2008年01月15日
10日、イチローが古巣のオリックスの室内練習場での自主トレーニングを報道陣に公開したときの共同インタビューがことのほか興味深かった。
報道によれば、あと130安打で到達する日米通算3000本安打に関連して「オールスター(7月15日)までにはなんとかやりたい。その先は、日本選手が立ったことがない領域に立ちたい。立つことで達成感を得られたらいい。達成されれば、野球の中での快楽を感じられるだろう」といったという。そして、そのあとの言葉が、すごいというしかないものだった。
いわく、「07シーズンで苦しみから解き放たれたという感触を得た。そこから先は遊びたいと思う。見ている人が“イチロー、遊んでるな”という印象を抱くような、そんな雰囲気でプレーしてみたい」うんぬん。
いやぁ、驚いた。これだけの言葉、プロ野球にかかわって約50年、聞いたことがない。
インタビューに答える言葉からしてタダモノではないことは、日本にいるときからいつも感嘆していたのだが、プロ入り17年目、アメリカに渡って8年目、「遊んでいると見られるようなプレー」とは、果してどんなプレーなのだろうか、今季もBSテレビの画面に見入ることになりそうだ。
オリックスの室内練習場での共同インタビューのときではないが、どこで誰に対して発した言葉だったのかさだかではないが、「長期契約するとモチベーションが下がらないか」という質問に対して「それは失礼な質問だ」と答えたという記事も読んだ。日本球界での長期契約選手の中には、長期契約を結ぶと安心してホッとするせいか、その1シーズン、プレーがゆるみがちになって成績がさがる選手が、ときにいる。質問者も、そんなことが頭にあったのだろう。だが、常に、打つときも守るときも走るときも全力プレーを信条にしているイチローには、そういう質問が耐えがたいものであったようだ。「失礼な質問」という言葉に、“プロとしてそんなことがあるわけがないじゃないか”という自負がうかがえた。
そんな記事を読んで、若き日のイチローの話を思い出した。
きっかけは、読者からの一通の手紙だった。岡山に住んでいる人で、大阪ドームに近鉄-オリックス戦(当時)を観戦にきていた。長びいた試合も終盤に入り、近鉄が大きくリードして終盤、もうイチローに打順がまわってきそうにない。そろそろ帰らないと岡山への終列車に間に合わなくなる。腰をあげかけたところで、イチローが右翼の守備位置に走っていく姿を見て、席に座わり直した。くり返すが近鉄の大量リードの展開だ。とんでもないことが起こりそうな気配もない。近鉄はさらに押した。走者三塁。そこへ右翼へ大飛球。それをイチローは、背中を塀にぶつけてジャンピング・キャッチ。そして、そこからさらにホームへ全力の大返球をみせたのだ。
その読者は、書いてきた。「近鉄の大量リードだから、その1点は別に試合の行方に影響するものではない。しかし、イチローは、そんな場面にも全力で守りのプレーを見せてくれた。私はそのとき終列車に間に合わなくてもいいと思った。そのプレーを見ただけで“野球を見た”という満足感にひたった」。
そのことをコラムに書いた「週刊ベースボール」が発表になった数日後、人づてに「イチローのお父さんが、いいことを書いてくれたと喜んでいた」という伝言があった。ホームランを打った、逆転打を打ったということでなく、そういうプレーを特筆大書してくれたことが嬉しい……と。
その年のオフ、あるパーティでイチローに会ったとき、その話をした。喜んでくれると思いきや、ジッと顔をのぞきこまれて、彼はいった。「プロなんだから当り前じゃないですか」。なんだか、怒っているようにさえ感じられた顔だった。
「苦しみから解き放たれたという感触」とは何だろう。「そこから先は遊びたい」とはどういう意味だろう。
前人未踏の領域に入っていく、この天才児(といういい方を、本人はいやがるだろうが)のプレーひとつひとつが、今シーズンも見逃せない。
posted by 田村大五 |
17:27
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2008年01月08日
昨年の暮れもおしつまった日、京王線調布駅前で宮田親平さん(元「文藝春秋」編集長・科学ジャーナリスト)とバッタリ会った。81年1月、「七たび生れ変っても、我、パ・リーグを愛す」というエッセイを発表、その一篇に呼応してパ・リーグ・ファンが結集。「パ・リーグへの愛を市民運動にまで高めよう」と82年4月、「純パの会」が発足、年々会員が増え続けていまに至っているが、その「純パの会」結成のきっかけを作った人だ。
しばしの立ち話の中で、宮田さんは、いったものだ。「ひと頃と違って、最近はパ・リーグの人気が高まって……。人気が上がると不思議なもので、会員の熱も一時ほど高ぶることもなくなって……」。まったく、ファン気質とは、不思議なものだ。実力があるのに、個性派選手が多いというのに、セ・リーグに比べて観客が少ない、人気がないといわれていた時代、パ・リーグのファンはカッカと燃えていた。セ・リーグなにするものぞ、巨人がなんだ、阪神がなんだ(いや、キョジンとかハンシンと言葉にするのもイヤだという人々)と、パ・リーグ野球のすばらしさを讃え、応援に力がこもっていた。それがいまや札幌-仙台-千葉-福岡と、セ・リーグを凌駕するほどの勢いで、スタンドは熱気に満ちている。プロ球界を代表する若い魅惑的なスター選手も続々、生まれてきた。そうなると……。
