2007年11月28日

白球の視点 第221回

 決められたルールがあるのだからまったく仕方のないことではあるのだけれど、志を高く掲げてのメジャー行きは別として、個人的にはずっと、FA資格を手にして国内のチームへ移って行く姿に妙な違和感を感じていた。

 特に93年の落合博満からはじまって、94年・広沢克己、川口和久、96年・清原和博、99年・江藤智、工藤公康……とFA選手の巨人入りが続いたときには、“どうしてみんな巨人に行きたがるの?”、“巨人の球団幹部はどうしてまた他チームが育てた選手ばかり欲しがるの?”と、むしろ反感さえ抱いたものだった。

 その「FA選手の国内移籍」について、このところちょっと感じが変わってきたのは、広島→阪神の新井貴浩内野手とヤクルト→西武の石井一久投手の記者会見の言葉を聞いてからだ。

 新井選手の場合、FA宣言をしようとしたときいきなり泣きだして「カープが大好き」といった涙また涙にホロリとしたわけではない。「泣くくらいならFA宣言などするな」と思った球界の大先輩がいたが、私が“そういうことなら、ま、仕方がないか”と思ったのは、阪神に移ると決めたとき「より厳しい環境に身を置いてプレーに磨きをかけたい」といった言葉だ。悲しいかな、カープはこのところずっと優勝争いからほど遠いところにいる。1試合1試合、いや1打席1打席、ワンプレーワンプレーが優勝にかかわるという厳しさの中でやっていきたいという渇望。それに対しては、なんにもいえない(それにしても広島はつらいなぁ。代表者会議でも“FAのたびに引き抜かれる一方の現状。なんとかできないか”という関係者の悲痛な声があがったと、聞いたが、ほんとなにか救済策はないものだろうか、ひとり、ずっと考えている)。

 もうひとりの石井一久投手も「(ヤクルトは)いいチームだったし、いいファンに囲まれて幸せだった」といいながらも「ひとりの人間としてもっと成長することを望み(そのためには)新しい環境で新しい苦しみを経験してこそ……」と語っていた。ウーム……と、ここでも“そこまでいうのなら国内移籍に異を唱えることもできないな”などと思ったことだった。

 石井投手の場合、あれだけの球速、あれだけのピッチング技術、あれだけの実績を持ちながらの今季の成績は、なんとも歯がゆいものだった。ときに、どこか意欲の薄さが感じられたような日もあった。そういうときに思い出したが、かつての全盛時にさえ「僅か6球団で対戦をくり返す日々がつまらない」といっていたことだ。「対戦が終わったと思ったらまた翌週、同じ打者たち相手に投げることもあるスケジュールなんて、つまらない」と。投げていて新しい感興が湧かない、もっと強い刺激がほしいというマンネリ感。あえてメジャーに挑戦したのも、そんな思いが根底にあったようだ。今度は、パ・リーグの強打者相手のピッチング。「負けのほうが多いピッチング(今季)なんかしない」といいきるからには、かなりウズウズしているようだ。とすると、この国内移籍、かなりの興味をともなってくる。私個人の「FA資格→国内移籍への違和感」は、やはり、間違っていたのだろうか。

 しかし、その違和感が、まだ消えないでいるのは、これも偏見のかたまりと批判されるかもしれないが、このところひんぱんに行われている、日本国内の外国人選手の、いともかるがるしい移籍また移籍のことだ。来日して、ちょっと好成績を残すとすぐ他球団から誘いがかかり、好条件にスイスイと乗って移って行く。チーム愛(いま頃、そんなことをいうと古いか)もなにもあったものではない。

 いまは、ヤクルトのグライシンガー投手と西武のカブレラ内野手をめぐって数球団が水面下で獲得合戦をくりひろげているのだという。自らアメリカに渡って、“未知の外国人選手”を探してくるよりは、すでに日本球界で実績のある選手を横取りするほうが、そりゃぁ楽だし、戦力として計算もしやすいだろう。しかし、それが“ファンに愛される真のチーム作り”だろうか。どうも手軽で安易すぎる補強策に思えてハナジラム思いがつのるのである。

posted by 田村大五 |09:59 | 第221回~第240回 | トラックバック(0)
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2007年11月20日

