2007年11月13日

白球の視点 第219回

 13日早朝、福岡の知人からの電話で稲尾和久さんの訃報に接したとき、頭の中が真っ白になり、しばらく言葉が出なかった。1週間ほど前、別冊「にっぽんの高校野球」シリーズの編集担当者から「九州編を製作するので大分県特集のひとつとして“稲尾和久の高校時代と、いまはなき別府緑ヶ丘高”について書いてほしい」といわれたばかりだった。新聞に、つい先ほど行われた沢村賞選考委員会には「体調不良で欠席」とあったことは知っていたが、10月30日に緊急入院したことも知らず、“あの頑健な男が倒れるわけがない”と勝手に思いこんでいたから、久しぶりに口説いて故郷・別府まで同行しようかなどと勝手で失礼でのんきなことを考えていた。その矢先きのことだったから茫然自失、まだ、あの大投手と幽明境を異にしたことが現実のものと思えない。20歳代からの長いつき合いだけに思いがあふれ、なにから書いていいのか混乱している。涙が出てくる。

 高校を卒業してすぐ21勝6敗、防御率1.06(この数字を見よ)の新人王、以来、シーズン35勝、42勝ありの8年連続20勝以上。最優秀防御率5回の全部が1点台というのだから、いくら野球が変わったといっても、いまの時代からは想像できないであろう驚異的な防御率だ。しかも、それがシーズン400イニングスを越えるピッチングをした上での数字であることが、すごい。

 完投、リリーフ、完投、完投と続けたこともあった。そのものすごい“使われ方”が稲尾の投手寿命をちぢめたといわれたこともあった。しかし、稲尾自身は終始、そういう見方に反発した。「だってな、あれだけ投げさせてもらって、勝って、それでファンが喜んでくれた。ワシの名前も、それで残った。むしろ、感謝せな、いかん」。

 福岡の街を一緒にタクシーに乗って走っているとき、道行く人を指さし、「ホレ、あのオジさんもオバさんも、ワシの顔を見るといまでも手を振ってくれる。ありがたいもんじゃ。それもこれも、あれだけたくさん投げたからだ。誰が登板過多なんて恨むものか」。

 “野球ネタに困ったら稲尾のところへ行け、必らず興味深い話をしてくれる”と先輩記者に教えられ、昭和30年代からずっとそれを実行してきたのだが、いつ会っても丁寧で優しく“野球”をかみくだいてわかりやすく説明してくれた。「右投手における左腕の研究」などと虚をついた説明のように聞こえ、その実、“右投手にとっての左腕の位置”がコントロールに重要であるとか、右投手の右打者への内角からの真ん中へのスライダーの有効性とか、素人の私にかんでふくめるような“解説”が面白かった。

 監督になってからの“ヤンチャ坊主”東尾修投手との丁々発止や、ロッテ監督になって“三冠王・落合博満”とのやりとりなど、後年の“東尾監督”“落合監督”を見る上でもずいぶん参考になった。

 少年時代からの野球人生をまとめようと、1年間、東京-大阪-福岡を行ったりきたりして話を続け、膝つきあわせて作業に没頭、「鉄腕一代」(ベースボール・マガジン社刊)をまとめたのは92年から93年にかけて、だった。殿堂入りしたとき、東京での祝賀パーティの段どりをまかせられ、引き出物の相談になったとき、すかさず「鉄腕一代」というラベルを貼った焼酎をとりだし、「これにきまっとる」といったのには笑ってしまった。

 いつ会っても、小柄な私の肩を抱いて、「人にいえたことではないかもしれんが、酒はほどほどにせいよ」などと私に説教を垂れていた。サイちゃん、なにいってんだよ。先にあの世へ行ってしまって。「鉄腕一代」の飲み過ぎだったんじゃないのか。悔しい……と、また涙があふれてくる。

posted by bbm_hakkyu |17:09 | 第201回~第220回 | トラックバック(2)
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稲尾和久氏を悼む 【とにかくスポーツ】

神様、仏様… 豪腕投手、稲尾和久氏死去(IZA) 元プロ野球西鉄(現西武)ライオンズ投手の稲尾和久(いなお・かずひさ)氏が=13日午前1時21分、悪性腫瘍(しゅよう)のため福岡市内の病院で死去した。70歳。大分県出身。葬儀・告別式の日取りは未定。  大分・別府緑丘高(現芸術緑丘高)から昭和31年に西鉄に入団し、いきなり21勝を挙げて新人王を獲得。32年から34年まで3年連続で30勝以上を挙げた。  3連敗からの4連勝で日本一に輝いた33年の巨人との日本シリーズでは、大車輪の活躍で「神様...

2007-11-13 17:26 | 続きを読む
「日本プロ野球史上最強最高投手」鉄腕・稲尾和久氏を悼む 【上田龍公式サイトRyo's Baseball Cafe Americain Annex  「店主日記」】

稲尾和久さんに電話取材ではあったが、お話を伺うことができたのは、2001年の秋、ちょうど日本シリーズやワールドシリーズが終わった直後のことだったと思う。ベースボール・マガジン社からの原稿依頼で、稲尾さんのライバルだった杉浦忠投手についてのエピソードをお聞きするためだった。

2007-11-19 22:34 | 続きを読む