年が明けて届いた宮田さんからの年賀状にも「この数年の激変に驚いています」という添え書きがあった。今年も多くの「週刊ベースボール」の愛読者から年賀状を頂いたが、「プロ球界はどうなるんでしょうか」というような趣旨の添え書きが多かった。実力派スター選手が次々にアメリカをめざす傾向が強まる一方で、そのことに一種の喪失感を感じる不安が底にある「どうなるんでしょうか」という言葉だろうが、私には、そのこととは違う不安がある。
もうすぐまた、あちこちから両リーグの順位予想を求められる日がくる。そのときあわてないように、正月休み、新しい年の両リーグの戦力を考えつつ予想していて、あらためて、その“もうひとつの不安”が広がった。
パ・リーグのほうは、予想がつかない。戦力的にはソフトバンクが頭ひとつ抜けていると思うのだが、昨年、一昨年の例もある。監督が替わった日本ハム、小林雅と薮田がいなくなったロッテだが、そうそうヒケをとることもあるまい。それに「予想がつかない」と混乱するのは、楽天、西武、オリックスの戦力アップ、意気込みが目立つからだ。どこがAクラスになってもおかしくはない。そしてどこもBクラスに終わるかもしれない。それほどの戦力均衡にみえる。大激戦だろう。
一方、セ・リーグはといえば、なんといっても昨年の最下位チームから最多勝投手と打点王をとり、4位チームの実績あるストッパーを加えた巨人の圧倒的な戦力には、ただただオソレイル。伝えられるところでは、この3人に費した補強費だけで日本ハムの年俸総額に近いのだという。「マネー・ゲームにしたくなかった」と球団代表はいったそうだが、これを“マネー・ゲーム”といわずしてなんというのだろうか。
広島から“全日本チームの4番打者”新井を補強した阪神とチャンピオン・チーム・中日を含めた3チームと、クルーンを失った横浜、黒田と新井に去られた広島、左腕・石井一にパ・リーグに行かれたヤクルトの3チームの戦力差はいかんともしがたい。昨年、一昨年のパの日本ハムの例もあるのだから、セでも後者の3チームになんとか頑張ってもらいたいのだが、ハタからみると、この戦力差は「A」と「B」にハッキリ分れると思う。
巨人の補強を「仁義なき補強」という見出しで報じた新聞もあった。確かに“ルール違反”はしていない。「あくなき強化意欲」と評する人もいる。しかし、私は、くり返すがこれではシラけてしまう。戦力均衡の上で、野球戦術をくりひろげてシノギをけずるところにペナントレースの面白味があると考えるからだ。プロ野球組織の長たるものは「限りなく指令に近い強い要望を、いまこそ出すときではないのか」と書いたのは日本経済新聞の浜田昭八記者だが、私も同感だ。
いつもは添え書きなどない巨人OBからの年賀状に、めずらしく「どうしようもない巨人軍になりました」という添え書きがあってハッとした。いつも辛口だが理想家肌で巨人を愛しているOBだ。いつも「若手の育成」を口すっぱくして説いている人も、ついにガマンできなくなったとみえる。
巨人ファンの声を聞きたい。
元日のスポーツニッポン紙上で有本義明さんが書いていたことだが、「グライシンガーが投げ、ラミレスが打って、クルーンが締めて勝つ」……巨人ファンは、それでも勝てば嬉しいのだろうか。
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16:08
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2007年12月26日
12月24日夜、満月。夜空の満月を仰ぎ見ながら、かつて辛口で鳴らした山本夏彦氏の名エッセイ「何用あって月世界へ」を思い出した。仰ぎ見、賞でているだけで人の心もやわらぎ、さまざまなロマンを紡ぎだし、日本でも「かぐや姫」を主人公にした平安時代の作といわれる「竹取物語」をはじめとする、月にまつわる数多くの詩歌、物語が、私たちの心をうるおしてきた。そこへ、20世紀、人間が行った。
人工衛星・アポロ(辞書によれば、アポロとは「予言の神」といい、「アポロ的」とは調和ある統一、端正な秩序をめざす傾向という)の乗組員は、2本の足で月面を踏んだ。わが「かぐや」は、月面のむこうにあざやかに浮いている地球を幻想的にとらえ、あらためて現代科学の凄みを感じさせた。しかし、およそそういう科学の凄みに無知な身には、まだ頭の隅みのどこかに「何用あって月世界へ」という思いが残っているのも事実だ。
そういう月世界とはまったく次元の違う世界なのだが「何用あって○○へ」というフレーズをくり返しているうちに、ふとテレビで見聞した楽天・野村監督の、米大リーグへ続々かけつけていく日本プロ野球の選手について「金だよ、金」と語っていた顔を思い出した。「何用あって大リーグへ」、「金がほしいんだろ」……それではちと寂しいじゃないかと少なからず反発を覚えたものだ。
