2002年08月27日

白球の視点 第60回

 延長10回裏の“サヨナラ・シンちゃん”の一打が大きく報じられた8月21日の巨人-横浜20回戦、その前の代打・吉永幸一郎のライナーの同点ホームランに目をみはった。巨人にきてから一軍公式戦の出場機会が少なく、ヒザの故障との戦いでファーム生活が長かった15年目、33歳の男がなおもパワーと鋭さを失わず、少ないチャンスに起死回生の一発を右翼席に叩きこんでみせるプロ魂にうなったのだ。

 元気いっぱいで常時出場して打ちまくっていたダイエー時代、まだドーム球場のない頃、平和台球場でファン・グループから「もっとも感動を与えてくれた選手」として表彰されたシーンを見たことがあったが、巨人で出番が少なくなっても、いつ訪れてくるかわからないチャンスのために力を保ちつづけてきた。人の目には見えない陰での苦労は大変だったのだろうと、そのことに感動する。

 ダイエーといえば、秋山幸二外野手がついに現役引退表明。こちらは22年目、40歳。「心技体のバランスがうまくとれなくなった」というセリフは、打・守・走それぞれにめいっぱいの動きをみせてくれた秋山らしい表現だった。まだ若い日、アメリカの教育リーグに参加したとき(西武時代)、いざ帰国というとき彼地でずっと接していたコーチが、秋山にだけ「日本に帰らないでアメリカで野球をつづけろ。必ず成功することを保証する」といったことがあった。

 いまのような時代なら、秋山はきっとアメリカで羽ばたいていただろう・・・・・・と今度の引退記事でも多くの人が書いていた。「’80年代でもっとも大リーグに近かった男」と。寡黙で大口をたたかない、いつも微笑と柔和な雰囲気を漂わしていた男だが、ユニフォームを着れば40本塁打以上3回、9年連続 30本塁打以上という長距離砲でいて走っても51盗塁の盗塁王はじめ30盗塁以上が3回という数字でもわかるように全力プレーなのだ。オールスターに18 年間ファン投票で選出された一事を見ても、ファンは選手に何を期待していたかがよくわかる。

 打と走だけでなく、守りでも、’99年、対中日の日本シリーズで、高く高く跳躍、足を右翼塀にかけて難打球をつかんだファインプレーなど、特にいまになっても忘れられない。

 あとにつづく選手は、ただ引退を惜しむのではなく自分たちがどうしたらあの域に達することができるかを考えなくてはならない。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年08月20日

白球の視点 第59回

 今季はいまなお「選手名鑑」を手放せないでいる。巨人や阪神に次々に現われる若者たち、ヤクルト・古田捕手に代わって出て殊勲打を放った米野智人捕手、不振のオリックスで2完封勝利をあげた相木崇投手。たとえば今度また新たに一軍登録される巨人の大須賀允内野手のように名鑑をめくり直してみると「昨年ドラフト6巡目の東北福祉大出身の強打の遊撃手」とあって、“あ、そうだ、大学当時、全日本代表チーム候補選手として巨人の宮崎キャンプに姿を見せていたっけ”などと思い出したりする。

 各チームにこれだけ多くの若者たちが次々に登場してくるというのは、一種の“端境期”にあるということなのだろうが、そういう若者たちを積極的に起用、また若者たちもそれに応えて活躍している巨人と西武が2位以下を大きく引き離してペナントレースを独走していることが、チーム作りの上で色々なことを教えてくれる。

 阪神・星野監督のように、それを球団フロント陣の補強策の差と指摘する人もいれば、ファームでの教育指導の差という人もいるし、抜擢したベンチ首脳の使い方の巧拙にその差を見る人もいる。主力が次々に倒れていった阪神にも、若者台頭の萌芽が見えるが、“末だし”の感も強い。いまが“世に出る”チャンスなんだがなぁと歯がゆい思いもする。

 それにしても今季のペナントレース、どのチームもなんとまぁ多くの主力選手が故障し欠場がつづくことか。ケガ防止策、体力増強策を含む医療施設での治療方法の充実度合は、一時代前に比べれば驚くほどの進歩を見せているというのに、“ダウンまたダウン現象”は、いったいどう説明したらいいのだろうか。

 特に、守りのダイビングキャッチで指を骨折したとか、ベースランニング中に足の肉ばなれを起して翌日から欠場・・・・・・という話を聞くたびに、プロ野球選手の体はそこまでヤワになったのかという思いが強かった。だが、そういうことが度重なるにつれ、ハタと思い至るのは、やはり人工芝のことだ。何度か歩いてみたことがあるのだが、まるで鉄板の上にいるような感じだった。あれでは・・・・・・。

