2007年03月29日

野村監督の反骨心

先日、「大リーグへの道」というドキュメンタリーを捜していて、
ふと目にした番組が、野村克也監督の少年時代のドキュメンタリーでした。

何度も耳にはしましたが、子供の頃からの「極貧生活」、その中から生まれたハングリー精神。
でも当時、そんな少年は他にも多く居たように思います。
それでも、あのように選手としても、また監督としても、素晴らしい業績を、
実際に上げて来られた野村監督さんは、やはり凄いかたなのだと思います。

端的にまとめると、このようなお話です。
お父様は、日中戦争の時に若くして、亡くなられます。
お母様は病気がちで、大黒柱を無くした一家は、極貧生活を味わいます。

やがて、野村少年は、野球を知りますが、母は大反対。
学校を出たらすぐに働きに出ることになっている。
野球なぞは無駄なことだと、バットをどこかに隠してしまうほど・・。
でも、野村少年は、床下からバットを見つけ出し、また素振りを繰り返すのでした。

兄と畑仕事をしていると、兄が言う・・。
『今日は野球の試合だろう。お前、ほんとうは試合に行きたいんだろう・・。』
『オレが、お前の分まで、仕事をやってやるから、お前は試合に行け。
だが、行くからには、必ず、勝てよ!。』
野村少年は、畑を覆ったワラに隠してあった、バットを取り出して言う。
『兄ちゃん、ありがとう。必ず、勝つからな。ありがとう』

この兄が大学進学を諦めて、野村少年を高校に入学させてくれ、
そして見る間に、野村選手は有名になっていき、やがてプロに入り、
本塁打王、三冠王とタイトルを獲っていく。
その愛する母は、3年後に、64歳くらいでガンで無くなるのだそうだ・・。

野村家のお墓参りに、野村監督が詣でていた。
昔は、粗末な囲い程度のものしかなかったのだそうだ。
野村監督が、プロ入りしてから、立派なお墓を立て直したのだとか・・。

そして、野村監督の独白・・。
『人生とは、不思議なものだ。
あんなに、母に反対された野球で、自分はこうやって、食べてこられた。
人生とは、どうなるかわからないものだ・・。』

『また、日本一になったよ、お母ちゃん。そう言って、またお墓参りに来たいね』・・と。

お恥ずかしい話だが、私は『蝶よ花よ』と育てられた訳ではない。
ハングリー精神が、野村監督さんほどではないにしろ、しっかり浸透している。
そういうところが、共鳴してしまうのか、野村監督さんのドキュメンタリーには、涙が出た・・。

長島さんは、「ひまわり・・。」
野村監督さんは、「ひっそりと日本海に咲く月見草」

野村監督さんの反骨心は、ただ貧乏だったので、金持ちを見返したいというだけではなかったと思う。
自分の為に2倍働き、大学進学を諦めてくれた兄の犠牲、
野球をさせてくれる為に、父の遺品を出してくれた母、
そういう思いがあればこそ、
野村少年は、一辺倒の頑張りではなく、血のにじむような努力をしたのだろう。

昔は、星野仙一さんのように、『女手ひとつで育ててくれて・・』、
そういう、周りのご恩に報いる為、楽な暮らしをさせる為、そのために一流選手になるんだ・・と、
頑張る選手が多かった。
素質と努力とが合わさって、ほんとうに名選手たちがその中から、生まれて来た。
まさに、野村監督さんも、そういうお一人なのだ・・。

今年、野村監督さんは、Bクラスなら辞める覚悟らしい。
『楽天は名前が悪いよ・・。ひっくり返すと、転落・・だ。ふっ・・。』
・・と、いつものように、野村監督さんは、ボヤいていたが、
今年は何とか、「Aクラス」に入れると良いのだけれど・・。
わりに低く見られていたオリックスも、戦力が充実しているみたいで、混戦は間違いなさそう・・。

今日の17時からNHKのBS2で、45分間、放映があるようです。
視聴可能なかたは、是非、見て頂きたいと思います。

『わたしが子どもだったころ』「プロ野球・楽天監督・野村克也」   
 
打倒!極貧苦難の連続・母への愛  Gコード(47788) 
 
以下は、NHKさんの番組案内の文より・・。
『野村さんの父は日中戦争で戦病死、病弱な母が懸命に野村さんを育てた。
極貧生活をいかに抜け出すか、野村少年の頭はそのことで一杯…。
母への愛と生きる強さに満ちた物語。』

(野村監督さんのウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%85%8B%E4%B9%9F

posted by bpjclub |15:22 | 野球 | コメント(7) | トラックバック(0)
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