そりゃぁ、次から次に「ウン十億円」という年俸額を聞けば、それが“魅力でない”ことはないが、大リーグに挑む選手にしてみれば「金」だけではなく、「上のランクの世界に挑戦することで自分の力を試してみたい」というスポーツマンとしての純粋な欲求があるに違いないと思うからだ。まだFA権取得にはかなりの年数がある阪神の藤川球児投手が「若いうちに自分のストレートがどれくらい通用するのか試してみたい」と一日も早い大リーグ挑戦を口にしていたが、それは正直な気持だっただろうと思う。藤川投手にすれば、それを「金のため」といわれては、いまの純粋な気持が汚されるように思ったのではないか。
だが、それにしても加速度的に増え続ける大リーグへの挑戦者の数の多さには驚く。まさに“われもわれも”といった感じだ。福留孝介や黒田博樹は、わからなくもないが、“えッ、あの男が……”と、失礼ながらちょっと首をひねりたくなる選手もいるのは確かだ。
しかし、考えてみれば、そういう選手こそ「日本球界で果せなかった夢を、元気なうちに果しておきたい」という夢を追い続けているのかもしれない。
渡米してから苦しみ続けていた松井稼頭央が、ついにコロラドで年来の夢を実現したように、あるいはまた“日本ではもういらない”といわれた斉藤隆がドジャース投手陣の欠かせないストッパー役になったように、みんな“オレだって”と思うのかもしれない。最初の頃は、“みんな、アメリカアメリカと、ちょっといい気になっているんじゃないか”と思っていたひとりだが、こうなるともう“どんどん、やってみるがいい”という気になってきた。
そういう最近のニュースの中で“オヤ”とひとしきり考えさせられたのは、かつての巨人のストッパー、角盈男氏の長男が、日本のドラフト会議で指名されなかったので、アメリカの1Aチームから挑み、“上”をめざすというニュースだ。“このままアメリカ行き志望が増え続けていけば、日本のアマ球界の有望な人材がどんどん流出してしまう”とはかねてからいわれてきたことだが、今度のケースは日本のドラフト会議で指名されなかったのだからしようがない。そのニュースを報じた報知新聞によれば、父親の角氏は「いずれ力をつけたあと巨人入りしてくれれば嬉しい」といっているという。今年のドラフト、日本ハム1位指名入団の多田野数人投手は、八千代松陰高-立大という球歴でアメリカのインディアンスとマイナー契約、04年にメジャーで1勝をあげたが今季10月、アスレチックスの3Aサクラメントを解雇され、あらためて日本プロ球界に挑むことになった。こういう“多田野ケース”も今後、増えるかもしれない。
野茂英雄が挑んで12年、日本の球界も選手もどんどん考えの幅を広げている。しばらくは“時の流れ”を見守るしかない……か。
posted by bbm_hakkyu |
09:55
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2007年12月17日
それにしても88人とは驚いた。それもクレメンス、ジアンビ、ペティットら大物選手ばかりヤンキースから22人、そのほかのチームからもシェフィールド、ロデューカ、テハダ、ガニエらの大物の名前が次から次へと出てくるとは……驚きのあとは、驚きを越えて、“憧れの大リーグ”の知られざる底なしの暗部が垣間見えたようで暗然とした。ステロイド(筋肉増強剤)、ヒト成長ホルモン(HGH)を使用したり購入したといわれるメジャー・リーグの内情に関する調査報告書「ミッチェル・リポート」は409ページにも及ぶという。
それでいてなお、このリポートを発表したのは「罰ではなく今後の薬物使用を中止させるため」であり、「20年間に及ぶ“ステロイド時代”に別れるための一歩としたい」からだというから、では、これまで“放置していた間のプレーはなんだったのか”ということになる。このあたりが、どうもわからない。
親しいメジャー・リーグ通に聞くと、「クスリに関しては、とにかく対応が遅れた。噂が広まるばっかりで、そういう風潮を止めるための具体的な動きがにぶすぎた」そうだ。選手会が、選手個人個人のプライバシーを守らねばならぬと検査導入に反対しつづけたのもその一因だというが、そういうとき「ナショナル・パスタイム」といわれる「ベースボール」を守ろうという声が出なかったのか、こちらが「クスリ」というものに対して強い嫌悪感をもっているせいか、どう考えてもわからない。
そういう“広い汚ない(あえていう)土壌”の中から日本にやってきた選手も多いから“危ないな”と思っていたが、今度もやっぱり実名が出た。日本で検査したら「陰性」だったというが、アメリカとは違うのだから、もう一度徹底して調べてもらいたいと思う。かつて、来日早々、薬物疑惑に包まれた選手がいてその対応に大わらわになったことがあったが、そのとき私は「週刊ベースボール」誌上(「白球の視点」)で「頑丈な堤防もアリの一穴から崩れる」と即刻アメリカに帰ってもらおうと強力に訴えた。今度の大学ラグビー部員ではないが、組織の中にひとりでも不審な者がいたら、そこで断ち切っておかないととんでもない方向に行きかねない。
今度の「ミッチェル・リポート」では「検査機関の独立と検査の徹底」を謳っているというが、一方では「ステロイドから、検出がむずかしいというHGHに移行する危険がある」といい、「新たな薬物とのイタチゴッコになるかもしれない」という指摘もあるというから恐ろしい。
また一方で、これだけの大物選手の名前が公表されたのだから、その大物選手たちがこれまで作ってきた記録をどうするかという論争がにぎやかになっていくだろうという見方もあるようだが、この際、その種のことは“二の次、三の次”でいい。とにかく「徹底的な薬物禁止」に全球界あげて全力で邁進すること、それしかない。
