2008年02月26日

白球の視点 第232回

 オリックス・コリンズ監督の「若い選手がチャンスをつかんで活躍する姿は見ていて楽しい」(24日の対阪神オープン戦で満塁ホームランを打った田中彰選手について)というコメントや、前日の対ソフトバンク戦で“オープン戦打点第1号”になる右中間突破のタイムリー二塁打を放った広島のルーキー・松山竜平外野手の「高校生の中田クンに負けたくない」というような言葉を聞くと“さぁ、この若者たち、この勢いでどこまでチームを刺激してくれるだろうか”と、つい期待したくなってくるのは、この季節独特のプロ野球観戦の楽しみだ。春のオープン戦での活躍を足場に、レギュラーの座へ颯爽と躍り出たケースは過去にもいろいろとあるだけに、“さぁ、誰が躍り出るか”とふくらんでいく想像が楽しいのだ。

 この土曜、日曜、1冊まるごとワン・テーマ特集の隔月刊誌「ベースボール・マガジン」編集部に頼まれ、「開幕からペナントレースをにぎわせたルーキーたち」と、もうひとつ「開幕先発メンバーの変遷からみた12球団それぞれの最強チーム」の調査。戦後、プロ野球が2リーグ制になってからの、半世紀を越える各球団の開幕メンバーを調べているうちに、個人的興味も深まって、まるまる2日間、朝から深夜まで、みっちりたっぷり楽しんだ。

 “個人的興味”というのは、各球団それぞれに“強かった時代”はいくつかあるわけで、世代も環境も違うチームの比較。そんなことは絶対にありえないことなのだが、同じチーム名を名乗っていて10年前の強チームと20年前の強チームがもしガチンコ対決をしたら、さてどちらのほうが強かっただろうかというような“想像対決”は、ほんと、楽しかった。

 たとえば「巨人」でいうと、どういうことになるか。

 絶頂期のONを中心に柴田、土井、高田、黒江らがまわりを固め、城之内、堀内らに金田が加わった投手陣の、いわゆる「V9時代」、これはなんといっても強チームだったが、オールドファンの中には「与那嶺をトップに千葉-青田-川上と続き、別所、藤本、大友らの充実した投手陣」の1950年代のチームを懐かしむ人もいる。若い世代の中では「いや、それは“懐旧の情”というもの」といい、70年代と90年代ともに2度ずつの長嶋監督時代の優勝チームをあげる人、「いや、斉藤、槙原、桑田をそろえた」藤田監督時代、いやいや、原監督時代の優勝チーム……と、さまざまな見方に別れるだろう。今度の大型補強によるチームが、歴代のそういう強チームと比べてどんな戦かいぶりをみせるのか。

 一方、横浜や広島のように、衆目のみるところ一致するであろう“球団史上、突出した強チーム”があるチームも存在する。横浜でいえば、「大洋ホエールズ」と名乗っていた頃、三原脩監督が率いて「奇跡の優勝」といわれた60年のチームがあるが、打線の力が弱わかった。それに比べると、それから38年ぶりに優勝した権藤博監督の98年チームは「マシンガン打線」の迫力と“大魔神”佐々木主浩の存在できわだっていた。だれがみても“98年チーム”が最強だろう。広島でいえば、70年代から80年代にかけての古葉監督時代。高橋慶彦から山本浩二、衣笠祥雄らへとつながっていく打線、投手では北別府学、池谷公二郎、そして“あの”江夏豊。最近のカープの低滞をみると、夢のようだ。

 では、阪神の歴代のチームをどうみるか。バース、掛布、岡田のバックスクリーンへの3連発もあった85年の優勝チームか。いや、87勝もあげた星野監督時代の03年チームか。中日はどうだ。やはり星野監督のときの88年チームか、いや、球団史上初めて優勝した54年の、エース・杉下茂、4番・西沢道夫の時代も強かった、いやいや、なんといっても落合監督になってからの最近のチームが力は上……と、ここでも意見は分れるだろう。それはパ・リーグの各チームについても、いえる。昨年、一昨年のリーグの覇者・日本ハムと、かつて球界を席捲した62年の東映フライヤーズ。投の中心は土橋正幸、尾崎行雄で打の中心は張本勲。あの若さと迫力には、いまの日本ハムは及ぶまい……と、私などは見るのだが、さて、どんなものか。

 かつて相撲界で“大鵬と双葉山はどちらが強いか、なんて設問はナンセンス”といわれた時代があった。それと同じように、ここまでくどくどと各チームの史上の強チームを並べて比較しようというのも、およそ他愛のない“ヒマつぶし”なのだが、そんな“ヒマつぶし作業”の中からぼんやり浮かび上ってきたこともある。

