2005年12月27日

白球の視点 第188回

 02年に星野監督が就任したときの阪神の大補強に匹敵するといわれているこのオフの巨人の補強意欲には逞しいものがあるが(05年の惨澹たる成績からいえば当然のことだろうが)、今度のロッテ・小坂誠遊撃手(個人的に大のごひいき選手)を金銭トレードで獲得したという発表にも“そうか、そこまでやったか”という思いが強く残った。

 チーム史上最悪の防御率(4.80)、最多の失点(737)を記録した投手陣を補強しなくては浮上しないと、FA権を取得した中日・野口茂樹、西武・豊田清らと次々にかっさらって投手力をふくらませていたのもさることながら、小坂の獲得にこそ、球団フロントの本気の体質改善への姿勢が読み取れたからだ。

 リーグ1の186本塁打を打ちながら、チーム打率(.260)、チーム安打数(1300)は最低という数字はともかくとして、05年の巨人打線の最大のポイントは「リーグ最低の二塁打(178)と三塁打(6)と同じく最低の盗塁企図数(60)」にあるとずっと見ていた。走らない……というより、ゲームを見ていて“ひとつでも先の塁をとろう”という意欲に欠ける走塁。それが歯がゆくてならなかった。

 確か、堀内恒夫・前監督は就任時、「二塁へ、三塁へ、積極的に走り込んでいく勇気をもて」と選手にいっていたはずだ。しかし、選手たちはそんな監督談話を右の耳から左の耳へスーッと通して“知らぬ顔”をキメ込んだのか。阪神や中日に比べて、そのノンビリぶりを見て、いつも巨人はいつからこんなチームになってしまったのか……とV9時代の柴田勲とか高田繁、土井正三、黒江透修たちのバリエーション豊かな攻撃(たとえ中心にONという巨大な存在があったとしても、だ)を思い出していた。

 小坂は入団発表で「足で貢献していきた」といった。05年のロッテの試合ぶりをみれば、それは単に“速い足”ではないだろう。05年、ロッテ打線は、両リーグ・トップのチーム打率(.282)もさることながら、巨人打線より100本も多い二塁打(278)と5倍を越える三塁打で“得点のホーム”へと駈けに駈けた。

 「打って、走って、守る」のが「野球」で、05年の巨人は「野球」をしていなかったと、私は、ことあるたびにいってきた。06年もそれがなによりの課題だと考える。さきに巨人のフロントはロッテの営業担当を招いて話を聞いた。“レクチャーを受けた”といったほうがいいかもしれない。5年前、10年前では予想もできなかった厳しい現実。仁志やニ岡や鈴木が塁上をどう走るか、みつめていきたい。

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2005年12月22日

白球の視点 第187回

 涙をこらえながら“師”の思い出を語り続ける吉井理人、嗚咽(おえつ)をこらえつつ語る田口壮外野手、そして野茂英雄投手とイチロー外野手は、問われても語ることもできず、口をつぐんだままだったという。それだけでも、亡き仰木彬という男の存在感が、胸に迫ってきた。

 20歳代の現役二塁手当時から70歳になる今日まで約50年間、ときに野球論をたたかわせ、ときに大酒を飲みあった(こっちのほうが多かった)ひとりとして、仰木彬という男の死は衝撃的で、死を知らされてから1週間経ってもまだ“アキラさんショック”から抜け出ることができないでいる。つらい。

 個人的な思い出に関しては「週刊ベースボール・1月2日号」に書かせてもらったが、思いばっかりあふれて筆がついていかず(500行でも1000行でもいい……などと勝手なことをいったが、100行か150行といわれて、よけいに焦った)“あれも書きたかった、これも書きたかった”という思いだけが残った。

 私的なことばかり書いた感じの「週刊ベースボール」の原稿で書き残して“しまった”と思ったのは、「イチローの外野からの返球」に関しての仰木語録だ。

 私は、日本にいた頃からイチローの外野守備が大好きだった。「あれこそ長い間ずっと追い求めていた“プロの守備”」と何度もコラムで書き続けた。わけても走者一塁のときの三塁への返球の素早さ、力強さ、確実さにはほれぼれして「これが“野球”だ」とジンときた。だからそのことを「イチロー」命名者の「アキラちゃん」(20歳代初めに知り合って以来、ずっと「アキラちゃん」「ダイちゃん」と呼び合ってつき合ってきた)に語ったものだ。そのときの仰木監督の答え、

 「実はね、あれはフトシさんに頼んだんだ、現役時代の中西太さんの三塁手としての送球ぶりは、すごかった。肩が強かったこともあるけど、私は二塁手としてフトシさんの三塁からの送球をホレボレと見ていた。で、フトシさんに、“右翼手・イチロー”に「送球のコツを教えてやってくれないかと頼んだんだ。肩だけではない、足と腰をどう生かしたらどんなにいい送球ができるか」―。

