2008年11月25日
サッカー日本代表の試合でいつも不満に感じるのは「カウンターがないこと」だ。守備がよくなっているので、カウンターがあれば、サッカーがもっと面白くなるし、強豪に対して先行逃げ切りも可能になる。さらに、互角に渡り合えなくても、強豪と見ごたえのあるサッカーを繰り広げられる。ところが、日本代表がカウンターを見せることはほとんどない。カウンターがないことが、日本代表のサッカーを非常につまらなくしている。
1993-1994年シーズンのコッパ・イタリアの準決勝だったと思うが、セリエBのアンコーナがセリエAのトリノと対戦した。当時のトリノは非常に強かったので、ボールを圧倒的に支配してアンコーナのゴールに襲い掛かった。一方、アンコーナは自陣に引いてゴール前を固めたが、ボールを取るとすぐにサイドに開いた選手にボールを預け、そこからドリブルや前線に残ったFWへの正確なパスで、トリノのゴールを何度も脅かした。結局、カウンターで取った1点を守りきったアンコーナが1対0で勝った。トリノの一方的な試合だったが、アンコーナのカウンターが非常に美しかったので、スリリングでとても面白い試合だった。カウンターを仕掛けた二人の片方の名前は思い出せないが、もう一人はアゴスティーニという選手で、その後セリエAの別のチームに移籍した。
ボクシングでも、カウンターは一発でKOできる最高の武器である。しかし、その武器を日本代表は使わない。選手はカウンターの重要性を認識していないのだろうか。それとも、監督から禁止令が出ているのだろうか。あるサッカー評論家が日本のサッカーを「守ってカウンター」と称していた。これはまったく見当違いだ。「守ってセットプレー」というのが正しいだろう。カウンターはサッカーでも必須アイテムだ。格下のチームが格上のチームと戦うときは、「守ってカウンター」が常套手段だ。素早い引きでゴール前を固めて、自陣でボールを取ってから、素早いカウンターでゴールを取りにいく方法が一番勝つ確率が高くなる。各国のリーグ戦を観ても、下位チームは上位チームに対して、このような戦い方をする。カウンターができなければ、下位チームの唯一の武器はセットプレーだけになってしまう。また、カウンターがあることを示すだけでも、相手の攻撃を多少弱めることができる。上位チームは逆に、カウンターによって大量点を取ることができる。先制されたチームは同点に追いつこうと前掛りになるので、カウンターによる得点の確率が高まる。上位チームは、ドリブルやパスで相手を崩すだけでなく、カウンターも非常に速く巧みだ。
カウンターに必要な技術はドリブルとパスだけでない。ボールを止めないこと、そしてパスを出すタイミングが重要になる。トラップの技術も大事だ。ボールを正確に受けて、動きを止めずに次のプレーにつなげるようなトラップだ。カウンターは時間との戦いなので、いかに素早くボールをゴールまで運ぶかが鍵になる。さらに、何よりも大事なのはカウンターを仕掛けようとする気持ちだ。この気持ちがなければ、カウンターは始まらない。
一番シンプルなカウンターは、自陣でボールを取った選手がドリブルで相手のゴールまで突進する方法である。かなり昔のことになるが、左SBのヤルニ(イタリア時代)が自陣のゴールライン付近でボールを取って、ドリブルでボールを敵陣のゴールラインまで運んだシーンは、とても印象的だった。相手チームの快速FWのアスプリージャがボールを取ろうと追いかけたが、タイミングをうまく外して飛び込むスキを与えなかった。マンUでは、ギグスが超高速ドリブルで、ボールをゴール近くまで何度も運んだ。ギグスの走りながらの絶妙なフェイントで相手ディフェンダーが足をもつれさせて転ぶシーンは非常に痛快だった。今の日本代表は、このようなカウンターができないと思っていたが、シリア戦で長友が見せてくれた。センターライン付近でパスをカットして、ドリブルで上がったところに相手が寄せてきたが、それをかわして中央に切れ込んで右足でシュートを打った。試合開始早々で相手が油断していたこともあったが、このようなプレーを仕掛ける選手が代表にいることは非常に頼もしい。内田にも期待したが、残念ながら挑戦しなかった。左右のバランスを考えるだけでなく、もっとチャレンジすべきだ。
