2001年10月23日
「バッティングは伝染するものだ」といったのは、ア・リーグ優勝決定シリーズ第3戦終了後のマリナーズのピネラ監督だった。地元・シアトルでイチロー以外の主力打者が絶不調で連敗、それがニューヨークへ移って、その不調を代表?していたブーンが、“左翼手が一度、グラブに入れてからポトリと落とすヒット”で出塁するや、それがきっかけで大当たり、もうひとりの不調男・オルルドもホームラン・・・・・・という現象を表現しての「バッティングは伝染する」という言葉だったのだが、その翌日はまた打線が鳴りをひそめるのだから、野球は魔物だ。
わが日本シリーズの方も(いま第2戦が終わったばかりだからシリーズの行方はどうなるかわからないが)、相手投手の違いがあるとはいえ、第1戦と第2戦の近鉄打線の豹変ぶりも、バッティングというものの微妙な一面を見せてくれた。「ノリ(中村紀洋)が打ってくれたから」という、その後の水口とローズの一発は、まさに「バッティングは伝染するもの」だった。
毎年のことながら、日本シリーズのネット裏では、球界の多彩な人間模様が描かれて興味深い。ユニフォームを脱いで相変わらず人気の長嶋茂雄・前巨人監督が大勢の報道陣を引き連れて?、あちこちに愛想をふりまいていれば、一方では、やはり今季限りでユニフォームを脱いだ仰木彬・前オリックス監督、かたわらに石毛宏典・新オリックス監督がいる、近鉄とヤクルト両チームでコーチを務めた中西太さんがかつての愛弟子たちのバッティングに目を細めていれば、両チームで投げていたメジャー・リーガーの吉井理人投手が「サマ変わりしたなぁ」と懐かしそうにグラウンドを見渡している・・・・・・といった具合。
「やっぱり、日本シリーズはユニフォームを着てグラウンドに出てナンボ。背広を着て見るものじゃあない」とはそれぞれに共通したセリフだが、その思いは現役組ならもっと強烈。ダイエーの王貞治監督は全選手に「日本シリーズをきっちり見ろ」と伝えたという。“出場できない悔しさをかみしめろ”ということだろう。すでに秋季練習もはじまっている。その悔しさを、どこまで生かせるか。
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2001年10月17日
マリナーズの地区シリーズ、対インディアンス第5戦、7回裏、インディアンスの名遊撃手オマ-・ビスケルの右を襲ったイチローの打球。ビスケルの守りは見事で的確に処理し、スローイングへの動作もよどみなかった。しかし、それをイチローは内野安打にした。いってみれば、0.1秒。いや感覚的には “0.01秒”といったようなきわどい差だった。それが貴重な追加点となった。「野球ってホームランが華だと思っていたけれど、イチローのプレーを見て野球っていろいろな楽しみ方があるんだと思った」・・・・・・NHKのドキュメント番組でシアトルのおばあちゃんがインタビューに答えていっていたが、打って走って守って、イチローは野球というスポーツの持つ魅力を、誰にもわかりやすく体をもって示した1年だったともいえる。
日本のプロ野球が“お休み中”なものだから、この1週間はテレビでたっぷりむこうの野球を堪能した。
バリー・ボンズのホームラン記録、リッキー・ヘンダーソンの通算得点記録、そしてイチローの首位打者と盗塁王、野茂の奪三振記録・・・・・・とペナントレース終了いっぱいいっぱいまで興奮満点の話題が続いて、さらにペナントレースが終わるや否やすぐに2日後から各地で熱戦続きの地区シリーズ、それが終わるとまたすぐに優勝決定シリーズ、そしてワールド・シリーズへと“これでもかこれでもか”と野球ファンを楽しませていく大サービス興行に、毎年のことながらうなる。
一方、こちらはどうか。素晴らしい秋晴れが続いているというのに(関東地方)、プロ野球はずっと“お休み”だ。なんという“商売っけ”のなさだろう。イチローや佐々木や野茂の活躍で「人気をアメリカにもっていかれる」などといいながら。自分たちは爽涼の秋の日をなにもしないで、アメリカの野球を指をくわえて見ている。のん気なものだ。
かつてはペナントレース終了3日後にすぐ日本シリーズという時代もあった。終わるとすぐに日米野球・・・・・・と、ずっと野球観戦を楽しめたものだった。そういう先例があるのに、手をこまねいてアメリカの野球を見ている、不思議な日々。
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2001年10月10日
