2011年05月28日

勘違いのポゼッションサッカー

ポゼッション70/30%の試合が見て面白いだろうか。100%詰まらない。なぜなら、ポゼッションの高いチームはその時間をずっと攻撃することはできないし、ポゼッションの低いチームは攻撃を組み立てることができずに、ただボールを放り込むようなサッカーになるからだ。

ポゼッションサッカーは勘違いされている。ポゼッションは「所有」という意味なので、ボールをずっと所有すれば、相手は点を入れることができない。これがポゼッションサッカーの基本概念だと思っている人がいるようだ。しかし、両チームが所有を重視したサッカーをやったら、どんなサッカーになるか想像してみて欲しい。きっと、誰もサッカーを見たいと思わなくなるだろう。

では、ポゼッションサッカーとはどんなサッカーなのだろう。サッカーの目的はボールを所有することではなく、ゴールにボールを入れることだ。ところが、ポゼッションサッカーはボールを取られないという点にプライオリティを置く。さらに、取られてもすぐに複数でプレスを掛けられるようにする。この2つを可能にするには、味方同士が最適な距離を保って、味方の足元に正確なパスを送る必要がある。ダイナミックなロングパスや大きなサイドチェンジ、さらに無理なドリブル突破は基本的にやらない。これらのプレーはボールを取られるリスクが高いからだ。無理してボールを取られぐらいなら、ボールを後ろに回すほうが安全だと考えるのがポゼッションサッカーの基本だ。つまり、ポゼッションサッカーはゴールにボールを入れるための手段ではなく、ボールを取られるリスクを最小限にしてペナルティーエリア近くまでボールを運ぶ手段なのだ。

ポゼッションサッカーを代表するチームは、バルセロナ、アーセナル、スペイン代表だ。これらのチームが本当に美しいサッカーを見せたときのポゼッションは55%ぐらいになる。ポゼッションが60%を超えるような試合は、決して見て面白い試合にはならない。なぜなら、その増えたポゼッションの時間は、うまく攻められないために、ただ無意味にボールを回しているだけだからだ。

バルセロナが強いのは、イニエスタが守備を切り裂くドリブルからパスを出したり、メッシがドリブルからシュートをしたりするからだ。彼らは、どのチームに移っても通用するポゼッションサッカーとは無関係な選手だ。ポゼッションサッカーでペナルティーエリア近くまでボールを運び、そこからさらにポゼッションサッカーを続けても、ゴールを取ることは難しい。なぜなら、選手が密集しているし、守備が厳しくなるからだ。結局、最後の部分はポゼッションサッカーではなく、個々の選手の仕掛けに依存することになる。バルセロナでそれができるのが、イニエスタ、メッシ、ビジャなのだ。もしも、この3人をポゼッションサッカーをする選手に変えたら、バルセロナは優勝どころかELにも出場できないチームになってしまうだろう。もちろん、こんなチームを作る監督はいないと思うが。

一方、アーセナルがプレミアでなかなか優勝できないのは、ポゼッションサッカーとは無関係な選手がファン・ペルシーしかいないからだ。結局、アーセナルはゴール前でも手間を掛けすぎてクリアされてしまうことが多い。ただ、アーセナルはバルセロナのようなディフェンシブなポゼッションサッカーはやらない。最近、アルシャヴィンの元気がなくなっているような気がする。もしかしたら、ポゼッションサッカーの中で自分の役割を見出せなくなっているのかもしれない。

ポゼッションサッカーの問題点は、ボール回しが攻撃のためでなく、ボールを保持するためになってしまうことだ。選手たちは仕掛けるタイミングを狙っているつもりかも知れないが、見ている側は退屈な時間を過ごさなければならなない。ポゼッションサッカーがファンタスティックと感じるのは、積極的なパスと上述したような最後の仕掛けが上手くいったときで、ポゼッション自体はラビッシュな時間だ。つまり、リスクを最小限に抑えるポゼッションサッカー自体は退屈な試合を演じるだけの手段になりかねない。

