2009年12月22日
コメントをいただいた方のお陰で、過去に別のブログで書いた記事を思い出した。そこで、少し内容を変えてもう1度書くことにした。
私の考え方に反対する人のサッカーは次のようになる。
・ドリブルは危険。だから安全なパスでビルドアップ。
・攻め急ぎは精度が低下。だからボールを落ち着ける。
・得意のセットプレーで得点を決めればいい。
・相手が来る前にボールを離す。接触がなければ、体格差は関係ない。
・運動量で数的優位。
岡田監督も大体同じような考え方だ。オランダ遠征後に「相手の攻撃を抑えらる目処が付いたので、あとは点を取る部分だけ」と自信を深めたようだ。以上を要約すると、「自己(現在のレベルと日本人の長所)を知り、その中で最善を尽くせば、海外の強豪国に勝てる」という考え方だ。言い換えると、正面からぶつかっても勝てる見込みがないから、相手をいなしながら相手のミスを待つサッカーとも解釈できる。まさに、アジア予選の勝利もまさにここにあった。
そこで、相撲の例を述べたいと思う。新入幕の力士が横綱と当たった場合、勝つ見込みはほとんどないが、たった1つだけ可能性がある。それは、立ち合いの変化だ。思いっきり行くと見せかけて、とっさに左右どちらかに変わるのだ。さらに、一か八かのけたぐりをする手もある。それでも、横綱が受けて立つと、動きを見られて簡単に負けてしまうだろう。
その力士が本当にそのような相撲をしたら、どちらにしろ親方にこっぴどく叱られる。なぜなら、それは逃げの相撲だからだ。力士は変わったり引いたりして勝つ味を覚えると、その時点で成長が止まる。つまり、それ以上は強くならないのだ。「胸を借りる」という言葉は相撲から来ている。皆さんがよく知っている千代の富士は若い頃は細身で相撲が荒いため、誰も横綱になるとは思わなかった。しかし、豪快かつ逃げない相撲を取り続け、筋肉が付いてくるに従い、強さが増して大関・横綱へと昇進した。
話は変わるが、皆さんはアメリカ大会のギリシャを覚えているだろうか。アルゼンチンに4対0、ブルガリアに4対0、ナイジェリアに2対0と、1点も取れずに完敗した。しかし、10年後のヨーロッパ選手権では優勝してしまった。この優勝でギリシャがヨーロッパのトップクラスに仲間入りしたとはいえないが、ヨーロッパで戦えるレベルにはなった。ドイツ大会は逃したが、南アフリカ大会はプレーオフで出場を決めた。ギリシャのサッカーはギリシャ料理ではなかった。サッカーの基本の1つである堅守カウンターで優勝を得た。
日本人は基本や技術を重要視にする民族なのに、なぜかサッカーに関しては逃げてしまう。たぶん、その基本と技術に戦うという形容詞が付くからなのだろう。サッカーも日本の国技を見倣って、正々堂々と正面からぶつかれば、きっと強くなるだろう。横綱になることは無理だが、小結ぐらいにはなれると確信している。最初に示したやり方では、十両から幕内に上がるのがやっとだろう。大事なことは、日本が今どこにいるかを正確に把握することだ。そうすれば、日本の進む道はおのずと決まる。
posted by ボウヤ |00:55 |
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2009年12月20日
第1回のトヨタカップからずっと見てきたが、欧州からのチームが私の好きなチームでなかったり、南米からのチームがアルゼンチン以外の国からだったりだと、興味が薄れてしまう。今回の決勝は、バルセロナとエストゥディアンテスだったので、もちろん後者のプレーを楽しみに観た。
前半は完全にエストゥディアンテスのペースだった。これはいつものことで、欧州代表と南米代表では試合に臨む意気込みがぜんぜん違うためだ。エストゥディアンテスは、高い位置からのプレスでバルセロナが得意とするパス回しをさせなかった。ボールを奪うとロングキックでFWにボールを入れた。また、スペースがあるときは、ドリブルとパスで攻撃を組み立てた。この攻守の切り替えが素晴らしかったので、バルセロナは前半1本しかシュートを打てなかった。
ところが、前半37分に先制したため、エストゥディアンテスは後半から守りに入ってしまった。前半のサッカーを90分間やるのは体力的に難しいためだろうが、ゴール前を固めてカンターを狙った。そのため、バルセロナの攻撃のリズムが良くなり、カウンター対策もほぼ完璧だったので、徐々にバルセロナに得点が入りそうな雰囲気になった。結局、あとちょっとのところで、勝利が手からすり抜けてしまった。とても残念だが、気力と戦術が技術力を上回れなかったという結果になった。
