2002年09月24日
両リーグとも新監督の制覇ということで、あらためて西武・伊原、巨人・原両監督論がにぎやかだ。ともに昨年までは下積みだった選手の積極起用が次々に当たったことなど、昨年までのチームとは、ひと味違う新鮮味を感じさせて見事だった。
ONのあとを受けて巨人の4番打者をつとめた原監督とは対照的に伊原監督の現役時代は地味だっただけに、ふたりの監督としての比較論はなにかと興味深いのだが、ここでは、やはり「みずから三塁コーチとして出ずっぱりだった伊原監督」に注目しておきたい。
昨年も、オリックスの仰木彬監督がずっと三塁コーチとして出ていたのに、そのことに関する話題が少なめで不満だった。仰木さんがユニフォームを脱いでから食事をともにしたとき「もっと積極的な評価をしておくべきだった」と悔やんだら、「誰かがきっとやってくれるから、そのときに」と笑っていた。「誰か」が伊原監督だった。すると、今度は、どうだ。「伊原監督論」のほとんどが、三塁コーチとしての指揮ぶりを絶賛することからはじまっていた。やはり、優勝はするものだ。
私がプロ野球担当記者になりはじめの頃は、ほとんどの監督が三塁あるいは一塁のコーチとして出ずっぱりで指揮をとっていた。手のヒラを口の端に当ててメガホンを作って大声をあげたり、相手投手に右手をつきつけ文句をいったり、みんな活発で元気だった。
若い私には、みんなまぶしいほどの球史を飾った元名選手ばかり。当時は、その監督たちの貫禄にたじたじだったが、みんな当時は若かった。南海ホークスの全盛期を築き上げた鶴岡一人監督が30歳代の後半から40歳代にかけて。アメリカ帰りの巨人・水原茂監督が日本ではじめてブロック・サインをいかにも得意そうに連発して評判になったのも、まだ40歳代の前半だったし、その巨人を3年連続日本シリーズで破った西鉄ライオンズの三原脩監督も45歳だった。みんな、若かったのだ。
いま、伊原監督、53歳。原監督、44歳。40歳代の監督は、あと石毛宏典、46歳。
石毛監督よ、屈辱のシーズンから脱け出すために、率先、コーチズ・ボックスへ全力で走っていってはどうか。
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第61回~第80回 |
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2002年09月17日
区切りのいい通算1000試合出場に、今季30本目のホームランで花を添えた西武・松井稼頭央は、その9月15日現在で打率・325、30本塁打にその試合の9回表、4安打目の出塁で盗塁も決めて31盗塁、いわゆる「トリプル・スリー」の大台にのせた。このまま打ちつづけ打率さえ維持できれば、スイッチヒッターとして初の「トリプル・スリー打者」となる。過去7人の「トリプル・スリー打者」と比べてみても胸を張っていい数字だ。
これまでの「3・3・3打者」の中での最高打率、最多本塁打者は50年の別当薫(毎日オリオンズ)の・335、43本。本塁打数は無理としても、松井は打率に関しては「3割をキープしようと守り(の姿勢)には入らない」と積極的に打って出ることを強調している。「140試合出場という目標があるから(気持ちは)充実している。タイトルだってあきらめない」という姿勢がいい。最後まで出場すれば歴代6位の1003試合連続出場となるから、こちらもすごい。過去7人の中の最多盗塁は53年の西鉄ライオンズ・中西太の36盗塁(まるっこい体で怪童と呼ばれたフトシさんは足も速かったんだ)。15日現在、西武は残り19試合だから、これは抜くだろう。いまパ・リーグ盗塁王争いのトップ、オリックスの谷もウカウカしていられない。当分は、ふたりの走り比べを楽しみたい。
そこで気になるのがセ・リーグの盗塁王争いの数字の低さだ。9月15日現在、規定打席到達打者の中でのトップは横浜・石井琢朗の15盗塁。それを追うのが巨人・清水隆行の12盗塁とは、いささかすくなすぎやしないか。
昨年の阪神・赤星憲広が39盗塁、その前に3年連続盗塁王だった石井琢朗もずっと40盗塁に近い数字を保っていたというのに今季の数字の低さはどうしたことだろう。
バッテリーの盗塁抑止テクニックの向上もあるだろうし、ベンチが「ゴー」指令を控えていることもあるだろうが、いつも観戦していて、バッテリーの警戒をかいくぐって走る姿に魅力を感じている身としては盗塁が少なくなっていく野球には何か物足りなさを感じる。
「走塁のスター」がチームを引っ張った時代を懐かしがっているようでは、寂しすぎる。
posted by 田村大五 |00:00 |
第61回~第80回 |