最近、CLやW杯の試合がどんどん詰まらなくなっている。その一因が消極的なポゼッションサッカーなのだ。金や名誉より、ファンに面白いサッカーを見せるという基本的な目的が薄れるのなら、そんな大会は要らない。さらに、このような試合をストラテジーやタクティクスの観点から賞賛する人々がいることが非常に悲しい。

posted by ボウヤ |22:47 | サッカーの基本 | コメント(16) | トラックバック(0)
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2011年02月17日

依然として改善されない日本人のサッカー感

ユーベ対インテル戦後の日本の大手新聞に、長友のプレーについて次のような論評があった。

「別の選手へのプレーに絡もうと走るが、ノーマークになってもパスは皆無」「練習、試合を積み重ね、信頼をつかむしかなさそうだ」

サッカーで一番大切なのは、ボールを貰うために、いいポジションに動くことではない。ボールを操って、ゴールを目指すことだ。これを敵だけでなく、味方にも見せ付けるのだ。まず、自分でやることが大切で、他の選手からのアシストを期待してはいけない。あのクリスティアーノ・ロナウドやルーニーだって、いいポジションに走ったからといって、ボールを貰える保証などない。

そういえば、あるキーテレビ局のサッカー解説者(協会の人)も、海外でプレーする日本人選手にボールが渡らないと、そのチームにダメ出しをしていた。

このような味方の顔色を伺うようなプレーが日本から消えれば、日本のサッカーも、もっと魅力的になるだろう。

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posted by ボウヤ |21:45 | サッカーの基本 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2011年02月02日

得点力不足を解消する方法

海外のサッカーの試合を見ていたら、日本人の解説者(協会の人)が「攻め急ぎ」を戒める言葉を並べた。これはこの解説者に限ったことではない。日本人のサッカー選手の中にも、このような言葉が好きな選手がいる。

これは、ボールを取ったからといって、急いで攻めると、再びボールを失う可能性が高いので、落ち着いてプレーをしなければいけないという意味らしい。

イタリアに渡った日本のフルバックは、攻守に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれるが、積極的な仕掛けは、ほぼアタッキングサードに入ってからに限られる。自陣でボールを受けたり取ったりしたときは、近くの味方に簡単なパスを送ることが多い。監督にとっては、優等生的な選手かもしれないが、ピッチ上に優等生が22人いても、サッカーはきっと面白くならないだろう。

「攻め急ぎ」をしないプレーは、必然的にバックパスや逃げのパスが多くなる。ドリブルなどはもってのほか。しかし、このようなプレーばかりしていると、それが両チームの選手に伝染して、試合がどんどん詰まらなくなる。日本代表の試合がどの国と対戦しても面白くないのは、この攻め急ぎが少ないためだ。

面白い試合を見せてくれるクラブチームは、相手にコーナーキックを取られても、それを逆にチャンスにしてしまう。相手のDFが上がるので、いい形でボールが取れれば、カウンターアタックで簡単にゴールが奪えるからだ。つまり、ゴールのチャンスは、ピッチ上のすべての場所にあるのだ。相手に押し込まれてボールを取り、自分の周りに相手が多くいれば、そこをうまく抜ければビッグチャンスが生まれる。

日本は「決定力不足」としばしば言われるが、これはフォワードだけの問題ではなく、あまりにもMFやSBのチャレンジが少ないことが問題なのだ。日本のサッカー界から「攻め急ぎ」という言葉が消え、ピッチ上のどこでも積極的なプレーができるようになれば、この問題は自然と解決するだろう。

posted by ボウヤ |23:41 | サッカーの基本 | コメント(3) | トラックバック(0)
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2010年11月11日

イメージの共有

コパ・デル・レイのマドリード対ムルシア戦で、途中出場のディ・マリアが右サイドにフリーでいた。そこに逆サイドからボールが入ると、ディ・マリアはトラップしてすぐに左足アウトで高速クロスを入れた。キーパーとディフェンダーの間のスペースはそれほどなかったが、ボールに誰も対応できず逆サイドに抜けるかと思われたが、外側を駆け上がったロナウドが合わせてゴールした。