白球の視点 第220回

 千葉ロッテからFA宣言した薮田安彦、楽天からFA宣言した福盛和男両投手に、メジャーからそれぞれに5球団からのオファーがあるという。カンサスシティからもロイヤルズの監督に就任したばかりのトレイ・ヒルマンの、日本ハム監督として対戦した視点からだろう、「多くの球種を使い分ける、すごく気に入っている投手。中継ぎにも抑えにも使える」という“薮田絶讃談話”が届いている。

 これも、今季、レッドソックスで大活躍した“岡島秀樹効果”だと思うが(薮田、福盛両投手には失礼な言い方かもしれないが)、それにしても野茂英雄投手がメジャー・リーグへの道を切り拓いてから13年、野茂-松坂大輔-黒田博樹(まだ所属先はわからないが)といった先発ローテーション入りする本格派とは別に、薮田や福盛といったタイプの投手に5球団ものオファーが殺到するようになるとは思わなかった。

 もうひとり、興味ある対象に、今季で37歳になる巨人の左腕・前田幸長投手がいる。このところめっきり出番が少なくなっていたのが面白くなかったのだろうが、敢然と「メジャーに挑戦」と打って出た。こちらも岡島に強く刺激されたのだと思うが、それにしても野球の潮流の変化を感じずにはおれない。

 それにしても、レッドソックスのスカウトと岡島投手は、“もうひとつの”プロ野球選手の生きて行く道を教えてくれた。両者のその功績は大きい。

 岡島投手は、ドラフト3位指名だった。そのとき巨人入りしたドラフト組は、ほかにもうひとりも残っていない。そのときのドラフトでプロ入りした選手は63名いたが、いまも活躍しているのは小久保裕紀、福浦和也(ロッテの7位指名)、大村直之(近鉄の3位指名)、金子誠、それに今季、コロラドで大活躍した松井稼頭央(当時、西武の3位指名、松井和夫投手)くらいで、あとは“全滅”している。いかに数少ない「成功組」だったかがわかる。

 私はずっと以前、野茂やイチローがプロ入りする頃、「ドラフト史」という増刊編集を思いたって編集していたことがあるが、毎回決まって組んだ特集のひとつに「下位指名の男たち」というものがあった。68年ドラフトの阪急8位指名・福本豊とか、73年ドラフトの阪神6位指名・掛布雅之とか、よく知られるところでは91年ドラフトのイチロー、中村紀洋、金本知憲らがいずれも4位指名だったことなど(その他、下位指名からトップスターにのし上がった選手は、いっぱい、いる)を列挙して「ドラフトの指名順序など、その選手の価値基準にはならない」といいたかった。

 その年のアマ球界の話題の大物に他球団が目を奪われているスキにサッと指名してしまうスカウトの眼力、そして下位指名だろうとなんだろうと「いつかメにモノをいわせてやろう」と研鑽を積んでいく選手の気力と努力。それらが合致したのが、前記の大物スター選手たちだからだ。

 だから、いつの年でも、私は下位指名の選手たちの詳細なデータを頭に入れておくことにする。その男たちが一軍公式戦でグングン台頭してきたとき“ああ、そういうことだったのか”とわかってくる。それが野球観戦の上で非常に役立ってくる。

 さて、投手指名が圧倒的に多かった今年、その名も知らなかった選手たちのことを調べていくと実に面白いのだが、今回は、もうひとつ、ロッテの5選手指名を筆頭に8球団が15人も指名した育成選手のことがある。四国リーグあり、BCリーグあり、中には軟式野球の選手もいた。今季は巨人の山口鉄也投手ら、育成組から3人も支配下選手契約をかわすまでになった選手が出ていた。これからは育成選手の足跡もじっくりと見ていきたい。

 これまでは考えられなかった薮田や福盛や前田がメジャーに挑戦していくように、いつの日か、育成選手が日本プロ球界のトップに立つような時代がくるかもしれない。そのときは、いまでは考えられないような“底辺リーグ”が大活況を呈するようになるかもしれない……という夢をもって、育成選手の成長を期待したいのだ。

posted by 田村大五 |16:32 | 第201回~第220回 | トラックバック(0)
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2007年11月13日