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2002年09月11日
アレックス・カブレラ、松井稼頭央、和田一浩を中心とする西武ライオンズ打線のしたたかさ、しつこさには、ただただ、“マイリマシタ”というしかない。その3巨艦を先頭にこのところの小関竜也、平尾博嗣、前半から中盤にかけての犬伏稔昌ら入れかわりたちかわり現れては打ち、走る駆逐艦といった感じの男たちの溌剌とした動きも賞賛ものだ。その日その日の調子、相手の如何によっての起用だろうが、伊原監督の起用の妙と、そのたびに期待通りの動きを見せる彼らを見ているとV9時代のONとONを囲む柴田勲、高田繁、黒江透修、土井正三らを思い出したりする。
阪神から移籍してきた平尾に阪神の主力選手から「優勝に向かって毎日、力いっぱいのプレー、うらやましい」という趣旨の電話がかかってきたというが、平尾自身、あらためて“優勝に貢献できることの喜び”にひたっていることだろう。
そんな彼らの躍動プレーを見るたびに、私の頭の中ではふたりの打者の顔が明滅する。日本ハム・小笠原道大とオリックス・谷佳知。7日、ついに谷が抜いたと思ったら9日、小笠原がまた抜き返した激しい首位打者争い。9日夜現在、小笠原が3割3分8厘1毛6糸で谷が3割3分8厘9糸。その差、わずか7糸。「1」の一万分の一、「毛」の十分の一になる「糸(し)」という単位に久々に接した。
優勝争いとは無縁の、チームが沈滞を続けている中で、常に気をはりつめて打ち続けるふたりの打席内の姿を、いつも敬意をもってみつめている。残り30試合を切ったいま、見ている方もハラハラドキドキの日々だ。
これまで、わずか1毛差で決まった首位打者(1976年の中日・谷沢健一=.3548、巨人・張本勲=.3547)をはじめ激しい首位打者争いをずいぶん見てきたが、今季のふたりの争いも史上に残るデッドヒートになるような予感がす。
聞けば、小笠原は左太ももの痛みをおしかくしての出場だというし、谷には西武・松井とのこれまた激しい盗塁争いという二重のプレッシャーもある。どうか最後の最後までとことんの戦いをまっとうしてほしいと祈るような気持ちだ。
posted by 田村大五 |00:00 |
第61回~第80回 |
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2002年09月03日
ファンにとって、もはやペナント争いの興味は、ない。それでも連日、2万人、3万人、あるいはそれ以上の多くの人が球場につめかけるのは「野球」というスポーツを楽しみたいからだ。私たち素人ではできっこないピッチング、バッティング、フィルディング、ベース・ランニングの冴えを見て快哉を叫びたいからだ。
それなのに、それをファンの眼から遠ざけてしまうとは、「プロ」としていったい何を考えているのだろうかと不思議でならないシーンに出会って、怒りをおぼえたので、あえて書き残す。
そのとき首位巨人に30ゲーム差も離されていた最下位・横浜の8月31日の試合。この日も巨人が大量リード、横浜の反撃の気配も感じられないとき、巨人 8回表の攻撃で、走者をおいて打者・松井秀喜が打席に入ると横浜バッテリーは、なんと敬遠四球。いったい何の意味があるのかとむしょうにハラがたったのだ。
30ゲーム差も離されての最下位チームが大きくリードされての“負け試合”が、高い入場料を払って球場に来てくれたファンに見てもらえるものとしたら、あとは「プロ同士のワザの対決」だろう。しかも、アンチ巨人派の私ですら、“これは本モノ中の本モノ”と敬意すら感じる松井秀喜のバッティングは、この日もまたファン注目のシーンだったはずだ。横浜バッテリーは、そのファンの楽しみを奪ってしまった。いや、バッテリーにその責めを追求するのは酷だろう。
ヤイ、森祇昌監督よ、あなたにファンの楽しみを奪う権利はあるのか。あの日のファンにとってなによりの見もの“松井のバッティング”を“ファンに見させない”とは、いったい“お金を払って見に来ているファン”をなんと考えているのか。
巨人・松井側に立たぬとも、横浜ファン側に立っても、そのとき横浜の投手が全力投球で“どうやって絶好調の松井を仕留めることができるか”という興味もある。若い投手だって、全知全能をかたむけてそこで松井を迎えることで、またひとつ飛躍への階段を登れるのかもしれないではないか。“負け試合”以上に見ている者をシラけさせる無意味な敬遠四球を思い出すだびに腹立ちはつのる。
posted by 田村大五 |00:00 |
第61回~第80回 |
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