 誰か、“鉄板の上”から解放してやってほしい。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年08月07日

白球の視点 第58回

 5日の日本ハム-オリックス16回戦の小笠原道大と谷佳知のバッティングはみものだった。持ち前のフル・スイングで小笠原が2本の二塁打(2打点)で勝利に導く快を連発すれば、試合前、その小笠原に「谷さんは抑えます」といった日本ハムの先発・金村に対して谷は右前、中前、左前へと3安打。この試合が終わったところで小笠原が打率.352で首位打者の座を守れば、谷は.351と1厘差に迫った。息をのむツバ競り合いだ。チームが低迷する中にあって、1打席1打席に気力充実のふたりには感心する。

 セ・リーグの打率争いもすさまじい。2日まで5位にいた巨人・松井秀喜が一気にトップに躍り出て、がぜん「三冠」が現実味を帯びてきたが、4日現在、松井を含めて打率3割3分台が中日・福留孝介、ヤクルト・岩村明憲、阪神・今岡誠の4人、さらに5位でもリーグ最多安打の巨人・清水隆行を加えて、連日、その順位がクルクルと変わる激戦だ。

 その中で、爽快な談話を読んだ。

 ~「数試合残した時点で、3冠王が確定したらどうする?」と聞かれて即答した。「出るに決まってるじゃん。休むわけないでしょ」。松井が口をとがらせていた~

 6日付け報知新聞の鈴村雄一郎記者の記事だ。

 よろしい、さすがは松井だ。必ずその意思を貫いてほしい。

 過去、何度、タイトルをめぐって欠場したり相手投手の敬遠四球乱発だったりして不愉快な思いをしたものか。かつて阪神・掛布雅之、中日・宇野勝の同数ホームランの最終戦、両者全打席敬遠のとき(1984年)は、さすがに当時のリーグ会長も特別の声明を発表して戒めたが、そのあとも首位打者争いの“帳尻合わせ”が散見された。

 先に亡くなったテッド・ウイリアムスが最終戦を休めばもう“打率4割”は確定というとき、あえて最後まで打席に入り続け打ち続け、“打率4割”はさらに輝やけるものとなった故事を持ち出すまでもない。

 ファンは誰だって、最後の最後までの全力をあげての戦いが見たい。セ5人、パ2人の健闘を祈る。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年07月30日

白球の視点 第57回

 ニューヨークから帰ってきた友人が「むこうの日本人野球ファンは、来シーズンはニューヨークで松井のバッティングが見られるって、“その気”になっている」という。「ヤンキース入り」のもっぱらの噂だという。打撃三冠が射程距離に入った話題の巨人・松井秀喜のことだ。ホントかな。

 一方、球界関係者の数人から「アメリカ球界では、むしろ“リトル・マツイ”の方に強い興味をもっているらしい」という話も聞かされている。ヒットどころかホームランも量産しはじめた西武・松井稼頭央だ。大好きな選手だけに、たとえ+aであったとしても、こういう話を聞くと気が重くなる。

 両リーグとも、首位チーム独走の気配でペナントレースの興味が薄れ行く昨今、せめて両松井に代表されるひときわ秀れたプレーヤーのプレーを見ることを楽しみにしているのに、みんなアメリカに奪われてしまうなんてアタマにくる。

 それでは・・・・・・と、高校野球の地方予選に目を向ける。徳島県決勝戦(鳴門工-鳴門第一)に見るように最後の最後まで勝負をあきらめない球児たちの捨て身のプレーに接しては“よし、よし、これだから野球は面白い”と、ひとりうなづく日々。たまたま出かけた東京ドームで、日本ハムが2回で0対7と大量リードされていた試合をひっくり返したのを見たときは“高校野球の影響かな”などと思ったりしたものだ(ダイエー・ホークスにいささかの気がある身には痛々しすぎたが)。

 高校野球、都市対抗野球・・・・・・とアマチュア野球の魅力には接する機会の多いこれからの季節、イタリアで行われる第1回世界大学野球選手権大会に出場する大学日本代表チームの評判がよく、アテネ五輪への日本代表強化本部長の長嶋茂雄さんも絶賛していたというが、あるスポーツ紙で、「伝説の強チーム」といわれた1955年のアジア大会に出場した東京六大学選抜チームと比較した記事を見て驚いた。長嶋茂雄、杉浦忠、秋山登、森徹ら、のちプロ野球を席巻するスターたちがズラリと顔を並べたチーム。まさか、あのチームに匹敵する? まさか・・・・・・と思いつつ、次代を担うスター選手の台頭を夢見るのは、やはり、ニューヨークからの噂のせいかもしれない。

posted by 田村大五 |20:59 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年07月23日

