2006年04月20日

白球の視点 第203回

 今や“楽天のエース”といった感がある一場靖弘と左腕ルーキー・松崎伸吾両投手が、試合前のグラウンドに正座させられ、コーチにお説教されている写真(4月17日付け、日刊スポーツ=東京版)を見て、失礼ながらフキ出してしまった。

 なんでも、前夜遅く外出していたとかで、その写真についたキャプションによれば、左腕ルーキーは数日前に先発してKOされたばかりで、前夜「巨人戦で左腕のいい投手(内海)が投げていたのに、なんでテレビを見ないんだ」、「グラウンドの上でしか野球に取り組めないのか」と叱られていたという。

 いやしくも「プロ」を名乗ってなお、多くの人が見ている前で正座させられお説教をくっている図が、本人たちには申しわけないが、ついおかしくって笑ってしまったのだ。今どき、高校野球でもこんな写真にはお目にかかれないだろう。

 「正座させられ、お説教」といえば、西鉄ライオンズというチームの最後の年、ようやく台頭してきたエース・東尾修(その年、18勝25敗)とルーキー・加藤初(17勝16敗でパ・リーグ新人王)両投手が試合後の灯の消えたブルペンでスパイクを履いたまま正座させられ、河村英文コーチにお説教をくらっていたシーンを思い出す。もう30年以上も前の昔の話だが、パ・リーグの最下位チームといい、その最下位チームの“出かかってきたエース”とルーキーといい、 30年経っても“そっくりの構図”? に一驚する。

 プロ野球界の体質、まるで変わっていない……といいたいところだが、そこに突如、「28年間、思う存分野球を楽しんだぜ、今年でユニフォームを脱ぎます打法」のSHINJO式引退宣言。満塁ホームランつきの2ホーマーの夜の引退宣言とは、カッコよすぎてひっくり返りそうになった。監督にも報告しなかったというのもいかにも新庄らしいが、ヒルマン監督もそれすら「彼らしい人生」というのだから、トクな野球人生だった。

 巨人戦で敬遠球を打ってみたり(99年)、オールスター戦でホームスチールを敢行したり、スパイダーマン・スタイルとか“かぶりもの演技”とか、人の意表をつく話題が先行しがちだったが、私は引退宣言時の次のせりふが胸にひびいた。

 「捕れると思った打球が捕れなかったり、刺せると思った走者を刺せなかったりした」プロとしてのプレーができなくなったもどかしさ。人以上に冴えたプレーを見せているのに、自分が考えている「プロのプレー」に及ばないと感じたゆえの葛藤、そこに「パフォーマンスの新庄」でなく「プロ野球人・新庄」の衿持があった。ひとりの「プロ」を失う寂しさを感じつつ、SHINJOを見送りたい。

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2006年04月13日

白球の視点 第202回

 阪神、金本知憲の904試合フルイニング出場記録の表彰式で、インタビューをテレビで見ている間、ずっと、もう20年も前に連続試合出場(2215試合)の記録を作った衣笠祥雄選手と過した1シーズンを思い出していた。

 気の遠くなるような連続試合出場を、日々どんな気持ちで過しているのだろうか、それを同時進行スタイルでルポしてみようという企画で申し出たところ、「家族と過す広島での生活は邪魔されたくないが、大阪ー名古屋ー東京の遠征中ならいつでもホテルに訪ねてきてください」というありがたい返事で、遠征中の衣笠選手にぴったり同行、それこそ少年時代から大記録達成までのさまざまな話を聞いたのだった。

 いまでも忘れられないエピソードは数多いが、中でもときどき引用させてもらっているのが、死球で左手を骨折入院して医師から「とてもプレーは無理」といわれたときの話。痛みでなかなか眠れなかったが夜明け近くまどろみ、ふと目覚めると、眠れず苦しんでいるときの左腕の位置がズレていることに気がついた。

