2010年03月12日
岡田監督は「ビルドアップ」という言葉をよく使う。英語の意味は「建設する」「構築する」という意味だ。サッカーでは「攻撃を組み立てる」という意味だが、岡田監督は、ボールをつないでアタッキングサードまで攻め込むことを指しているらしい。
岡田監督はオランダ遠征後に「攻撃においてビルドアップは通用する」と言った。さらに「点を取るところがテーマ」と付け加えた。どうして、ミドルサード内ではボールを前に運べるのにアタッキングサード内ではボールをゴールに運べないのだろう。これは当たり前で、相手の人数が違うし、守備の厳しさもまったく変わるからだ。
しかし、ビルドアップができるのに点が取れないことがあるのだろうか。つまり、ビルドアップができないから点が取れないと考えるべきではないだろうか。
ヨーロッパのトップクラブの試合を見れば一目瞭然だ。ビルドアップの場面と点を取る場面に区切りはない。一連の流れから点を取るのだ。たとえば、自陣のペナルティーエリア内でボールを取ったディフェンダーが、相手が前にいるにもかかわらず、フェイントを入れてドリブルをしたり、味方とワンタッチパスをしたりして前に行こうする。また、ゴール正面にいる味方に横パスを送ることもある。このようなプレーから速攻につながることも多々ある。しかし、日本ではこのようなプレーは愚かで危険だと片付けてしまう。これが問題なのだ。基本的に、ピッチのどこでも同じようなプレーができるようになることが大事だ。
ビルドアップがそのまま点につながる見本のようなサッカーをしているのがスペインだ。日本のように、スペースに走ってボールを受け、相手に寄せられる前にスペースにいる味方にパスをし、これを繰り返してゴールを取るという甘い考えでは、アタッキングサードに入ってから行き詰るのが当然だ。どこにいても、相手をかわしてパスを出したり、ドリブルで抜いたりしながらビルドアップすることができれば、ゴール前でも同じことをやればいいだけだ。つまり、普段からやっていなければ、いざというときに力を発揮することはできない。
話は変わるが、ある科学者が「ゴールを意識してしまうと、そこで脳の働きがにぶる。一流のアスリートはゴールの先を目指している」と言った。サッカーでも、シュートではなくゴールへのパスと思えれば、枠を外さないようになると言われる。だから、前述した岡田監督の「点を取るところがテーマ」という意識は逆効果だ。なぜなら、選手にゴールを強く意識させてしまうためだ。点を取れないと、必ずシュート練習を強制するジーコ監督と岡田監督は同じ間違えを犯している。
<余談>
今回で、「日本代表の不思議」というタイトルの記事が7つになった(1つだけちょっと違うが)。当初は「サッカー日本代表の七不思議」というタイトルで書くつもりだった。ただ、どういうテーマを7つ選ぶかが難しかったので、思いつくままに書くことにした。書きたい残りのテーマは「ボールを持たない選手の動き」「感度」「サイド攻撃」「状況判断」「体格差」「メリハリ」「監督と選手の関係」などだ。違うタイトルの中に盛り込んだ内容もあるので、残りをすべて書くか分からないが、今後もサッカー日本代表の問題点を指摘していきたい。
<関連記事>
・サッカー日本代表の不思議(カウンター)
・日本代表の不思議(リスクマネージメント)
・日本サッカーの課題(アジリティ)
・サッカー日本代表の不思議(運動量)
・サッカー日本代表の不思議(攻守の切り替え)
・サッカー日本代表の不思議(責任)
posted by ボウヤ |01:09 |
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2009年12月10日
どんな人でも、責任を持って仕事をしている。サッカー選手はピッチ上のプレーで責任を果たさなければならない。ところが、日本代表の試合を見ていると、その責任を果たしていない選手がいる。過去に、キーパーを抜いたのにシュートを打たなかったFWがいた。おそらく、角度がなかったからだろう。このFWは、自分が得点を取るより、チームで得点を取れればいいと言い切っていた。きっと、FWがストライカーと呼ばれることを知らないのだろう。さらに驚いたことに、サッカーを辞めて解説者や評論家になった元プロやジャーナリストたちが、このFWを日本代表に推薦していた。日本のサッカーの基準はどこにあるのだろう。
現役の代表にも問題がある選手がいる。ペナルティーエリア付近まで攻めてボールを取られたのに、そのMFは突っ立ったまま相手の背中を見ていた。ボールを運ぼうとしてボールを取られるのは仕方ないが、どうして取り返そうとしないのだろう。このMFがいつもこのようなプレーをするわけではないが、常にこのような傾向を攻撃でも守備でも示す。
あるMFが自陣深いところでボールを受けドリブルで行こうとしたら、寄せてきた相手に取られて失点してしまった。試合後、もっと安全なプレーをやれと、関係者やファンから叱られた。その後、このMFは得意のドリブルを封じて、ボールを受けるとワンタッチまたはツータッチでボールを回すようになり、状況判断ができるパスの名人として名声を得た。しかし、パスのほとんどは簡単な横パスやバックパスだった。これは架空の話だが、日本では、このような責任回避のプレーが賞賛される。反対に、ドリブルで自分の責任を果たそうとして失敗すると避難を浴びる。