 仰木監督にとって中西太さんは2年先輩になる。その人をヘッドコーチに招いて「打撃の中西太」を「若き鈴木一朗」の外野守備のコーチに当たらせる、そこがすごい。選手の起用だけでなく、コーチの起用にも目配りが効いていた。清原和博や中村紀洋がオリックス入りしたら、“仰木監督”はどう手綱をとっていただろうかと、かなわぬ夢を見る。

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2005年12月15日

白球の視点 第186回

 連日、各球団事務所で繰り広げられている、いわゆる“泣き笑い”のさまざまな契約更改風景。中には“たったそれだけの成績で、よくいうよ”と思うほど大幅なアップ額を要求している選手もいるし、逆に“あれだけの働きをしてみせたのだからもっと上げてやってもいいのではないか”と同情したくなる選手もいる。

 「白球の視点」というコラムを「週刊ベースボール」で始めたとき、第1回目で扱ったテーマが、この契約更改風景だった。ある優勝チームの強肩外野手が、自分の返球で相手チームの走者をホームで刺し、そのファインプレーが優勝決定に大いに役立ったことを強調、大幅アップを主張し続けたが、球団側は「○月○ 日の試合、×月×日の試合」と具体例をあげ、何度かあったチャンスに打席に入ったその選手が凡打に終わり、試合に敗れたことを指摘、「君が何度あったチャンスにもっと打っていたら、優勝はもっと早く決まっていたんだよ」と小幅アップで押し切った……という話だ。

 当時と比べ、最近の球団の査定は詳細なデータを基にかなり厳しくなっているというが、それでも微妙に違っているようで、それだけに“泣き笑い”も生まれてきている。そんな契約更改風景の中で、今度“オヤ”と思うふたつの事例を興味深くみた。

 ひとつは、自分のほうから球団に対して「年俸ダウン」を申し出たという横浜・加藤武治投手の例。04年は43試合登板で6勝6敗2セーブ。05年は、いつもの中継ぎ役だけでなく先発役(4試合)にもなって46試合登板の4勝6敗。先発役もこなしたとはいえ、この成績ではアップも見込めないと、自らダウンを申し出た上で改めて「インセンティブ(出来高)契約」へと切り替えようという作戦。たとえ基本年俸は下がっても出来高分で稼ごうというわけか。自分で自分の尻を叩くという意味ではケナゲともいえる。

 もうひとつは、ソフトバンク・大村直之外野手の「逆インセンティブ」契約。一定の出場試合数に満たなかった場合は、否応なくダウンされるという。移籍1 年目の今季は133試合出場(打率.270)で見事クリア、晴れて? 条件をクリアしてアップ額を手にしたという。

 インセンティブ契約、大流行といったところだが、前記選手のように自分の成績をめぐってああだこうだと球団とせり合うよりは、むしろスッキリしていいかもしれない。

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2005年12月08日

白球の視点 第185回

 このところずっと、巨人のやることなすことにハラがたったり不快だったりしてきたが、ここ数日、球団代表から原監督、エース上原……その上に“あの”渡辺会長まで口をそろえて「ポスティング・システムの見直し」について発言を続けていることについては、賛成である。

 ポイントは「(ポスティング制度を)認める球団と認めない球団があることの矛盾」だ。昨年のキャンプを自費参加までして同制度によるメジャー入りを望んだ上原投手も「12球団が一致して平等に撤廃するというのなら、納得できる」とまでいったと報道されている。

 ここでは同制度の可否を論ずるのではなく、そこまで矛盾点が明らかになっているのに、12球団あげての話し合い―討論がいっこうに行われようとしない球界のまだるっこしい動きに対して怒りたい。

 この問題だけでなく、いつでもなんでもそうだが、問題点が明白になっているのに遅々としてコトを運ぼうとしないのは、わが日本プロ球界の悲しい体質だ。

 制度改正の動きに関して、いつも思い出すのは、40年前、初めてドラフト制を導入しようというときの、いまは亡き西鉄ライオンズ・西亦次郎、阪急ブレーブス・岡野祐両球団代表の精力的な動きだ。アマチュア選手の自由獲得競争による金銭の乱舞が制御できなくなって、「このままでは球団経営をやっていけなくなる」と憂慮した両氏は、「議論は出ても意見がなかなかまとまらない会議」など待たずに東奔西走して“各球団の代表からオーナーまで説得に努めて一気に球史初のドラフト制度導入にまでもっていったのだった

 その各球団への“説得行脚”によく同行したのだが、両氏を動かしていたのは“プロ球界は、このままではいけない、なんとかしなければならない”という情熱だった。「1球団や2球団の繁栄だけではどうにもならない。同じ条件で切磋琢磨して球団全体がうるおうこと」。それが説得の切り札で、当時の鈴木龍二セ・リーグ会長をも巻き込んで、ずっとドラフト制度に反対していた巨人と阪神まで「ウン」といわせてしまった。

 くり返すが、そういう行動を支えたのは「プロ球界への情熱」だった。手をこまねいて見てはいられなかったのだ。

 問題点がわかっていて、一部の発言にだけまかせている多くの球団関係者よ、そろそろ立ちあがるときにきているのではないか。

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