 強チームの中にそろっているのは、いってみれば“老・壮・青”が実にうまくかみ合い、解け合っていることだ。円熟のベテランと、充実の中堅組と、伸び盛りの若手組が一体となっているチーム。

 では、08年の12チーム、その条件を満たしているのは、どこか。そういう眼で、ペナントレースの進み具合をみてみるのも一興だ。

posted by 田村大五 |16:30 | 第221回~第240回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月19日

白球の視点 第231回

 沖縄・名護の日本ハム・ダルビッシュ投手と石垣島のロッテ・成瀬投手、宮崎・南郷の西武・涌井投手のテレビでの三元インタビュー中継とか、NHK午後7時のニュース番組のスポーツ・ニュースではいつもまっさきに「メジャー・リーグの日本人選手」の動向を伝えることとか、関東地区のスポーツ紙の一面もずっと日本ハムのルーキー・中田翔の動き……公式戦前の“春のプロ野球報道”もずいぶん変わってきたなぁと、あらためて思う。10年前、いや、5年前でも考えられなかった一種の“激変”だといってもいいのではないか。そういう“春の予報”に接しながら、08年という新しいペナントレースは果してどんな展開をみせるのだろうかという、いいようのない“ワクワク感”に包まれている。

 前記の新鋭たちの動向とは別に、西武の渡辺・新監督が、“カブレラなきあとの4番打者がいない”という質問を受けて「なにいってるんだ。ホラ、あそこにちゃんといるじゃないか」と指さした方向に、今季で19年目になる江藤智選手がいた……という話も、大いに気に入った。「山崎(武司・楽天)の例があるじゃないか」。伝え聞いた江藤本人、テレまくったというが、なに、テレることはない。いつ会っても笑顔をたやさず、誠実な受け答えで感心している選手のひとり。95年のセ・リーグのホームラン王。その翌96年のホームラン王が山崎だったのだから、もうひと花咲かせる可能性、大いにありじゃないか。ぐんぐん台頭してくる新鋭と、負けじと頑張るベテランの競い合いが、ずっとプロ球界の発展の元になってきた。“人のいい江藤の笑顔”より、“もう一度、タイトルに挑む江藤の笑顔”を見たい。山崎のホームランが“仙台の楽天”を活気づけたように、江藤のバットが爆発すれば、26年ぶりにBクラスに落ちた西武ライオンズの若い選手にも勇気を与えるだろう。

 あちこちのキャンプ地から、これまであまり名前も聞かなかった“台頭めざましい新鋭”の情報がひっきりなしに入ってくる。ま、それは“スプリング・キャンプ報道の常”といってしまえばそれまでだが、それにしても“レギュラーの位置、とれるかも……”といわれると、いますぐにでも飛んでいって、そのプレーぶりを見たくなってくる。“勢いのある新鋭”というのは、それだけワクワクするものなのだが、いざシーズンに入るといつのまにか一軍公式戦から姿を消してしまっている選手が多いのも、これまでの例だ。

 私が“新鋭台頭”というニュースを聞くとき、いつも思うのは、「ともに競い合い、刺激し合う友はいるか」ということだ。その相手は、誰の目にも“レギュラーの座安泰”というベテランではなく、まだレギュラーではないが、ともに刺激しあってチームの中心の座にのし上がっていこうではないかと燃えている“同年の友”だ。巨人V9時代のONや、広島黄金期の山本浩二-衣笠祥雄クラスになると、もうこれは別格中の別格。私がいつも、“刺激し合ってトップの座をめざした若者”というと思い出すのは、西鉄ライオンズというチームがズタズタに引き裂かれて弱わくなったとき、最下位チームにあって歯をくいしばって投げ続けた東尾修と加藤初両投手のことだ。

 東尾は最多敗戦の4年目、加藤はドラフト外でみずから希望して入団したルーキー。加藤が7ヵ月年上の、ともに22歳。東尾が55試合にも登板、リーグ最多の投球回数で、被安打も自責点もリーグ・ワーストで最多敗戦(25敗)ながらそれまでの自己最高の18勝をあげ、のちの最多勝利投手への道を開けば、加藤も51試合に登板、17勝16敗で新人王を獲得した72年のことだ。のちに東尾本人から抱腹絶倒のエピソードをまじえてくわしく聞いたことだが、グラウンドでの練習はもちろん、私生活も若夫婦同士、いつも一緒で語り合い、お互いに「負けんぞ」と言い合って「加藤の17勝にどれだけ刺激されたか」と“加藤の存在”を持ち上げ、加藤は加藤で東尾との1勝の差を悔しがったという。

