2002年04月30日
グリーンスタジアム神戸と千葉マリンスタジアムの観客の入りがずっと気になっていたが、このゴールデン・ウィークのはじまり、かたや2万人を越え、かたや3万人を越えたと知ってホッとした。後半に地元で阪神を迎えるカープ関係者も前売券が好調に売れて喜んでいるとか、こうこなくてはいけない、「野球」がないと夜も日も明けない身としては、多くの観客に見放されることほどつらいことはない。
4月29日は一日、テレビ観戦。昼はロッテ-ダイエー戦から横浜-ヤクルト戦にスイッチ。大量リードの横浜をヤクルトがジワジワと追い上げていく終盤は息をのんだ。夜は巨人-広島戦から阪神-中日戦へ。工藤の快投もあって試合進行の速いこと速いこと。毎日つけている全試合集計表をあらためて見直すと今季は両リーグとも2時間台の試合が多い。やはり新ストライクゾーンが影響している。阪神・片岡の、バンチの変化球をすくった2本目のホームランがあざやかだった・・・・・・というのも星野監督の試合後の談話を聞いてあらためてビデオで点検したのだが、なるほど、こういうところがテレビ観戦のいいところだなとうなずいたとたん、送ってもらったばかりの「野球文化學会論叢・ベースボロジー3号」所収の興味満点の論文「MLB中継と西部劇の近似値・芸中心の画面カットの手法論」を思い出した。筆者は名作「岸辺のアルバム」などで知られる有名なテレビマン・鴨下信一さん。同書1号で、スタジアムで実際に見る野球とテレビで見る野球とは別物だという、同じテレビマンの指摘を受け、さらにそれを日本テレビ中継とMLBの中継を手法的に比較する方向に進めた論文だ。
具体的なさまざまなシーンを例にあげ専門的な解剖をつづけ、「間違いなく、日本のプロ野球中継は、というより、日本のプロ野球の<思想>は試合経過そのものであって、MLBの<思想>がPLAY中心なのときわめて対照的である」という結論に導いている。刺激的な野球論文集だ。興味のある方は、諸岡達一様まで。
Eメールは、moro@t.mail.ne.jpまで、どうぞ。
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第41回~第60回 |
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2002年04月23日
“思いもかけない”という言葉を使うのは失礼だが、開幕約1カ月、意外なヒーローが続出するシーズンだ。
1試合8打点の日本ハム・藤島誠剛、全打順本塁打の記録を作った近鉄の五十嵐章人、昨年まで11年間で通算2打点だったのが3番・指名打者で登場して打ち続けて早くも8打点の西武・犬伏稔昌、セ・リーグでいえば4月20日現在で防御率トップに躍り出た横浜の山田博士投手、対阪神戦で貴重な決勝ホームランを打った巨人・福井敬治・・・・・・。
トレード組もいるし、中には一度自由契約寸前のところから這い上がってきた男もいる。それぞれに“ああ野球を続けてきてよかった”と思っていることだろう。よかったなぁ。
わけても、本人たちには聞こえなかっただろうが、ひとり、大きな拍手を送ったのはオリックスのドラフト10巡目のルーキー後藤光尊遊撃手と2年目の高見沢考史外野手。トップ打者に抜擢されて打線全体を活気づけるプロ初ホームランで対近鉄戦初勝利に貢献した後藤は、鹿児島・鴨池球場での対西武戦で西口投手から場外ホームラン。都市対抗大会での若獅子賞はダテではなかった。10巡目といってもこういう選手がいるのである。
高見沢選手は、話題になった契約金ゼロの選手だ。昨年は、条件の11日間一軍登録を果し、約束の出来高払い1000万円を手中にしたが、今季は西武・松坂投手からホームランを打ったり、22日の対ロッテ戦では逆転二塁打。オリックス独自の“契約金ゼロ選手”についてはテレビのドキュメンタリー番組も強い関心をもって見たが、こういう野球人生物語が好きだ。
先週の土曜日、大阪ドームで近鉄-ダイエー戦を見たあと、久しぶりに前オリックス監督の仰木彬さんとビールを飲みかわして野球談義にふけったとき、仰木さんはアメリカで会ったイチローに触れ、こういった。「何に対しても興味を示して貪欲に追求していくんだね、彼は。それが次々に身についていって打撃にも守備にも走塁にも形になってあらわれる・・・・・・」
貪欲に追求・・・・・・諸君、いまの真摯な姿勢を忘れるなよ。
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第41回~第60回 |
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2002年04月16日
15日、月曜日。「マンデー・パ・リーグ」の東京ドームの試合開始1時間前から三塁側スタンドに坐ることが、いつか習慣になっている。「(パ・リーグの試合は)こんなに面白いのに、どうしてみんな、見に来ないのかな」と、ひとり(ときには顔見知りのファンが訪ねてくるが)“旨いビール”を飲みながらの観戦が楽しいからだ。
試合中、他のカードの試合途中経過が報じられるとスタンドから、なんともいえぬどよめきがあがる。それもまた快い。みんなが、どのチームの野球にも興味を持っている証(あか)しだからだ。例えば日本ハム、ダイエー両打線がはなばなしく打ち合った、その15日、千葉ではロッテ打線が爆発、神戸ではオリックスが“いてまえ打線”のお株を奪う猛打の途中経過が報じられたときのファンの反応。“おやおや”という驚きよりも“やったね”という“祝福”のように感じられた。確かに開幕して半月で上位チームと下位チームがはっきりとしたのではペナントレースの興味が半減する。オリックスとロッテの猛反撃に期待したい。
