2003年01月21日

白球の視点 第80回

 自室の台所で包丁を洗っていて、利き腕である右手中指断裂、全治1カ月の重傷というヤクルト・五十嵐亮太投手のアクシデントには“そんなことってあるのか”と、つい口に出してしまったほど驚いた。

 これまでかかわりあってきた多くの名選手たちの生活を見聞きしてきて、体のケアに関しては、日常生活でも“神経質過ぎる”と思うほど気を配っているのが野球選手だと思い込んでいたからだ。やくみつるさんが「週刊ベースボール」2月3日号のマンガで、古田捕手が五十嵐投手に「包丁を洗うときは利き腕と逆の手にスポンジを持って刃を包み込むように」などと“包丁洗いのリード”風景を描いていたが、なによりの“財産”である利き腕で包丁を洗うとは、ちょっと信じられないほどのウカツさだ。

 どんなに暑くても“肩に悪いから”と冷房をつけない投手の話、ホテルのフカフカしたベッドは腰によくないからと薄い板を持参して敷いて寝ている選手の話など、そんなところにまで気を使っているのかと感心して聞いていた話が多かっただけに興ざめの思いだ。

 連続試合出場を続けていた頃の衣笠祥雄さんと遠征地をずっと同行取材したとき、例えばタクシーに乗降する際、自動開閉式のドアには絶対に手を出さず、慎重に開閉を確認してから体をゆっくり後部座席に乗せるなど、こまかな気配りに、あらためて衣笠さんの顔を見直したことがあった。「プロ野球選手って“出場してナンボ”でしょ。グラウンドに出てプレーできなければ終わりの世界ですからね。注意し過ぎるということはないんです」と衣笠さんは、いっていた。

 “無事、これ名馬”という、あらためて現役時代の“ケガや病気をしないON”のことを思った。自主トレの時期から春のオープン戦、公式戦、オールスター戦、日本シリーズ、さらに当時はいまとは比べものにならないほど多かった秋のオープン戦まで全部出ずっぱり、しかも全イニング出場でケガもせず打ち続けた。その完璧といっていい職業意識。

 医療器具、施設が整い、トレーナーがつきっきりで指導して体のケアに務めるいま、稀薄なのは、その職業意識だ。

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2003年01月15日

白球の視点 第79回

 「(広島の)故松田耕平オーナーが野球殿堂入りされたことを、選考委員のひとりとして非常に喜んでいます」~選考委員会を代表しての記者会見での選考結果報告なのだから“私情”をまじえてはいけないのだろうが、私は、あえて私情をこめて、そう口にした。“批判されてもいいや”と思っていた。

 「赤ヘル軍団王国」を築きあげるまでの、故松田オーナーのさまざまなユニークなチーム作りの試みや、趣味のカメラを通じての裏方さんを含めたチーム全員との“カープ家族”といっていい一体感の盛り上げ努力などはよく知られたことだが、私がなにより強調したかったのは「地方都市とプロ球団の堅い結びつき」に徹した功労者という点だ。

 記者会見後の歓談中に、特別ゲストとしてかけつけてくれた衣笠祥雄さんも思い出話として言っていたことだが、広島が球団創設26年目で初優勝したとき、ファンが口々に「おめでとう」ではなく「ありがとう」と涙ながらに叫んだという話。30万人もの市民が優勝パレードの平和大通りに集まり、以後、それが、いまの広島の一大ページェント「フラワー・フェステバル」へとなっていったという話。リーグ優勝だけでなく初めて日本シリーズに勝ち「夢の日本一の座」についたとき松田オーナーは「市民とともに喜びを分かち合おう」と収益金の一部、2000万円を広島市に寄付、それが「カープ基金」となって、いまも広島市民のためのアマチュア・スポーツ育成資金として活用されているという話。

 衣笠さんもいっていたことだが、球団創設当時、球団運営続行がむずかしくなって球場前にタルを置いて市民から球団存続のための募金を受けたことがあった。そのとき募金した人たちがいまも元気で選手たちに声をかけるのだという。そういうファンが、そういう話を子から孫へと語りつづけてきた。現に、私も、昨年の日南キャンプの帰途、車中でそういう祖父とお孫さんに出会ったことを、コラムで紹介したことがある。チームは、そういう中で生きつづけてきた。