 新鋭が仰ぎ見るような大スターとの競争ではない。気心の知れた同年代のライバルとの熾烈な戦かい。それが技の向上を生み、心の鍛錬となってチームに貢献した典型的な例といっていいだろう。

 そういう思いで08年の各球団のキャンプ風景をみると、いました、いました。けっこういるのである。東尾-加藤のような、“仲好しで、しかも猛烈なライバル心をもった友”という意識が薄いだけだ。それが、どんな選手たちか、おいおい明かしていくことになるだろう。

posted by 田村大五 |17:28 | 第221回~第240回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月12日

白球の視点 第230回

 「これじゃ、どのチームもみんな優勝チームで、各選手ともみんな首位打者候補か最多勝候補だな」と、現役時代には何度かタイトルをとった実力者が現役引退してスプリング・キャンプの報道を見て言ったのは、40年ほど前のことだった。“40年ほど前”というのは、ようやく、プロ野球のキャンプ報道が派手になりはじめた頃だ。いわゆる「ON時代」がきて、巨人の王・長嶋と対抗する他球団の投打の主力たちの動向もにぎやかにこまかく報道されるようになり、以後、年々キャンプ報道は過熱化し、ON引退後も次々に現れる新しい魅力をもった選手に関する報道は拡大する一方で、ここまできた。

 冒頭の大物実力者の言葉は、そんな過剰報道を皮肉ったものだが、かつて長い間、スポーツ紙の運動部デスクを務めてきた身としては「そうはいうけど、ああいうにぎやかな報道が、公式戦開幕を待つファンをワクワクさせていると思うけどなぁ」などと“反論”? したものだった。

 いま連日の「中田翔・関連記事」など、その最たるものだろう。公式戦が始まって、百戦錬磨の相手のベテラン投手が立ち向かっていったらどうなるか、キャンプ期間中の、狭い地方球場での“場外ホームラン”で大喜びしているようなわけにはいかないだろう。それでもテレビやスポーツ紙の「中田翔報道」には、どこかワクワクさせるものがある。また、それがスプリング・キャンプの楽しさというものだろう。

 そんなスポーツ各紙のスプリング・キャンプ報道の中で、私個人だけかもしれないが、思わずクスッと笑ったのが、「サンケイ・スポーツ」2月7日付けの5面に掲載されていたヤクルトの高田繁・新監督の談話である。

 “談話”といっても報道陣との応対ではない。ヤクルトのキャンプを“偵察”にきた巨人の高田誠スコアラーにいったという言葉だ。その記事によれば「開幕ローテーションを教えてやるから帰れよ」といったという。3月28日の開幕は、ヤクルトの本拠地・神宮球場でのヤクルト-巨人3連戦だ。高田監督は、ズバリ、いったというではないか。

 「ウチは、増渕、加藤、由規、村中でいく。村中は巨人にぶつけるからな」

 巨人の高田誠スコアラーは、高田監督が巨人の二軍監督時、二軍のバッテリー・コーチだった人。お互い、その性格は熟知している。それでいて、スコアラーのほうの高田は、監督のほうの高田の言葉が本音か冗談か判断つきかねたという。

 増渕竜義は昨年、6試合登板で1勝1敗の右腕、加藤幹典は慶大出身のルーキー左腕、佐藤由規は中田翔と並ぶ話題のルーキー、そして村中恭兵は3年目の左腕。私が、その場に居合わせたら、高田監督の肩を叩いて「それで行け!」と叫んだことだろう。

 グライシンガーと藤井秀悟がいなくなったとはいえ、7年目の左腕・石川雅規もいる。韓国プロ野球で昨年22勝もあげた長身のダニエル・リオスもいる。そういう実績ある投手をさしおいて、4人平均20.7歳の男たちを並べて巨人に挑ませるとすれば、その意気や、壮! というべきだろう。“豪華”としかいいようない布陣で今季に臨む巨人に対してはそういう“捨て身作戦”しかないだろう。報道陣のいるところで発した言葉、まんざら冗談とも思えない。11日の対阪神の練習試合で好投した左腕・村中を、巨人は急きょ調べはじめたというからユカイだ。

 今季のセ・リーグ、「AクラスとBクラスにはっきり分れた」という予想というか批評がある。巨人・中日・阪神グループと横浜・広島・ヤクルトのグループ。最初から予想通り、分れてしまっては面白くもなんともない。Bグループといわれる3チームの健闘あってこそのペナントレースだ。BグループがパクッパクッとAグループにかみつき倒していってこそペナント争いの興味が増してくる。ヤクルトの“若手カルテット”が、その先陣役を果せるかどうか、興味津々だ。

posted by 田村大五 |18:20 | 第221回~第240回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年02月05日