上述した例は極端な例だが、日本代表には似たようなプレーが多い。1点負けているのに、SBとCBの間で意味のないパスを繰り返す。あたかも「お前が前線にパスを入れてくれよ」と、互いに頼んでいるように見える。前があいているのに、ドリブルをしないで、自分を追い越す選手を待つ。これも「俺は人を使う天才だから使われる側がきちんと動けよ」と言っているように見える。シュートチャンスなのに、シュートを打たずにパスを出す。「相手が目の前にいたのでシュートよりパスのほうが有効だった」と言い訳する。これらもすべて責任回避または責任転嫁のプレーだ。
せっかくシュートチャンスなのに、どうしてシュートを打たないのだろう。シュートを打って枠を外すより、味方に預ければ責任が転嫁できると、まさか考えてしまうのだろうか。せっかくカウンターのチャンスなのに、どうしてドリブルをしないのだろう。相手のスライディングを受けてボールを取られるより、安全なパスを送れば責任が回避できると、まさか考えてしまうのだろうか。日本代表はドリブルが非常に少ない。これこそが究極の責任回避なのだ。ドリブルは、ボールを取られるリスクや反則を受けるリスクが高いが、ドリブラーはその責任をすべて背負い込まなければならないからだ。
上述したプレーは海外ではほとんど見かけない。日本が世界に近づくためには、この部分の意識改革が必要だ。海外に比べると、日本のほうがミスが少ないように感じるが、選手が果たすプレー1つ1つの責任もずっと小さいように感じる。また、日本は技術がしっかりしていると思っている人が多いが、この意識改革が進むと日本の技術の欠如が明らかになるだろう。サッカーで責任を果たすということは相手と戦うことで、簡単なパスを出すことではないからだ。戦う技術を見ると、日本は相当遅れている。これが韓国との差でもある。ただ、すでにプロになったサッカー選手にこの意識改革を要求しても無理だろう。だから、子供の頃からのサッカー環境が大事になる。
日本代表の責任の希薄さは、相手からプレッシャーを受けたときにもあからさまになる。相手を背負ったり寄せられたりすると、プレーに余裕がなくなる。結局、慌てて出したパスを取られて、失点してしまう。ミスを恐れてミスをするという最悪のシナリオだ。いつも責任を持ってプレーしていれば、プレッシャーを受けても堂々としたプレーができるはずだ。もちろん、ボールを取られてしまう場合もあるが、日本と海外ではボールの取られ方が違う。日本のボールの取られ方はプロとして恥ずかしい。
以上まとめると、日本代表に一番必要なのは、自分のプレーに責任を持ち、自分自身で今何をすべきかを判断できる能力が高い選手を選ぶことだ。岡田監督が決めたレギュラー陣を見ると、合格するのは半分ぐらいだ。おそらく、選手を選ぶときにこの基準が入っていないのだろう。
posted by ボウヤ |02:18 |
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2009年11月14日
サッカー日本代表の遠藤は高いパス成功率を誇る。日本がWC出場を決めたウズベキスタン戦とアジアカップ最終予選の香港戦のパス成功率は、それぞれ87%(45/52)と96%(77/80)だった。カッコ内の数字は成功したパス数と合計パス数。ちなみに、チャンピオンズ・リーグでの主なボランチのパス成功率を次に示す。
バルセロナのヤヤ・トゥーレ:88%(57/65)-インテル戦
アーセナルのソング:79%(48/61)-オリンピアコス戦
チェルシーのエッシェン:80%(79/99)-ポルト戦
数字だけ見るとは上記の選手より上だ。遠藤がウズベキスタン戦で一番多くパスを供給した選手は中村俊(途中から阿部)で11本(1本は失敗)だった。次に多いのが中村憲の10本と長谷部の9本。中村憲は遠藤の前のポジションなので、縦パスが10本中8本(2本は失敗)もあった。香港戦では、長友20本、中村俊16本、玉田(途中から松井)12本だった。
このように、レジスタとして味方にパスを正確に供給することで、岡田監督の信頼を得ているのだろう。しかし、遠藤のパスの有効性には疑問を感じる。ウズベキスタン戦も香港戦も、遠藤のパスから攻撃を組み立ててシュートまで行くことはほとんどなかった。攻撃は遠藤のパスを受けた選手のチャレンジから始まっていた。2試合で中村俊へのパスは27本だが、そのほとんどがボールをはたくだけの横パスだった。長谷部へのパスはその半分しかなかったが、パスを受けた長谷部がドリブルや前方へのパスで相手を崩そうとしていた。
長友へのパスは2試合で28本。香港戦では縦パスが5本(1本は失敗)あったが、ウズベキスタン戦では0本だった。遠藤と長友のコンビネーションでサイドを突破するのではなく、遠藤はパスを出しっ放しで、長友が自力でまたは別の選手とのコンビネーションでサイドを突破することのほうが多かった。
香港戦は相手からのプレッシングがなかったので、逆サイドの駒野(途中から徳永)へのパスが10本もあったが、プレッシングが厳しかったウズベキスタン戦はたった1本しかなかった。それも、自陣深いところでのバックパスだった。結局、プレッシングが厳しいとレジスタとして機能しなかった。
相手が近くにいたり、寄ってきたりすると、そのほとんどが近くにいる味方への横パスかバックパスになってしまう。香港戦では、相手からのプレッシングがないのに、7本ものバックパスを中澤または闘莉王に送った。
上述した問題だけでなく、遠藤は空中戦をほとんどしない。たまに、ドリブルからパスを送るが、完全にフリーで駆け上がれるときに限られる。守備でも、ボールを持った相手に近付くだけで、体をぶつけにいくことはほとんどない。相手の突破を止めるために、スライディングをすることも滅多にない。つまり、攻撃でも守備でも、相手との接触を極力避けるプレーに徹している。
