2002年03月05日
白球の視点 第36回
「週刊ベースボール」3月18日号に「野武士軍団の住処(すみか)よ、永遠なれ」というタイトルで、この3日、福岡市内の旧平和台球場前に、西鉄ライオンズの本拠地球場としてファンに親しまれた平和台球場の歴史を後世に残すための記念モニュメントが建立されたことが報じられていた。当時の中心選手だった中西太さん、稲尾和久さん、豊田泰光さんが平和台球場を模したモニュメントのベンチ方向を指さし、笑顔で語り合っている姿が印象的だった。 私はかねてから「3連覇」を記念して3月3日にお披露目式が行われることを聞いていたので、翌4日のスポーツ紙を楽しみにしていたのだが、在京の各スポーツ紙は、日刊スポーツ以外はほとんど報じられていなかったのが寂しかった。 稲尾さんは「西鉄と平和台球場の語り部としてこれからも野球ファンに語り継いでいきたい」と言っていたが、「ニシテツ」の豪快な野球を愛し、もう一度「ニシテツ」のようなチームがあらわれてほしいと思い続けているひとりとしてもっと多くの野球ファンに知って欲しかった。 折も折り、近刊の稲尾和久著「神様、仏様、稲尾様」が著者から送られてきた。かつて一緒にベースボール・マガジン社から「鉄腕一代」というタイトルの著書を刊行したことがあったのでよけい興味深かった。著者は「はじめに」の中で次のように書いている。 ・・・・・・いまはなき西鉄ライオンズの不思議に根強い人気を思うとき、「バカになれた時代」の幸せを思う。後先考えずに投げ続けた私の投手としての盛りはプロ八年目の昭和三十八年で終わったといってよく、もっと大事にしていたら、と残念がってくれる人もいる。それは違う。10勝を二十年続けたところで “勤続表彰”はしてもらえても「神様、仏様・・・・・・」とはならなかった。日本のプロ野球がつまらなくなったといわれる。もしそうだとすると、投手は怪我を恐れて投げなくなり、打者は監督の指示を着実にこなすだけのコマに、と妙にこざかしくなったところに原因があるのではないか・・・・・・。 私が「ニシテツ」を多くの人に知ってもらいたかったのは、その一点にある。
posted by 田村大五 |00:00 |
第21回~第40回 |
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