「ミッチェル・リポート」が発表されたその日、88年前のメジャー・リーグ史上最大のスキャンダル、「ブラックソックス事件」(19年のワールドシリーズでホワイトソックスの選手が八百長行為にかかわったとして永久追放された事件)に関する未公開資料がシカゴ郊外で競売に付され、数千枚もの文書がシカゴの歴史博物館に10万ドル(約1100万円)で売り渡されたというニュースも流れた。なんというタイミング、アメリカという国は、まったく不思議な国だと、ここでも驚き、唖然とした。
この不愉快な関連ニュースの中で、ハタとわが膝をうったのは、「ウミを出すチャンス」といったイチローの、次のような感想である。
「野球はパワーだという間違った考えが言い伝えられてきた。パワーさえあればいいという発想が、クスリで体を大きくすればいいという錯覚につながった」(12月16日付け、スポーツ紙各紙から)。“野球は、そういうものではない”とイチローはいいたかったのだろう。強いスイング、適確なミート、そしてスピードをのせた足であり肩であり、それらを総合した“野球力”というもの。パワーだけでは決して“野球力”とはいえないんだというプライド。さすがは、“われらのイチロー”である。
このイチロー談話を読んだとき、とっさに頭に浮かんだのは、先の台湾での日本チームの、これでもかこれでもかとつないでつないで逆転していった、見ていて胸のすくような攻撃ぶりだった。そう、野球は決してパワーだけではないのだ。それを「スモール・ベースボール」などと形容するから間違ってくる。野球とは、本来、そういうものだということを日本人が見せてやっている。アメリカも日本を見習わなければならない。
posted by 田村大五 |
18:39
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2007年12月11日
政界の大連立構想をめぐる“さる人”の話題で、ひとしきり“さる人”が所属する新聞以外のマスコミが批判と皮肉をこめて指弾し続けていたら、その“さる人”──渡辺恒雄・読売新聞社の代表・主筆が、自民党・国会議員のパーティであいさつ、「いまいろいろと誹謗中傷を受けているが、私も新聞記者、そのうちに必らず書く」といったという。渡辺氏があっせんしたといわれている大連立というものが、どういうものであったのか、ときの首相と野党第一党の代表がどんな話し合いをしたのか、ぜひ知りたいところだが、「私も新聞記者」といいきった人の“報道記事”を読みたいものだ。
元巨人オーナーとしても、オーナー在職当時、いろいろと球界に物議をかもした人だったが、今度の“政界大連立のあっせん”のことで報道陣に囲まれると「オレは野球のことはわからん」ととぼけていたシーンをテレビのニュースの一端で見聞したが、もうそんなことをいって逃げているわけにもいくまい。刊行された自伝の中でも、何度も、大物政治家を動かしてさまざまなことをやったことを明かしているのだから、今度も堂々と書けばいい。モヤモヤの状態にしておくから、いろいろな揣摩憶測がとびかうのだ。
政界の大連立というようなスケールの大きなことでなく、プロ球界のトレードに関することだが、私も新聞記者時代、ひとりのちっぽけな記者の分際でトレードプランを仕掛け、あさはかにもそのトレードが成立する前に新聞に大々的に書き、大失敗した経験がある。そうやってなにかを仕掛け、それをスクープすることが、“記者としての大仕事”と錯覚していた時代のバカバカしいミスだった。
いまはもうそんなこともないだろうから、連日、シーズンオフの各紙を読みながら「へぇ」とか「ほう」と首を振ったりうなずいたりしてトレード情報を読んでいるが、巨人が、横浜のクルーン投手の獲得から、今度はヤクルトのグライシンガー投手、さらにラミレス外野手まで獲得しようとしているという報道には「そこまでやるか」と目をむき、しばらくしてすっかりシラけてしまった。
清武英利・球団代表の「週刊ベースボール」の連載「野球は幸せか」は、さすが練達の元読売新聞社会部長の筆でなかなかに読ませてくれるが(12月3日号の第17回、小笠原道大選手とFA入団交渉時の、同選手夫人との手紙のやりとりなど、ついホロリとしたものだ)、同代表は同じ回で、こう書いている。
──巨人軍の再建にあたって、私たちは「人づくり」を柱に据えた。言い換えれば育成である。その方針と補強は矛盾する、と囃(はや)し立てる人もいるが、私はそうは思わない。補強によって得た小笠原や谷、豊田といった強烈な個性が、どれだけ巨人の生え抜きを刺激したことか。内海、野間口、西村、金刃、脇谷、会田、山口……──
私は別に囃し立てるつもりなどサラサラないが、「育成の方針と補強は矛盾しない」と考えるには、いまの補強ぶりは「度が過ぎる」と考えているひとりだ。クルーンの入団で上原浩治が先発にもどればグライシンガーと強力な2本柱で久保や福田の先発としての出番は減るだろう。それは左の伸び盛りの内海や金刃にも影響しかねない。左の中継ぎとしてのロッテからの藤田宗一の入団で山口鉄也や大器・林昌範の出番も少なくなるかもしれない。谷佳知、高橋由伸、清水隆行、矢野謙次らの外野陣にラミレスが加わったらどうなるだろう。なにしろリーグ最多安打のラミレスである。今季のホリンズやゴンザレスのように扱うにはいくまい。なんとかレギュラーにひと足でも近づきたいと考えている若手外野手にしてみれば、“ああ、これでまた出番が減る”と思うだろう。“どれだけ生え抜きを刺激するか”というより“どれだけ意欲を減退させるか”とならないか。それを憂える。