今度のヤクルトの優勝へのセ・リーグ監督たちの“祝辞”の中で、横浜・森監督のコメントがもっとも印象に残った。
いわく。「バランスのとれたチーム。値打ちのある優勝だ。戦力からみたら、野球は力だけじゃないというのがよく分かる」(10月7日付け、朝日新聞から)。
もちろん、野球は色々な意味での“力”で勝つのだが、森監督が言いたかったのは“パワーある打線だけでは勝てない”ということだったのではないか。
ペタジーニという“パワー”が中心にいて固定化された打線が、いわゆる“つなぎ”に徹した。上位で真中と稲葉の間を宮本でつなぎ、下位で岩村とラミレスのパワーがあって土橋がトップの真中につないだ。そういう積み重ね。だが私は、そういう“つなぎ”とは別の意味の“もうひとつのつなぎ”に注目した。大黒柱の古田捕手が「全治4週間」の診断を受けた8月末、代わりにマスクをかぶった小野公誠捕手がいきなりホームランを打ってチームを盛り上げた。
古田が元気だったときの4連勝と1引き分けをはさんで小野が守ってからも4連勝。新聞の見出しも「古田不在ショック」から「小野株、急騰」に変わった。このとき優勝へのマジックナンバーは一気に「20」を切った。
こういう大黒柱欠場のときにすぐ穴を埋める選手が出てくるところに全体的な“チームの力”を感じるのだ。外から見ていただけでは分からない水面下の様々なチーム力充実のための努力。そういうものがチームの“危機”にちゃんと顔を出してくるところに底力を感じる。
投手でいえば2年目の藤井秀悟の成長はもちろんだが、今季の優勝は入来智と前田浩継抜きでは語れないだろう。ともに一度、他球団で「自由契約」というつらい言葉を浴びた男たちの復活は、この苛酷な世界に生き続ける多くの男たちに希望を与えただろう。
このオフ、はじめて12球団合同トライアウト(入団テスト)が行なわれる(10月30日)。社会人球界も、そのテストを見て獲得できるというから朗報だ。連日、スポーツ紙に「戦力外通告」という欄が掲載される季節。夢を捨て切れない男たちの頑張りをもっと見たい。
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2001年10月03日
“サヨナラ長嶋”のセレモニーのテレビ中継を見ていた家人が、長嶋監督と並んでスポットライトを浴びていた槙原寛己投手、村田真一捕手、斉藤雅樹投手の 3選手について「同じプロ野球選手で、この人たち幸せね」とつぶやいた。「何故?」ときくと「だって、ほかのチームにも今季限りで引退する人、いっぱいいるんでしょ。多くの人がひっそり去っていく中で、この人たち、こんなに大勢の観客に囲まれて、テレビで中継されてみんなに温かい声をかけてもらって・・・・・・」という。
劇的だった長嶋監督の退任と重なっての“セレモニー参加”だったのだろうが、確かにめずらしく華やかな現役引退式だった。3選手の活躍があったからだろうが、それにしても3選手は「GIANTS」のユニフォームを着続けてきたことに感謝しなければならない。
阪神・和田豊選手の現役引退風景もしみじみとしたものがあった。「入団1年目に先輩に優勝の喜びを教えていただいた身として(自分が)現役のうちに後輩たちに(優勝の喜びを)知ってもらいたかった。その思いだけでここ数年やってきた」という言葉で、グラウンドで見せた涙の意味がわかった。
この季節、毎年のことながら球界の“人事異動”は、様々なことを考えさせられる。早くも大量の戦力外通告を行なった球団もある。志半ばにして泣く泣くユニフォームを脱がざるをえない選手もいることだろう。第二の人生を頑張れというしかない。
このところ暗い話ばかりなので、“ほのぼの話”の世界に入りたい。
西武の最終戦で退任あいさつをした東尾監督を選手が胴上げをしたが、その輪の中に対戦相手の日本ハムの奈良原浩、新谷博両選手がまじっていた。元西武で東尾監督の下にいた。こういう風景は、いい。かつて、名将・西本幸雄監督が、最後の阪急-近鉄戦終了後、両チームの“教え子たち”に胴上げされたことがあった。鉄拳をふるって鍛えあげた選手たちが笑顔で“恩師”を送っているといった感じで微笑ましかった。さァ、今度は仰木監督の番だ。最終戦がオリックス-近鉄戦。選手たちはどうするか、見たい。
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2001年09月26日
