2005年01月19日

白球の視点 第167回

 次から次へと“新施策”打ち出される昨今のプロ球界、成功するかどうかは別にして(ぜひ成功してもらいたいものだが)、新しいアイデア続出のソフトバンクや楽天の刺激だろうが、18日のイースタン・リーグ運営委員会で決まった“ファーム・チームの交流試合”も、イースタン、ウエスタン両リーグの試合が好きでよく観戦に出かけるひとりとして、大賛成だ。

“明日を目指す若者たち”のプレーはいつ見ても新鮮だ。しばしば書くことだが“こいつはイケる”と、ひとりで勝手に望みを託した選手の成長ぶりを見ていく日々は楽しいものだ。その選手が晴れて一軍ベンチ入りして殊勲打を放ったり、たとえ短いイニングであったとしてもいいピッチングをしてくれると“オレの眼は間違いなかったんだ”と誇らしい気持ちになったりするものだ。そういう若者たちに、もっともっと強い刺激を与えてやりたいと、ずっと思ってきた。

 このところ、どの球団も、ファーム・チームと社会人チームの試合を積極的に行なうようになってきた。これも大賛成だった。ときにプロのほうが負けたりすると「いいクスリだ。しっかりせい」とスタンドから怒鳴ったりした。それも、若者たちに“強い刺激剤”が必要だと思い続けて

 今度の交流試合実現で、若者たちは、これまで知らなかった“新しいライバル”を発見するはずだ。“そうか、あいつ、こんなに頑張っているのか、負けちゃおれんぞ”と自らを奮い立たせる強い刺激剤を。若者たちは、そうやって成長していく。

 聞けば、山形に本拠をおく予定のゴールデン・イーグルスのファーム・チームは遠征移動にバスを使うという。ときには5時間も7時間もかかる移動になるという。“マッシー”村上雅則さんに聞いた話では、渡米早々のファーム生活ではいつもそういう長時間移動で、バスの中から闘争本能ムキ出しの戦いが始まっていたという。そんな辛い生活に勝たなければ“上”へ上がれない。そうやって“強い選手”が出来上がっていく。

 激動のプロ球界だからこそ、そういう基盤を作っておきたい。生半可な気持ちでは生きていけない世界なんだぞ、ということを、今こそ植えつけておきたい。ファームのときから「プロとは何か」を体ごと考えさせたい。激動の中で、球界幹部も、ようやくそのことに気づいたとみえる。

 そう、みんなで“嶋重宣”を目指すのだ。

posted by 田村大五 |00:00 | 第161回~第180回 | トラックバック(0)
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2005年01月12日

白球の視点 第166回

 野球殿堂入り記者会見が行なわれる前、関係者の控え室に入ってくるなり、村田兆治さんは開口一番、「離島に住む子供たちに野球のすばらしさを伝えていく仕事(もう全国の40を越える島々をめぐってきた)を、もっと本格的に、友人たちとチームを作ってやろうと思う」熱っぽく、いった。「それは、野球のおかげでここまで生きてこれたぼくらの義務だと、最近、つくづく思う」。

 お祝いにかけつけた、ロッテ・オリオンズ時代の監督、金田正一さんが、初めて“若き村田兆治”を見たのは、監督になる前の解説者時代だったが、キャンプでロッテ首脳陣に聞くと「とても(一軍で)使えそうもない」とサジを投げていた。だから、3年後、ロッテ監督に就任したとき、もうとっくにいなくなっていると思っていたという。村田投手は、プロ入り当時、そういう存在だった。

 「そういう男がヒジを手術しても23年間も投げ続け、215勝もあげた。そりゃあなた、もう“努力”なんて月並みな表現ではいいあらわせない、ものすごい年月だった」。現役時代から猛練習では人後に落ちない金田さんがそう言うのだから、相当すさまじかったのだろう。

 特別表彰で殿堂入りした、かつての名アナウンサー、今年91歳になる志村正順さんは、杖もつかずに名古屋からかけつけて、往年の美声をしのばせる声でよどみなく長いスピーチ。その中の一節。

 「ヘルシンキ・オリンピックの帰途、ニューヨークに寄ってヤンキースタジアムに出かけたら大打者だったジョー・ディマジオがコメンテーター役、日本にはまだ解説者なんてない時代だから“あれだけの大打者が……”とびっくりした。

 食事をともにしたとき、そのディマジオが“野球ほどむずかしいものはない”という。そのとき、日本の野球放送にも解説者が必要だと決意した」。そしてスピーチの締めくくりが、皮肉だった。「しっかりした解説者がひとりいればいい。いまのように1試合の放送に2人も3人もいりません」。

 もうひとりはハワイ在住で発表の席には出席できなかったのに、元西武ライオンズ監督の森祇晶さん。こちらは19年間の捕手生活と8度のパ・リーグ制覇と 6度の日本シリーズ優勝監督。「V9巨人」の捕手時代からの長いつき合いだが、いつも驚かされたのが、優勝したその日からもう次のシーズンの野球のことを語り続ける森語録だった。

 05年の幕開け。いい人たちを選んだ。

posted by 田村大五 |00:00 | 第161回~第180回 | トラックバック(0)
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