 なんでもかんでも“お金の話”が先にたってしまう昨今のプロ球界の中で、だから、私は故松田耕平オーナーの野球殿堂入りが嬉しいのである。

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2003年01月07日

白球の視点 第78回

 年賀状にはじめて自分のメールアドレスを記したら、全国の野球ファンからさまざまな“新年メール”を頂いて興味深かった。巨人→ヤンキースの松井秀喜選手への期待の大きさと、“松井を失った日本プロ球界のこれから”を心配する声が多かったが、その中で考えさせられたメール2通を紹介する。

 「長嶋さんのトーク・ショーでのこと。パ・リーグにも巨人や阪神と試合をすることできわだったプレーを見せ、その魅力をアピールできる選手が多く、いる。その意味でも両リーグの交流試合があっていいと発言しましたら……」といってきたのは名古屋の瀬古沢昭男さん。すると長嶋さんは、「私も同感」といったあと「おそらく3年後には実現するんじゃないですか」と答えたというのである。

 私は、このところ長嶋さんとゆっくり話し合う機会をもっていないので、その名古屋のトークショーでの発言の真意はわからない。長嶋さんは独自の情報網をはりめぐらせていることはよく知られているが、その中から得た情報なのか、それとも、それこそ独特のカンで察知したのか、「3年後」という言葉が気になる。今度、会ったときには確かめてみなければならないと思ったものだった。

 もう1通は「マスコミが“プロ野球はダメになる”といいすぎる」という大阪の古川佳代さんからのもの。

 ファンは、さまざまな選手のさまざまなプレーを楽しんでいるのに、マスコミはやたらに自虐的な記事ばかり書きたてる愉快……という趣旨のものだった。

 年明けの「週刊朝日」の頁をめくっていたら、田原総一郎さんが、日本の経済危機に関して、やはり、日本の評論家は悪いことしか指摘しない現象を憂えていた。日本のマスコミが“悪い、経済政策がまずい”と書きたてると、それをアメリカの新聞が伝える。すると、“ホラ、アメリカだって悪いといっている”と日本でまた書くという悪循環。

 「野球界は社会の動きを反映する」と年賀状に書いてきたのは野球機構の幹部のひとりだったが、古川さんからのメールに接して、そうだ、私ひとりでもいいから、松井秀喜なきあとの日本プロ野球のいいところをみていこうと思った。

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2002年12月24日

白球の視点 第77回

 「中村紀洋、近鉄残留」のニュースが流れた夜、自宅に10通ものメールが入っていた。いずれも「よかった」、「ホッとした」というものだった。私も同じ思いでいたから、すぐ返事を打った。

 「中村紀洋本人のためにも、パ・リーグのためにも、いや日本球界全体のためにもいい選択をしてくれたと大歓迎」と。

 中村の近鉄残留をめぐっては、推測も入りまじって諸説ふんぷん、中には、そこまでかんぐらなくてもいいのに……と思うようなウガッた説もあったが、私にいわせれば、もうそんな推移などにこだわることはない。今度の中村の選択は「野球の神に誘(いざな)われた」のだ。中村個人にもパ・リーグにも、日本球界にも野球の神様が“そうであってほしい”と願った、その道を中村が歩いていったのだと思いたい。

 「(決断する以前の)夢はメジャーだった。しかし、これからの夢は近鉄が日本一になることだ」という、その言や、よし。「中村が“その気”になった近鉄は要注意だ」とハワイから帰国するやすぐ感想を洩したという西武・伊原監督の気持ちが、わかる。そうであってこそペナントレースは面白くなる。

 優勝チームにライバルの4番打者が入団したって面白くもおかしくもない(巨人とペタジーニのことだ)。強者に対して、戦力では劣るとみられているチームが刃向かって倒すところに観戦のひとつの妙味を感じているひとりとして、だから、2002年の下位チームがどうやって戦力を整い直して2003年へ向かっていくのかが、いまの興味の中心になっている。

 その意味で12月24日付けの日刊スポーツ(関東版)の一面、「オリックスが前エクスポズの吉井理人投手獲得に乗り出す」という記事に注目した。もしそうなら、そしてもし獲得できたとしたら、看板選手は谷佳知外野手ひとり、“みるべきものなし”とまで酷評された最下位チームに、同じくアメリカ帰りの鈴木誠投手とともに大きな“みどころ”ができる。