今大会は、なつかしい顔がピッチで見られたのがよかった。それはアトランテのソラーリとエストゥディアンテスのベロンだ。マドリード時代のソラーリを見ていたので、ソラーリがペナルティーエリアの前で守備に奔走している姿は不思議に映った。パスを受けても、ドリブルをせずに簡単にパスを出すプレーにも一抹の寂しさを覚えた。一方、ベロンは素晴らしいプレーを見せてくれた。サンプドリアで初めてベロンを見たときは、いいプレーがある一方、雑なプレーも多かった。もう34才だが、あるレベルを維持し続けている姿に感動を覚えた。
メキシコのアトランテには、ソラーリを始めとしてアルゼンチンの選手が3人いた。同じスペイン語圏だからかもしれないが、どうしてメシキコにアルゼンチンの選手が多いのだろう。前大会で来日したパチューカにもアルゼンチンの選手が3人ぐらいいた。日本にも、もっとアルゼンチンから助っ人を呼んで欲しい。アトランテは、オークランドシティー戦はメキシコらしいパスを細かくつなぐサッカーをしたが、バルセロナは異なるサッカーをした。パスでバルセロナの守備を破るのは難しいと考えたのだろうか、ドリブルとロングパスで何度かチャンスを作った。
アジア王者の浦項と南米王者のエストゥディアンテスの力の差はいかんともしがたかったが、浦項の戦う姿勢はすごかった。昨年のマンチェスターと違い、エストゥディアンテスも全力でサッカーをしていた。試合はこうでなくては意味がない。ただ、浦項のプレーは熱くなりすぎていた。イエロー8枚(そのうちの4枚でレッド2枚)、レッド1枚。イタリアの主審のカードを出す基準が少し厳しすぎたと思うが、国際大会は各国のリーグより厳しい判定になる傾向が強い。
アフリカの黒人系のチームは、国際大会で非常に素晴らしいパフォーマンスをいつも見せてくれる。それは、勝敗より自分が持っているものをすべてピッチで表現しようとするからだ。コンゴのマゼンベも例外ではなかった。守備の最終ラインが異常に高く、裏を狙われて失点したが、そんなことはお構いなしというところが、日本人では考えられない感覚だ。裏を取られても、十分追いつけると考えているのかもしれない。もう1つの不思議は、いい選手がいるのにヨーロッパのクラブに呼ばれずに、コンゴでサッカーをやっていることだ。Jリーグに呼べば、エムボバのように活躍するかもしれない。
今回はなぜか解説者が気になった。解説者もいろいろいる。単純激情型、個人びいき型、何でも賞賛型、チーム偏向型、技術指向型、無反応型、全体把握型、情報通型などなど。どの解説者を指しているのかは、ご想像に任せる。私の身勝手な希望を言えば、サッカーに集中できる適度な解説とボールを扱っている選手の名前を正しく言ってくれる実況のコンビがいい。
posted by ボウヤ |21:28 |
CWC |
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2009年12月12日
岡田監督と協会は、WCに向けた日本代表強化のために、強豪国との練習試合を躍起になって探しているようだ。
話は変わって、CWC初戦のアル・アハリとオークランド・シティーの試合を見た。オークランドのサッカーにびっくりした。素早い寄せで相手からボールを取り、ドリブルとパスで素早くゴールに向かった。まさに、日本代表が目指すサッカーだった。戦う姿勢は日本以上なので、もしかしたら日本代表より強いかもしれない。
WCに出場する強豪国と練習試合をしても、代表強化にはならない。なるのだったら、ドイツ大会のメンバーを継続させることが最強の日本代表を作ることになる。なにしろ、このチームは2005年のコンフェデでメキシコ、ギリシャ、ブラジル(1勝1敗1分)、2006年のドイツ大会でオーストラリア、クロアチア、ブラジル(2敗1分)と戦ったのだ。さて、オランダ遠征後に日本代表は強くなったのだろうか。その後の南アフリカと香港との試合を見れば、何も変わっていないことが分かる。
ただ、代表が集まって試合をやることはいいことだ。そこで、体格がよく厳しい寄せができるオークランドに試合を申し込むほうがいいだろう。問題は、真剣勝負ができる環境を作れるかだ。何らかのインセンティブが必要になるが、これが非常に難しい。オークランドの選手はプロではなくアマチュアらしいので、強豪国よりかは真剣に練習試合に臨んでくれるだろう。ダメなら、鹿島アントラーズと試合をする方法もある。この方法にはもう1つメリットがある。強豪国とやって負けても誰も文句を言わないが、オークランドやアントラーズに負ければ、代表作りが失敗だったという烙印を押される。つまり、岡田監督にとって覚悟が必要な試合になる。