相手と戦わない遠藤が日本代表に必要なのだろうか。中盤の底で相手と戦ってボールを失うより、無難にボールをさばくほうが安心なのだろう。しかし、ワールドカップに出場する国が全力で日本にぶつかってきたら、遠藤のサッカーは100%通用しない。本人と岡田監督がそのことに気付いていないのが悲しい。サッカーを観る楽しみは、ボールを持った選手が次に何をしてくれるかだが、遠藤の場合はパス成功率が高いが、失望率も同じくらい高い。
注)パスの分類については、相手の守備を破ろうとする前方へのパスを縦パス、後方にいる味方へのパスをバックパス、その他を横パスとした。
追)U-17日本代表がナイジェリア大会で健闘したが、グループリーグ全敗で終えた。A代表よりはいいサッカーをしていたが、A代表と同じように、大事な点が欠けていた。スペースを見つけてパスをつなぐサッカーだけでは世界に通用しないことが、何度も何度も証明されているのに、監督も選手も未だに気付いていないようだ。そんな中で、途中出場の宮市(中京大学附属中京高校)だけが世界基準のサッカーを見せてくれた。もう一人良かったのが宇佐美(ガンバ)だ。西野監督はどうして宇佐美をもっと使わないのだろう。戦わないパスの名人より、ずっといいと思う。
posted by ボウヤ |01:03 |
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2009年09月11日
本田の悲劇はサッカーを知らない日本に生まれたことだ。本田に足りない点があるとすれば、それは日本人が得意とする攻めるときは全力でいかず、守るときは一生懸命にいくことぐらいだろう。しかし、こんなサッカーをするのは世界で日本ぐらいだ。守備に美学を感じるイタリア人でさえしないサッカーだ。日本のようなサッカーをすれば、観ていて面白くないからだ。サッカーが面白くないと、プロとしてやっていけなくなる。
オランダ戦の前に、本田のVVVフェンロでの活躍をインターネットで観た。たった数分のダイジェストを何本か観ただけなので、詳しくは分からないが、本田はトップ下のポジションを任されていた。本田が入団したときに言っていたとおり、VVVは個人プレーが非常に多いチームだった。その中で、本田はシュートをしたり、いいパスを供給したりする非常にバランスの取れたプレーヤーに映った。とはいっても、本田がゲームを作っているという印象ではなかった。
オランダ戦の本田は活躍できなかったが、その第一の原因はボールがこなかったことだ。前線で守備もしていたし、いい位置でボールを受ければ仕掛けた。カウンターからスナイデルがシュートしたときに、戻ってブロックしたのは本田だった。本田のプレーに特に問題はなかったのに、試合後に、岡田監督が「ワンピースが欠けると」、中村俊が「新しく入ってきた人は体力があるわけだから」と言ったために、本田がスケープゴートにされてしまった。影響力を持つ人が何かを言うと、多くの人がそれに流されてしまう日本人の悪い部分だ。
ガーナ戦は後半24分からの出場だった。中村俊との交代だったが、これは、本田を後半のオプションにしか使わないという岡田監督のメッセージかもしれない。相手が滑って転んだときに、ボールを取ってドリブルをしたが、引っ掛かってボールを取られてしまったためか、その後は無難なプレーしかしなかった。ムンタリの中央突破を防ごうとしたプレーでは、守備で危険を察知できることを示した。本田にとって中村俊のようなプレーは簡単かもしれないが、それでは本田の意味がない。本田が持っている攻撃的センスを最大限に生かすプレーをすべきだが、メディアを始めとしてサッカーを知らない人たちが、それを寄ってたかって押え付けようとしている。それが、日本が世界に近づけない理由だということに気付いていないことがとても寂しい。
posted by ボウヤ |01:20 |
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2009年09月03日
岡田監督は、選手に「素早い攻守の切り替え」を徹底させているようだ。サッカーの実況や解説者も「攻守の切り替え」という言葉を盛んに使う。しかし、日本代表が攻守の切り替えの速いサッカーを見せてくれたことがあっただろうか。
この言葉を聞くと、イングランドのプレミアリーグが思い浮かぶ。世界で最も攻守の切り替えが速いリーグだ。ゴールからゴールにボールと人が非常に素早く動く。岡田監督はプレミアリーグのようなサッカーを目指しているのだろうか。一方、素早い攻守の切り替えは当たり前のことだとも思う。ボールを取られたときはピンチで、ボールを取ったときはチャンスなので、それに素早く反応するからサッカーが面白くなる。攻守の切り替えが遅いと、だらけたサッカーになってしまう。ただ、イングランドの場合は、逆に速すぎて単調になり、サッカーがつまらなくなることもある。
サッカーが好きな人なら誰もが、攻守の切り替えの速いサッカーを観たいと思うだろう。アジア最終予選のアウェーでのカタール戦の勝因に「速い攻守の切り替え」というコメントがこのブログに寄せられたが、アジア最終予選の日本代表の試合で、岡田監督が目指す「素早い攻守の切り替え」を感じることができた試合は、残念ながらなかった。格下相手にできないのに、WC本戦の格上相手に、攻守の切り替えの速いサッカーができるのだろうか。特に、守備から攻撃への切り替えに大きな問題がある。