ゴール前にはベンゼマもいたが、ディフェンダーと一緒にボールを目で追うしかなかった。この場面以外にも、ベンゼマがいい形でボールを受けることがとても少ない。一方、ロナウドとディ・マリアのプレーを見ていると、お互いにどんなプレーをするか分かっていて、予測のもとに動き、そこにボールが来ているように感じる。サッカーでは、このようなイメージの共有が非常に大事だ。これは日本で言われているチームワークではない。ベンゼマが他の選手とイメージを共有できないのは、言葉のせいなのか、その他に原因があるのか分からないが、早くこの問題を解決して欲しい。場合によっては、他のチームに行くほうがよいかもしれない。ベッカムがそうだったように。

posted by ボウヤ |07:57 | サッカーの基本 | コメント(1) | トラックバック(0)
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2010年07月01日

サッカー文化が花開かない国への最終章

日本代表は南アフリカで3つのキーワードを残した。1つ目は「偶然」だ。結果は日韓大会と同じだったが、その過程はまったく違う。トルシエ監督はトルシエ流の代表を作り結果を出した。一方、岡田監督も岡田色の代表を作ったが、W杯直前にそれを壊してしまった。つまり、日韓は必然の結果だが、南アフリカは偶然の結果にすぎない。2つ目はキーワードは「束縛」だ。選手はデンマーク戦で束縛から解き放たれたかのように攻撃的な姿勢を示した。ところが、ベスト16のパラグアイ戦では元に戻ってしまった。なぜかは内部にいないと分からない。3つ目は「積極性」だ。消極的なプレーをする選手は代表に選ぶべきでないことが示された。かえすがえすも、石川を代表に選ばなかったことが悔やまれた。

日本文化は世界に誇れる部分がたくさんあるが、非常に恥ずかしくなるような部分もある。その1つがパラシティック・カルチャーだ。映画評論家を名乗る人が特定の映画のコマーシャルに出演し、ヒットチャートが音楽に興味がない人たちで占められている。このような文化がテレビ時代から始まったのか、それとも日本人が昔から持っているものなのか分からないが、彼らはカルチャラル・パラサイトだ。

サッカーはスポーツなので、芸能ほどひどくないが、メディアがカルチャラル・パラサイトの役を演じている。根拠なく日本がW杯で勝ち進むことを強調し、きちんとした分析なしに負けたことを批判する。今回も運良くグループステージを突破しただけで、代表のサッカーの本質は何も変わっていないのに、いつもどおり美辞麗句を並べたてている。実力を無視して、サッカーに詳しいと言われている人がいろいろな期待を口にするが、日本の現状を直視し、何が必要かを真剣に議論すべきだ。

「Beat Your Opponent」という基本を避けて通るサッカーを美しいと感じる国にサッカー文化が花開くことはない。海外から優れた監督や選手を呼んでも、日本人選手のサッカーは変わらないし、サッカーを見るファンの目も変わらない。日本人自身が、この基本の大切さを感じないとサッカーにならない。

サッカーは、止まってボールを回すゲームでも守ってミスを待つゲームでもない。ドリブルをする、ドリブルをしながらタイミングよくパスを出す、走りながらトラップする、反転しながらボールを受ける、動いているボールを正確に捉えて強く蹴るなど、これらはすべて点を取るための基本的なプレーだ。さらに、見ている人が、そこはシュートだろう、そこはドリブルだろう、そこは仕掛けだろうと感じる場面で、その期待に応えられなければならない。これらを高いレベルで実現できる選手だけがプロになるべきだ。また、プロになってからも、自己を研鑽して見ている人を楽しませてくれるのが本当のプロだ。

サッカーと同時期に音楽を本格的に聴くようなったが、70年代前半に、あまりにもレベルが低い日本の音楽に見切りを付けた。サッカーも、海外の試合を見られるようになったときに、日本に見切りを付けるべきだったようだ。自分の好きな選手とチームの試合だけを見ていれば、サッカーの魅力が失われることはない。

posted by ボウヤ |00:24 | サッカーの基本 | コメント(7) | トラックバック(0)
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