通常は、2~3人でドリブルとパスを組み合わせてカウンターを実行する。自陣でボールを取って、前線にいるFWにロングパスを送っても、通常はマークがきついためカウンターにはならない。最初にカウンターを仕掛ける選手はドリブルに入る。これにより、注意がドリブラーに集中するので、前線の選手がフリーになるチャンスが作れる。次に、どのタイミングで前線にパスを出すかが、カウンターの妙になる。前線の選手にいいタイミングでパスが渡れば、受けた選手はダイレクトまたはディフェンダーをかわしてシュートを打つことができる。それがだめでも、パスを出した選手または別の選手が駆け上がっていれば、その選手にパスを送ってシュートを打つチャンスがまだある。このようなカウンターができるのがMFの松井だ。2007年のフランスリーグのルマン対ナンシー戦で、ルマンがすばらしいカウンターを見せてくれた。ペナルティーエリア付近で相手のボールを取った選手が、その瞬間に走り出した松井にパスを出した。ナンシーは全員がかなり上がっていたので、松井はスペースをドリブルでゴールに向かって突進した。そのままシュートまでいくのかと思っていたら、反対サイドを走っていたゲルヴィーニョにDFの頭を越える完璧はパスを出した。もちろん、走りながらのパスである。それをゲルヴィーニョが完璧にトラップしてすぐにシュートを打って見事に得点した。
日本代表も、素晴らしいカウンターで得点を取ったことがあった。それは、2005年のコンフェデレーションズ・カップの日本対メキシコ戦だった。宮本が取ったボールをすぐに小笠原にパスし、小笠原が駆け上がった加地にスルーパスを通し、加地のグランダーのクロスボールに柳沢が合わせた。相手DFを背負って走っていた柳沢は、加地のクロスボールを完璧に足に当てることができなかったが、運良くボールはゴールに吸い込まれた。
監督が代わるたびに、カウンターの意識を高めてくれる監督を願ったが、ジーコ監督もオシム監督も岡田監督も、残念ながらそれを見せてくれなかった。今後も、この状況は変わらないかもしれない。Jリーグの試合と比べても、日本代表の試合は極端にカウンターが少ない。外国人選手がいるいないの問題だけでもなさそうだ。大きな問題は、カウンターに限らず、チャレンジする気持ちが代表選手に足りないからだろう。点を取れる可能性があると見たら、役割に関係なくゴールに向かう気持ちが必要だ。日本代表のように、自分の役割以外のことをしないサッカーでは、カウンターはできない。
先週のカタール戦でも、目を疑うシーンがあった。2対0で勝っている後半10分頃に、カタールが押し上げて攻め込んだ。日本陣内の左サイドの2対2のシーンで、うまく相手のボールをインターセプトしたFWがボールをもう一人の味方(MF)にパスして、サイドラインに沿って駆け上がった。ボールを受けたMFはフリーで前も空いていたのに、前線の様子を見ながらボールをセンターライン付近までゆっくり運んだ。ところが、パスコースがないと判断したのだろうか、ボールを思い切り蹴ってバックスに戻してしまった。この状況でどうしてドリブルで素早く駆け上がらないのだろう。さらに、どうしてバックパスを選ぶのだろう。前線にはカタールのDFが3人しかいないので、明らかにカウンターのチャンスだった。ここまでカウンターができないなら、最終手段を講じるしかないだろう。本来は、個々の判断でカウンターを仕掛けるが、日本代表はできそうにないので、カウンター担当を決めて、試合前に練習しておく方法だ。つまり、パスを出す選手、駆け上がってパスを受ける選手、そしてゴール前に上がって、シュートを打つ選手をあらかじめ決めて、3番目に紹介したようなカウンターを仕掛けるのだ。ボールがパサーに渡ったときに、カウンターのスイッチがオンになる。残りの2人は守備のことを無視して駆け上がる。パサーは自分の判断で、状況を見てカウンターをするかしないかを決めればよい。このようにすれば、1試合に何回かカウンターを見ることができるだろう。そして、試合もきっと面白くなるはずだ。
posted by ボウヤ |02:35 |
サッカーの基本 |
