Canoe Slalom Racer  山中修司

オリンピックへの挑戦 山中修司

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初めて見たオリンピックのビデオが当時14才の時に開催されたアトランタオリンピック
日本から藤野強さんが出場した
何度繰り返して見たか分からない程そのビデオに夢中になったのを今でも憶えてる
大観客の中でダイナミックに漕ぐその姿に子供ながらに興奮した....


それから自分のカヌーの大きな夢に対する冒険が幕を開ける


それまで小学校から夢中になっていた野球を中学2年でやめた
野球仲間からは多少の非難もあったかも知れない、それでもその道に進む魅力があった
当時の夏に叔母がカヌークラブをしている秋田へ夜行バスに乗り1ヶ月の初めて経験する合宿をした
その時に出会ったのが佐々木翼、この同じ年齢の男こそ今後のカヌー人生の中で一番のライバルになるカヌーマンだった
初めて毎日トレーニングする中で全く初心者で始めた俺、その目に映る翼の水の上で遊ぶように動くカヌーが羨望と共に”負けたくない”と素直におもった...


それから本気でカヌーにのめり込んだ
中学3年で運も掴んで内田けんと君に勝って翼と俊平さんと一緒にジュニアのナショナルチームに選ばれた
興奮したのを憶えてる
これで海外に行ける!
俺にとってカヌーを始める上でひとつその動機になったのがこの海外に行くことだった
叔母にはカヌーしてれば世界のいろんな場所に行けると聞かされていた(今思えば良い誘い文句だ笑)


高校に入り、野球への想いも再燃してその時の仲間に誘われるがままに入部した野球部、今思えば何であんなにカヌーの道に進むと決めたのにここでまた野球に向かったのか謎だ、おそらくこの時も目先の”甲子園”という誘い文句に案の定やられたんだと思う(昔から単純)
部の先生にはその年に開かれるジュニア世界選手権を期にカヌーをやめ、野球に専念すると告げていた
入部したのが4月、世界選手権が7月にオーストリア、帰国後先生に退部する意志を恐る恐る告げた....
自分でも今こうして文章を書いていて笑えてくる
この半年の間に何度心変わりしてるんだ俺 
自由奔放にも無茶がある
ただ弁解になるけど、それだけその初めて経験した海外の雰囲気やら世界の同年代のカヌースラローマーらの影響が当時の俺には大きかった
このとき上の世代で大暴れしていた太郎さん、大樹さんが応援しに来てくれていて色々と教えてもらった(大会終了後のパーティーの楽しみ方もそのときこの2人に教えてもらいました笑)


話は戻るけど野球部の先生に退部届けを受理してもらい、一安心したのも束の間
翌年には高校を休学して一人スロベニアへカヌーを持って武者修行に出た
当時、日本での俺の生活は高校に入学したばかりで毎週末仲間と地元界隈で遊びまくってた
よく聞く高校生活をエンジョイしていたとでも書いておこう
ただこの生活に目を光らせていたのが当時一緒にカヌーを始めた朝野公平さんだ
ここで思い切って書いてしまえば当時、筋肉番付で世間を唸らせていた大物だ、あの腕立て1000回を公共の電波を使って茶の間を賑わせていた男
勿論、俺も見てた
その3才上の男がカヌースラロームに乗り込んで来ていた
俺が初めて藤野強さんに挨拶をしに行った時にこの大物を目にしてびっくりしたのを今でも憶えている、あの朝野公平が目の前にいるという事実に、藤野さんという超ビッグスターに会いに行ったのに何だかである笑
その朝野さんとは当時、一緒にトレーニングする仲で、スロベニアへ行くと決めた時にも向こうでは今の様な生活は慎むようにと念を押され、出発前には送別会を開いてもらい激励してもらった