 「左腕の位置が違っているということは左腕が“動いた”ということではないか。“動いた”ということは、“動かせる”ということだ。そういうふうに前向きに考えるんです。“ああ、もうダメだ”とは絶対に考えない」

 すべてを、前向きに前向きにと考える。そういう思考が衣笠選手を前へ前へと駆りたてた。今度、金本選手が「仕事への強い思いがどれほどあるかがポイント」といっていたが、一脈通じるものがあると思った。

 もうひとつ、衣笠選手と同行して思ったのは、こまかな気配り。たとえば、外出時、タクシー乗降の際、自分だけでなく私に対しても自動ドアには慎重に…… という配慮をしつこいほど繰返した。「手をはさまないように、ね」。一事が万事、だった。2215試合休みなく出場してトレードマークとなったフルスイングを続けたのは、そういうことの集積だったのだ。

 今度の金本選手の記録も、タイガースだけでなく他チームの若い選手にも強い刺激となったようだ。”WBCの強い刺激”とともに、06年のプロ球界にまたひとつみごとな”教材”が生まれたことを喜びたい。

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2006年04月06日

白球の視点 第201回

 ロッテの里崎智也が2対5の9回表に同点3ラン(5日、対オリックス戦)、横浜の多村仁が中日のリリーフ・エース岩瀬仁紀から9回裏に同点2ラン(4 日、対中日戦)……WBCの日本代表チームに選ばれた選手たちの元気のよさは、どうだ。劣勢にみえているとき、チームの勢いを取り戻す土壇場の一発は、ホームランの醍醐味といっていい。

 5日午後、この一月に野球殿堂入りが決まった、かつてのパ・リーグのホームラン王、門田博光さんと会う用事があって久しぶりに長時間、バッティング論、ホームラン論、野球論を聞いた。

 現役時代、ユニフォームを脱いでいるときは、球場での豪快なホームランのイメージとは違って、ハニカミ屋で、“能弁”とはいえないボソボソとした語り口で、ホンネを引き出すのにはグラウンドでの立ち話などではおよそ無理というもので、ホームラン王になったときなどはホテルに部屋をとって2時間から3時間たっぷり時間をとらねばならなかった。

 野球選手にとっては致命的といっていいアキレス腱切断からの復活劇(再起した1年目には、もうホームラン王になった)、球史最年長記録の「40歳で44 本塁打」に至る壮絶なエピソードもさることながら、オフの過ごし方や私生活の趣味の話も面白く、現役時代もむしろそっちの方の話を聞きたくて会ったりしたものだった。例えば、オフになると信州の山奥とか北海道の最果ての小さな町とか“あれはカドタというプロ野球のホームラン王”と指さされないような、“カドタヒロミツなんて誰も知らない場所”を探して月日を過ごす話しとか、例えば何故歴史ドキュメントを読みふけるのか、何故陶芸に打ち込むのか、といった話。

 今季、所用が終わって雑談になったとき、門田さんの方から「宮古島キャンプで会ったイチロー」の話になった。「眼の光が違っていた」と独特の表現をした。「なにかがフッきれたんだね。彼は」ともいった。その“なにか”は、別の機会に詳述するつもりだが、そして話はいつしか「若者たち」へとつながっていった。

 「目標を高く掲げてもらいたいなぁ」と門田さんは、言った。(打率)2割8分や2割9分で“よし”としたんではそれ以下の打者になってしまう。打率3割ホームラン30本で“オレはそこまで落ちたか”といった王(貞治)さんのような壮大な夢を追いかけてもらいたいんだ」

 WBCの川﨑宗則や西岡剛をはじめ、今季も開幕早々、西武ライオンズの元気いっぱいの若者たちや、どのチームからも新鮮な力が台頭してきて楽しみな幕開け劇をみせているが、どうか“一時の華やかさ”に終わってもらいたくないと思うのは、門田さんだけではあるまい。

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