白球の視点 第219回

 13日早朝、福岡の知人からの電話で稲尾和久さんの訃報に接したとき、頭の中が真っ白になり、しばらく言葉が出なかった。1週間ほど前、別冊「にっぽんの高校野球」シリーズの編集担当者から「九州編を製作するので大分県特集のひとつとして“稲尾和久の高校時代と、いまはなき別府緑ヶ丘高”について書いてほしい」といわれたばかりだった。新聞に、つい先ほど行われた沢村賞選考委員会には「体調不良で欠席」とあったことは知っていたが、10月30日に緊急入院したことも知らず、“あの頑健な男が倒れるわけがない”と勝手に思いこんでいたから、久しぶりに口説いて故郷・別府まで同行しようかなどと勝手で失礼でのんきなことを考えていた。その矢先きのことだったから茫然自失、まだ、あの大投手と幽明境を異にしたことが現実のものと思えない。20歳代からの長いつき合いだけに思いがあふれ、なにから書いていいのか混乱している。涙が出てくる。

 高校を卒業してすぐ21勝6敗、防御率1.06(この数字を見よ)の新人王、以来、シーズン35勝、42勝ありの8年連続20勝以上。最優秀防御率5回の全部が1点台というのだから、いくら野球が変わったといっても、いまの時代からは想像できないであろう驚異的な防御率だ。しかも、それがシーズン400イニングスを越えるピッチングをした上での数字であることが、すごい。

 完投、リリーフ、完投、完投と続けたこともあった。そのものすごい“使われ方”が稲尾の投手寿命をちぢめたといわれたこともあった。しかし、稲尾自身は終始、そういう見方に反発した。「だってな、あれだけ投げさせてもらって、勝って、それでファンが喜んでくれた。ワシの名前も、それで残った。むしろ、感謝せな、いかん」。

 福岡の街を一緒にタクシーに乗って走っているとき、道行く人を指さし、「ホレ、あのオジさんもオバさんも、ワシの顔を見るといまでも手を振ってくれる。ありがたいもんじゃ。それもこれも、あれだけたくさん投げたからだ。誰が登板過多なんて恨むものか」。

 “野球ネタに困ったら稲尾のところへ行け、必らず興味深い話をしてくれる”と先輩記者に教えられ、昭和30年代からずっとそれを実行してきたのだが、いつ会っても丁寧で優しく“野球”をかみくだいてわかりやすく説明してくれた。「右投手における左腕の研究」などと虚をついた説明のように聞こえ、その実、“右投手にとっての左腕の位置”がコントロールに重要であるとか、右投手の右打者への内角からの真ん中へのスライダーの有効性とか、素人の私にかんでふくめるような“解説”が面白かった。

 監督になってからの“ヤンチャ坊主”東尾修投手との丁々発止や、ロッテ監督になって“三冠王・落合博満”とのやりとりなど、後年の“東尾監督”“落合監督”を見る上でもずいぶん参考になった。

 少年時代からの野球人生をまとめようと、1年間、東京-大阪-福岡を行ったりきたりして話を続け、膝つきあわせて作業に没頭、「鉄腕一代」(ベースボール・マガジン社刊)をまとめたのは92年から93年にかけて、だった。殿堂入りしたとき、東京での祝賀パーティの段どりをまかせられ、引き出物の相談になったとき、すかさず「鉄腕一代」というラベルを貼った焼酎をとりだし、「これにきまっとる」といったのには笑ってしまった。

 いつ会っても、小柄な私の肩を抱いて、「人にいえたことではないかもしれんが、酒はほどほどにせいよ」などと私に説教を垂れていた。サイちゃん、なにいってんだよ。先にあの世へ行ってしまって。「鉄腕一代」の飲み過ぎだったんじゃないのか。悔しい……と、また涙があふれてくる。

posted by bbm_hakkyu |17:09 | 第201回~第220回 | トラックバック(2)
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2007年11月06日

白球の視点 第218回

 4日夜のNHKTVのスポーツ番組に生出演した中日・落合博満監督の言葉を聞き、日本シリーズ第5戦の山井大介-岩瀬仁紀の継投に関する事情を知って、あらためて得心がいった。