 そうやって、どのチームにも“みどころ”がほしいのだ。“1チームだけ強けりゃいい”という球界では、いずれファンから見放されると思うからだ。

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2002年12月17日

白球の視点 第76回

 「週刊朝日」12月27日号によれば2002年は「涙の年」であったという。そういわれればプロ球界でも、何度も様々な意味での「涙」を見た。

 ヤクルト・池山隆寛選手引退表明のときのユニフォームを着た息子さんの涙には少年特有の甘ずっぱさもにじんでいて心にひびくものがあったが、最近の契約更新時の“涙顔”の選手の写真をスポーツ紙で見ると、なんだかやりきれなくなってしまう。自分では精いっぱいやったつもりのプレーに対する評価が、自分の意図するものに比べてあまりにも低すぎるという悔しさからだろうが、それにしてもあんなところで、大の男が“お金の額”のことで泣き顔を見せるなんて、本当のことをいうとウンザリだ。

 「こういう不景気の世の中、やれ5000万円足りないとか1億円に達しないとかいわないでもっとスッキリできないものかね」といったのは西武・伊原監督だった。そうだよ。なけなしの小遣いをためてやっと月に一度、高い入場料を払って胸をときめかせて球場にかけつけ、たまたま凡試合につきあわされてしまったファンの気持ちを選手は考えたことがあるだろうか。選手の中からも、伊原監督のようなニュアンスを含めた言葉に出会いたいと思っていたら、あるパーティーで出会った巨人の幹部から阿部慎之助の話を聞いた。

 なんでも、契約更改の席に向かう前、担当記者たちとのやりとりで「今年の成績からいって1億円はイケる」としきにけしかけられたそうだ。だが、阿部捕手は「まだまだ“1億円の選手”というほどの選手ではない」といい、「こういう世の中ですから・・・」と球団の提示額(7800万円=推定)通りに一発サイン、そのことよりも契約更改前に訪れた「アフガニスタン写真展」で受けた衝撃を語り「日本は恵まれている」と年俸の中から寄付を申し出たという。

 横浜の石井琢朗、ヤクルトの岩村明憲両選手のように新たに基金設立による社会奉仕をスタートさせた選手もいる。年俸のアップ額、ダウン額をめぐって“グラウンドのヒーロー”がメソメソ泣くなんてシーンはゴメンこうむりたい。

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2002年12月10日

白球の視点 第75回

 球場正面入り口を入ると高い高い天井だった。入ってすぐ右手の関係者食堂には、古いフランス映画の1シーンを思わせるような”時代もの”の扇風機が、やはり高い天井に水平にとりつけられていてソヨソヨと微風を送っていた。テレビの大相撲中継を見ながらバルボンさんが「左四つになったで。こいつの得意や。イケるでぇ」などと”解説”していた。

 懐かしの阪急・西宮球場。数々のドラマの舞台となってきた西宮球場がとりこわされるということで8日、かってはBクラスが多かった阪急ブレーブスをパ・リーグを代表する”優勝チーム”へと導いた西本幸雄・元監督はじめ約100人ものOBたちが集まって同球場に別れを惜しんだという。

 私はスポーツ紙の西鉄ライオンズ担当記者として昭和30年代から40年代にかけてよくかよった。当時、他の球場には見られないゆったりとしたネット裏指定席、スタンド上段の広い通路には歴代の”勇者たち”の写真が掲げられていて独特の味があった。阪急ブレーブスというチームは、シブいが実力のある、したたかないいチームだった。デイリー・スポーツ(東京)の記事によれば、西本さんは、グラウンドに降り立ってスタンドを見上げ、集まった人々の顔を見、「(野球人として)人にも時にも場所にも感謝したい」と語ったという。西本さんらしいいい言葉だった。

 ひとつの壮大な野球史の舞台が消えてしまう-と感傷にひたっていたとき、戦前から戦後にかけての巨人・黄金期の名二塁手・千葉茂さんの訃報に接して愕然とした。野球体育博物館の図書室でしょっちゅうお会いし、つい先日も、私が出たとき千葉さんが入るときで、ドーム球場の外で30分間も立ち話をしたばかりだった。いつも飄々としていたが、ボキャブラリーは豊富、文学や諸芸術に通じていて語りつづけて飽きない人だった。

 千葉さんのことだけでもひと晩じゅう語りつづけても語りきれないほどの思い出があるが、ここではただひとつ、最近よくいわれたこと、「どうも、いまどきの野球、余裕がないな。ギスギスしすぎる」という言葉をあげておこう。このひと言、考えようによっては、ありとあらゆることにあてはまらないか。

「野球」を「野球」として、もっと素直にたっぷり楽しもうよーーと西宮球場も千葉さんも語りかけてくれたような気がして、ひとり、大酒を飲んで偲んだ。

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2002年12月03日

白球の視点 第74回

 メジャー・リーグもなにかと大変らしいということは、外電や、折にふれて関係者から聞く話などで知らないでもなかったが、ニューヨークから直接、そのことに触れたメールが自宅に届くようになると、さすがに心穏やかでない。