白球の視点 第229回

 1955年(ずいぶん古い話になるが)、当時の高校球界は俊英が数多く出てきて、プロ球界は、自由獲得競争時代だから、各球団は大物選手をめぐって激しい獲得合戦を演じた。本人、両親だけでなく、学校関係者から後援会幹部、さらに本人や両親に影響力をもっているとみられる親類縁者から市町村の実力者にまで網を張って勧誘につとめた。当然のように、それには金品がからんだ。そういう悪弊が、いまにいたるドラフト制度を生むことになるのだが、その55年、高校生選手とプロ球団の間に二重契約が相次いだ。

 そのときプロ野球コミッショナーは不在で56年1月、井上登・元最高裁判事が“2年ぶりのコミッショナー”に就任、着任早々、その二重契約問題を裁いていったのだが、そのときの裁定のキーとなったのは「対面契約」だった。選手は未成年だが、親権者である両親と同席して球団関係者と直接対面して契約したものであるのかどうかを再検証して、“両球団からコミッショナーに提訴されている選手”の所属を定めた。その中のひとりに、野球殿堂入りしている“350勝投手”米田哲也投手(阪急-阪神-近鉄)もいる。

 ドラフト制度が施行されてから、そういうことがなくなった(当り前だが)。「二重契約」ではないが、“二重契約らしきもの”があったとしたら外国人選手に二例、あった。93年、巨人を解雇されたバーフィールド外野手をヤクルトが一度、「獲得した」と発表した。だが、あとで代理人が「入団同意書」を送ったことがわかって、バーフィールドは自分でヒューストン・アストロズと交渉、入団した。もうひとつは95年、韓国アマ球界のエース、林仙東。「ダイエー・ホークス入り」といわれたが、高校時代に韓国プロ野球・LGにドラフト1位指名されており、LGに永久交渉権があるとされ、林投手は勧告の裁判所に提訴したものの「LGと契約せよ」という判決でLG入りしたというケース。

 今度のジェレミー・パウエル投手とオリックス、ソフトバンク両球団との“二重契約問題”は、これまで例のない、私にいわせれば“珍種”だ。

 オリックスは1月11日に「獲得」を発表、18日後の同29日、今度はソフトバンクが「獲得」と発表。すると連盟は翌30日、「双方ともに契約は有効」という。つまり二重契約だ。違いがあるとすれば、オリックスの条件が「年俸5500万円プラス出来高5500万円」でソフトバンクが「年俸1億円プラス出来高」。オリックスが契約書のコピーをファックスで送り、サインをもらったもので、ソフトバンクが関係者が渡米して直接サインをもらったもの。しかし、コピーによるサインの送受信はこれまで球界の慣例で、だから「有効」という。そして2月4日の「強制力のない勧告」は「交流戦明けの6月23日以降という条件つきでソフトバンクとの契約を優先する」というもの。それには両球団とも不満で「とことん戦う」という。経過がわかりにくいし不快なことおびただしい(いま5日正午、まだパウエル自身の弁明を聞いていない)。

 わからないことが多い。オリックスは「獲得」と発表したあと、ソフトバンクが獲得交渉に入ったことを感じとっていたらしいが、その時点で何故ソフトバンクに抗議するなりパウエルに事実確認をしなかったのか。またソフトバンクは、オリックスが「獲得」と発表までしていることを承知の上で(連盟も「オリックスの契約は有効」といっている)何故、米国まで統一契約書持参で出かけたのか。そのあたりの事実経過がなんとも不透明だ。

 パウエルは、オリックスの書類へのサインは「就労ビザ取得用」といっているそうだがその辺も不透明だ。連盟の「強制力のない勧告」は、会長の形容を借りれば「三方一両損。苦渋の見解、政治的解決」だそうだが、よけい混乱を招いた感もある。不透明だからだ。

 関係者の間では、この際、パウエルも代理人も日本球界に入れるなという極論さえ、あるし、「外国人戦力依存」の風潮を絶てという声も高まっている。

 このところ西武・涌井やロッテ・成瀬、巨人の内海や阪神の上園などなど若手投手の台頭もめざましく野球ファンの“若者へのまなざし”も熱くなっている。一方で、くる年もくる年も、どの球団もとっかえひっかえ、外国人選手を入団させてはクビを切り、クビを切っては入団させる傾向は強まるばかりだ。そしてパウエルの例であらためて浮きぼりになった代理人という名の、いわくいいがたい実態がよくわからない介在人。「外国人戦力補強に関する新たなルール作りを」という声が高まるのも当然だろう。

 いい機会だ、不明朗な背景を明確透明にして、とことんウミを出しきって、関係者は大討論を行なって新しい秩序を形成しなければならないときだろう。

posted by 田村大五 |19:57 | 第221回~第240回 | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加