私がひそかに“カープよ、頑張れ”と応援し続けているのは、FAで主力を他チームに引き抜かれても引き抜かれても次々に生え抜きの若手を育て上げてチームの中軸に据え、それなりの力をみせていることだ。
自分でアメリカからつれてきた選手があまり使いものにならず、他チームで活躍した選手を大枚をはたいて引き抜いてそれを中軸にして“さァ優勝だ”と威張ってみせてもシラけてしまうんだなぁ。清武代表よ。
posted by 田村大五 |
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2007年11月28日
決められたルールがあるのだからまったく仕方のないことではあるのだけれど、志を高く掲げてのメジャー行きは別として、個人的にはずっと、FA資格を手にして国内のチームへ移って行く姿に妙な違和感を感じていた。
特に93年の落合博満からはじまって、94年・広沢克己、川口和久、96年・清原和博、99年・江藤智、工藤公康……とFA選手の巨人入りが続いたときには、“どうしてみんな巨人に行きたがるの?”、“巨人の球団幹部はどうしてまた他チームが育てた選手ばかり欲しがるの?”と、むしろ反感さえ抱いたものだった。
その「FA選手の国内移籍」について、このところちょっと感じが変わってきたのは、広島→阪神の新井貴浩内野手とヤクルト→西武の石井一久投手の記者会見の言葉を聞いてからだ。
新井選手の場合、FA宣言をしようとしたときいきなり泣きだして「カープが大好き」といった涙また涙にホロリとしたわけではない。「泣くくらいならFA宣言などするな」と思った球界の大先輩がいたが、私が“そういうことなら、ま、仕方がないか”と思ったのは、阪神に移ると決めたとき「より厳しい環境に身を置いてプレーに磨きをかけたい」といった言葉だ。悲しいかな、カープはこのところずっと優勝争いからほど遠いところにいる。1試合1試合、いや1打席1打席、ワンプレーワンプレーが優勝にかかわるという厳しさの中でやっていきたいという渇望。それに対しては、なんにもいえない(それにしても広島はつらいなぁ。代表者会議でも“FAのたびに引き抜かれる一方の現状。なんとかできないか”という関係者の悲痛な声があがったと、聞いたが、ほんとなにか救済策はないものだろうか、ひとり、ずっと考えている)。
もうひとりの石井一久投手も「(ヤクルトは)いいチームだったし、いいファンに囲まれて幸せだった」といいながらも「ひとりの人間としてもっと成長することを望み(そのためには)新しい環境で新しい苦しみを経験してこそ……」と語っていた。ウーム……と、ここでも“そこまでいうのなら国内移籍に異を唱えることもできないな”などと思ったことだった。
石井投手の場合、あれだけの球速、あれだけのピッチング技術、あれだけの実績を持ちながらの今季の成績は、なんとも歯がゆいものだった。ときに、どこか意欲の薄さが感じられたような日もあった。そういうときに思い出したが、かつての全盛時にさえ「僅か6球団で対戦をくり返す日々がつまらない」といっていたことだ。「対戦が終わったと思ったらまた翌週、同じ打者たち相手に投げることもあるスケジュールなんて、つまらない」と。投げていて新しい感興が湧かない、もっと強い刺激がほしいというマンネリ感。あえてメジャーに挑戦したのも、そんな思いが根底にあったようだ。今度は、パ・リーグの強打者相手のピッチング。「負けのほうが多いピッチング(今季)なんかしない」といいきるからには、かなりウズウズしているようだ。とすると、この国内移籍、かなりの興味をともなってくる。私個人の「FA資格→国内移籍への違和感」は、やはり、間違っていたのだろうか。
しかし、その違和感が、まだ消えないでいるのは、これも偏見のかたまりと批判されるかもしれないが、このところひんぱんに行われている、日本国内の外国人選手の、いともかるがるしい移籍また移籍のことだ。来日して、ちょっと好成績を残すとすぐ他球団から誘いがかかり、好条件にスイスイと乗って移って行く。チーム愛(いま頃、そんなことをいうと古いか)もなにもあったものではない。
いまは、ヤクルトのグライシンガー投手と西武のカブレラ内野手をめぐって数球団が水面下で獲得合戦をくりひろげているのだという。自らアメリカに渡って、“未知の外国人選手”を探してくるよりは、すでに日本球界で実績のある選手を横取りするほうが、そりゃぁ楽だし、戦力として計算もしやすいだろう。しかし、それが“ファンに愛される真のチーム作り”だろうか。どうも手軽で安易すぎる補強策に思えてハナジラム思いがつのるのである。
posted by 田村大五 |
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2007年11月20日