「野球って、こんなに凄いものなのか」・・・・・・中継アナウンサーが何度も叫ぶように言っていた24日夜、神宮球場でのヤクルト-巨人最終戦。同じくテレビ観戦していた巨人ファンから興奮気味の電話があった。「野球って凄いねぇ」。アナウンサーの口調そっくりそのままだったのがおかしかった。
その日の昼の方も凄かった。大阪ドームでの近鉄-西武最終戦。以前なら東京でテレビ観戦など望めなかったが地上波以外で観戦できる環境がありがたかった。近鉄側からいえば、0対3、2対3、2対4、3対4、4対5、4対6からの9回裏の主砲・ノリの逆転サヨナラ勝ち。ローズの55号ホームランもあってローズも梨田監督も目をうるませていたというが“さもありなん ”とめったにない波乱万丈の攻防に、こちらもジンとくるものがあった。
もちろん主役の豪快な一発は凄いが、私は、4対6で迎えた9回裏、中村紀洋の前に、グイと1点差に縮め近鉄ナインに希望を抱かせた代打・北川博敏の左翼席へのホームランが強く印象に残った。昨年までタイガースにいた“あの北川・・・・・・”と思い出すまでちょっと時間がかかった。もう7年目だが、昨年まで1本もホームランを打っていなかった(今季5本目)。それが、こういう大事な局面で打つというところにブルンッと体がふるえる。日頃の錬磨がなければできるものではない。
前日、1対0で日本ハムに勝った試合も、貴重な得点を叩き出したのは7番打者の川口憲史だった。こういうところに主役のバットだけではない、今季の近鉄の“全員野球”を感じる。毎日、独自のペナントレース・ノートを綴っているが、今季の近鉄の投手欄だけは連日、登板投手が多すぎて拡大せざるを得なくなっていた。あまりに多すぎてうんざりすることもあったが、19日の対西武戦で1点差を守りきったときの岡本、大塚両投手の凄い形相を見て彼らのタフな精神力に脱帽した。よくもまぁ耐え抜いたものだ。
2年連続最下位からの急浮上、2001年の近鉄バファローズの野球はこれまでとは異例の野球で考えさせられる。
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2001年09月19日
先週のこのコラムで「全力疾走を続けるヤクルトの稲葉篤紀選手に特別賞を贈ってもいいのではないか」と主張したら、本当に17日のセ・リーグ理事会で「会長特別賞」を贈ることが決まった。理事たちが、この「WEB BASEBALL」を見たわけではあるまいが、みんな同じようなことを考えているのだなと嬉しくなった。稲葉クン、よかったなぁ。
だが、問題はこれからだ。ただ“稲葉選手に賞を贈った”という話題だけで終わってもらいたくないのだ。稲葉選手も「週刊ベースボール」10月1日号のインタビューの中で、言っている。
「昔は、小っちゃい時は守備位置まで全力疾走で行けって言われてよくやっていたのだが、今ってそういうことをする子供はあんまりいないと思うんですよね。たくさんの子供たちが見にきていますし、だからそういう中で、プロの選手でもやってるんだと子供たちが気づいてくれればいいんじゃないかと・・・・・・」
そう、他の選手も全員、稲葉選手のように走ってもらいたいのだ。守備交代のとき、全員がパァーッと各守備位置についていく・・・・・・そんな情景を想像するだけでも爽快感がある。どのチームにも“第二の稲葉”がひとりでも登場してくれば波及していくだろう。それが試合のスピードアップ化にもつながる。ダラダラ・プレーをなくするいいチャンスだろう。
このところ、どのチームでも、いわゆる「ワキ役」の健闘が目立っている。
連日、息をのむ戦いを続けているパ・リーグの首位打者争いでも、例えば近鉄の礒部公一や吉岡雄二や水口栄二、例えば西武では和田一浩や垣内哲也。セ・リーグでは、もう優勝争いには関係なくてもいつもイキのいいプレーを続けている中日の荒木雅博や井端弘和、広島の木村拓也や東出輝裕、ルーキーで「3割、 30盗塁」を目指すという阪神の赤星憲広・・・・・・。そういう男たちのプレーが試合を引き締めていることに注目したい。
先のインタビューで、稲葉は言っている。(常に全力疾走をやっていると)「打つにしても100パーセントの力で打つし、走る、投げるにしても、そうです」。“第二の稲葉予備軍”たち、さァ、走れ。
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2001年09月12日