 やれワールド・シリーズのテレビ視聴率が史上最低(11.4%)だったとか、そのワールド・シリーズでいえば、勝ったチャンピオンのエンゼルスの幹部が「それでも球団売却の方針に変わりがない」と明言したというニュースなどに接すると、オイ、オイ、オイと声をあげたくなってくる。

 やれ10億だ、20億だ、30億だというようなスター選手の巨額の報酬が話題になる一方で、とうとう年間観客動員数100万人を切った球団(エクスポズが81万人だったという)があるとか、経費削減のためマスコットを馘首したという話もある。また、外電によればメッツは相手球団と開催日によって入場料を 4ランクに分け、なんとか観客減に歯止めをかけようとしているそうだし、ヤンキースなど“金満球団”も課徴金制度(選手の年棒総額が1億1700万ドルの基準額を超えると超過額に17.5%の“ぜいたく税”を課徴する)による“減収”におびえ、その対策に大わらわで“金満球団”になるのも良し悪しだというから笑えない。“アメリカのこと”といってはいられない思いに包まれ、ゾッとする。

 そういう状況だからなのだろう、「大金補強だけではいいチームを作ることはできない」という声がジワジワと球界の底辺から湧き上りはじめたという。その象徴が、削減対象球団といわれながら大健闘、「ベースボール・アメリカ誌」に「最優秀球団」ともちあげられたツインズであり、マイナー・チームの戦力育成力を注ぎトップの座にのぼりつめたエンゼルスだろう。

 そういうもろもろの最近のアメリカ球界の動揺を“他人事”と見てはいられないことを、いま日本球界の幹部は深刻に受け止めなければならないのに、そういう議論が希薄なことを憂える。

 これは、松井秀喜がアメリカに行くということ以上に大変なことなのに……と実は、気が気でないのだ。

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2002年11月26日

白球の視点 第73回

 社内のエレベーターで顔を合わせた営業部のひとりが私に向かって「大の巨人ファンの女房までが、今度の”ペタジーニ獲り”にシラけて怒ってますよ」と口をとがらせて、いう。巨人ファンの中でも、同リーグ内のライバルの四番打者を奪取していく巨人の手法にシラけ、不快感さえ感じているようであることは、巨人ファンであることで知られるあるテレビ・キャスターが自分の番組で、やはり似たような発言をしていたことでもわかる。

 「なんとか、戦力の一極集中を防ぐ方法はないものか」といったのは、「季刊ベースボールマガジン・冬季号」(シーズン決算号)の企画で久しぶりに谷沢健一さんとじっくり話し合った席で、だった。「シーズン決算」の話は読んで頂くとして、本題が終わったあとも話に花が咲いてなかなか席を立てなかったのだが、その中のひとつ、ファンの中でも実現を希望している人が多く、選手会も独自の方法論を提案しているが、セ・リーグの反対もあってなかなか実現の方向に進まない両リーグ交流試合について興味深い話を聞いた。

 ある機関で、交流試合を実現した場合の観客動員についての試算をしてみたら、巨人を除くセ・リーグ5球団の観客動員数がかなり下回ったという。その数字がセ・リーグ球団だけでなく、機構にも伝わっており、それがなかなか交流試合実現に踏み切れない原因にもなっているのだそうだ。

 だが、そこで、谷沢さんはいうのだ。

「そうであれば逆に、交流試合をやってみてそういう現実をみせつけることによって、パ・リーグの観客動員の少ない球団に強い反省を求めることができないかなぁ。ファンに愛されるチーム作りの努力を怠っている、営業努力も足りないんだという厳しい現実を、そういうところから学んで貰う、そこで奮起を促す、そこから全体の、球界あげてのレベルアップを考えるという方向に向かえないものか。そうでもしないと、戦力、観客動員の較差は、ますます広がる一方になりますよ」。

 両リーグが切磋琢磨、競争してプロ野球全体の興隆をめざしてほしいというのが念願の私としても、ウームと考えこみ続けた一日だった。

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2002年11月19日

白球の視点 第72回

 18日に行われたセ・リーグのJCB・MEP賞の表彰式で最優秀選手に選ばれた巨人の(アッ、もう巨人の選手ではないのか)松井秀喜選手が受賞のあいさつで「他の5球団の選手(ヤクルト・岩村明憲、中日・川上憲伸、阪神・浜中おさむ、広島・新井貴浩、横浜・吉見祐治)はみんなぼくより若いのを見て歳月を感じた。来年からはぼくを乗り越える成績をあげて欲しい」といったのを聞いて、あらためて松井秀喜という男の存在感を感じた。

