2003年05月29日
プロ入りして6年、常時出場するようになって盗塁王(58盗塁)になった96年もリーグの三塁打王(9)だが「ホームラン0」が続いた。7年目は131試合に出場、打数も自己最多の477打数、打席数にすると551を数えた。それでもホームランが出ない。8年目の98年4月12日、対近鉄戦(大阪ドーム)でやっとプロ入り以来通算1556打席目に”待望の一発”が飛び出した。それはレギュラー選手の「もっとも遅く出たホームラン」記録だった。
だが99年も「ホームラン・ゼロ」。翌00年にまたやっと2号が出た。それもまた対近鉄戦(福岡ドーム)だった。ダイエー・村松有人外野手のことだ。そういう男が”ガチンコの首位争い”の26日の対近鉄10回戦(大阪ドーム)、4対5とリードされていた9回表、一死二、三塁で度肝をぬく逆転3ランを放つのだから野球というものは面白い。村松は今季開幕早々に、ホームランを打っているから”1シーズン2本塁打”は、プロ13年目で初めてのこと。しかし、以上計4本塁打がすべて対近鉄戦というのも、記録や数字を越えた摩訶不思議なものを感じさせる。こういうところが、いわゆるひとつの「野球の妙味」というものなのだ。
しかも、日本のセ・リーグのホームラン王・松井秀喜がいまアメリカでホームランを打てず、かの、選手に辛らつなことをいうことで知られるスタインブレナ-・オーナーにイヤ味をいわれたり、地元紙に「ゴロの王様」とからかわれたりしているとき、金沢・星稜高で松井の2年先輩、一緒に甲子園にも出場しているのに”およそホームランに縁にない男”が、滅多にないホームランでチームの首位の座を守るとは、ホント、「野球の神様」も妙なイタズラをする。「野球」とは、思いもかけない落とし穴を用意しているスポーツなのだ。
5月26日の9回表は、リリーフの近鉄・バーン投手が四球を連発したことがきっかけになった。翌27日の中日ー巨人戦でも巨人大敗のきっかけは真田投手の四死球連発だった。このところ”大味な試合”が続くのが気になっていたのだが、村松のように「意外なドラマ」を見せてくれるならだ大歓迎だ。
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第81回~第100回 |
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2003年05月20日
先々週は和歌山、先週は福岡、今週は富山へと「週刊ベースボール」の長期連載「新版ベースボール人国記」の調査取材で全国をとびまわっている。そのたびごとに各地の「名物・高校野球監督」に会っていろいろと話を聞いているが、これが、プロ野球取材ばかり続けていた身には、なんとも新鮮で有益な話ばかりで感じ入ってしまうことが多い。
今度は、かって甲子園で「魚津旋風」なるものを巻き起こした檜物政義・前魚津監督の自宅で延々と当時の話を伺った。興味津々だった。
高校3年夏の大会が終わって2年生たちが練習しているグラウンドに行くと「ノックをしろ」と命じられ、それがいつのまにか「監督代行」となり、いつか 20歳未満の正式監督になる。野球熱の高い地方、夜、疲れた体を癒そうと銭湯にゆくと、そこに野球好きの古老や先輩たちがいて、ゆっくり湯につかっていられないほど、”今日の試合のあのプレーはなんだ”、”こうすべきだった”などと説教される。
学校の先生でないから、グラウンドの選手しか知らない。その選手が普段、学校でどんなことを話し合い、どんなことに興味を持ち、どんな性格なのか、わからない。そこでふたりの投手を自宅に下宿させ、夜の練習につきあいながら、寝食をともにして、さまざまな話を聞いて選手の気持を知り、指導の参考にしたりもした。廃部寸前の危機だったこともあった。だが、マネジャーを含む全員の「野球をやりたい」という情熱で危機を乗り越え、甲子園出場、そして「新湊旋風」といわれたベスト4への大活躍をみせるようになる。
「高校に入ってから野球をはじめ、普段、練習試合でもヒットなんか見たこともない左打者が甲子園で内角の球を左前へ打った。するとそのときゲームには負けているのにベンチ全体で”やったぞ”と爆発したように喜んでいる。その選手は陸上競技の選手で足が速い。その初ヒットで一塁走者。次の打者が投ゴロ。投手は二塁へ投げた。走者は足が速いから間一髪の差でセーフ。そこから私たちの反撃、逆転が始まったのです。あのとき相手投手が一塁へ投げていたらアウト。私たちの勝ちはなかったと思う。野球に”たら、れば”はありませんが、それにしても野球って、本当に奥の深い不思議なスポーツですね」
帰宅した夜、7対0がアッという間に同点になり、リードされていたほうが逆転勝ちした試合を知り、前新湊監督の、そんな言葉を反芻している。
posted by 田村大五 |00:00 |
第81回~第100回 |
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2003年05月06日
石毛宏典監督からレオン・リー監督になって一番、変わったのは、ある意味で当然かもしれないが、ブラウンとオーティズの、人が変わったようなバッティングと、特に積極的な走塁である。ブラウンはアメリカ時代からのレオン監督の秘蔵っ子だったというし、オーティズにしても言葉で自由に意思疎通できるのだから、のびのびとプレーできるということで「ある意味で当然」と書いたのだが、もうひとつ、彼らふたりの”のびのびプレー”は、”サイン呪縛からの解放”からではないのかという思いが、私自身には、強く、ある。これは、のちに石毛前監督やブラウン、オーティズ両選手に直接、確かめてみなければならないことなのだが、いまは私の”感じ”でいっておくことにする。
9対0から追いつかれ12対12の引き分けに終わった3日の対西武戦や翌日の連敗などを見ていると、オリックスの不甲斐なさは相変わらずだが、レオン監督になってから、元気のいい攻撃姿勢になってきていることは確かだ。中でも、繰り返すが、「積極的な走塁」は、それまでとまるで違って、見ていて気持がいい。
「積極的走塁」といえばダイエー。村松有人、川崎宗則、井口資仁の、おそらく今季の「盗塁王争い」になるであろう走り比べが、毎試合の”勝負どき”にかかわって実に面白い。久々に見る興味津津の走り比べだ。私は、いつも、盗塁を含む積極的な走塁(たとえば、次打者の右翼方向へのヒットで一気に三塁へ走っていく姿勢。イチローが出てきたときにその魅力に圧倒されたのは、それだ)がチーム全体を活気づけるといい続けてきた。レオン監督になってから活気づいてきたオリックスとパ・リーグの首位を行くダイエーのチーム全体の活気も、そういう”活発な走塁”が根底にあると思っている。
いい例が、1日の対巨人戦で次打者の右翼方向への快打で一気に一塁からホームまで走りぬけた阪神・赤星。あのような走塁がどれほどチーム全体を勢いづけるか、わかるだろう。
最近、とみに少なくなってきた盗塁数にちょっと寂しさを感じていた私はいまペナント争い以上に両リーグの走り比べに興味をもって見ている。
posted by 田村大五 |00:00 |
第81回~第100回 |
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