普段は仲のいい近鉄のローズと西武のカブレラが、後半戦に入ってチームの優勝争いも本人同士のホームラン争いも激しさを増していく中で「グラウンドでの談笑はやめよう」とお互い確認し合ったという話を快く聞いた。
いつも気になっていることのひとつに、激しく競い合っているゲーム中、しばしば塁上で打者走者と守っている選手が笑いながらなにやら語り合っている風景がある。そんな大事なことを話し合っているわけではないことは承知しているが、見ていて気持ちのいいものではない。真剣味が薄らいでしまう。
ローズとカブレラについても、何度かテレビ画面を通じてではあったが、前半戦の試合前にいかにも“仲よし”を感じさせる交歓風景を見た。それは試合前の歓談シーンだったからそれほど気にならなかったが、それでも、激しい競い合いが続くようになってあらためて“談笑をやめよう”と話し合ったという姿勢に共感が持てた。お互い“真剣勝負”の確認だったのだろう。その心意気がいい。
ホームランのシーズン記録を更新しようとする、そのローズに対して、シーズン55本の記録保持者、ダイエーの王貞治監督が、投手陣に「真っ向勝負」を命じたという話も、いい。7日からの大阪ドームでの対決で田之上投手が内角勝負に徹してローズを抑え切れば、ローズは翌日からダイエー投手陣を打ちまくるという攻防も、かつての野茂英雄と清原和博の対決を思い出させ、気持ちがよかった。今度の対決が勝ち負けは別として充実感を感じさせたのは、妙な手練手管のない力と力の真っ向勝負の連続だったからだ。最後の最後まで、そういう戦い方を貫いて欲しい。
もうひとつ“最後の最後まで貫け”と願っていることがある。ヤクルト・稲葉篤紀選手の全力疾走だ。
どんな当たりでも一塁への全力疾走もさることながら、ベンチから守備位置につくとき、ベンチへ戻るときもひたすら走る姿勢。会議などでこれまで何度も言われながら実行した選手はいなかった。それがついに現実に実行を続ける選手が出現したのだ。最終戦まで続けたとき、特別賞を与えたっていい。
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2001年09月05日
9月に入っての初めての土曜、日曜の両リーグの観客動員数を比べてみると9月1日、パ・リーグ(福岡ドーム、東京ドーム、千葉マリン・スタジアム)が 11万1000人、セ・リーグ(ナゴヤドーム、札幌ドーム、広島市民球場)が10万7000人。9月2日はパ・リーグが10万1000人、セ・リーグが9 万4000人。両日ともパ・リーグが上回わった。メジャー・リーグやサッカーのJリーグのように端数まで発表する“実数”ではないにしても、おおまかな “傾向”はみてとれる。残り20試合そこそこになっても、その日の勝敗によって順位が入れ替わる緊迫の首位争いがあるかないかの差といってもいいのではないか。
9月1日、NHKが午後6時台から全国中継した広島-巨人戦が、視聴率8.7%まで落ち込んだと話題になっている。試合が始まったばかりの午後6時台はまだ13.1%だったのに、ニュースで中断、野球中継が再開されたときはすでに広島6-0巨人となっていて、視聴者は一斉にテレビのチャンネルを切りかえたのではないか、などと言われている。
しかし、ここでは、球場にまで出かけていく“足”に注目したい。パ・リーグのカードはテレビ中継が少ない。だから時間とおカネをかけて球場に出向くファンは本当に“この眼で話題の選手のプレーを見ておきたい”という人だろう。“野球の雰囲気にこの身を浸したい”と言うような・・・・・・。
そのような人たちがパ・リーグの方に増えたのではなく、野球は好きだがそれほど球場に出かけることのない数多くの「野球ファン」が“面白そうだから出かけてみるか”となったのではないかと解釈している。
東京ドーム内にある野球体育博物館の館長さんに会ったら、この夏の野球博物館の入場者が開館したとき以来の史上2位を記録する大入りを見せたという。同館内の図書室は、こと野球に関する資料図書では日本一だと日頃思っているが、その図書室の入場者も夏休みの自由研究のテーマを「野球」にした人たちであふれたという。
「野球ファン」は減っていない。ただ凡庸なゲームが足を遠ざけているだけだ。
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2001年08月29日