千葉ロッテからFA宣言した薮田安彦、楽天からFA宣言した福盛和男両投手に、メジャーからそれぞれに5球団からのオファーがあるという。カンサスシティからもロイヤルズの監督に就任したばかりのトレイ・ヒルマンの、日本ハム監督として対戦した視点からだろう、「多くの球種を使い分ける、すごく気に入っている投手。中継ぎにも抑えにも使える」という“薮田絶讃談話”が届いている。
これも、今季、レッドソックスで大活躍した“岡島秀樹効果”だと思うが(薮田、福盛両投手には失礼な言い方かもしれないが)、それにしても野茂英雄投手がメジャー・リーグへの道を切り拓いてから13年、野茂-松坂大輔-黒田博樹(まだ所属先はわからないが)といった先発ローテーション入りする本格派とは別に、薮田や福盛といったタイプの投手に5球団ものオファーが殺到するようになるとは思わなかった。
もうひとり、興味ある対象に、今季で37歳になる巨人の左腕・前田幸長投手がいる。このところめっきり出番が少なくなっていたのが面白くなかったのだろうが、敢然と「メジャーに挑戦」と打って出た。こちらも岡島に強く刺激されたのだと思うが、それにしても野球の潮流の変化を感じずにはおれない。
それにしても、レッドソックスのスカウトと岡島投手は、“もうひとつの”プロ野球選手の生きて行く道を教えてくれた。両者のその功績は大きい。
岡島投手は、ドラフト3位指名だった。そのとき巨人入りしたドラフト組は、ほかにもうひとりも残っていない。そのときのドラフトでプロ入りした選手は63名いたが、いまも活躍しているのは小久保裕紀、福浦和也(ロッテの7位指名)、大村直之(近鉄の3位指名)、金子誠、それに今季、コロラドで大活躍した松井稼頭央(当時、西武の3位指名、松井和夫投手)くらいで、あとは“全滅”している。いかに数少ない「成功組」だったかがわかる。
私はずっと以前、野茂やイチローがプロ入りする頃、「ドラフト史」という増刊編集を思いたって編集していたことがあるが、毎回決まって組んだ特集のひとつに「下位指名の男たち」というものがあった。68年ドラフトの阪急8位指名・福本豊とか、73年ドラフトの阪神6位指名・掛布雅之とか、よく知られるところでは91年ドラフトのイチロー、中村紀洋、金本知憲らがいずれも4位指名だったことなど(その他、下位指名からトップスターにのし上がった選手は、いっぱい、いる)を列挙して「ドラフトの指名順序など、その選手の価値基準にはならない」といいたかった。
その年のアマ球界の話題の大物に他球団が目を奪われているスキにサッと指名してしまうスカウトの眼力、そして下位指名だろうとなんだろうと「いつかメにモノをいわせてやろう」と研鑽を積んでいく選手の気力と努力。それらが合致したのが、前記の大物スター選手たちだからだ。
だから、いつの年でも、私は下位指名の選手たちの詳細なデータを頭に入れておくことにする。その男たちが一軍公式戦でグングン台頭してきたとき“ああ、そういうことだったのか”とわかってくる。それが野球観戦の上で非常に役立ってくる。
さて、投手指名が圧倒的に多かった今年、その名も知らなかった選手たちのことを調べていくと実に面白いのだが、今回は、もうひとつ、ロッテの5選手指名を筆頭に8球団が15人も指名した育成選手のことがある。四国リーグあり、BCリーグあり、中には軟式野球の選手もいた。今季は巨人の山口鉄也投手ら、育成組から3人も支配下選手契約をかわすまでになった選手が出ていた。これからは育成選手の足跡もじっくりと見ていきたい。
これまでは考えられなかった薮田や福盛や前田がメジャーに挑戦していくように、いつの日か、育成選手が日本プロ球界のトップに立つような時代がくるかもしれない。そのときは、いまでは考えられないような“底辺リーグ”が大活況を呈するようになるかもしれない……という夢をもって、育成選手の成長を期待したいのだ。
posted by 田村大五 |
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2007年11月13日
13日早朝、福岡の知人からの電話で稲尾和久さんの訃報に接したとき、頭の中が真っ白になり、しばらく言葉が出なかった。1週間ほど前、別冊「にっぽんの高校野球」シリーズの編集担当者から「九州編を製作するので大分県特集のひとつとして“稲尾和久の高校時代と、いまはなき別府緑ヶ丘高”について書いてほしい」といわれたばかりだった。新聞に、つい先ほど行われた沢村賞選考委員会には「体調不良で欠席」とあったことは知っていたが、10月30日に緊急入院したことも知らず、“あの頑健な男が倒れるわけがない”と勝手に思いこんでいたから、久しぶりに口説いて故郷・別府まで同行しようかなどと勝手で失礼でのんきなことを考えていた。その矢先きのことだったから茫然自失、まだ、あの大投手と幽明境を異にしたことが現実のものと思えない。20歳代からの長いつき合いだけに思いがあふれ、なにから書いていいのか混乱している。涙が出てくる。
高校を卒業してすぐ21勝6敗、防御率1.06(この数字を見よ)の新人王、以来、シーズン35勝、42勝ありの8年連続20勝以上。最優秀防御率5回の全部が1点台というのだから、いくら野球が変わったといっても、いまの時代からは想像できないであろう驚異的な防御率だ。しかも、それがシーズン400イニングスを越えるピッチングをした上での数字であることが、すごい。
