2006年02月22日
報知新聞(東京)21日付け7面の左隅みに小さく載った記事に唖然とした。
―昨年途中で巨人を退団したミセリ投手が、今オフに2年契約したデビルレイズのキャンプで「日本行き? 経済的な理由さ。自分の財産を2倍にしてくれたよ」と話した―
なんという言い草だ。
昨年“途中”どころか、開幕してチームの15試合目の4月19日に「球団史上最速の電撃解雇」となったダン・ミセリ投手だ。開幕の対広島戦では1点リードの9回に登板して2本塁打され、4日後の4月5日の対横浜戦では同点の12回に登板して多村にサヨナラ打されて連敗、計4試合登板で0勝2敗、防御率はなんと23.63。首脳陣のファーム行き命令を拒否、ブルペンで居眠りしていたという問題児(といっても34歳)。解雇が決まった日、家族と人力車に乗って浅草見物「日本に観光旅行にきたのか」と話題になった投手は「推定1億7800万円の年俸だったが、2月からの3カ月分を支払うことで合意した模様」と報じられていた。それでも「財産が2倍になった」というのだからあきれる。
来日前も、来日当初も球団は「優勝へのカギを握る強力ストッパー」と高く評価をしていた。現に、解雇を報じた新聞にも「懸案のストッパー補強を目指し、球団が綿密にリサーチした上で白羽の矢を立てた」投手で、「最速153キロの剛球に落ちるタテのスライダーを操る同投手をビデオで見た首脳陣も獲得に太鼓判を押した」と書いてあった。それが、4試合登板とはいえ、投球回数は僅か2回と2/3。打者19人に77球投げて、「もともと現役引退を考えていたという助っ人。野球への情熱は既になく、悪態をつく素行まで見抜けなかった」と書くに至った。
そしていま、そんな球団をあざ笑うように「財産を2倍にしてくれた」とうそぶかれる始末。巨人、というより日本球界がコケにされたのである。
球団の「綿密なリサーチ」とは何だったのか。「ビデオで見た首脳陣も獲得に太鼓判」とは、どういうことだったのか。
今季も、巨人だけでなく他のチームも新しい外国人選手があふれるほど、いる。各球団の幹部に問いたい。「あなたのところの新しい外国人選手は大丈夫なのですか」と。その実態は、もうすぐわかる。
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第181回~第200回 |
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2006年02月15日
「(巨人のV9時代)投手を早めに代えたがる私に“まだ大丈夫です、彼に投げ続けさせてほしい”と、私のベルトをしっかり握って(マウンドへ行かさないようにし)こわい顔でいってくれた。(「8時半の男」と呼ばれた)宮田(征典)投手の資質をしっかり見極めリリーフ専門に起用、いまに至るリリーフ投手重視への道を切り開いてくれたのも藤田君だった」―故・藤田元司さんの葬儀での“V9監督”川上哲治さんの弔辞の一節。さまざまな思いがあふれたのだろう。長い弔辞の最後、「藤田君、ありがとう、ありがとう、ありがとう」と3度も叫んだ。しみじみとしたいい弔辞だった。
藤田投手現役時代の僚友から、コーチ、監督時代の“教え子”たち、そしていまの桑田真澄投手まで、葬儀に参列した顔を見ていると、1950年代後半からいまに至る“ジャイアンツの歴史”を見ているようで、あらためて故人の遺徳を偲んだものだった。
“ジャイアンツの歴史”といえば、その葬儀の2日前、宮崎のキャンプ地から届いた知らせに苦笑したばかりだった。キャンプ地を訪れた“400勝投手”の金田正一さんに、原監督が入団3年目の若い左腕・内海哲也投手を紹介したあと内海に「この人、知っているだろう」といったら「カネムラさん……」といい、「何勝した投手だと思っているんだ」というと「300……」と口ごもったのだという。原監督たちは「歴史の教育をし直さなければならん」と慨嘆。さっそく居合わせた、こちらも巨人の大先輩・広岡達朗さんがファームの若者を集めて、巨人草創期のエース・沢村栄治投手や初代三冠王・中島治康からONに至る巨人の歴史を作ってきた名選手たちの名をあげて一席ブチあげた……という話。