アジア最終予選のオーストラリア戦は1対2で負けてしまった。試合後に、岡田監督は「マイボールの時間を長くしないといけない。サイドを変えるなどして、ボールをキープする時間を長くする必要がある」と言った。オーストラリア戦の2失点はセットプレーだったのに、どうしてこのような発言をするのか不思議だ。負けると必ず、日本はこのような消極的なサッカーに回帰してしまう。結局、岡田監督は看板を掲げているだけなのだろう。
米国がコンフィデレーションカップで、岡田監督が目指す「素早い攻守の切り替え」を見せてくれた。それはスペイン戦の2点目だった。得点そのものはスペインのセルヒオ・ラモスのミスだったが、そこに至る過程が素晴らしかった。そのプレーは米国のスローイングから始まった。スローイングのボールはスペインに取られたが、すぐに取り返そうとした。最初のチャレンジは失敗したが、再び別の選手がボールを取りに行き、今度はなんとか取ってすぐに逆サイドに送った。ボールを受けた選手はドリブルで切れ込んで相手を引き付けてから、右サイドでフリーになったドノバンにパスを送った。ドノバンは低く速いクロスを入れ、それが得点につながった。
この一連のプレーは簡単そうに見えるが、日本代表が同じような状況で米国と同じようなプレーをするだろうか。まず、スローイングだが、米国は相手がいるゴールに近い選手にスローイングを入れたために取られてしまった。日本なら、ゴールから遠いフリーの味方に渡すだろう。次の取られたら取り返すプレーは日本も米国と同じようにやるだろうが、ボールを取ってからのプレーが異なる。米国は、ボールを取った瞬間に体勢が崩しながら逆サイドに横パスを送った。しかし、日本なら後ろの選手にバックパスを送るだろう。選手が密集している状況での横パスは、インターセプトされてカウンターをくらう危険が高いからだ。次の米国のプレーは日本にはできない。相手がたくさんいる方向にドリブルで切れ込んで、相手を引きつけてから、サイドのフリーの選手にパスを出すプレーだ。このプレーも前回と同じように取られてカウンターの恐れがあるため、日本なら、後ろから自分を追い越す味方を待って、タイミングよくパスを出すのが常道だ。最後の低いクロスも日本はしないだろう。現代サッカーで、キーパーとディフェンダーの間の狭いスペースに低く速いクロスを入れるのは当たり前だが、日本はゴール前の味方に合わせるクロスを入れる。このプレーは、相手ディフェンダーにとって比較的守備がしやすい。
米国のプレーは、複数の「ゴールに向かうプレー」の積み重ねである。キーになるプレーが4つあった。スローイング、ボールを取った後のパス、ゴールを横切るドリブル、低く速いクロスである。この4つのプレーで、誰か一人でも消極的なプレーをやってしまえば、ゴールにつながらない。日本の場合は、この4つのプレーの1つだけでなく、すべてで米国のようなプレーをしない可能性のほうが高い。攻撃で重要なのは1回だけのプレーではない。攻撃しているのに突然誰かが消極的なプレーをすれば、攻守の切り替えの速いサッカーにはならない。
最初に、得点はスペインのセルヒオ・ラモスのミスと言ったが、米国のデンプシーのボールへの執着心が得点に結びついたとも言える。デンプシーはクロスに対して入りすぎてしまい、その手前にいたラモスがボールをクリアできる状況だった。しかし、デンプシーはすぐに戻ってボールを取りにいったので、ラモスが止めたボールを一瞬先に蹴ることができたのだ。同じような状況で日本が得点できたかは疑問だ。なぜなら、このようなボールへの執着心は、守備でも攻撃でも日本は世界よりかなり劣っているからだ。
posted by ボウヤ |12:38 |
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2009年08月26日
岡田監督は1試合の走る距離を10%向上することを掲げているらしい。つまり、世界の平均が10キロなので、1人が11キロ走れば、結果的に人数が1人増えたことに等しいという理論らしい。前回、日本人にはアジリティが足りないと指摘したが、岡田監督もそれを認識して日本人が得意とする持久力、つまり運動量のサッカーを目指そうとしているようだ。オシム氏も「考えながら走るサッカー」を選手に提示した。本来なら、運動量で相手より優ることは非常にいいことだが、日本のサッカーでそれを指示すると、どうしてか弊害のほうが多くなってしまう。
運動量のサッカーは昔の高校生がやっていたことで、勝利に対する早道として重要視したために、サッカーにおける大事なことが置き去りにされてしまった。
普通なら、攻撃と守備の両方で運動量が10%向上するはずが、日本代表チームの今までの試合を観る限り、そうはならない。結局、増えた運動量すべてが守備だけに使われることになってしまうだろう。
また、たとえ攻撃の運動量が増えたとしても、得点につながるだろうか。走るのは当然だが、得点に必要なのは量ではなく質だ。ずっと走ってばかりいると、いざというときにスピード感のあるプレーができなくなる。このことは、マラドーナの弟がコンサドーレ時代に指摘していた。
岡田監督はフォワードにも守備を要求しているらしい。これも運動量のサッカーの一環なのだろう。しかし、マンチェスターのルーニーのように、守備に貢献する時間が長いと、得点力が低下してしまう。ルーニーほどの高い能力がある選手でも、それは絶対に避けられない。