三塁側スタンドで見ていたこともあって、その日2ホーマーした小久保の軽快な守備が目に快かった。日本ハムの新鋭・木元の4安打目か・・・・・・と思われた痛烈な三塁線への当たりを好捕、間一髪、一塁へ刺したプレーなどテープに撮っておきたくなるほどだった。
バッティングが好調だとフィルディングも冴えてくる例では14日の巨人-中日戦、2点を追う巨人の9回裏、二死二、三塁での元木の中前へ抜けるかと思われた当たりを横っ飛び、倒れて捕んだ中日・井端のファインプレー。あのプレーを“打球の勢いを殺す新人工芝”のせいにした人もいたが、あそこは井端の捨て身のプレーに拍手すべきだろう。
ルーキーや一軍初登場の選手たちの活躍が目にしみる。やっとつかんだ一軍の座、先発メンバー入り・・・・・・という感激がプレーににじみ出ていて快い。テレビ画面やスポーツ紙に大々的に出てきはしないが、「スーパー・サブ軍団」といわれる広島のワキ役たちの奮闘ぶりはその象徴にも思える。お~い、広島のファンたちよ、もっと球場につめかけてくれ。
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第41回~第60回 |
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2002年04月09日
阪神の開幕連勝記録が1938年(昭和13年)以来64年ぶりの記録ということで、あちこちでその64年前のタイガースのことがクローズアップされた。藤村富美男、松木謙治郎、影浦将、若林忠志、西村幸生・・・・・・といった、いずれも野球殿堂入りしているタイガース創生期のサムライたち。藤村さん、松木さん、若林さんとは生前、親しくさせてもらっていたし、影浦、西村両選手のことでは「プロ野球・謎とロマン」の連載でご家族の方々からエピソードを聞いた身としては、あらためて創生期のヒローたちが“世に出てきた”ことは嬉しかった。
開幕前、星野監督が田淵、島野両コーチとつれだって藤村さん、村山実さんのお墓の前で手を合わせていた写真を思い出し、故人たちの霊が相呼応して21世紀の世に喜んで出てきたと思いたい。
タイガースだけではなかった。ダイエーが開幕6連勝したときは「鶴岡一人監督の南海ホークスが1955年(昭和30年)に記録して以来、47年ぶりの記録」だとかで、いまの福岡ダイエー・ホークスの先発メンバーと当時のメンバーが写真つきで比較されていた(4月7日付け日刊スポーツ・東京版)。こちらはいまもお元気な森下正夫(のち整鎮)さん、岡本伊三美さんの1、2番コンビから始まって、その名も懐かしい飯田徳治、木塚忠助といった球史に残る名選手たちが並んでいた。懐かしく当時の南海ホークスを思い出したオールドファンも多かっただろう。
プロ野球は、ファンの中で、こうして生き続けていくことを改めて教えられた思いでいる。「興ざめだ、くだらないことはやめろ」という声が多いのに依然として始球式に芸能タレントを呼んできて投げさせているいくつかの球団は「その球団の歴史を作ってきた元選手たちを何故、登用できないのか」という多くのファンの声を、なんと聞いているのだろう。
今度、開幕連勝記録と共に、かつて栄光の歴史を築いてきた懐かしの名選手が甦ってきたのは、そういうことに対する名選手たちの“無言のアピール”だったのかもしれない。いや、きっとそうなのだ。
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第41回~第60回 |
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2002年04月02日
普段、プロ野球の話題などしたことがない、ほとんど無関心にみえた鹿児島在住の義姉から私用で電話があったとき、用件が終わると「ところで、ホシノ・ハンシン、かっこええね」。ウ~ム、そこまできたかと感じ入った。開幕戦の関西テレビ視聴率は瞬間最高40%を越えたというし、阪神本社の株価まで上がったというが、“新生タイガース”はプロ球界全体に多くの人の目を集めたということが評価されるべきだろう。
札幌ドームで初完封ピッチングをしてみせた足寄高出身の西武・三井浩二投手は「暗い話題が多かった北海道に明るいニュースを提供できたでしようか」と笑った。ここでも“プロ野球の存在感”をみせつけてくれた。ありがとう。
開幕戦は、両リーグとも話題が多かった。広島・緒方孝市や近鉄・小池秀郎の復活も嬉しかったが、昨年まで11年間で一軍公式戦出場8試合11打席で通算わずか2安打(1本塁打)の西武・犬伏稔昌内野手が、いきなり3番・DHに起用され大活躍した姿がまぶしかった。抜擢した伊原監督もよほど嬉しかったのだろう。報道陣に「大きく書いてやってくれ」と頼んだ?のに、扱いが小さかったのが悔しかった。こういう“あきらめずにひた走る”タイプが好きだからだ。ちょうどいまセンバツ大会の真っ盛り、'90年センバツで優勝したとき(近大付高)の4番打者。また新たに興味をもって見続ける打者が増えた。
ルーキーでいえば、ただひとり開幕先発メンバーで出たオリックスの後藤光尊内野手。初盗塁に初安打。開幕2戦目に2番手で登板したダイエーの飯島一彦投手。7番打者をノーヒットで抑え、王監督は「新人とは考えず、これからどんどん難しい場面で投入していく」という。イチローを新庄も石井一久も失ったが、考えてみれば、イチローだって2年目は打率・188、新庄も23本塁打('93年)して注目されるまでは一軍とファームを往復していたし、石井も2ケタ勝ち星を挙げたのは4年目だ。みんな、そういうところから這い上がってきた。失ったことを嘆くより、花開いてファンを楽しませる可能性をもつ男に注目したい開幕だった。
posted by 田村大五 |00:00 |
第21回~第40回 |
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