2004年10月27日

白球の視点 第164回

 さて、これからである、プロ野球の正念場は。日本シリーズを含めた、息づまる短期決戦の連続で、1球1球に息をのむ“野球の面白さ”にひたることができたが、その間にもオーナーの辞任やら新規参入希望の2球団をめぐるさまざまな思惑が乱れ飛ぶ風聞やら“場外”の話題もにぎやか? だったのが、もうひとつ気になったのは、FA宣言をした選手の多さとFA資格がなくとも入札制度を使ってメジャー・リーグ入りしたいと希望する選手が続々と現れていることだ。中には、失礼ながら“えッ、あの選手までが……”と思わないでもない選手も何人か、いる。

 数えあげていけば際限がないほどの問題があぶりだされて、プロ野球はかつてない大きな曲がり角にあるが、この、急速に勢いを増していく感じの“人材流出の流れ”も不気味でならない。

 さまざまな問題は、もうここ至っては“先送り”などしていられないことばかりだが、当面、わけても喫緊の問題は「一場問題」に象徴される「ゆがんだドラフト制」をどうするかだろう。私はこれまで「プロ野球ドラフト史」なるものを何冊も編んできたが、年が変わり制度が変わり、改訂版を刊行するたびに「ドラフト制を名乗りながらドラフト制とはいえないインチキな制度」と書き続けてきた。読者には支持されたが、球界からはまったく無視された。あまりのひどさに、「こんないびつな形なら、いっそ自由獲得競争のほうがよほどすっきりする」と書いたことさえ、ある。

 そもそも、65年に「ドラフト制」なるものが12球団合意の上でスタートしたとき、この制度の提唱者が力をこめたのは「戦力補強に金がかかりすぎ、それが球団経営を圧迫している」ことだった。「戦力均衡」はタテマエであって「スカウト活動に、表面に出せられない金がかかりすぎている」ことは12球団の幹部が等しく認めていたことで「ドラフト制なら、そういう“暗闇の金”がなくなる」とみんなの賛同を得たのだった。

 それが度重なる改悪で、当初の制度導入の意味はまったくなくなってしまった。その象徴が今度の「一場問題」なのである。だが「一場投手を助けてやらなければならない」という声はあっても「ドラフト制を本来の形に」という声は、まだあがってこない。日本シリーズ終了後初の実行委員会でも「ドラフトのドの字も上がらなかった」という。根本を無視して「プロ野球構造改革協議会」(仮称)なんてナンセンスではないか。

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2004年10月20日

白球の視点 第163回

 10月16日、日本シリーズ第1戦の“49分の空白”ほどハラがたったことも、近来、ない。“49分の空白”というと間違いになるかもしれない。少なくとも、その“空白”の後半になってようやく当該審判がマイクを持って場内に経過報告をするようになるまでの約30分、あれだけイラだたしい思いをしたことは、ちょっと例がない。そのイラだたしさは、すべて、「お金を払ってスタンドに座っているファンに対しての状況説明がない」からだった。

 私はあの夜、東京の自宅でテレビ観戦だったから、テレビが“空白”を埋めるために何度も何度も、しつこいほど、あの谷繁の捕前の打球から、橋高主審の「フェア」や「打者アウト」のゼスチュア、杉永・二塁塁審の“封殺アウト”のゼスチュアをリプレー・フィルムで繰り返してくれたおかげで、中日・落合監督の抗議で審判団が併殺をとりやめて「二死二塁にしてプレー再開」としたことは、よくわかった。しかし、場内にいた3万7000人余りの多くのファンは、そういうこまかいプレー、こまかいルールの内容は、ほとんどわからなかったのではないだろうか。状況説明がないまま、“からっぽのグラウンド”をただ見ているだけのファンのことを、ほとんど顧慮しない審判団を中心とする“日本シリーズ運営担当者”の無神経ぶりにハラだたしくアキレかえった。

 かつて、元セ・リーグ会長だった故・高原須美子会長に、いわれたことである。「私たち、大体のことはわかっていても、複雑なこまかいルールを熟知しているわけではないんです。だから、トラブルが起きるたびに、観戦している人のために、そのときの状況がどういうものなのか、こまかく具体的に説明してもらいたい」。

 会長がいるのだから、私は「それを徹底してください」と強調した。もう何年も昔の話だが、まるで“徹底して”いない。私たち“テレビ観戦者”は、あのトラブルの基因がどこにあったのか、あの“49分の空白”の間、わかっている。ならば、場内の満員のファンにも、それを知らせてやればいいではないか。

 谷繁の打球が“フェアの捕ゴロ”だった、西武・野田捕手は“空タッチ”だったが、それを“タッチ”と見て、橋高主審がアウトを宣した。だから、その時点で一塁走者・リナレスの二進は“タッチプレー”でなければならないのに二塁塁審は“フォースプレー”で判断、アウトにした。これは審判団のミスであるから、もう一度、二死二塁からやり直す……テレビで全国に映像を流したと同じように球場内にも同じ映像を流して、そのような説明を、やればいい。それなら “沈黙のグラウンド”をみつめている場内のファンも、ある程度は、納得しただろう。あれだけ頑強に“試合再開”応じなかった西武・伊東監督だって、それだけ“客観的な説明”があれば、“49分もの空白”はなかったのではないかとも思う。