若い選手を公式戦に出場させて鍛え育てながらなおチームの勝利を目指す・・・・・・これは古くから言われていることだが、いまなお新しくもある難題だ。今季の広島や阪神、オールスター後の中日の戦い方を見ていれば、それがいかに難しいことか、よくわかる。
8月27日夜、東京ドームでの日本ハム-ダイエー22回戦を見て、そのことを改めて思った。
小笠原道大の51年ぶりの記録更新、17試合連続得点など日本ハムが2対1とリードしていた4回表、ダイエーは、2回のホームランに続いて左前へ打って出た城島健司が打者・大道典良のとき、スルスルとディレード・スチール気味に二塁方向へ走りかけた。日本ハムの若い實松一成捕手はすぐに二塁へ送球。一塁へ戻る城島に二塁手・金子誠が一塁へ悪送球して城島は難なく二塁へ。これがダイエー選手の、日本ハムの若いバッテリーへの“ゆさぶり”第1弾だった。
大道四球のあと城島が三盗。「牽制がないことがわかった」からだ。続く鳥越裕介の緩い二ゴロで城島が還ってあっさり同点。柴原も歩いて二死一、二塁。打者・バルデスの3球目。今度は鳥越と柴原のダブル・スチール。慌てた實松捕手の三塁への送球が逸れてファウル・グラウンドに転々とする間に、一塁から柴原までホームへ滑り込み、アッという間の4対2の逆転。
日本ハムの先発、2年目、19歳の佐々木貴賀投手はダイエーのクリーンアップ・トリオをくるくる三振に討ち取るなど好投していたのに、1安打でひっくり返されてしまった。日本ハムは田中幸雄の長打などで1点差まで追い上げていたのだから、この19歳-20歳の若いバッテリーを揺さぶった足攻が決め手となった。
ダイエーだって、かつてBクラスに低迷していた頃、試合巧者の相手にかきまわされて自ら墓穴を掘っていた。それが「あれはノーサイン。選手は自分たちが何をやるか分かっている」(王監督)というチームにまで成長した。
日本ハムの大島監督がどこまで辛抱して若い選手を使い続けるか。若手への切り替えで試行錯誤を繰り返している中日、阪神はどうか。注目してみたい。
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2001年08月22日
「エンジョージ、あれがボールか、秋の空」という“名句”?がある。
巨人-南海の日本シリーズ。その外角低目の球がストライクなら南海の勝ちという試合。ジョ-・スタンカ-野村克也のバッテリーは“ストライクだ”とばかりバンザイ・ポーズをしてお互い駆け寄ろうとした。だが、円城寺主審の判定は“ボール”。スタンカ投手は、あらためてほぼ同じようなコースへ投げた。それを巨人の“エンディ”こと宮本敏雄が右前へ痛打。二塁走者がホームへ突っ込む。ホーム・カバーに走ったスタンカは円城寺主審に体当たり。同主審はひっくり返りながら走者のホームインを宣告、巨人のサヨナラ勝ちが決まった。
冒頭の“名句”?は、そのときのことを詠ったものだが、スタンカは、誰かから送ってもらったのだろう、それをアメリカの自宅に飾って訪れる人に見せているという話を聞いたことがあるが、事実かどうか知らない。もう40年も前の話だから笑って思い出話に興ずることができるが、日米球界の思い出というと、とっさに主審の話になるところが皮肉だ。
さてさて、またぞろ審判の判定を巡って賑やかだ。16日のヤクルト-横浜戦での左翼への飛球を巡って、ワンバウンドだ、いやダイレクト捕球だと大もめ、森監督の退場処分。もう連盟からの処分も出たことだから、いまさらコトの是非は問わないが、報道されたことが真実なら“それだけは以後、絶対にやらないでほしい”と思うのは、監督の抗議に対する審判員の“いいわけ”である。
妙な弁解をするから、コトはよけいにこんがらがってくる。審判が一度下した「アウト」は「アウト」、「セーフ」は「セーフ」なのだ。そこをキチンとしなければ収拾がつかなくなってくる。
そこでもうひとつ昔話。鉄腕・稲尾和久投手がルーキーの頃。どう見てもド真ん中のストライクを“オレがルール・ブックだ”の二出川延明主審が“ボール” と判定した。「何故」と問う稲尾投手に「プロの投手があんなド真ん中に投げてよく平気でいられるな。もっとコントロールを磨け」と一喝。稲尾は「ハイ、わかりました」と引き下がった。
球界の秩序、今昔の感ありだ。
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