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2008年11月20日
日本が勝てるとしたら、守備がどこまでカタールの攻撃を食い止められるかだと思っていた。特に、CBは中澤不在で非常に不安定なため、その前でカタールの攻撃をどのように抑えるかが鍵になるが、日本の守備はほぼ完璧だった。カタールのセバスチャンやモンテシンにほとんど仕事をさせなかった。カタールは、ウズベキスタン戦とバーレーン戦で、すばらしい攻撃力を見せた。しかし、それは相手の守備力が低いから、よく見えたに過ぎなかったようだ。一方、カタールの守備はバーレーン同様、基本ができていなかった。プレスやマークが非常に甘く、後手になって深いスライディングタックルをするという守備だった。さらに、ボール処理のまずさも目立った。日本の2点はカタールのミスから生まれた。日本戦のウズベキスタンの守備と比較しても、日本は非常に戦いやすかっただろう。
試合の立ち上がりは、ロングボールとセットプレーのせめぎ合いだった。前半19分に内田のロングボールがうまく抜けて、それを拾った田中がシュートしてキーパーの股を抜いてゴールを取った。非常にラッキーな点だったが、この時間帯が一番危なかった。CBの寺田が緊張からかミスパスをしたり、フリーキックをアブドゥルマジェドにフリーで合わせられたりした。しかし、日本の守備は時間とともに安定感が増し、バーレーン戦のような消極的なボール回しもせずに、90分間前線からプレスを掛け続けてカタールに攻撃をさせなかった。シュート数も12対5と圧倒した。
この試合で一番印象的だったのは、田中が1点目を入れたときに、長谷部がすぐに駆け寄って笑顔で田中に抱きついたシーンだった。長谷部は代表でプレーするごとに、いいパフォーマンスを見せている。また、得点を取ったFWの田中と玉田は、得点シーン以外でも攻撃で相手を脅かした。特に、田中のドリブルによる攻撃力はカタールの攻撃力を上回った。2点目は、玉田が長谷部のパスを豪快にダイレクトシュートして決めた。しかし、FWとMFの連係による攻撃は今一物足りなかった。岡田監督が、中村俊が出られないときの代わりに誰を指名するつもりなのか分からないが、この試合でその答えが暗示された。前線の4人は田中、玉田、松井、長谷部の組み合わせが最もよいだろう。全員ドリブルができ、攻撃の意識が高いからだ。この場合の守備的ミッドフィルダーは、両SBが若いことも考えて、守備重視で選ぶべきだろう。現有戦力から選ぶならば、阿部と今野だ。現有戦力外も考慮すると、今野に代わってガンバの明神を代表に復帰させる手もある。このチームなら、攻守に渡って、今より強く面白いゲームが展開されるだろう。
最後に、中国の主審はいかがなものか。カタールは危険なスライディングタックルをたびたびしたが、主審はイエローカードを出さなかった。ところが、試合が終わりかけた後半の44分から、立て続けに3枚のイエローカードを出した。まったく理解できない判定だった。
posted by ボウヤ |18:01 |
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2008年11月14日
日本は、左SBの長友の調子良さが光っていたが、右SBの内田の元気のなさが気になった。シリアとは、ジーコジャパンが2005年2月に埼玉で戦って3対0で勝っている。ただ、その試合はほとんど覚えていない。オリンピック代表が2007年3月にアジア2次予選で、やはり3対0で勝っている。そのときのシリアは「守備がざる」という印象だった。この試合も、シリアは前からプレスを掛けるわけでもなく、ボールを取られたらいち早く引いてゴール前を固めるわけでもない中途半端な守備に終始した。一方、攻撃はボールをつないでゴールまで運ぶサッカーだったが、日本の厳しいプレスに負けていた。それでも、プレスの中でボールをゴールに運ぶ力は日本より上回っていた。日本は前半、岡田監督になって一番いい攻撃をしたが、それはシリアの未熟な守備と長友の積極性から生まれたと言えるだろう。今後も、相手に関係なく、このようが攻撃的姿勢を見せて欲しい。