完投、リリーフ、完投、完投と続けたこともあった。そのものすごい“使われ方”が稲尾の投手寿命をちぢめたといわれたこともあった。しかし、稲尾自身は終始、そういう見方に反発した。「だってな、あれだけ投げさせてもらって、勝って、それでファンが喜んでくれた。ワシの名前も、それで残った。むしろ、感謝せな、いかん」。
福岡の街を一緒にタクシーに乗って走っているとき、道行く人を指さし、「ホレ、あのオジさんもオバさんも、ワシの顔を見るといまでも手を振ってくれる。ありがたいもんじゃ。それもこれも、あれだけたくさん投げたからだ。誰が登板過多なんて恨むものか」。
“野球ネタに困ったら稲尾のところへ行け、必らず興味深い話をしてくれる”と先輩記者に教えられ、昭和30年代からずっとそれを実行してきたのだが、いつ会っても丁寧で優しく“野球”をかみくだいてわかりやすく説明してくれた。「右投手における左腕の研究」などと虚をついた説明のように聞こえ、その実、“右投手にとっての左腕の位置”がコントロールに重要であるとか、右投手の右打者への内角からの真ん中へのスライダーの有効性とか、素人の私にかんでふくめるような“解説”が面白かった。
監督になってからの“ヤンチャ坊主”東尾修投手との丁々発止や、ロッテ監督になって“三冠王・落合博満”とのやりとりなど、後年の“東尾監督”“落合監督”を見る上でもずいぶん参考になった。
少年時代からの野球人生をまとめようと、1年間、東京-大阪-福岡を行ったりきたりして話を続け、膝つきあわせて作業に没頭、「鉄腕一代」(ベースボール・マガジン社刊)をまとめたのは92年から93年にかけて、だった。殿堂入りしたとき、東京での祝賀パーティの段どりをまかせられ、引き出物の相談になったとき、すかさず「鉄腕一代」というラベルを貼った焼酎をとりだし、「これにきまっとる」といったのには笑ってしまった。
いつ会っても、小柄な私の肩を抱いて、「人にいえたことではないかもしれんが、酒はほどほどにせいよ」などと私に説教を垂れていた。サイちゃん、なにいってんだよ。先にあの世へ行ってしまって。「鉄腕一代」の飲み過ぎだったんじゃないのか。悔しい……と、また涙があふれてくる。
posted by bbm_hakkyu |
17:09
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2007年11月06日
4日夜のNHKTVのスポーツ番組に生出演した中日・落合博満監督の言葉を聞き、日本シリーズ第5戦の山井大介-岩瀬仁紀の継投に関する事情を知って、あらためて得心がいった。
4回頃から右手中指のマメが裂けて血が出ていたこと(血がついたユニフォームの写真も見た)、痛みをこらえて投げていると古傷の右肩に影響するおそれがあること、右肩の故障でこの2年間投げていなかった、それを無理して投げさせてまた肩を痛めたら山井のこれからの野球人生にも影響しかねないこと、それにベンチには全員が信頼している岩瀬という切り札がいること、などなど。そして、山井の快投を絶讃し、あの場面、岩瀬のプレッシャーはどれほどすごいものか、それに耐え投げきった岩瀬の功績にももっと目をむけてほしいともつけ加えていた。
ほかの場面ではあったが、その上で、あの交代を批判する声について「ベンチ内部の事情を知らないでいっているんだから、それはしようがない。なにをいわれたって平気。こっちは勝ったんだから」と笑っていた。別に語気を強めて“反論ふう”にいうのでもなく淡々と語り続ける姿勢に、指揮官としての自信と余裕が感じられた。
日本シリーズ前のことだが、「日刊スポーツ」紙に寄せた森祇晶氏(元西武ライオンズ監督)の「監督・落合博満」という一文が強く印象に残っている。
CS第1ステージ初戦の初回、無死からの荒木雅博の盗塁や巨人戦での川上憲伸投手のバスターなどに触れ、「自軍選手の技能、状態、そして相手を把握した上での判断」で「決して無謀な懸けや思いつきではなく、裏付けのある采配」とし、「落合監督はメディアなどで手腕に見合うだけの評価を得ていない」と断じた上、「そこから今の日本球界が抱えている問題点、そして間違ったリーダーシップ像が見えてくる」とまで筆をのばしていた。
森氏は、球団が新監督を選ぶ際によく聞かれるフレーズに「さわやか」「好感度」「生えぬきスター」「人気」というようなものがあるが、そういうことに違和感があるといい、書き続ける。
「そうした考え方と(落合監督は)正反対にいる。愛想はよくない。華やかで絵になるタイプではないだろう。シャイな男だから『オレはこうやっている』などと、自分の宣伝はしない。どれだけ批判されても言い訳もしない。これらは彼の優れた点なのだが、どうもマイナス面としてとらえられている。メディアは『オレ流』など、変わり者のように描く」……と、森氏は、どうもメディアの扱いがお気に召さないようで、現役捕手時代からヤクルトのコーチ-西武監督と長くつきあってきた私には、まるで“ボヤキの森”の肉声が聞こえてくるような「落合擁護論」だった。
そして打では森野将彦、投では朝倉健太らの育成、今度のシリーズでも大活躍した谷繁元信捕手の使い方などの例をあげて育成・管理の面でも実績をあげたと詳述し、「奇をてらった采配をしない、いわゆるオーソドックスなタイプの監督だろう。パフォーマンスや人気とりもしない。監督としてチームの勝利に徹する男。プロ集団のリーダーにふさわしい」と結論づける。くり返すが、これは日本シリーズ前の「落合論」だ。