 ずっとシーズン、フル・イニングス出場を続けている松井を見ながら今季はじめてフル・イニングス出場を果たしたヤクルトの岩村は「これだけは続けて松井さんのように“ミスター・MEP”と呼ばれるようになりたい」という。公式記録のタイトルではなくても、こういう賞は選手の励みになるものだと思ったのはそういう岩村のコメントやファンとの記念撮影にニコニコと応じる広島の新井のシンから嬉しそうな表情に接したときだ。

 JCB社長の「体力のある限り続ける」という言葉にホッとしたのは、その約10日前、すっかりファンの間にも定着した感のある、最優秀リリーフ投手に贈られる「ファイアマン賞」が今年限りで打ち切られることを、表彰式で知ってガク然としたからだ。

 その表彰式で西武の豊田清投手は「(この賞の)計算方式も知っていたし、投げながらいつもこの賞のことを考えていた」とファイアマン賞が励みになっていたことを明言した。そういう賞がなくなってしまうことに場内はざわめいた。

 前年まで、この賞独特の“火消し纏(まとい)”を受賞者に着せるセレモニーもすでになかった。かつては江夏豊投手も佐々木主浩投手も喜々として体にまとい、昨年アメリカからかけつけたロドニー・ペドラザ投手(当時福岡ダイエー)の両親も日本情緒たっぷりの異色の賞に「ワンダフル」を連発していたものだった。

 22回も続いたファイアマン賞の提供社の幹部は「野球だけでなく、あらためて全文化事業をイチから見直すということです」と語っていたが、日本経済はそこまできたのかと衝撃を受けた。どこかに奇特なスポンサーはいないものだろうか。

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2002年11月12日

白球の視点 第71回

 日米野球第2戦、巨人の上原投手に抑えられ、日本に大きくリードされた6回頃のアメリカ選抜チームのベンチの表情は(あくまでテレビ画面にクローズアップされた顔の印象だが)、真剣そのものだった。「日本には、まだこんなにすごい投手がいるのか」という驚きと打てない悔しさがまじりあって、まるで公式戦のときのような思いつめた表情をしいぇいた。8対1という大差から終盤、少しでも差をつめていったのは彼らのプライドだったのだろう。だが彼らの真剣さには好感がもてた。

 その夜、1年間のうち半分はニューヨークで過ごしているNさんからショッキングなメールを頂いた。

 なんでもいまは、三塁手難で、だから、メジャー関係者も日本の中村紀洋にかなり強い関心を持っているのだとか。それは、それほど驚くことではないのだが、驚いたのは、そのあと「だから日本の若い三塁手にも目が注がれていて、ある球団関係者から聞いた話では早くも巨人の福井敬治選手に注目している」という情報だ。

 メジャーの調査はそこまできているのかという驚きと、そこまで三塁手難に陥っているのかという驚きが交錯して考えているうちに妙な気持ちになってきた。

 というのは、ちょうどその日の昼、「野球カード・ショー」の「トーク・ショー」で、かっての西鉄ライオンズの名三塁手(ホント、守備がうまかったんだ)中西太さんと同席になり「長嶋茂雄三塁手」の話が出たりしたばかりだったからだ。一時代前は、南海ホークスの鶴岡一人三塁手とか、「初代ミスター・タイガ-ス」といわれた阪神の藤村富美男三塁手とか、中西三塁手から長嶋三塁手へと「名三塁手の時代」はずっとつながっていた。

 大洋・桑田武、阪神・掛布雅之、巨人・原辰徳~まだまだ書ききれない打守走併せ持った名プレーヤーが三塁にはずっと揃っていた。いまでもヤクルトの岩村明憲のようにグングン力を発揮してきた三塁手もいる。さらにいえば、インターコンチネンタル杯で守りでミスしたあと逆転につながる快打を放った横浜の古木克明とつづく。その「三塁手」がアメリカでは、巨人の福井を追うほどに(福井、ゴメンよ)不毛なのだという。

 これは、一体、何なのだろうか。11日、第3戦もダイエー・小久保裕紀のホームランなどで全日本チームが大量リ-ドしている夜、「これは一体何だ」とずっと考えこんでいる。

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