それから1年、俺のスロベニアでの未知との遭遇時間が始まった
スロベニアのソルカンという土地はイタリアとの国境の街、この国の総人口当時200万人、その中でも田舎の街だった
勿論当時はまだアジア人も街では珍しく街を歩くだけで地元の人の目にはアジア人そのものと映ったようで見られる
まぁそれが逆に仲良くなる手段にもなった
このスロベニアという国を選んだ理由はアトランタで銀メダルを取った選手がいたことそれだけだ
その選手に会えると思ってたけどその選手はその大会を最後に引退していた....
それでもそのアトランタに出場し7位に入ったアブラミッチという選手が引退しコーチングをしていたところに運良く入ることが出来た(彼の地元がソルカンでそこのクラブチームでコーチングしていた)
それから毎日、アブラミッチとの改造計画が始まる
このコーチの性格を一言で言うなら”緻密”本当に細かいところまで、言うなら感覚的なところまで言葉に変えて伝える
コースが決まりさぁ始めようとした時に、普通コーチならどんなラインを通ってどんな角度でゲートに入るこんなのが定番、だけどアブラミッチはそれに加えてどんな感覚でゲートに入って行くかそんなところを入念に俺に伝える....正直それを自分の感覚と合わせるんだから時間はかかった
だけど今になって思えばそんなコーチングを彼から受けていたことが俺の生命線になっていた
そのクラブチームで一緒になってトレーニングしていた地元の同年代の選手たち、皆やっぱり俺に比べてカヌーを上手く操る
できることの幅、イメージの幅、何をとっても上手い
初心者同然で出向いた俺と既に10年近くカヌーをしている奴らとだから比べる方がおかしいけどそこでも負けず嫌いだった性格が余計に上手くなりたいと思わせた
でもこの1年が俺の後々のカヌーの真髄だった
毎日、練習場に行って午前中はアブラミッチとのマンツーマン、午後から学校を終えた選手達との共同練習
ほんとに刺激の絶えない日々をただひたすら夢中に過ごした1年だった
今書いて気づいたけど夢中って漢字、夢の中って書くけどこの1年俺にとって夢のような大切な時間だった


帰国後、元の高校に戻ってカヌーを続けるより、良い環境を求めて秋田に移ったのも自然の流れだった気がする
スロベニアで経験した”強い選手がいる環境”でカヌーをしたいと思っていたから
秋田には翼がいた
この秋田に移ってからの4年間は翼を意識し続けた時間だった
同じチームにもなって余計に身近でプレーも見れたしやっぱり何か俺には無いものを持ってる感じが常にあった
ただこの間に一緒にトレーニング出来たおかげで翼にどうしたら勝てるかそんなところも見えて来た気がした時だった
お互い全く違うタイプの選手だったから翼にあって俺に無い部分をただ単純に詰めて行くことをしてた
同時に自分の持ち味は無くさないように
この作業が頭の中では簡単だけど実際は容易じゃない
感覚もテクニックもそもそも体格自体が違うことから始まるわけだから...
でもこの難作業に挑んだことで学んだことは大きかった
だからライバルだったり理想とする選手を常に持つっていうのは大事だと心から思う


初めてシニアナショナルチームに22歳で入ってそれから抜けたり入ったりの繰り返しだったけどコンスタンスに世界の舞台で戦ってきた
”世界のレベルは近いようで遠く、頭で描いている世界で勝つというシナリオが何度も崩される度に新しい挑戦が始まる”この繰り返しだった

途中何度も怪我にやられて大きな挫折もあった
それでも怪我を負けた理由にはできないからがむしゃらに筋トレをしてそれが逆効果でまた怪我をした
ほんとに怪我の多かった時には1年に5回も肩の脱臼を経験した
もう脱臼は慣れたせいで今では自分で肩を入れる離れ業もできる 入るとき気持ち悪い (絶対おすすめしない)
それでも手術をしなかったのは先生に半年は思うように動かせなくなると言われた時に感覚的に追いついて行けないと考えたから
今自分が持っている感覚を失うかもしれないという恐怖があったから
それならこの怪我と上手く折り合ってやって行くしか無いと自分に言い聞かせてやってきた
怪我に関してとにかく自分のカラダのことだから自分で判断することが一番自分を納得させる
勿論判断する上で専門家の人の知識を持って見通すことが不可欠だけど


怪我をしたことでカラダのケアを人一倍するって聞いたことがある
正にその通り
でも出来れば怪我の無い方がカヌーは楽しい...


