しているそうですが、やはり選手にも着用してもらいたいものですね。

「球団名をどうするのか」「そもそも着用が認められるのか」など、公式戦での着用となると、色々な問題があるとは思いますが、「南海ホークス」が強かった時代を知る私の親の世代以上の人々にとっては、懐かしさも人一倍あると思います。

身売り前の歴史そのものを完全に否定してしまっている球団もあるのは残念なことですが、過去を尊重することで、現在への感謝とし、将来の隆盛へとつなげていくホークスの今回の試みは、もっと賞賛されるべきものですし、プロ野球界全体のためにも是非実現してもらいたいものです。

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posted by bunchousann |00:05 | 野球 | コメント(13) | トラックバック(0)
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緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

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緑をチームカラーとするチームがなくなって久しい。緑のユニフォームってグラウンドに良く映えると思うんだけどな。南海も東映も西鉄も太平洋(あの紫のユニ)も一夜でいいから復刻してほしい。パリーグの歴史を軽く見ないでほしい。
あと「トリプル山内」知ってますか?

posted by 渕コロ助 | 2008-01-01 00:34

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

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言ってもいいか?

ホークスなんて応援してるから、お前は性格が湯上谷なんだよ!

いや、所詮シャレですから気にしないでww

posted by ギネス | 2008-01-01 06:51

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

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マジレスすると、ドカベン香川がチャリンコで通うような
あぶさん的ナニワ球団のイメージが一般的だろうが、
南九州の人間には定岡三兄弟の長兄とか、鶴丸高校出身の池ノ上とかで記憶されてるチームw

posted by ギネス | 2008-01-01 06:55

管理人より

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渕コロ助さんへ
そうですね。他では結構あると思うのですが、なぜかNPBからは消滅してしまいましたね。
ちなみに「トリプル山内」は知りませんでした。
確か投手が2人いたのは覚えていますが……。

ギネスさんへ
応援していたというほどでもありませんが……定岡兄弟の長兄、覚えています。そういえば河埜兄弟の兄もいましたね。

posted by bunchousann | 2008-01-01 07:30

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

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これからの時代パリーグは、ロッテ、日ハム、楽天が上位を占めて、オリックス、西武、ソフトバンクが最下位争いするようになる・・・。ってソフトバンクファンの友達が言ってた。

posted by 虎・虎・虎 | 2008-01-01 15:19

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

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楽天がソフトバンクの上をいくことはねぇよww
チームでも親会社でもww

posted by ギネス | 2008-01-01 17:50

管理人より

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虎・虎・虎さんへ
まあまあ、先のことはわかりません。どのチームも栄枯盛衰あるでしょうから。

ギネスさんへ
まあまあ、先のことはわかりません。どんな企業でも栄枯盛衰あるでしょうから。

posted by bunchousann | 2008-01-01 22:19

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

コメント投稿者ID :

あけまして、おめでとうございます!
今年もよろしくおねがいしますね。

あの日から、20年ですか。。
現在ホークスファン歴27年目の私は、
当時、京都で大学生やってました。
授業をサボって、同じホークスファンの友人と
大阪球場内野席に、行きましたねえ。。
ナイターだったんですが、昼ぐらいに行った覚えがあります。

相手は、今はなき近鉄バファローズで
優勝するため1敗も許されない状況・・
「悪いけど、今日だけは勝たしてくれ・・」
という微妙な心境でした。
(この1敗が、のちの10.19に効いてくるんですね)


PS.トリプル山内は
#20山内新一、#19山内孝徳、#18山内和宏

懐かしい御話、ありがとうございました。

posted by くーまん | 2008-01-03 09:14

管理人より

コメント投稿者ID :

くーまんさんへ
あけましておめでとうございます。こちらこそ今年もよろしくお願いします。

コメントを頂いて、くーまんさんがどこでホークスとつながっているのか以前から不思議に思っていたのですが、ようやく得心がいきました。

そういえば“10.19”はこの年だったですね(記憶がかなりあやふやです)。ちなみに「南海ホークス」の最後の試合はその“10.19”の翌日のロッテ戦だったそうですが、あまり注目もされずひっそりとシーズンを終えたようです。

「トリプル山内」、ありがとうございました。
私が覚えていたのは山内孝徳投手(確か往時のエースでしたね)と和宏投手の2人で、新一選手の名前は出てきませんでした。

くーまんさんにも懐かしい話がおありだと思います。また機会がありましたら「ビバだら」の方で紹介して下さいね。

posted by bunchousann | 2008-01-03 19:44

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

コメント投稿者ID :

タイミングズレのカキコですが嬉しい話題です。

生まれも育ちも今現在も南海沿線在住の私にとって、今現在のホークスは
『似て非なるもの』ですが、南海ユニの試合限定での復刻は嬉しい限りです。

南海最終戦は、私は高校2年生でした。当時、学校の文化祭実行委員してたにも
関わらず、文化祭すっぽかして、大阪球場に行って、翌日、学校の先生に
こっぴどく説教されて、他の実行委員からも白い目で見られた記憶が蘇ります。

管理人さん仰せの通り、親の世代(現在60歳以上?)の方々は『強いホークス』を
知っておられますが、我々の世代は『弱小ホークス』しか知りませんもんね。

球場の立地として、大阪第二の繁華街である『ミナミ』に立地しており
交通アクセスは、恐らく最も良い場所であると判断します。
デーゲームの帰りなんかは、電車内で当時合宿のあった『なかもず』に帰る選手と
遭遇しサイン貰ったり(無視する選手もいたが…)握手してもらったり、
凄く選手が近かった印象が深いです。