 “49分の空白”のあとになって、審判団からの説明はあったにしろ、要領を得ないものだった。何故、場内のファンに対して説明できないのだろうか、いまでも理解に苦しんでいる。

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2004年10月13日

白球の視点 第162回

 面白かった。ワクワクした。「第1ステージ」「第2ステージ」という、70年のプロ野球史の中での初の呼称による今季初の全8試合のパ・リーグのプレーオフ。全部、テレビ観戦だったが、どの試合も、6回、7回、8回、9回……終盤に近づくたびに、大袈裟でなく、1球1球に思わず身をよじり、まるで自分が投げているように、そしてまた自分が打席に立っているように緊張し、興奮した時間を過ごした。

 短期決戦ならではの白熱の攻防。プレーオフではないが、9月11日からの「プレーオフ出場権」を争った日本ハム-ロッテ戦も緊迫の攻防で、見応えがあった。“どうして、あんなにすばらしい試合を毎試合、してみせてくれないのか”といいたいところだが、いまは、いうまい。

 「週刊ベースボール」に、この「白球の視点」コラムを連載中、いま頃の季節になると毎年、自分でもイヤになるほどしつこく「この秋天の季節に、プロ野球の試合がないとは、なんたることだ」。「日本シリーズまで20日間もスケジュールをあけるとはもってのほかだ」と怒り続けてきた身としては、これだけ緊迫感に満ちた“プロの試合”見せてくれただけでも、プレーオフに参加した3球団に大いに敬意を表したい。

 プロ野球界が、いまのようにゴチャゴチャしているときだけに、ただ“ポカポカとホームランを打ちはするけど勝てない、野球の魅力のひとつである盗塁数最低”というようなチームの試合ではなく、前述した「1球1球にハラハラドキドキする試合」をやってくれたことが嬉しいのだ。

 シビれた。最後に勝った西武ライオンズの幾多の挫折を越えてマウンドに上った石井貴投手の雄叫びが、中島をはじめとしていいプレーを見せた赤田とか小野寺といった選手たちも改めて見直した。

 しかし、しかし、なのである。

 では、「プレーオフ5試合」で2勝3敗になった福岡ダイエー・ホークスの2004年ペナントレース、133試合77勝52敗4分けで「リーグ1位」という成績は、いったいなんであるのか、これを黙視していいのか、それを考えると複雑である。

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2004年10月06日

白球の視点 第161回

 「私は勉強もできません。美人でもありません。スタイルもよくない少女です。でも、近鉄バファローズが優勝したときのみんなの喜んでいる姿を見て勇気づけられました。頑張ればいいこともあるのだと思いました」-。

 新しい合併球団の新監督になる仰木彬氏が訪問中のアメリカから梨田昌孝・近鉄監督に「新球団のヘッドコーチ就任の要請」があった日、宝塚の西本幸雄さん宅を訪れ、阪急ブレーブス→近鉄バファローズ時代の思い出を聞いていたときだ。ふだんは、それほど能弁とはいえない西本さんは、長時間、“いくら語っても語りきれない”といった感じで次から次へと“秘話”を明かしてくれた。

 その中のひとつ、冒頭の言葉は、79年、近鉄バファローズが初のリーグ優勝を果たしたときのこと。「雑草軍団」とも称された平野光泰、羽田耕一、栗橋茂、小川亨、石渡茂、有田修三、梨田昌崇(当時)らが一丸となってペナントをつかんだときのひたむきな姿が北海道に住む少女の心をつかんだ。監督時代、多くのファンレターをもらったが、その手紙ほど“西本監督の心”をうったものはなかったという。

 みんな「野球界のエリート」ではない。ファームから叩きあげ、西本監督の“体当たり指導”とともに、ついにリーグのトップに躍り出た男たち。それが「勉強もできない、美人ともいえない」と自分でいう、遠い北海道に住む少女に「いじけてはいけない、頑張ればいいこともある」と教えた。

 「ファンとともにあるプロ野球」とはそういうことだろう。目をしばたいてそういう話を披露してくれた西本さん(もう84歳になる)の顔を見ながら、こういうファンとの“交流”を過去の逸話にしてはならないとあらためて思ったものだった。

 別れぎわ、同行した記者が色紙を差し出し「なにか近鉄バファローズへの思いをひと言、書いてもらえないか」と頼むと、いかにも実直な西本さんらしく庭をじっと見ながら約10分、考え込んでから筆をとった。

 「熱き心の野球、有難う」。その「有難う」とつけ加えた言葉に、西本幸雄・元監督の万感の思いを感じた。

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