白球の視点 第56回

 「首位危うし・・・・・・恐竜来襲! 混セ激戦バトル」、「首位独走を止めて! 打倒巨人への恐竜の執念」、「今夜こそ清原封じて巨人を攻略だ、恐竜の秘密」。

 これ、オールスター戦前の7月2日から東京ドームで行われた巨人-中日3連戦の連日、試合前の同カードのテレビ番組に掲げられた惹句である(関東地区)。

 中日ドラゴンズ応援グループがつけた惹句では、ない。これがすべて、巨人系列のNTV(関東地区)の巨人-中日戦の中継番組に冠せられた番組宣伝のキャッチフレーズなのだった。このとき首位巨人と2位ヤクルトは3ゲーム差、5位中日とは6.5ゲーム差。だが、巨人系のテレビ番組は「首位危うし・・・・・・混セ激戦バトル」と謳い、翌日には「首位独走を止めて!」と叫ぶ? そして連日、巨人・清原の猛打で巨人が連勝すると「今夜こそ清原封じて巨人攻略」ときたものだ。その後の前半戦最終戦、巨人-横浜の中継番組惹句も徹底して“横浜頑張れ”のニュアンスが濃いものだった。

 これはいったい何だ? と問うまでもないだろう。投打ともに充実した戦力で独走の気配が強まるセ・リーグのペナントレースにややシラけ気味の野球ファンをなんとかつなぎとめておこうという番組宣伝担当者の痛々しいまでの訴えだと見た。

 しかし、オールスター戦後も巨人は飛ばしに飛ばし、7月21日現在、2位ヤクルトとは7ゲーム差、5位中日とは11.5ゲーム差。巨人は同系列の番組宣伝者の思いを裏切り?続けての独走だ。

 その皮肉をからかおうとしているのではない。2位以下のチームの覇気のなさがじれったい。巨人に思い通りの試合をさせている悔しさが、プレーを通じてこちらに伝わってこないことがじれったいのだ。

 パ・リーグにも同じことがいえる。松坂大輔がいなくても張誌家を得てガッチリ進み続ける西武にいいようにあしらわれている5球団が歯がゆくてならぬ。

 ペナントレースの順位争いに一喜一憂するのは邪道という意見もあるが、私はやはり抜きつ抜かれつの僅差のペナントレースという緊張の中のプレーにのめり込んで見たい。10球団の選手よ、怒れ。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年07月15日

白球の視点 第55回

 15日・月曜日昼、東京ドーム・ホテルで行われた「故・アイク生原氏の殿堂入りを祝う会」は12時半受付け開始だったので、午前11時半頃に顔を出しておけば大物出席者に対しても失礼にあたらないだろうと出かけたら、なんともう早々と阪神・星野仙一監督が控え室で待っていたのには驚いた。

 中日監督時代、ベロビーチ・キャンプを行なったり、沖縄キャンプに生原さんを臨時コーチに招いたり、「アイク生原さんとは兄弟のようなもの」といっていた星野監督らしい律儀さだと感心していたらキビスを接するように長嶋茂雄・前巨人軍監督も一時間近く前に姿をみせ、故人の追憶にふけっていたことにあらためて故人の遺徳のようなものを感じた。

 開会前の控え室で、久しぶりに長嶋、星野のおふたりと野球談義をかわしたのは楽しかった。しかし、「取材」が目的ではないプライベート談義も多かったので、ここでは紹介できないのは残念だが、それでもあえて、星野監督の許可も得ずひとつ多くの野球ファンに紹介しておきたい言葉があった。

 長嶋さんが次から次へと星野監督にいまのタイガースに関する質問を発してナマナマしい現状が披露されてから次第にペナントレースの話になり、米大リーグのイチローの話になっていくうちに星野監督が切り出したものだ。

 「ニューズウイークの日本版を読んでいたら、“日本のプロ球界はメジャーのファーム化になるだろう”と書いてある。“そんなものかなぁ”といってはいられない時期にきている。この際、みんなで話し合うときにきているんだけどなぁ」。

 すかさず、私は「みんながとことんホンネをぶつけ合ってケンカごしで語り合わなければ・・・・・・」と応じたら、星野監督は“とことんホンネ”のところで深くうなずいていた。

 ちょうどこの朝、新聞休刊日に発行されたスポーツ紙は一面で「ニューヨーク・ヤンキースが本腰を入れて巨人の松井獲りのプロジェクト・チームを作った」と報じたり(報知)、近鉄・中村のFA資格取得に関してのメジャー入りを話題にしていた。本当にどうなるんだろう。黙っていてはいけないという気になった。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年07月09日