カヌースラロームを始めると決めてからただただ夢中に様々な環境の中を選びながら上手く成る方法を追い求めて来た
失敗もしたし成功したと自分を素直に認められる時もあった
ここまでの自分を先ずは認めてもいいんじゃないかな
カラダも怪我にはほんと何度も泣かされて来たけどここまでは良く耐えてくれた


ただ正直やっぱりオリンピックには行きたかった...
藤野強さんの姿を見て俺もいつかはと想い、描き続けてきた夢の競演舞台に...


今回のレースでそれが実現できなくなったけれど、これまでの俺のオリンピックへの挑戦には悔いはない
そう思えるのもオリンピックに対する挑戦はすべてやりきったから
すべてやりきったと思わせる俺の挑戦を支えてくれた数えきれない多くの人たちに感謝です


ありがとうございました


山中修司



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この記事へのコメントコメント一覧

オリンピックへの挑戦 山中修司

こんばんは。

修司さんのカヌーは
川、風、カヌー全てが一体になっていて
とてもかっこよくて好きです。

私は小さな流れ、大きな流れ
巻いている渦、色んな発見をして
カヌーを漕ぎ色んなものを感じることが好きです。

修司さんに川の流れ、漕ぎ方など
カヌーを通して沢山、色んなことを教えていただき、
もっともっとカヌーが楽しくなりました。
有難うございました。

これからも修司さんを応援しています。
私も何事にも一生懸命頑張ります。

オリンピックへの挑戦 山中修司


こんばんは。

私は修司さんの見る者を魅了する
カヌーのスタイルがとても好きでした。

練習や試合の時など、大切な時間を
私達の為に使って頂きありがとうございました。


私にとっての初めてのヨーロッパでも
大変お世話になりました。

初めての人口コースや、動画でしか
見た事のない選手に会えたり、友達が出来たり
地中海でカヌーを漕いだり泳いだり
たくさんの経験をさせて頂き、
とても貴重な時間となりました。

その中で私の夢を見つけることが出来ました。
私も、その夢に向かって頑張っていきます。

今まで本当にありがとうございました。
これからもずっと応援しています。

オリンピックへの挑戦 山中修司

SHU-G
学生時代に会ってその時のエピソードは初めて知ったよ!
知らない事もたくさんあるね!
けど、刺激を与える仲間だってことはずっと変わらないね!
これからも!
今の心境はアスリートが通る道だし
怪我の事もそう。
これからのこともそう!
全ては自分にも当てはまることだと思う。

月末には東京に戻るからゆっくり飯でも行こう!
いい加減、家族に会わせろ!!笑

お疲れさま!

See you soon bro.

オリンピックへの挑戦 山中修司

SHU-G

まずは、お疲れさま!
同じ高校で会ってからのエピソードは初めて知ったよ!
いろいろ時間を過ごしたけど知らない事もたくさんある。
でも、とても刺激を感じる仲間だってことは今も変わらないし
一生大事にしたいと思う。
今の心境はアスリートが通る道だと思う。
他人事ではない。
新たな道もスタートするだろう!
怪我もそう!
お互い経験してるし
年々、活動の種類は変わるものだと思う。

俺も月末には東京に戻るから
ゆっくり飯でも食おう!
いい加減、家族に会わせろ!!!!笑

お疲れさま!!!
See you soon bro.

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山中修司
やまなか・しゅうじ
競技:カヌースラローム男子カヤック
出身地:沖縄県

「カヌースラローム競技」とは 急流に設置された旗門(ゲート)を番号順に通過し、スピードを競い合うというカヌーのタイムトライアルレース。
15歳まで野球一筋で夢はタイガース入団!
が、叔母の誘いでカヌースラロームを始めると野球グラブを脱ぎボートに乗ってパドルを握る!!
2007年のブラジル世界選手権では2本目のタイムが4位に入るという本人も驚きのタイムをたたき出す。
水の素晴らしさを追い求めるカヌースラローマー。


[[20071218-00.jpg]]
[[BLUETAG.JP|http://bluetag.jp]]
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