 4回頃から右手中指のマメが裂けて血が出ていたこと(血がついたユニフォームの写真も見た)、痛みをこらえて投げていると古傷の右肩に影響するおそれがあること、右肩の故障でこの2年間投げていなかった、それを無理して投げさせてまた肩を痛めたら山井のこれからの野球人生にも影響しかねないこと、それにベンチには全員が信頼している岩瀬という切り札がいること、などなど。そして、山井の快投を絶讃し、あの場面、岩瀬のプレッシャーはどれほどすごいものか、それに耐え投げきった岩瀬の功績にももっと目をむけてほしいともつけ加えていた。

 ほかの場面ではあったが、その上で、あの交代を批判する声について「ベンチ内部の事情を知らないでいっているんだから、それはしようがない。なにをいわれたって平気。こっちは勝ったんだから」と笑っていた。別に語気を強めて“反論ふう”にいうのでもなく淡々と語り続ける姿勢に、指揮官としての自信と余裕が感じられた。

 日本シリーズ前のことだが、「日刊スポーツ」紙に寄せた森祇晶氏(元西武ライオンズ監督)の「監督・落合博満」という一文が強く印象に残っている。

 CS第1ステージ初戦の初回、無死からの荒木雅博の盗塁や巨人戦での川上憲伸投手のバスターなどに触れ、「自軍選手の技能、状態、そして相手を把握した上での判断」で「決して無謀な懸けや思いつきではなく、裏付けのある采配」とし、「落合監督はメディアなどで手腕に見合うだけの評価を得ていない」と断じた上、「そこから今の日本球界が抱えている問題点、そして間違ったリーダーシップ像が見えてくる」とまで筆をのばしていた。

 森氏は、球団が新監督を選ぶ際によく聞かれるフレーズに「さわやか」「好感度」「生えぬきスター」「人気」というようなものがあるが、そういうことに違和感があるといい、書き続ける。

 「そうした考え方と(落合監督は)正反対にいる。愛想はよくない。華やかで絵になるタイプではないだろう。シャイな男だから『オレはこうやっている』などと、自分の宣伝はしない。どれだけ批判されても言い訳もしない。これらは彼の優れた点なのだが、どうもマイナス面としてとらえられている。メディアは『オレ流』など、変わり者のように描く」……と、森氏は、どうもメディアの扱いがお気に召さないようで、現役捕手時代からヤクルトのコーチ-西武監督と長くつきあってきた私には、まるで“ボヤキの森”の肉声が聞こえてくるような「落合擁護論」だった。

 そして打では森野将彦、投では朝倉健太らの育成、今度のシリーズでも大活躍した谷繁元信捕手の使い方などの例をあげて育成・管理の面でも実績をあげたと詳述し、「奇をてらった采配をしない、いわゆるオーソドックスなタイプの監督だろう。パフォーマンスや人気とりもしない。監督としてチームの勝利に徹する男。プロ集団のリーダーにふさわしい」と結論づける。くり返すが、これは日本シリーズ前の「落合論」だ。

 そして森氏は、あの山井-岩瀬の交代後、同紙上で「私情を捨て、チームの悲願を確実とする采配に徹した(略)。賛否両論あるだろうが、よくぞ決断した」と“落合決断”を評価した。

 その後もメディアでは、この投手交代は是か非かがあちこちでくり返されている。「山井の完全試合ピッチングを見たかった」説と「チーム勝利のためによくぞ思いきった」説がほとんど五分五分。この論争? は、今後も続くだろう。私は後者説のほうなのだが、私の周囲には強硬な前者説もけっこう多い。ある意味では、その人その人、それぞれの「野球観」が、この問題に色濃く投影されているように思うが、どうだろう。

 中日ドラゴンズ、1954年以来のチャンピオンの座。聞けば、安倍晋三・前首相が同年9月21日生まれだという。ドラゴンズが日本のプロ球界を制したときは「政変」が多いのだそうだが、ファンがまだ美酒に酔っている頃、今度は、やれ「大連立」だの、やれ「小沢・民主党代表、辞意」だのと政治の世界が大鳴動と、きた。不思議なものだ。

posted by 田村大五 |15:59 | 第201回~第220回 | トラックバック(1)
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