セルティック時代の中村俊輔はチャンピオンズリーグのオールボー戦で12.7キロ走った。同僚のブラウンもマンチェスター戦で12.4キロ走った。この距離はすごいが、セルティックはグループリーグで敗退してしまった。同じように運動量が増えても、守備と攻撃が連動する場合と、相手によって走らされているだけの場合とがあるが、セルティックはどちらかというと後者だった。
岡田監督も言っていたと思うが、日本代表サッカーの問題点は、守備で遅れて失点してしまい、流れから得点が取れないことだ。その原因は、運動量が足りないのではなく、サッカーに必要な察知力が研ぎ澄まされていないからだ。危険だと思ったら何が何でも相手を止めるプレーをし、チャンスだと感じたら、多くの選手が一斉にゴールに向かって駆け上がるプレーが絶対的に足りない。
この記事は1ヶ月以上前にほぼ仕上がったいた。その後、あるテレビ局でやっていた岡田監督特集をたまたま見た。そこでは「質の高い運動量」という言葉が使われていた。量に質を形容するのはちょっと変な表現だが、運動の量と質を両立させたいのだろう。しかし、両方ともが中途半端になって「二兎追うものは一兎も得ず」になる可能性のほうが大きい。日本の課題は「運動量」ではなく「攻撃時の運動の質と勇気」だ。代表監督が、今更「運動量のサッカー」を目指すなんて、時代遅れもはなはだしい。
<皆様からのコメントについて>
コメント欄の許可制を継続しています。そのために表示が遅れますが、ご了承願います。
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2009年08月06日
「日本はアジリティとチームワークで世界と戦うことができる」と考えている人が、どのくらいいるのだろう。私も「牛若丸サッカー」という言葉を使って、アジリティのあるサッカーを日本は目指すべきだと、別のブログに書いたことがある。チームワークは以前(2008年8月3日と6日)述べたので、今回は「アジリティ」について考えてみよう。
日本代表やJの試合でアジリティのあるサッカーを観たことがあるだろうか。アジリティとは「敏捷性」という意味だ。もう少し詳しく説明すると「速くかつ正確に動くこと(能力)」である。つまり、アジリティはスピードと同義語だが、「日本人はアジリティがある」という表現はもっともらしく聞こえるが、「日本人はスピードがある」という表現になると疑問を感じる人が多くなるだろう。ここに大きな錯覚があるようだ。
アジリティをサッカーに置き換えると、「出足の速さ」「走る速さ」「体を回転する速さ」「ドリブルの速さ」「ステップの速さ」「またぎの速さ」「フェイントの速さ」「パスの速さ」「足を振り出す速さ」「判断の速さ」などになるが、日本人が特に優れているものがあるだろうか。これは、陸上競技を考えれば簡単に答えがでる。日本人が得意なのは、短距離ではなく長距離のマラソンだけである。つまり、日本人はスピードではなく持久力で力を発揮する民族なのだ。
具体的な例を上げると、エトーやロナウド(ブラジル)は上述した能力をすべて備えているので、一瞬のスピードで相手ディフェンダーを置き去りにしてしまうプレーができる。しかし、日本には彼らのようなプレーヤーはいない。つまり、アジリティには身体能力も必要になる。
では、どうしてスピードがないのにアジリティがあると錯覚してしまうのだろう。おそらく、アジリティという言葉が、日本人に絶対的に足りないフィジカルの強さを補うものとして定着してしまったからだろう。つまり、「走り回る=アジリティ」や「小回りが利く=アジリティ」と思っているからだろう。しかし、走り回ることはアジリティではなく、むしろ運動量と解釈すべきだ。「小回りが利く」というのは「狭いスペースで自由に動ける」という意味だが、サッカーに置き換えると「狭いスペースでボールを自由に扱える」ということになる。動くだけなら体の小さな日本人は小回りが利くが、サッカーで考えると日本人が優れているとはいえなくなってしまう。なぜなら、アジリティにはボールを扱うテクニックも必要になるからだ。
「狭いスペースでボールを自由に扱える」という言葉から思い浮かぶプレーヤーはマラドーナだが、最近のプレーヤーではスペインのダビド・シルバやイニエスタなどが挙げられる。狭いスペースをスルスルとドリブルで上がり、絶妙なタイミングでパスを出すことができる。日本代表の中盤でいえば、松井がこの二人に近いプレーをする。
最近活躍しているフォワードの岡崎は、一瞬の速さで相手の裏に飛び出してボールに合わるプレーが得意だ。しかし、世界と戦うためにはこれだけで満足してはいけない。なぜなら、このプレーはボールを自分の足で扱っていないからだ。大事なのは、ボールを扱いながらアジリティーのあるプレーを見せつけることだ。もう一人のフォワードの田中はドリブルが得意だが、ペナルティエリア外から相手ディフェンダーを抜いて得点を入れるシーンは少ない。このようなプレーができるのが、アルゼンチンのサビオラだ。日本人と同じように小柄なサビオラは、ロナウドのような瞬発力もないし、メッシのようなドリブルのテクニックもないが、ボールと一緒に大型ディフェンダーの間を抜けるうまい。これは動きの質が高いからである。言い換えると、相手との駆け引きがうまいのだ。サッカーは相手がいるので、アジリティだけでなく相手との駆け引きが非常に重要になる。たとえば、体の小さなフォワードが大柄のディフェンダーに勝つためには、ディフェンダーの腰の辺りに素早く体を寄せて動きを制限するようなプレーやタイミングを外すようなプレーが必要になる。しかし、このようなプレーができる日本人フォワードは残念ながらいない。