白球の視点 第54回

 パンチョさん・・・・・・亡き伊東一雄さんのお通夜に出かける前、失礼ながらひそかに「遺影」はどんなものだろうかと思っていた。会うたびに“よッ、ダイちゃん、相変わらず飲んでるかい”と声をかけてくれた伊東サン独特の声音を思い出しながらバラに囲まれた壇場の遺影を仰ぎ見ると、ニッコリ笑った伊東さんが「大入り袋」を右手で前面に突き出している写真だった。司会者によれば「パ・リーグの広報部長になって初めて大入り袋が出たとき」の写真だという。

 伊東さんの死去に関する報道は、ほとんど「ドラフト会議での独特の、個性あふれる司会アナウンス」と「日米球界のかけ橋役」ということで占められていた。特に独力で築きあげたメジャー・リーグ界の人脈の豊富なこと、驚くべきもので、伊東さんの力で、日本球界のどれほど多くの人が米球界に接近できたか、数えきれない。

 シンシナティ・レッズが「ビック・レッド・マシーン」と呼ばれていた頃、シンシナティのホテルの売店で新聞を買っていたら、店のおばちゃんが「日本人か」というのでうなづいたら「パンチョを知っているか」という。「友人だ」と答えたら抱きつかれて驚いた。「パンチョは私の良きボーイフレンドだ」。まるでアメリカのすみずみにまで“パンチョ・ファン”がいるんだね・・・・・・と、帰国して伝えたらテレていた。もう30年近くも前の話だ。

 そういう伊東さんの遺影が「パ・リーグの大入り袋」だったことに胸をつかれた。伊東さんはアメリカの野球のことだけでない、最後まで、いや亡くなってからもなおパ・リーグを愛し、パ・リーグのことを気にかけていたのだった。

 日本がまだ占領下にあった頃、駐留アメリカ兵向けのラジオの野球放送を聞きつつ学んだという英語力は定評があったが、一方で漢詩を愛し、杜甫や李白の詩をそらんじて口にしていたし、またオフになると「オペラを聞きに行ってくる」とヨーロッパに向かったりしていた。

 そういう人だから話は面白かったし、いつ会っても話は尽きなかった。その人が最後まで気にかけていた。パ・リーグ、もう一度、大入り袋を出してみようよ。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年07月02日

白球の視点 第53回

 パ・リーグ投手防御率のトップを走り続けているオリックスの具台晟(ク・デソン)投手とはじめて長時間、話をする機会があったので、韓国プロ野球のハンファ時代('96年)、投手4冠(防御率1位=1.88、最多勝と勝率1位=18勝3敗、最多セーブ・ポイント=40)を手中にしたときのピッチングについて訊ねてみたら、具投手、やたらに謙遜して「あんなこと二度とできないだろう、運です、幸運に恵まれたから」とくり返した。

 「抑えに出て打たれ、同点にされ、その裏、味方打線が打ってくれて勝利投手になったり・・・・・・」。“投手4冠王”なんて、そんなことばかりで達成できるわけはないのだが、具投手はしきりに「運」、「運」といったあとニヤッと笑って「(サヨナラ勝ちが多い)今年の西武のようにね」とつけ加えた。バックの援護によって投手の勝ち星は変わる・・・・・・とでもいいたかったのかもしれない。

 その西武、なかなか手堅く、その中にキラリと光る巧妙な試合運びをみせて快調だ。三塁コーチスボックスに出ずっぱりの伊原新監督、“やるもんだわい”と感心する場面が多い。得点機が少ないときの方が“さぁ、どんな手をうってくるか”という興味が湧いてきて“次の一手”を楽しみに待つ、といった気持ちになってくる。1日の対ロッテ戦でも5回、二死無走者からの相手のエラーを一挙に大量点に結びつけた選手たちの溌溂とした動きには目を見張るものがある。

 いまにはじまったことではないが、私はむかしから、この「二死、走者無し」からの攻守を見るのが好きだった。接戦のときはもちろんのことだが、過去、大きくリードされている試合でも「二死無走者」からの攻撃でジリジリと差を縮め、けっきょく逆転勝ちしたケースを何度も見ているからだ。

 今季も「二死無走者」からの攻撃で試合をひっくり返した例は何度もある。善戦を続けているヤクルトが対横浜戦で0対2の7回、二死無走者から代打・ルーキーの志田のヒットから逆転したケースは典型的なものだった。「二死無走者」からでも得点をしてみせる“気”があるかどうか。連戦の夏のポイントではないか。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年06月25日