本番と異なるチームでシリアと戦っても、あまり意味がないと思っていたが、レギュラー組の怪我による離脱で、岡田監督の危機管理能力が試されることになった。今回の代表選考で一番驚いたのは、岡田監督が闘莉王を選んだことだ。最終予選の第1戦と第2戦の闘莉王のパフォーマンスは最悪だった。闘莉王はレッズでもCBではなく前線に上がっているらしい。つまり、闘莉王をCBとして使うのは非常に危険だ。だから、今回は闘莉王を寺田と代えて、中沢と組ますのが妥当な考え方である。ところが、中沢と楢崎が故障で離脱してしまった。結局、守備の要が全滅したのだ。このようなときに必要なのが危機管理である。一番いい方法は、リーグ最少失点を誇るクラブの守備陣を丸ごと代表に召集することだ。つまり、大分トリニータの下川(GK)、森重(CB)、上本(CB)に任せるのである。大分は3バックだが、この守備陣を日産スタジアムで見た限り、中沢、闘莉王、楢崎の組み合わせより劣るとは思えない。また、この新布陣が成功すれば、今後の日本代表の守備の強化につながるというメリットもある。岡田監督が選んだのは、川口、闘莉王、寺田だったが、現状を分析できない惰性による選出に過ぎない。
シリア戦で一番大事なことは、90分間の戦いで守備の連携を高めることだ。ところが、岡田監督は後半にCBを代えてしまった。ここにも岡田監督の危機管理意識の低さが表れている。結局、後半6人の選手を交代してチームを壊して、シリアに1点を与えてしまった。岡田監督は試合前に「カタール戦に向けた重要なテスト。多くの選手にチャンスを与えたい」と話したが、この考え方は間違えで、監督の決断力の欠如を示している。現在考えられる最高のチームを編成してシリアと戦い、選手交代をなるべく少なくしてカタールと戦うべきである。
中盤に関しても問題だらけだ。レギュラー組の中村俊、遠藤、松井、長谷部は誰もシリア戦に出場できない。ところが、岡田監督が選んだ中盤の残りの選手は、香川以外の全員がすべて守備的ミッドフィルダーだ。この重要なポジションの控えに香川しかいないというのは、危機管理能力に問題がある。小笠原クラスの選手を攻撃的ミッドフィルダーとして選ばなければならない。結局、岡田監督はFWの大久保と岡崎にこのポジションを任せたが、残念ながらあまり機能しなかった。大久保がこのポジションに適していないことは、すでに分かっているはずなのに。監督は管理者なので、危機管理の欠如は監督として致命的だ。
posted by ボウヤ |03:02 |
アジア予選 |
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2008年11月07日
日本代表の目標は2つある。第1の目標はアジア予選を突破することだ。第2の目標は、ワールドカップ本戦で他の地域の代表といいサッカーをすることだ。岡田監督は「ベスト4」とか「世界を驚かす」とか大風呂敷を広げているが、今の日本のレベルでは無理だ。大事なことは、世界で繰り広げられているサッカーに少しでも近づくことだ。負けても仕方ないが、日本戦を観た世界の人が日本人もサッカーができると感じさせることだ。たとえば、ヨーロッパ各国の国内リーグでは、下位のチームがホームなら、上位の金満チーム相手にいい試合をすることがある。この場合のいい試合とは、強い相手に対してひるむことなく攻撃を仕掛けて何度かチャンスを作ることである。上位と下位のチームの守備力は攻撃力の差ほど大きくない。だらか、プレスを徹底して攻撃がうまくできれば、下位のチームが前掛りになる上位チームに勝つことがある。まずは、この程度の試合ができるようにならなければならない。
岡田監督が選んだメンバーなら、第1の目標は達成できるかもしれないが、第2の目標はほとんど無理だろう。どんな日本人選手を選んでも、第2の目標を達成することは容易ではないが、大事なことは、それにチャレンジする選手を選ぶことだ。ところが、現在の代表メンバーにはチャレンジしない選手がチームの中心にいる。それが、中村俊輔と遠藤保仁だ。中盤に中田英、小野、本山らが現れたときには、日本のサッカーが少し世界に近づけるかもしれないという期待感があったが、中村と遠藤のサッカーは別の方向に向かっている。