内海投手の祖父は巨人草創期の一塁手(五十雄)。それでも、巨人の歴史を問われて「頭の中でまっ白になった」というのだから、他の若い選手は、推して知るべしだ。知らないより、知っていて、意識して歴史を作ってきた名選手たちの驥尾に対して切磋琢磨するに越したことはないが、しかし、いま彼らが歴史に通じていないからといってめくじらたてて怒ろうとは、私は、思っていない。彼らがこれからの巨人の歴史を作っていく。そういうことの自覚があるか、ないかだ(そういう自覚も、歴史を知ってこそ湧いてくると先輩たちは、いうのだが)。
むしろ、私は、そうした宮崎キャンプ地のエピソードが伝えられた同じ日の東京中日スポーツのコラム「セブンアイ」で作家の海老沢泰久さんが書かれていたことに同感する。氏は、3年間で173試合に登板、「酷使がたたって勝てなくなった」藤田投手について触れ「本当に彼が彼らしいボールを投げたのは、入団からわずか3年間にすぎなかった。しかし、彼は忘れられなかった」として、次のようにコラムを閉じていた。
「ひるがえって現在のピッチャーたちを見わたすと、何億という年俸をもらっていながら、10勝かそこらの成績で義務を果たしたような顔をしている。そうして肩をいたわって現役生活を長くつづけるのはわるくないことだと思うが、一方で、30年後、40年後に誰が彼らを覚えているだろうとも思うのである」。
私も、ほとんど同じ気持ちだ。
posted by 田村大五 |00:00 |
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2006年02月08日
「28」という数字を、あらためて見続けてみようと思った。
小、中、高校時代を通じて「算数・数学」は、もっとも不得手、苦手な教科だった。そんな中で少しは興味をもった「幾何」の授業でも、とんちんかんな答えをトクトクと披露して、先生に大きな三角定規のカドで頭をコツンとやられたりするほどの「数学オンチ」。それが、今度の小川洋子「博士の愛した数式」を読んで一驚、「素数」とか「約数」とか「完全数」とか“数学に弱い頭”にはなかなか理解しにくいことがいっぱいあるのに、なんだが、“心温まってきた”不思議な気持ちになった。その原作を元にした映画「博士の愛した数式」も、ふだんあまり映画館に行かない身なのに、つい出かけた。実に巧い映画化で、終始、ホロリとした。
終戦直後(1945年から50年代にかけて)「娯楽は野球と映画しかなかった」といわれた時代からの映画少年だった。その頃から、「映画」とは「美しい絵と音楽がくるんだストーリー」だと思っていた。今度の「博士の愛した数式」は、まさしく、「美しい絵」と「美しい音楽」が物語を彩っていて、なおかつその中に「野球」が優しく織り込まれている。それが大いに気にいった。ドラマが終わっても余韻にひたっていたら、最後に「写真提供、ベースボール・マガジン社」と字幕に出たのも嬉しかった。博士の書斎に保管してあった「阪神タイガース・江夏豊投手」の野球カード。その江夏投手の背番号「28」をめぐる数字の玄妙さには、ほんと、うなった。