年末、なんばパークスのマウンド碑のトコに親父・私・息子の3人でたまたま
行ったとき、息子にマウンド碑に足を置かせた時、親父ともども、何か感慨深い
想いになりました。
全く変わり果てた風景を改めて見渡し、球場での思い出が走馬灯のようにアタマを
駆け巡り、そして『そら歳も取るわなぁー』って、しみじみ感じました。
身売りから、もう20年。早いですね。

私は諸事情により、今現在のホークスは応援する気になれないですが
復刻ユニホームの試合は楽しみにしております。

posted by 元南海ファン | 2008-01-04 10:18

管理人より

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元南海ファンさんへ
いえいえ、コメントありがとうございます。世代的にも近い方のようですし、思い出にひたって頂けたのならば、こちらとしても記事を書いてよかったと思います。

少年時代(~中2夏)を大阪で過ごしながら南海(ホークス含む)とはあまり縁がなかった理由としては、同じ緑色の私鉄でも京阪沿線、あるいは同じ「レールウェイズ」を構成する阪急沿線の住民だったことが大きいのかもしれません。子供の頃の私にとって、南海沿線(すなわち和泉方面)は同じ大阪府でありながら、地図上の距離以上に心理的距離を感じておりました。

中2以来、親の転勤で転校することになったのですが、今では実家が大阪に戻っているので、時々帰省の際に近鉄アーバンライナー(安くてすいているので)を利用するのですが、なんばパークスにはまだ行ったことがないのです。

こんな記事を書いておきながら何とも情けない話なので、今度帰省の途中にでも寄ってみようかと思います。
たぶん『そら歳も取るわなぁー』って、しみじみ感じるんでしょうね。

posted by bunchousann | 2008-01-04 19:29

緑の鷹が蘇る~在りし日の光景とともに

コメント投稿者ID :

本当にこのたびのユニフォーム復活は感激です。私は南海沿線(高野線)に自宅があり野村克也監督が4番を兼務されている頃からホークス子供の会(年会費500円の頃から)に入り大阪球場に通って1塁側の内外野の兼ねたところで観戦したものです。
選手の球場入りを待ってファンブックやサイン帳にサインをもらったり、ある時期には試合終了後は球場を縦断?してベンチからすると対角線に近い外野席を抜けて(スタンドから外野席の通路に上がって)バスに乗り込むために帰られるビジターの選手を間近にみたりできるのも楽しみでした。
パシフィックリーグの大御所といわれる方たち(張本さん、白仁天さん、中西太監督、有藤さん、福本さんなど)がすごく紳士的でシャイだったことを覚えています。
今から思えば南海をはじめとしたパリーグのファンだったなあと思います。現在、名古屋に在住していますが、ファンも選手の気質も当時とかなり違うように感じるのは年齢のせいでしょうか?
あとは私自身、南海ホークスの選手のみなさんどなたもプロでありすごいなあという尊敬の念をいだいていたのですが南海が身売りされて後に野村さんが解説の際に南海のような弱小球団を率いていた時はというようなコメントをお聞きしたときに初めてそうだったんだと思うような入れ込み?がありました。
確かに球場は汚かったし外野は木でできた椅子もありましたし経営も含めて厳しかったのでしょうね。
でも自分自身も巨人との日本シリーズに一喜一憂し、江本さん、佐藤道さん、桜井さん、藤原さん、佐野さん、片平さん、島野さん、門田さん、広瀬さん、ジョーンズ、スミス、パーカー、ロリッチ、その他、いろいろな思いとともに蘇ります。うちの親世代は10万ドル(100万ドルでしたっけ?)の内野陣の時代ですが私はこの時期の選手のお名前を聞くと正に血湧き肉踊る感じです。
かくいう私もなんばパークスには行ったことがなく、いつも行きたいと思っている次第です。おはずかしい。

posted by 南海ホークスのファン | 2008-02-01 13:12

管理人より

コメント投稿者ID :

南海ホークスのファンさんへ
大阪の御出身で現在名古屋在住、私と同じですね。

実は私の友人にも愛知県出身でありながら、マリーンズのファンがいるのですが、私よりも年少とは言え、非常に若々しくさわやかな感じがしますね。現在のパリーグには若くしてチームの主力を担う選手が多いせいか、そのファン層が昔のパリーグのファンと比べると何となく若いような気がします。管理人の思い込みなのかもしれませんが。

南海ホークスのファンさんは私よりも世代的に上の方とお見受けしますので、余計にファンの気質が変わったと思われることだと思います。

それにしても私が子供の頃はまだまだ球場で選手と触れ合う機会もありました。
南海が身売りした翌年のオープン戦で、オリックスに移籍した門田選手を西宮球場の外で見かけたことがあります。この試合は雨天中止になったのですが、オープン戦とはいえ、ほとんど警備員やらもおらず、私たちはかなり自由に球場周辺を動き回ることができた記憶があります。何人かの選手と写真を撮ることもできました。
今ではオープン戦といえども警備が厳重でなかなかこういった触れあいがないのではないでしょうか。特に各チームのホームスタジアムでは尚更でしょう。

球場の気質が変わったことも、ファンや選手の気質が変わったことに影響を与えているのかもしれませんね。

なんばパークス、私もいつ行こうかな、と思っています。
個人的には、このブログのネタになるような形にしたいとは思っているのですが(笑)。

posted by bunchousann | 2008-02-01 15:57

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