最後に「衆生近きを知らずして、遠く求むむるはかなさよ」という禅定を岡田監督と協会に送りたい。
注)事務局から「なりすましのコメントを検出したためにコメント欄を許可制にした」との連絡が入りました。個人的には、冗談めいたコメントだと思いましたが、「管理人」と私のハンドル名の「坊や」(本当はボウヤ)という名前を使ったために、事務局が「なりすまし」と判断したようです。しばらく許可制にするため、表示が遅くなりますが、ご了承願います。また、誤解を招くような言葉を冗談のつもりでも使わないよう宜しくお願いします。
posted by ボウヤ |00:50 |
ワールドカップ |
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2009年12月11日
このブログは、いろいろな視点から日本代表を評価するために始めた。しかし、コメントをくれる人の中には、記事の内容にまったく興味がない人がいる。彼らは、現代表チームを批判する私がどんなチームを提案できるかだけに興味があるらしい。つまり、私が作るチームが岡田ジャパンより強いか弱いかを比較したいようだ。もちろん、結論は弱いに決まっている。
代表の試合はすべてテレビで見ているが、クラブチームは、インテル、マンチェスター、リバプール、マリノス(地元)、FC東京が中心だ。1年間まったく見ないJのチームもかなりある。このような状況で代表を選ぶのは難しい。つまり、岡田監督が作る代表チームは批判できるが、代案を出すことは無理だ。そこで、私のサッカー選手感を簡単に紹介したいと思う。
過去の全選手を含めて、私がサッカーができると思ったのは中田英寿と松井大輔だけだ。ラモスもカズも物足りなさを感じた。今代表に入って欲しいと思っている選手は、FC東京の鈴木達也と石川直宏、マリノスの山瀬功治だ。入るということは控えではなくレギュラーだ。以前から期待している選手もいる。本田圭佑、家長昭博、柿本曜一朗、塩崎司、セルヒオ・エスクデロ、柏木陽介、野沢拓也らだ。去年、日産スタジアムで柏木のプレーを見たときに、バランスの取れたいい選手だと思ったが、一方で若いのだからもっとがむしゃらにやってもとも感じた。家長と柿本はセンスがいいと思うが、所属チームに馴染めなかったのか、それぞれ大分と徳島にレンタルされてしまった。塩崎とエスクデロは怪我もあり伸び悩んでいるようだ。野沢はテクニックがありアントラーズの優勝に貢献しているので、代表に呼ばれないのが不思議だ。本田はVVVでの活躍で代表入りしたが、代表でのプレーは大人しすぎる。いろいろな人が彼に意味のないプレッシャーをかけているからだ。もっと放埒なプレーをして欲しい。
話は変わるが、本山雅志が高校からアントラーズに入ったとき、ギグスのようなすごい選手が日本にも現れたと思ったが、プロになってからは、ただの普通の選手に変わってしまった。本人の問題なのか、それともチームの問題なのだろうか。
DFに関してはあまり好みがない。日本人の性格上、守備に関しては生真面目にきちんとやるからだ。今期待しているのは、森重真人、岩政大樹、伊野波雅彦らだ。サイドバックに関しては人材不足のようだ。長友はいい選手だが、世界で戦うときに身長差をカバーできるか少し心配だ。ロベカルはしばしば守備で批判されていた。ただ、今年行われたU-17ワールドカップ・ナイジェリア大会で新しい発見があった。中京大学附属中京高校の宮市だ。途中から出場して、サイドをドリブルで駆け上がり、正確なクロスを何度もあげた。FW登録だったが、ウィンガーまたはサイドバックをやらせてみたい。この発見は久しぶりのような気がする。多分、松井以来だ。
本山の例のように、日本人は高校生までは可能性を示す選手がいるのに、その後が伸びない。ギグス、オーウェン、ルーニーも16、7才でプレミア・デビューしているが、その後確実に成長してトップ選手になった。この差がそのまま日本と世界の格差になっている部分もある。いつも不思議に思っている。
posted by ボウヤ |00:30 |
雑感 |
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2009年12月10日