折りしも、日本で一番早い週刊ベースボールの「2006・プロ野球全選手写真名鑑」の発売。さっそく各チームの「背番号28」。阪神の28は右腕の福原忍投手だが、12球団で半分の6人が左腕投手だったことにあらためて驚いた。先発グループ入りが期待されるロッテの加藤康介、02年の新人王だった日本ハムの正田樹、楽天の長身ルーキー・片山博視、「今中二世」ともいわれる中日のチェン、昨年は41試合にも登板した広島の広池浩司、そして6年連続40試合以上登板のベテラン、巨人の岡島秀樹、「背番号28」がいないのはソフトバンクだけだった……というような閑日談を書き続けたのは、「名鑑号」を手にしたからだ。同号の「名鑑で遊ぼう」という特集にも紹介されているが、「血液型分析」とか「背番号別ベストナイン」とか、全選手のデータをいろいろ工夫してみると実に楽しい、出身地、出身校とか身長、体重別に架空チームを編成してみるとか、野球好きにはこたえられないデータの宝庫といっていい。さァ、みんな、楽しんでください。
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2006年02月02日
まったく個人的なことだが、スプリング・キャンプの季節になると、いつも、宮崎から南へ、JR・日南線の車窓風景を、頭の中で思い描く。巨人のキャンプ(青島)から広島のキャンプ(日南)への移動。その約1時間半が、私には“ああ、いまプロ野球のキャンプ取材にきているんだ。”という“実感の世界”になる。
ハッキリいって、カープは好きな球団だ。もっと正確にいえば、いつも“頑張れよ”“勝ってくれよ”と念じているチームだ。他球団への移籍の権利を得た FA選手の流出を黙って認め、引き止めない、他球団のFA選手に手を出そうとしない、そして孜々営々(ししえいえい)とファームから這い上がってくる若い選手の成長に球団をあげて尽力する。しかし勝てない、勝てないがそういう姿勢を崩さない、そういうところが、せつなくていじらしくて、ついつい応援したくなってくるのだ。
日南線の往復の車中で、何度も、おじいちゃんと小学生のお孫さんコンビとか女学生グループなどのカープ・ファンと同席になって、楽しい“カープ談義”にふけったりした。たとえ前年は最下位でも、新しいシーズンには希望がある。日南線の車中のカープ・ファンと、期待の選手名をあげながら、そういう“希望” を語り続けることが楽しかった。
だが、今季のカープの日南キャンプには、これまでと違った興味がある。ひと言でいえば、猛練習で知られたカープのキャンプに乗り込んできたマーティ・ブラウン監督の指導と、その指揮下で動く選手たちの反応だ。とにかく、これまでのカープの練習はすさまじかった。青島で巨人の練習を見てきた眼には“ここまでやるか”と思うほど、一種のスゴ味があった(だから、いつも期待したのだが)。
しかし、ブラウン新監督は「練習時間の短縮」を打ち出している。「量より質だ」という。伝え聞くところでは、「外野→内野のキチンとした連係プレー」とか「走者二塁のときにどんなバッティングをするか」というような“野球術養成”に重きをおきたいといっているという。
特に私が注目しているのは「ブルペンでのピッチング練習」だ。ブラウン監督は、「第1クール、ひとり8分、第2クール、ひとり10分」という指令を出したと伝えられている。毎年、日南球場の右翼後方にあるブルペンで、“これでもか”と投げ込み続けるカープ投手陣の姿を見てきたひとりとして、この“ブラウン監督指針”は“ホー”と声をあげたいくらいの指針だ。
この“投げ込み”と“投げ込み禁止”は“古くて新しい”課題だ。私は30年も前、キャンプでの“投げ込み”を主張し続けた、当時の巨人・中尾碩志コーチと“投げ込み反対”といい続けた中日・近藤貞雄コーチ(いずれも故人)の“対決対談”を「週刊ベースボール」で企画したのだが、近藤コーチの快諾はあったのに中尾コーチの拒否で実現できず、くやしい思いをしたことがあった。近鉄バファローズ監督時代の鈴木啓示氏はじめ“投げ込み”必要論者は、いまも多い。
佐々岡真司投手はじめ、ずっと“投げ込み”スタイルで体を作ってきたカープの投手陣、さァ、どうなることか。こちらもじっとしていられない。
posted by 田村大五 |00:00 |
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