2002年06月25日
巨人の桑田投手が、ベンチにいた清原をさしおいて代打に起用されチームの勝利につながるヒットを打って話題になったが(6月19日)、同じ日、中日のバンチ投手もチーム3位浮上への貴重なタイムリー・ヒットを打っているし(バンチは福岡ドームでの対巨人戦で桑田投手からホームランも打っている)、その4 日後、横浜の吉見投手は3打数3安打してバットで自分の勝利投手に“貢献”している。阪神のムーア投手、中日の川上投手・・・・・・みんなバッティングが大好きで、打席内の構えを見ていると打ち気満々に、“ひとりの打者”になりきっているのは見ていて気持ちがいい。
古い話でいえば、巨人・別所毅彦、中日・杉下茂というエース同士が“投げ合い”もさることながら、お互いに相手からホームランを奪うことにムキになった時代もあった。西鉄・稲尾和久投手の対巨人の日本シリーズでの“奇跡の逆転優勝”につながるサヨナラ・ホームランとか、同じく3連敗から4連勝した西武(1986年)の勝利のきっかけは工藤公康投手のサヨナラヒットなど“投手のバット”は数々のドラマを生んでいる。
その日出番のない投手が代打に登場することも、かつては、あった。やはりバッティングが大好きだった“400勝投手”金田正一投手は国鉄スワローズ時代、登板しない試合で代打に指名されるとニコニコ顔で打席へ向かったものだった。
巨人でいえば、みずからノーヒット・ピッチングをしてみせた日、自分で3ホーマーというホームラン打者顔負けのバッティングを披露した堀内恒夫投手の試合前のフリーバッティングも豪快だったし、同じ頃、“巨人キラー”といわれた大洋の平松政次投手のバッティングもみものだった。
・・・・・・などなど、むかし話ばかりしていても仕方がないが、ことほどそのように、“投手のバッティング”は球趣を盛り上げるのに欠かせないものなのだ。せっかく打席に入るのに、はじめから“打つ気”を見せない投手に出会うとガッカリする。
そうだ、西武・松坂大輔投手のバッティングが見たい。伊原監督よ、たまには「代打・松坂」と叫んでみませんかね。
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第41回~第60回 |
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2002年06月17日
もう、ずいぶん以前のことになるが、タイガースの伊藤敦規投手がまだ横浜にいた頃、在ブラジルの熱心なファンから長い手紙をもらって、なかなか陽の当たるところには出られないが黙々と投げ続けている「伊藤投手讃」を、当時の「週刊ベースボール」の2頁コラム「白球の視点」で紹介したことがある。
福井工大のエースとして大学選手権大会でベスト4までのし上がり、ロサンゼルス五輪で2勝をマーク、優勝に貢献、'87年ドラフトで阪急ブレーブスの1 位指名、1年目にウエスタン・リーグでノーヒット・ノーラン記録(対阪神戦)・・・・・・といっても、伊藤投手には申しわけないが、各チームのエース級投手に比べれば地味な存在だ。それでも、ブラジルからの読者の熱烈な手紙に接してからずっと気になる投手のひとりだった。
阪神に移籍したのがプロ入り10年目でその年にシーズン60試合登板(8勝5敗8セーブ)してから中継ぎ役として黙々と投げ続けて、一昨年はリーグ最多の71試合登板。“よくやるなぁ”といつも感心して見ていたが、“そうか、野球ファンはちゃんと見ているんだな”と得心いったのが、今度のオールスター・ファン投票だ。投票の中間発表がはじまってから伊藤はずっとセ・リーグの中継ぎ投手部門でトップを走り続けている。プロ野球は、こういう人たちによって支えられているんだと、あらためて思う。
この6月、日本列島はサッカー色に塗り込められているといった感じだが、この土曜、日曜(15、16日)のゲームなどを見ていると(もっぱらテレビ観戦だが)プロ野球もなかなかに頑張っていて面白い。大阪ドームの近鉄-ダイエー戦、甲子園球場の阪神-巨人戦、ともに最後まで手に汗握る攻防で見応えがあった。
この2試合に限らず、試合の途中に各地から入ってくる「他球場の試合経過」を聞いていても、どこも二番手、三番手の中継ぎ投手の出来いかんで戦況が微妙に変わっていくことがよくわかる。いまや中継ぎ投手役が重要なカギを握る時代になった。かつて先発-完投が当たり前だった時代をよく知っている身としては、重厚な先発-完投型の減少が寂しくもあるが、違う球趣を楽しむしかない。
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第41回~第60回 |
