2007年11月03日
忘れられない野球人、仰木彬監督
昨日の記事でもすこしだけ書いたのですが、私が思う最高の野球人はこの人以外には考えられません。 多くの人が最高の野球人を思ったとき、それが長嶋終身名誉監督だったり、王監督だったりいやいや野村監督だと思われる方もおられるかもしれませんが、私にとっての最高の野球人は仰木彬監督なのです。 勿論上に上げさせていただいた3人の方も偉大な野球人であることは今更疑いようはないですがまぁ私にとっては・・・と言うわけでして。 仰木彬監督について書き出せばそりゃものすごい色々と書けるわけでして、ぱっと思い出してもメジャー組だけでも野茂選手やら長谷川投手、イチロー選手に田口選手やら・・と幾らでも間口が広がりますし。 オールスターでの松井秀選手のときに投手イチローを起用したり(まぁ結果は代打高津選手に終わりましたが現在もイチロー選手はあの時松井選手と勝負がしたかったと語っています)本当に話題豊富なので一回の記事ではとても書ききれません。 前回、ひょんなところから清原選手の名前が出てきたので、今回はオリックスに入団した清原選手のことを少しだけ書いておこうと思います。 仰木彬監督がなくなったのは05年の12月でした、そして06年から清原選手は仰木彬監督の遺志を継ぐ形でオリックスに移籍してきたんですがでは仰木彬監督は一体いつから清原選手をオリックスに誘っていたのでしょうか? 05年のシーズンは清原選手は当然巨人に在籍していたのです。 05年のシーズン終了後、仰木彬監督が亡くなられるまでの間に移籍話はされたのか? 私はそうではないと思っています。 なぜなら04年のシーズンオフ、私は仰木彬監督を目撃しています。 どこでか? 清原選手の故郷がある大阪府のとある市でです。 私が見たのがたまたま04年でしたけどひょっとしたら仰木彬監督はもっと前から清原選手に声をかけていたのかも知れません。 清原選手は後に仰木彬監督に 「関西に恩返しをしろ!お前が阪神にいるなら俺は文句を言わない、お前の最後の花道は俺が作ってやる。だから関西に帰って来い」 と言われたと語っています。 奇しくも、生前の仰木彬監督の願いは1年違いで届かなかったのですがこれも野球のドラマの一つでしょうか。 野球を愛し、関西を愛した一人の野球人、仰木彬。 私も出身が大阪なので特にでしょうか、これほど一人の野球人に魅せられたことはありません。
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posted by bestsports |23:30 |
記憶に残るプロ野球選手 |
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