そして森氏は、あの山井-岩瀬の交代後、同紙上で「私情を捨て、チームの悲願を確実とする采配に徹した(略)。賛否両論あるだろうが、よくぞ決断した」と“落合決断”を評価した。
その後もメディアでは、この投手交代は是か非かがあちこちでくり返されている。「山井の完全試合ピッチングを見たかった」説と「チーム勝利のためによくぞ思いきった」説がほとんど五分五分。この論争? は、今後も続くだろう。私は後者説のほうなのだが、私の周囲には強硬な前者説もけっこう多い。ある意味では、その人その人、それぞれの「野球観」が、この問題に色濃く投影されているように思うが、どうだろう。
中日ドラゴンズ、1954年以来のチャンピオンの座。聞けば、安倍晋三・前首相が同年9月21日生まれだという。ドラゴンズが日本のプロ球界を制したときは「政変」が多いのだそうだが、ファンがまだ美酒に酔っている頃、今度は、やれ「大連立」だの、やれ「小沢・民主党代表、辞意」だのと政治の世界が大鳴動と、きた。不思議なものだ。
posted by 田村大五 |
15:59
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2007年10月30日
第2戦までのテレビ観戦だが、今年の日本シリーズを見ていてあらためて中日の荒木雅博-井端弘和コンビのすばらしさにうなったこと再三だった。あの息の合った守りは、落合博満監督就任以来の猛練習の結晶だといわれるが、呼吸ぴたりの守備ぶりは、そのまま1、2番の攻めにも見事に体現されて打線を引っ張っている。シリーズの勝敗はまだわからないが(いま30日正午すぎ)、この2人の攻守のプレーは、ずっと頭の中に残像として残るだろう。こういう“プロのプレー”を見るのは快感だ。
日本シリーズを横目に、どのチームも秋季練習に動き出した。「翌シーズンに向けては、実は9月にはもう動いているんだよ」と元監督に聞いたことがある。トレード・プランから交渉、コンバート・プラン、強化ポイントの練り直し等々、留任監督は、公式戦終了前に動き出しているのだそうだ。だから、秋季練習は、その実践段階なのだという。そういう意味で、いまもっとも興味をもっているのは、阪神の岡田彰布監督がどう投手陣を整備していこうとするのか、だ。
「JFK」という両リーグ通じて屈指の“抑えトリオ”でチーム防御率は確かにセ・リーグのトップだが、後半のバテは、やはり先発陣に人を得なかったからだろう。下柳剛、安藤優也、福原忍にルーキーの上園啓史でもちこたえられなかった先発グループをどう建て直すかが、来季へのポイントだと見ているひとりだが、さて、聞くところ先発グループ入りを希望しているという藤川球児、久保田智之とどう話し合い、どういう方向に導いていこうとしているのか。個人投手成績で、規定投球回数にとどいた投手がひとりもいなかったのは両リーグ通じて阪神の投手陣だけ、というのはいかにJFKがいるからといって、やはり、どこかおかしい。岡田監督が藤川と久保田にどう対処するのか、個人的にはこのオフの最大のみどころだと思っている。
新監督たちも動き出した。
“留任監督は9月から新チーム作りに動き出す”ということからいうと、新監督たちは新チーム作りには1ヵ月から2ヵ月の時間的ハンディを背負ってのスタートということになるが、投手陣が充実している日本ハムは別として、西武・渡辺久信、ヤクルト・高田繁両監督ともに、注目は、やはり、どう投手陣を整備するかだろう。特に最下位に落ちてしまった“グライシンガーひとり”のヤクルト投手陣を、高田新監督は、どう整備していくのか、これも興味がある。打線では首位打者・青木宣親、打点王のラミレスに35本塁打のガイエル……と活発に動いたのに、首位巨人に20.5ゲーム差もつけられた最下位とは、投手陣の惨状につきる。
聞けば、日本ハムのゼネラル・マネジャーとして、昨年のドラフト会議では、埼玉・鷲宮高からヤクルト入りした増渕竜義投手にえらくご執心だったという。いつまでもアメリカ帰りのベテラン・石井一久に頼っている時代ではないだろう。五十嵐亮太や石井弘寿の故障回復も待たなければならないだろうが、最下位脱出からAクラス入りを果たすには、藤井秀悟、石川雅規の左腕コンビに続く威勢のいい若手右腕を育てあげなければならないときだ。
見渡せば、ダルビッシュを先頭に・西武・涌井秀章、ロッテ・成瀬善久、巨人・内海哲也……、と、いまや投手税は若者の天下だ。遅れをとってはなるまい。それは最後の最後まで最下位を争った?広島にもいえる。右の大竹寛がようやく伸びてきたようだが、今季、左腕ルーキー・青木高広の歯がゆさといったらなかった。負けても負けても登板命令を出し続けたブラウン監督のしつこさが来季になって実ってくると面白いとみているのだが、こうやって下位チームに力入れするのは、もっともっと激しいペナントレースを見たいからにほかならない。
その意味で、表面はこともなく過ぎているように見えるが、実は、いま、このシーズンが来季へのカギを握っているのだと、そのことをいいたかった。
posted by 田村大五 |
19:31
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