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2002年06月12日
「もし(西武の)マクレーンが開幕前にケガしていたら新しい外国人打者を獲得していただろうから(野球人生というものは)わからないものだなぁ」という阪神・星野監督のコメントを興味深く読んだ。
タイガースのファームでくすぶって?いたトニー・エバンス内野手が橋本武広投手との交換トレードで西武のユニフォームを着てからの一軍公式戦での大活躍、6月10日現在、3ホーマーで打率.417。三塁守備でもファインプレーをみせ、エバンスが出場するようになってからチームも負け知らずとは誰が予想しただろう。かつて来日早々はずっと中日の二軍にいてくすぶっていたのが近鉄に移るや一軍公式戦で猛打をふるったラルフ・ブライアントを思い出したりした(エバンスがブライアントほどホームランを量産するとは思わないが)。
星野監督がいう通り、スプリング・キャンプの時点でマクレーンが故障で使えないと判明していたら、西武ライオンズのことだ、アメリカで“マクレーンに代わる打者”を探し出して連れてきたかもしれない。だとすると、エバンスの西武入りはなく、いまもウェスタン・リーグで汗を流していただろう。そのあたりが、どこにどういう道が開けるかわからない野球選手の不思議な運命ドラマ。
連鎖反応で、さまざまなことを思いめぐらせた。カープ時代はヒョロヒョロの青年で一軍公式戦もわずか9試合だったアルフォンゾ・ソリアーノがいまやヤンキースを引っぱる主力打者になって今年のオールスター投票の中間発表(第2回)でもア・リーグでイチローに次ぐ大量得票を集めているというのも、プロ球界では近来にない“出世話”。日本ではウエスタン・リーグ史上初の三冠王になったジェームス・ボニチ(オリックス)や昨年のイースタン・リーグの三冠王、西武のコーリー・ポール外野手は、いったいいま頃、どこでなにをしているのだろうか・・・・・・などと考えてしまう。
いずれにしても今度のエバンスは移籍で光が当たり、カブレラに刺激を与え、首位街道を走るチームにさらに活気を与えた。シーズン中のトレード許容期間もあとわずか。次は、どこが、誰を?
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第41回~第60回 |
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2002年06月04日
5月の連休あけに四国・松山に渡り一日だけ広島に帰ったあと九州・長崎から岐阜へ移動、さらに福井から秋田-盛岡-横浜へと転戦、半月ぶりに広島に戻って対巨人3連戦を2勝1敗と勝ち越してやっと勝率5割目前にこぎつけたら、またまた翌日から仙台-東京-大阪と移動、移動また移動というスケジュール。他チームに比べカープの選手はいろいろと大変だ。
いつも、そういうカープの選手に感心するのは、そういうスケジュールに誰もブツブツ文句をいわないことだ。この春、オープン戦のスケジュールにまで「きつい」などと弱音を吐いたどこかのチームの選手がいたことに腹をたてたものだが、そういうヤカラはカープの選手の爪のアカでも煎じて飲むがいい。
しかもなお、6月1日、2日の対巨人2連勝の試合運びにみるように彼らのプレーには、少々リードされていてもあきらめないひたむきさがにじみ出ている。特別に親しかったり思い入れの濃い選手がいるわけではないのだが、観戦していてついカープに肩入れしたくなってくるのは、そういうところにある。
その年のアマチュア球界を代表する大物選手に大枚をはたいて引っ張ってくることもない、じっくり育ててきた中心選手がFA権を得て「他チームに移りたい」といえば“どうぞ”とあとくされなく送り出す。そしてまた営々と若い選手を次の主力選手として育てあげる。拍手のひとつも送りたくなってくるではないか。
半月ほど前、ダイエーが台北から長野-大阪とかなりハードな日程で首位争いの西武、近鉄に連敗したとき「きつい日程で・・・」と報道陣のひとりがいいかけたら王監督は「日程のせいにしてはいかん。相手だって同じなんだから」と即座にいったものだ。
昨年暮れにはもう出来ている日程のことをいまさらあげつらってみても、どうなることではないことはわかっている。それもまた“戦い”の一部なのだろうということを王監督はいったのだろう。
ワールドカップの影響で、これから例年にはない変則日程がつづく。どこにも事情はあるだろうが、ゆめ、日程のせいにだけはしてもらいたくない。
posted by 田村大五 |00:00 |
第41回~第60回 |
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