では、日本人はどんなサッカーをやればいいのだろう。それは、上述したサビオラが示している。つまり、サッカーの基本であるボール扱いと相手との駆け引きを、一人一人が自分の感覚で磨くという当たり前のことをやればいいだけだ。もちろん、アジリティを目指すことも大切だ。ダビド・シルバやエトーのレベルに達するのは難しいが、近くまでは行くことができるはずだ。日本人の特徴を生かした日本的なサッカーという方向には、最初から解がないことに早く気付かなければならない。上述したように、アジリティは日本人の武器ではなく課題なのだ。
岡田監督はメンバーをほぼ決めたようなので、日本代表にアジリティを期待することはできない。最近、FC東京の石川直宏がゴールを量産しているが、石川は若い頃からアジリティのある選手だ。このような選手がJで活躍するのはとても嬉しい。しかし、岡田監督はあるインタビューで「今選んでいるメンバー以外で、どうしてもWCに出たいという強いメンタリティを持った選手はいない」という意味のことを言っていた。岡田監督の真意を聞いてみたい。
<皆様からのコメントについて>
事務局からの忠告に従って、当面コメント欄を許可制にしています。そのため、表示が遅れますがご了承願います。
posted by ボウヤ |02:43 |
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2009年05月26日
岡田監督は、ピッチ上の選手にリスクマネージメント(危機管理)を要求しているらしい。代表選手も同じようなことを言っている。ボールを奪ったからといって、一気に攻撃するのではなく、ゆっくりボールを回してリスクを最小限にして攻撃を組み立てるやり方である。また、サポーター中にも、スリリングな試合よりリスクマネージメントの完璧な試合を好む人が多いようだ。しかし、このような状況で日本のサッカーが本当に世界に近付けるのだろうか。
イングランド・プレミアリーグはマンチェスターの3シーズン連続優勝が決まったが、2連敗後のアストンビラ戦(31節)の3対2の勝利が大きかった。この試合は、ルーニーとベルバトフが出場できない状況で、17歳のマケーダが後半61分にプレミアデビューを果たした。このとき、マンチェスターは1対2でアストンビラにリードを許していた。ベンチにはパクとウェルベックが入っていたが、ファーガソン監督が最初に使ったのは初めてベンチ入りしたマケーダだった。守備も攻撃もできるパクではなく、新人のマケーダの出場は1つの賭けだった。試合は、80分にロナルド、ロスタイムにマケーダが点を入れて、マンチェスターが逆転勝利した。試合後に、ファーガソン監督は「We take risks but risks are a part of football」と言った。これは「リスクを犯したが、リスクはサッカーに付き物」とい意味だ。
世界のトップを走り続けるチームは、常に守りより点を取ることに重点を置いている。ところが、成長しなければならない日本がどうして守り最優先なのだろう。選手は点を取るために自分の責任でリスクを犯さなければならない。監督は、点を取るための戦略を考えなければならない。これがサッカーだ。「蛮勇」という言葉を使って、ピッチ上の選手にリスマネージメントを要求する監督。時間が大切な要素なのに「攻め急ぎ」という言葉を使って、リスクを避け遅攻に徹しようとする選手。このように、リスクマネージメントを前面に押し出すようでは世界に近付けないどころか、韓国との差さえ縮めることができない。最近、流れから点を取れなくても、どんな方法でも勝てばいいというムードが代表全体に漂い始めた。アジア予選を勝ち抜いても、日本のサッカーは後退の一途をたどることになりそうだ。私は、リスクマネージメントを否定するつもりはない。特に、監督にとっては非常に重要な管理項目だ。しかし、リスクマネージメントは監督が選手に強いるようなものでも、選手がファンに見せるようなものでもない。ファンに見えないところで、ひそかにやっていただきたい。
キリンカップは、負けても失うものは何もない。リスクを恐れずに攻撃的なサッカーを見せて欲しい。そして、同じようなサッカーをアウェーのウズベキスタン戦でも見せてくれることを願う。課題の1つは、中盤がどれだけ押し上げられるかである。
posted by ボウヤ |00:59 |
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2008年11月25日
サッカー日本代表の試合でいつも不満に感じるのは「カウンターがないこと」だ。守備がよくなっているので、カウンターがあれば、サッカーがもっと面白くなるし、強豪に対して先行逃げ切りも可能になる。さらに、互角に渡り合えなくても、強豪と見ごたえのあるサッカーを繰り広げられる。ところが、日本代表がカウンターを見せることはほとんどない。カウンターがないことが、日本代表のサッカーを非常につまらなくしている。
