2005年11月09日

白球の視点 第181回

 「欽ちゃん球団」と呼ばれる茨城ゴールデンゴールズに刺激されたのか、全国各地に次々と地域密着の新しいクラブ・チーム誕生のニュースに心温まる思いである。

 歌手の山本譲二さん(甲子園を目指した高校野球選手だった)が主宰する「山口きららマウントG」には、先に永久追放処分が解除され復権を果たした池永正明さん(下関商出身)が監督に就任、「佐賀に硬式野球のクラブチームがないのが寂しい」と元西武―日本ハムの新谷博さん(94年の最優秀防御率投手)が名乗りを上げれば、「佐賀に負けておれん」と元ヤクルト―日本ハムの中村国昭さん(津久見高出身・内野手)が大分出身の大ヒーロー、稲尾和久さんの助力も受けて「大分SOLINS」を立ち上げ「九州のクラブ・チーム同士で戦いたい」という。すると今度は今シーズンまで広島のピッチング・コーチだった安仁屋宗八さんが故郷・沖縄に「安仁屋ベースボールクラブ」を作るという。

 関東でも、元中日の首位打者・谷沢健一さんが「谷沢野球コミュニティ千葉」の選手募集を始めれば、次は前国会議員でタレントの森田健作さんが「千葉メイキング」(仮称)というチームを作ると宣言した。驚いたのはプレイング・マネジャーになるという元毎日(大毎)―阪神―広島の若生智男投手、今年で68歳になるがなおも登板して率先、若い選手を引っ張るのだという。

 それぞれのチームの成功と発展を祈るばかりだが、巨人戦のテレビ視聴率が落ちて野球人気そのものが下り坂というような言い方をする人がいるが、どうしてどうして、こういう動きをみると、野球人気は“落ちてる”どころか全国に穏やかにではあるが深く濃く浸透していることがよくわかる。

 この7日、東京ドーム内の野球体育博物館・殿堂ホールで行なわれた「戦没野球人慰霊碑」の除幕式に招かれ参列のあとの食事会で、テーブルが一緒になった関根潤三さんが、野球に夢中になりはじめた少年時代の話をしてくれた。

「まだ日大三中の控え投手だった頃、戦前の巨人の合宿があった多摩川のグラウンドで練習試合をしていたら、一度軍隊から帰ってきた沢村(栄治)さんが通りがかってね、私を呼びとめ“キミ、なかなかいいぞ”って声をかけてくれた。“よし、いい選手になろう”と勇気を持ちはじめたのはそれからですよ」

 少年・関根にとって、当時のトップスター・沢村の声は、まさに「神の声」だった。そうやって、殿堂入りを果たすまでになった「野球人・関根潤三」は生まれた。

 全国に続々、出現している新しい野球チームに夢を抱いてとび込んで行く若者たちにもすばらしいドラマが生まれるように祈っている。

posted by 田村大五 |00:00 | 第181回~第200回 | トラックバック(0)
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