中村と遠藤のサッカーはよく似ている。この二人は非常に優れたサッカーセンスと技術を持っている。ボール扱い、周りを使う広い視野、精度の高いプレースキックなど、今の日本で一番優れているだろう。しかし、サッカーで一番大事なものが欠けている。それは、「相手を打ち負かす」という戦う姿勢が足りないことだ。二人がいいサッカーができるのは、相手からのプレッシャーがないときに限られる。しかし、相手からのプレッシャーが厳しいと逃げのサッカーになってしまうのだ。相手をかわして、前に行こうとするプレーがほとんどない。ウズベキスタン戦では、遠藤が2本、中村が7本前線にいいパスを送った。しかし、この攻撃は間接フリーキックのようなものだった。下がり目の位置またはサイドに開いて、比較的フリーでボールが蹴れる状態からパスを送るため、攻撃がどうしても単発になる。いいパスを入れたのだから、あとは受け手が何とかしてくれるだろうというサッカーである。これも1つの攻撃パターンだが、これだけで強豪と対戦して点が取れるほどサッカーは簡単ではない。攻撃の基本は、中盤の選手がパスやドリブルで押し上げることによって、相手にプレッシャーをかけることだ。そうすれば、ペナルティエリア付近でワンツーをしたり、跳ね返られたボールを拾ってミドルシュートを打ったりできる。また、中央に敵と味方が集中すれば、外にボールを送ってゴールライン際に切れ込むようなプレーも可能になる。あるレベル以上の守備ができるチームと戦うとき、フリーな状態からパスを狙っても、パスを受ける味方がマークされているため、いい攻撃にはつながらない。一対一で相手を打ち負かそうとすれば、目前の相手だけでなく遠くにいる相手の意識も引き付けられるので、味方がフリーになれる可能性が増す。そして、そこにボールを入れることによってチャンスが生まれる。味方の距離が近いほど、精度とスピードが上がり連動した攻撃ができるようになる。しかし、中村と遠藤にこのようなプレーを期待してもできないだろう。結局、この二人が日本代表の中心にいると、静的なスルーパスかセットプレーでの得点しか期待できない。
また、中村と遠藤は精神的な部分でも似通っているようだ。それが端的に現れたのがバーレーン戦だった。残り24分で2対0で勝っていて、さらに相手が一人退場したのに、パスを後ろで回し始めた。格下の相手なのにどうして、このような状況で消極的になってしまうのだろう。今まで以上に攻め込んで、追加点が取れるチャンスと考えない精神構造では、残念ながら世界に通用しない。日本のサッカーを観ていると、不思議なことがある。「心」が強い選手は「技」が伴わない。「技」が優れている選手は「心」が弱い。普通は、「心技体」が揃った選手がプロになるはずなのに。
遠藤に関しては代表の試合しか観ていないので、中村について、もう少し詳しく述べたいと思う。私は横浜生まれなので、中村がマリノスに入団したときから、中村をずっと期待して見てきた。だから、イタリアでのパフォーマンス、グラスゴーダービーでのパフォーマンス、チャンピオンズリーグでのパフォーマンス、ワールドカップでのパフォーマンスを見ると、日本代表の仕事は、中村には荷が重すぎると感じてしまう。
多くのサッカーファンは、日本のメディアからの情報で、中村がスコットランドでも英雄扱いされていると思っているだろう。さらに、最優秀選手賞も取っている。しかし、BBCが中村に付けた形容詞は「フリーキックがトレードマークの」である。スコットランドのある新聞は中村を「止まっているボールの専門家」と呼んでいた。試合のレポートなどを読んでみても、中村の名前が出てくるのは、ほとんどがコーナーキックかフリーキックである。最近、中村が日本に戻りたいと言ったので、セルティックのファンの投稿を読んでみた。セルティックのファンは、中村が大事な試合でフリーキックで点を取ったことを認めている一方、「懸命さが足りない」という見方をしている。フリーキック以外の中村のプレーに物足りなさを感じているのだ。これは体を張ったプレーをしないだけでなく、ゴールを目指す姿勢が足りないのと、攻守でボールに対する執着心が弱いからだろう。たとえば、相手からプレッシャーを受けたときに、相手をかわしてからパスを前線に送り、走り込むようなプレーがほとんどない。また、ルーズボールを相手と取り合うときも、相手とボールの間に体を入れてボールを自分のものにするようなプレーもない。カウンターのチャンスで、ドリブルで駆け上がることもない。これらのプレーは、中村のデビュー当時からの課題だったが、残念ながら、中村は海外に出てもそれを乗り越えることができなかった。