1993-1994年シーズンのコッパ・イタリアの準決勝だったと思うが、セリエBのアンコーナがセリエAのトリノと対戦した。当時のトリノは非常に強かったので、ボールを圧倒的に支配してアンコーナのゴールに襲い掛かった。一方、アンコーナは自陣に引いてゴール前を固めたが、ボールを取るとすぐにサイドに開いた選手にボールを預け、そこからドリブルや前線に残ったFWへの正確なパスで、トリノのゴールを何度も脅かした。結局、カウンターで取った1点を守りきったアンコーナが1対0で勝った。トリノの一方的な試合だったが、アンコーナのカウンターが非常に美しかったので、スリリングでとても面白い試合だった。カウンターを仕掛けた二人の片方の名前は思い出せないが、もう一人はアゴスティーニという選手で、その後セリエAの別のチームに移籍した。
ボクシングでも、カウンターは一発でKOできる最高の武器である。しかし、その武器を日本代表は使わない。選手はカウンターの重要性を認識していないのだろうか。それとも、監督から禁止令が出ているのだろうか。あるサッカー評論家が日本のサッカーを「守ってカウンター」と称していた。これはまったく見当違いだ。「守ってセットプレー」というのが正しいだろう。カウンターはサッカーでも必須アイテムだ。格下のチームが格上のチームと戦うときは、「守ってカウンター」が常套手段だ。素早い引きでゴール前を固めて、自陣でボールを取ってから、素早いカウンターでゴールを取りにいく方法が一番勝つ確率が高くなる。各国のリーグ戦を観ても、下位チームは上位チームに対して、このような戦い方をする。カウンターができなければ、下位チームの唯一の武器はセットプレーだけになってしまう。また、カウンターがあることを示すだけでも、相手の攻撃を多少弱めることができる。上位チームは逆に、カウンターによって大量点を取ることができる。先制されたチームは同点に追いつこうと前掛りになるので、カウンターによる得点の確率が高まる。上位チームは、ドリブルやパスで相手を崩すだけでなく、カウンターも非常に速く巧みだ。
カウンターに必要な技術はドリブルとパスだけでない。ボールを止めないこと、そしてパスを出すタイミングが重要になる。トラップの技術も大事だ。ボールを正確に受けて、動きを止めずに次のプレーにつなげるようなトラップだ。カウンターは時間との戦いなので、いかに素早くボールをゴールまで運ぶかが鍵になる。さらに、何よりも大事なのはカウンターを仕掛けようとする気持ちだ。この気持ちがなければ、カウンターは始まらない。
一番シンプルなカウンターは、自陣でボールを取った選手がドリブルで相手のゴールまで突進する方法である。かなり昔のことになるが、左SBのヤルニ(イタリア時代)が自陣のゴールライン付近でボールを取って、ドリブルでボールを敵陣のゴールラインまで運んだシーンは、とても印象的だった。相手チームの快速FWのアスプリージャがボールを取ろうと追いかけたが、タイミングをうまく外して飛び込むスキを与えなかった。マンUでは、ギグスが超高速ドリブルで、ボールをゴール近くまで何度も運んだ。ギグスの走りながらの絶妙なフェイントで相手ディフェンダーが足をもつれさせて転ぶシーンは非常に痛快だった。今の日本代表は、このようなカウンターができないと思っていたが、シリア戦で長友が見せてくれた。センターライン付近でパスをカットして、ドリブルで上がったところに相手が寄せてきたが、それをかわして中央に切れ込んで右足でシュートを打った。試合開始早々で相手が油断していたこともあったが、このようなプレーを仕掛ける選手が代表にいることは非常に頼もしい。内田にも期待したが、残念ながら挑戦しなかった。左右のバランスを考えるだけでなく、もっとチャレンジすべきだ。
通常は、2~3人でドリブルとパスを組み合わせてカウンターを実行する。自陣でボールを取って、前線にいるFWにロングパスを送っても、通常はマークがきついためカウンターにはならない。最初にカウンターを仕掛ける選手はドリブルに入る。これにより、注意がドリブラーに集中するので、前線の選手がフリーになるチャンスが作れる。次に、どのタイミングで前線にパスを出すかが、カウンターの妙になる。前線の選手にいいタイミングでパスが渡れば、受けた選手はダイレクトまたはディフェンダーをかわしてシュートを打つことができる。それがだめでも、パスを出した選手または別の選手が駆け上がっていれば、その選手にパスを送ってシュートを打つチャンスがまだある。このようなカウンターができるのがMFの松井だ。2007年のフランスリーグのルマン対ナンシー戦で、ルマンがすばらしいカウンターを見せてくれた。ペナルティーエリア付近で相手のボールを取った選手が、その瞬間に走り出した松井にパスを出した。ナンシーは全員がかなり上がっていたので、松井はスペースをドリブルでゴールに向かって突進した。そのままシュートまでいくのかと思っていたら、反対サイドを走っていたゲルヴィーニョにDFの頭を越える完璧はパスを出した。もちろん、走りながらのパスである。それをゲルヴィーニョが完璧にトラップしてすぐにシュートを打って見事に得点した。
日本代表も、素晴らしいカウンターで得点を取ったことがあった。それは、2005年のコンフェデレーションズ・カップの日本対メキシコ戦だった。宮本が取ったボールをすぐに小笠原にパスし、小笠原が駆け上がった加地にスルーパスを通し、加地のグランダーのクロスボールに柳沢が合わせた。相手DFを背負って走っていた柳沢は、加地のクロスボールを完璧に足に当てることができなかったが、運良くボールはゴールに吸い込まれた。
監督が代わるたびに、カウンターの意識を高めてくれる監督を願ったが、ジーコ監督もオシム監督も岡田監督も、残念ながらそれを見せてくれなかった。今後も、この状況は変わらないかもしれない。Jリーグの試合と比べても、日本代表の試合は極端にカウンターが少ない。外国人選手がいるいないの問題だけでもなさそうだ。大きな問題は、カウンターに限らず、チャレンジする気持ちが代表選手に足りないからだろう。点を取れる可能性があると見たら、役割に関係なくゴールに向かう気持ちが必要だ。日本代表のように、自分の役割以外のことをしないサッカーでは、カウンターはできない。
