2008年03月18日

白球の視点 第235回

 3月16日付け、日本経済新聞の俳壇欄(茨木和生選)に、思いもかけない句を見て、驚きもし、「ほう」と声をあげた。

 「ああ、ホームスチール、三原脩の忌」(豊橋・河合清)というものだ。

 31年春、当時の日本野球界の最高の人気カード、早慶2回戦、同点の7回二死満塁で早大の三塁走者・三原脩が慶大バッテリーの意表をついて敢行したホームスチールによる勝ち越し点。「驚天動地」と評した新聞もあって「三原脩」は一躍、時の人となった。

 最近、「いま三原脩の勝負論・コーチングから学びとること」という副題がついた中西太著「西鉄ライオンズ 最強の哲学」(ベースボール・マガジン新書)が好評で版を重ねているし、2月6日が三原さんが亡くなった日ということも知ってはいたが、それにしても08年春の新聞の俳句欄に、77年前の、その「驚天動地のホームスチール」の句が出てくるとは、ほんと、思いもしなかった。

 プロ野球春のオープン戦も東上してきて、どのチームも“開幕近し”を感じさせる戦かいぶりを見せているし、その俳句が掲載された同日の新聞の運動面は、アメリカの松坂大輔投手に無事第二子が誕生して晴れて? 日本でのメジャーリーグ開幕戦(レッドソックス対アスレチックス)に登板しそうだとか、怪我の後遺症が心配されていたヤンキースの松井秀喜も元気に戦列復帰……といった、それこそ77年前には夢想すらしなかったであろう野球記事が並んでいた。そこに(私にとっては)「突然」といっていい「ああホームスチール三原脩の忌」という句。「ほう」と思わず声があがったのは、野球生命の長さ、逞しさに思いが至ったからだ。

 そして、これは単に“ああ、2月6日がきた、球場をどよめかせた三原のプレーが懐かしい”というような、故人を偲ぶだけの句ではないだろうとも思った。

 「野球」といっても、その中味はずいぶん変わった。三原さんがプロ野球監督として1950年代後半から60年代、「機略縦横」と謳われ、西鉄ライオンズや大洋ホエールズで日本シリーズも制した時代とも野球は“まるで”といっていいほど変貌してきている。

 攻守にかかわる野球用具やトレーニング設備の高性能化、医療環境の充実、グラウンド上では投手の分業化、多くなった球種、複雑なサインによる多彩な戦術の駆使などなど、“三原脩の時代の野球”では語ることのできない多面性をもってきている。しかし、それでも何故いま、句の作者は77年前のホームスチールをあえて“ああ”という感嘆詞とともに世に出したのだろう。

 私は、「鮮烈さ」だと思う。77年間も、その「鮮烈なプレー」が残像として生き続けてきた。三原の忌日がくるとあらためてその鮮烈さが甦えり、野球シーズンがくるとそのことを誰かに伝えたくなってくる……そういう心境だったのではないか。

 当時、ネット裏では「最高の評者」といわれ、「学生野球の父」と崇められた故飛田穂洲氏は、この三原のホームスチールを「定石はずれ」と断じ、「慶大バッテリーの不用意による偶然の成功」とハネつけたという。しかし、中西太氏は前記著書で、こうつけ加えている。

 ──三原は後年、「定石通りにやれば同じ結果しか出ない。意表に出ることが私の野球の原点」といっている。このホームスチールこそが、三原の著書のタイトルを借りれば「風雲の軌跡」を予感させるものだった──と。

 野球は、1分先、1秒先になにが起きるかわからないスリルを伴う。観客は、それゆえにコブシを握り、目をこらしてその瞬間を待つ。プレーヤーは、その「瞬間」に賭ける。そこにドラマが生まれ、私たちはそのドラマに酔う。どんなに野球用具が高性能になっても、球種が複雑になって戦術が多彩になっても、そのことには変わりは、ない。

 プロ野球開幕。リニューアルされた甲子園球場で第80回センバツ高校野球大会も始まる。

 長い高校野球の歴史でも、名勝負、名対決が、いまもことあるごとに語り継がれているように、今季のプロ野球も、いつまでも語り継がれていくような名シーンが誕生するよう願うばかりだ。

posted by 田村大五 |21:03 | 第221回~第240回 | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/bbm_hakkyu/tb_ping/235