白球の視点 第52回

 巨人の桑田投手が、ベンチにいた清原をさしおいて代打に起用されチームの勝利につながるヒットを打って話題になったが(6月19日)、同じ日、中日のバンチ投手もチーム3位浮上への貴重なタイムリー・ヒットを打っているし(バンチは福岡ドームでの対巨人戦で桑田投手からホームランも打っている)、その4 日後、横浜の吉見投手は3打数3安打してバットで自分の勝利投手に“貢献”している。阪神のムーア投手、中日の川上投手・・・・・・みんなバッティングが大好きで、打席内の構えを見ていると打ち気満々に、“ひとりの打者”になりきっているのは見ていて気持ちがいい。

 古い話でいえば、巨人・別所毅彦、中日・杉下茂というエース同士が“投げ合い”もさることながら、お互いに相手からホームランを奪うことにムキになった時代もあった。西鉄・稲尾和久投手の対巨人の日本シリーズでの“奇跡の逆転優勝”につながるサヨナラ・ホームランとか、同じく3連敗から4連勝した西武(1986年)の勝利のきっかけは工藤公康投手のサヨナラヒットなど“投手のバット”は数々のドラマを生んでいる。

 その日出番のない投手が代打に登場することも、かつては、あった。やはりバッティングが大好きだった“400勝投手”金田正一投手は国鉄スワローズ時代、登板しない試合で代打に指名されるとニコニコ顔で打席へ向かったものだった。

 巨人でいえば、みずからノーヒット・ピッチングをしてみせた日、自分で3ホーマーというホームラン打者顔負けのバッティングを披露した堀内恒夫投手の試合前のフリーバッティングも豪快だったし、同じ頃、“巨人キラー”といわれた大洋の平松政次投手のバッティングもみものだった。

 ・・・・・・などなど、むかし話ばかりしていても仕方がないが、ことほどそのように、“投手のバッティング”は球趣を盛り上げるのに欠かせないものなのだ。せっかく打席に入るのに、はじめから“打つ気”を見せない投手に出会うとガッカリする。

 そうだ、西武・松坂大輔投手のバッティングが見たい。伊原監督よ、たまには「代打・松坂」と叫んでみませんかね。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2002年06月17日

白球の視点 第51回

 もう、ずいぶん以前のことになるが、タイガースの伊藤敦規投手がまだ横浜にいた頃、在ブラジルの熱心なファンから長い手紙をもらって、なかなか陽の当たるところには出られないが黙々と投げ続けている「伊藤投手讃」を、当時の「週刊ベースボール」の2頁コラム「白球の視点」で紹介したことがある。

 福井工大のエースとして大学選手権大会でベスト4までのし上がり、ロサンゼルス五輪で2勝をマーク、優勝に貢献、'87年ドラフトで阪急ブレーブスの1 位指名、1年目にウエスタン・リーグでノーヒット・ノーラン記録(対阪神戦)・・・・・・といっても、伊藤投手には申しわけないが、各チームのエース級投手に比べれば地味な存在だ。それでも、ブラジルからの読者の熱烈な手紙に接してからずっと気になる投手のひとりだった。

 阪神に移籍したのがプロ入り10年目でその年にシーズン60試合登板(8勝5敗8セーブ)してから中継ぎ役として黙々と投げ続けて、一昨年はリーグ最多の71試合登板。“よくやるなぁ”といつも感心して見ていたが、“そうか、野球ファンはちゃんと見ているんだな”と得心いったのが、今度のオールスター・ファン投票だ。投票の中間発表がはじまってから伊藤はずっとセ・リーグの中継ぎ投手部門でトップを走り続けている。プロ野球は、こういう人たちによって支えられているんだと、あらためて思う。

 この6月、日本列島はサッカー色に塗り込められているといった感じだが、この土曜、日曜(15、16日)のゲームなどを見ていると(もっぱらテレビ観戦だが)プロ野球もなかなかに頑張っていて面白い。大阪ドームの近鉄-ダイエー戦、甲子園球場の阪神-巨人戦、ともに最後まで手に汗握る攻防で見応えがあった。

 この2試合に限らず、試合の途中に各地から入ってくる「他球場の試合経過」を聞いていても、どこも二番手、三番手の中継ぎ投手の出来いかんで戦況が微妙に変わっていくことがよくわかる。いまや中継ぎ投手役が重要なカギを握る時代になった。かつて先発-完投が当たり前だった時代をよく知っている身としては、重厚な先発-完投型の減少が寂しくもあるが、違う球趣を楽しむしかない。

posted by 田村大五 |00:00 | 第41回~第60回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

« 前