先週のカタール戦でも、目を疑うシーンがあった。2対0で勝っている後半10分頃に、カタールが押し上げて攻め込んだ。日本陣内の左サイドの2対2のシーンで、うまく相手のボールをインターセプトしたFWがボールをもう一人の味方(MF)にパスして、サイドラインに沿って駆け上がった。ボールを受けたMFはフリーで前も空いていたのに、前線の様子を見ながらボールをセンターライン付近までゆっくり運んだ。ところが、パスコースがないと判断したのだろうか、ボールを思い切り蹴ってバックスに戻してしまった。この状況でどうしてドリブルで素早く駆け上がらないのだろう。さらに、どうしてバックパスを選ぶのだろう。前線にはカタールのDFが3人しかいないので、明らかにカウンターのチャンスだった。ここまでカウンターができないなら、最終手段を講じるしかないだろう。本来は、個々の判断でカウンターを仕掛けるが、日本代表はできそうにないので、カウンター担当を決めて、試合前に練習しておく方法だ。つまり、パスを出す選手、駆け上がってパスを受ける選手、そしてゴール前に上がって、シュートを打つ選手をあらかじめ決めて、3番目に紹介したようなカウンターを仕掛けるのだ。ボールがパサーに渡ったときに、カウンターのスイッチがオンになる。残りの2人は守備のことを無視して駆け上がる。パサーは自分の判断で、状況を見てカウンターをするかしないかを決めればよい。このようにすれば、1試合に何回かカウンターを見ることができるだろう。そして、試合もきっと面白くなるはずだ。
posted by ボウヤ |02:35 |
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2008年08月06日
前回、チームプレーを数値化して説明したが、別の面からチームワークをみてみよう。日本では、幼稚園のサッカーからプロのサッカーまで、チームワークを非常に大事にする。サッカーは団体競技なので、「皆で協力して行動すること」が一番重要だと考えるらしい。しかし、このことが日本のサッカーを非常に特殊なものにしているかもしれない。
海外のサッカーを観ていると、チームプレーは結果で、個人のプレーが優先されると感じる。ボールを持った選手は自分の判断で、足の裏でボールをコントロールするか、ドリブルをするか、またはパスをするかを決める。つまり、ボールを持った選手は王様なのだ。周りの選手は、王様が何をやるかを感じて、ボールを貰いたいところに動く。もちろん、王様に要求する場合もあるが、王様はその要求に耳を傾けなくてもよい。王様がパスを出すと、今度は、ボールを受けた選手が王様になる。このように、王様から王様にボールがつながれるから、面白いチームプレーが生まれる。選手たちは常に、自分が王様になりたいと思ってボールを追いかけている。このようなサッカーでも、ボールをつないだ結果として得点が取れれば、それはチームワークの成果である。
一方、日本のサッカーを観ていると、チームワークが個人の足りない部分を補うと考えているようだ。ボールを持った選手は、周りの選手の動きを見てから何をするかを決める。つまり、ボールを持った選手は王様ではなく気配りができる給仕なのだ。周りの選手も同じように気配りができる給仕で、ボールを持った給仕をどうやって助けるかを考えながら動く。たとえば、ボールを持った選手から相手を遠ざけたり、パスコースを増やしたりしようとする。非常に美しい共助の精神である。王様のサッカーは、ボールを持ったときと持たないときでメリハリがあるが、給仕たちは、ボールを持っているときも持っていないときも、プレーに対する気持ちがあまり変わらない。これが逆に、プレーの物足りなさにつながる。結果として、流れの中から得点が取れなければ、共助の精神があるにもかかわらずチームワークはないことになる。
王様チームと給仕チームのどちらが強いかは明白である。ただ、王様チームは空回りするときがあるので、給仕チームに勝つチャンスがないこともない。この2チームにはいろいろな面で差があるが、中でも、判断のスピードに大きな差が生まれる。共助の精神はどうしても判断を遅れさせる。いい例がシュートである。日本代表はシュートができるシーンでシュートを打たないことが多い。誰かがスペースに来てくれたらと一瞬でも考えたら、もうシュートは打てない。しかし、王様は自分の判断だけでシュートを選ぶので、判断が非常に早くなる。また、周りの選手が王様の判断を遅らせることもない。
私も以前は、日本人が得意とするチームワークを極めることによって、日本のサッカーが世界に近づけるかもしれないと考えたが、上述したように、最近はこの考えが間違いだったと思うようになった。やはり、強い国のサッカーを見習うしかないようだ。イングランド(日本人には多分無理)、ブラジル(緩急)、イタリア(守備重視)ではなく、できればアルゼンチンまたはスペインのサッカーを見習って欲しい。このほかに、ドイツ、フランス、ポルトガルの国内リーグを観たが、アルゼンチンとスペインのサッカーが一番面白かったからだ。
posted by ボウヤ |13:14 |
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