中村がイタリアで通用しなかったのは、セリエAが守備重視でずる賢い反則が多いリーグだからだ。中村が所属したレッジーナは下位のチームなので、フリーでボールを持てる機会が少ない。いいプレーをするには、自分で突破してチャンスを作らなければならない。しかし、厳しいスライディングを受けると、それを嫌って逃げのサッカーになっていた。結局、レッジーナにいたときは、フリーキックの精度まで悪くなってしまった。ところが、スコットランドに移籍して状況が変わった。スコットランドのプレミアリーグは、セリエAと比べるとレベルが落ちる。また、レンジャーズとセルティックの2強で、その他のチームはレベルがさらに低い。セルティックはイングランドのプレミアリーグと同じように直線的なプレーが多いため、仲間が積極的に攻撃して相手を引き付けるため、中村はフリーでボールを扱える機会が増える。さらに、他の選手と違うリズムがいいアクセントにもなる。そして、何よりも大きいのはフリーキックである。空中戦でもセルティックは他のチームを圧倒するため、中村の正確なキックにより得点の機会が増える。このように、中村にとっていい条件が揃ったので、スコットランドでそこそこ活躍している。ところが、グラスゴーダービーやチャンピオンズリーグでは、状況がまったく異なる。相手が互角か格上のため、セルティックがボールを支配する時間が減り、相手のプレッシャーを受けながら90分間戦わなければならない。ボールを受けても判断が遅いため、簡単にボールを取られてしまう。その結果として、ボールを簡単にさばくだけのプレーになり、ボールに触れる機会が減り、流れの中で中村が活躍することがなくなってしまうのである。これがまさにワールドカップの戦いである。つまり、中村がワールドカップ本戦で活躍できることはまずありえない。中村は、フリーキックは超一流だが、その他のプレーは世界に通用するレベルに達することができなかったのだ。
サッカーで戦う姿勢は当たり前のことで、当たり前のことが当たり前にできないことは、日本のサッカーが次のステップに進めないことを意味している。次のステップとは、静的な技術ではなく、動きや戦いの中で技術を見せることである。だから、第2の目標を達成するためには、中村と遠藤より技術が多少劣っていても、戦う姿勢を見せる選手を選ばなければならない。私は、第2の目標を達成できないなら、ワールドカップ本戦に出ないほうがましだと思っている。ワールドカップで戦えるレベルになることが先決である。サッカーの頂点を競うワールドカップでレベルの低い試合は見たくない。
<追伸>
中村は、ファンだけでなくメディアにとってもアイドルらしい。だから、メディアへの露出度が多くなるが、インタビューでの言葉はピッチ上のプレーより奇々怪々だ。UAE戦に臨むにあたって「負けてもいい」「フリーキックも蹴らない」などと言った記事を読んで、非常にがっかりさせられた。カテゴリー3のシートで3千円、プレミアムシートは1万5千円もする試合なのに、体力の温存と手の内を見せないために手抜きをするらしい。ところが、試合の直前になって「負けていい試合などない」と心変わりした。誰かにたしなめられたのだろうか。プロとして目覚めたのだと思ったら、試合後に再び「いいパスを出すチャンスがあったが、あえて出さなかった」と、元に戻ってしまった。手の内を見せないためのようだが、もう呆れた口がふさがらない。このように、プロ意識に欠ける選手が日本代表の中心にいて、世界と戦えるのだろうか。もっと奇妙なのは、この種のコメントに何も感じないマスコミである。マスコミのていたらくは底なしのようだ。
posted by ボウヤ |05:04 |
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