どんな人でも、責任を持って仕事をしている。サッカー選手はピッチ上のプレーで責任を果たさなければならない。ところが、日本代表の試合を見ていると、その責任を果たしていない選手がいる。過去に、キーパーを抜いたのにシュートを打たなかったFWがいた。おそらく、角度がなかったからだろう。このFWは、自分が得点を取るより、チームで得点を取れればいいと言い切っていた。きっと、FWがストライカーと呼ばれることを知らないのだろう。さらに驚いたことに、サッカーを辞めて解説者や評論家になった元プロやジャーナリストたちが、このFWを日本代表に推薦していた。日本のサッカーの基準はどこにあるのだろう。
現役の代表にも問題がある選手がいる。ペナルティーエリア付近まで攻めてボールを取られたのに、そのMFは突っ立ったまま相手の背中を見ていた。ボールを運ぼうとしてボールを取られるのは仕方ないが、どうして取り返そうとしないのだろう。このMFがいつもこのようなプレーをするわけではないが、常にこのような傾向を攻撃でも守備でも示す。
あるMFが自陣深いところでボールを受けドリブルで行こうとしたら、寄せてきた相手に取られて失点してしまった。試合後、もっと安全なプレーをやれと、関係者やファンから叱られた。その後、このMFは得意のドリブルを封じて、ボールを受けるとワンタッチまたはツータッチでボールを回すようになり、状況判断ができるパスの名人として名声を得た。しかし、パスのほとんどは簡単な横パスやバックパスだった。これは架空の話だが、日本では、このような責任回避のプレーが賞賛される。反対に、ドリブルで自分の責任を果たそうとして失敗すると避難を浴びる。
上述した例は極端な例だが、日本代表には似たようなプレーが多い。1点負けているのに、SBとCBの間で意味のないパスを繰り返す。あたかも「お前が前線にパスを入れてくれよ」と、互いに頼んでいるように見える。前があいているのに、ドリブルをしないで、自分を追い越す選手を待つ。これも「俺は人を使う天才だから使われる側がきちんと動けよ」と言っているように見える。シュートチャンスなのに、シュートを打たずにパスを出す。「相手が目の前にいたのでシュートよりパスのほうが有効だった」と言い訳する。これらもすべて責任回避または責任転嫁のプレーだ。
せっかくシュートチャンスなのに、どうしてシュートを打たないのだろう。シュートを打って枠を外すより、味方に預ければ責任が転嫁できると、まさか考えてしまうのだろうか。せっかくカウンターのチャンスなのに、どうしてドリブルをしないのだろう。相手のスライディングを受けてボールを取られるより、安全なパスを送れば責任が回避できると、まさか考えてしまうのだろうか。日本代表はドリブルが非常に少ない。これこそが究極の責任回避なのだ。ドリブルは、ボールを取られるリスクや反則を受けるリスクが高いが、ドリブラーはその責任をすべて背負い込まなければならないからだ。
上述したプレーは海外ではほとんど見かけない。日本が世界に近づくためには、この部分の意識改革が必要だ。海外に比べると、日本のほうがミスが少ないように感じるが、選手が果たすプレー1つ1つの責任もずっと小さいように感じる。また、日本は技術がしっかりしていると思っている人が多いが、この意識改革が進むと日本の技術の欠如が明らかになるだろう。サッカーで責任を果たすということは相手と戦うことで、簡単なパスを出すことではないからだ。戦う技術を見ると、日本は相当遅れている。これが韓国との差でもある。ただ、すでにプロになったサッカー選手にこの意識改革を要求しても無理だろう。だから、子供の頃からのサッカー環境が大事になる。
日本代表の責任の希薄さは、相手からプレッシャーを受けたときにもあからさまになる。相手を背負ったり寄せられたりすると、プレーに余裕がなくなる。結局、慌てて出したパスを取られて、失点してしまう。ミスを恐れてミスをするという最悪のシナリオだ。いつも責任を持ってプレーしていれば、プレッシャーを受けても堂々としたプレーができるはずだ。もちろん、ボールを取られてしまう場合もあるが、日本と海外ではボールの取られ方が違う。日本のボールの取られ方はプロとして恥ずかしい。
以上まとめると、日本代表に一番必要なのは、自分のプレーに責任を持ち、自分自身で今何をすべきかを判断できる能力が高い選手を選ぶことだ。岡田監督が決めたレギュラー陣を見ると、合格するのは半分ぐらいだ。おそらく、選手を選ぶときにこの基準が入っていないのだろう。
posted by ボウヤ |02:18 |
サッカーの基本 |
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