2007年09月18日
白球の視点 第211回
「タラ・レバ」の話はしてはいけないことになっている。“してはいけない”ことはわかっているのだが、つい「あのとき……だったら」とか「あのとき……していれば」と口にしたり“あと批評”してしまうのはネット裏の常だ。私も、しょっちゅう、やる。 小笠原の好投があったが浜中の一発で敗れた15日の対阪神21回戦、試合後、中日の落合監督は「タラ・レバの話はいかんよ」と口をつぐんだが、翌16日の試合前、前日の1回表、2走者を置いてのウッズの中堅への大飛球について「風が逆だっタラ……」と残念がっていたとテレビ解説者が明かしていた。「タラ・レバはいかんよ」といっていた監督自身もやはり、つい「タラ・レバ」を口にしてしまうというところが、ペナント争いの大詰め、心身を削る激戦の日々をよくあらわしている。 優勝争いの渦中にはいなくても、たとえば16日のパ・リーグの下位チーム、楽天・野村監督は、8回二死からの逆転負けに「野球は1球のスポーツ」と“1球の配球”を嘆き、延長10回で敗れたオリックスのコリンズ監督は「リリーフ投手の準備不足?」と問われて「準備不足の投手を出すと思うか」と報道陣の質問に怒ったという。私にいわせれば、いずれも「タラ・レバの世界」の嘆きや怒りだったと思う。 激しい攻防と、一戦一戦の一喜一憂で、日々、僅差で順位がめまぐるしく変わるセ・リーグ上位3チームの試合を見ていてこのところずっと私は個人的な「タラ・レバ」で試合を楽しんでいるのだが、いまもこだわっているのは14日の巨人-広島22回戦、8対3で広島リードの9回裏、巨人が5点を入れて追いつき、巨人が延長12回、9対8でサヨナラ勝ちした、あの例の少ない激戦だ。あの試合における私の[タラ・レバ」は、7回まで力投を続けていた広島・黒田投手が、そのまま続投していたらどうなっていただろうかという思いだ。あとを継いだ投手たちには申しわけないが、黒田だったら疲れていたとはいえ5点もとられただろうかという思いがずっと心の底にくすぶっている。終盤の巨人にとってあの試合が「1勝」になるか「1敗」になるかでその後に大きく影響したであろうから(これだって“タラ・レバ”だが)なおさらだ。 それというのも、広島だけでなく、このところずっと球界を支配している、100球を越えたあたりで先発投手を降板させ、中継ぎ役から抑え役へとつないでいく風潮のことがある。いや、“風潮”というより、それはいまや“定型”といったほうがいいかもしれない。14日、ボストンでヤンキース相手に5回2/3を被安打4に抑えながら交代、そのあと大敗したレッドソックス・松坂投手の悔しさをここにダブらせてもいい。あのケース、日本にいたときなら交代はなかっただろう。むしろ松坂のピッチングでよくみられたように後半のほうが調子にのってノリノリの完投をみせたかもしれない。いや、やめよう、いまもう日本球界も100球を越え7回を越えたら先発投手は交代させられるのだから。 でも、私は、黒田にも松坂にも投げさせたかったといまも思い続けている。これは「タラ・レバ」を越えた思いだ。 私は、もう20年以上も毎日、両リーグのペナントレースの記録ノートをつけているが、このところ「登板投手」の項目がすぐいっぱいいっぱいになり、20年以上続けてきた欄の幅を広げなくてはならなくなってきた。それだけ、いわゆる「中継ぎ役」の登場がどのチームでもめっきり増えてきたからだ。それほどどのチームも「中継ぎ役の投入」がひんぱんだ。見ている私にすれば、それはそれで、それまであまり見たこともない投手のピッチングを見ることができるので“ひとつの楽しみ”ではあるのだが、それにしてもそのことで肝心の勝負の行方がきまってしまったりすることが多いのでガッカリすることも多い。 JFKが話題の阪神でいえば、中継ぎ役も健投でこの限りではないが、最近、完投といえば、パ・リーグ、日本ハム・ダルビッシュ、西武・涌井、ロッテ・成瀬……。もっともっと「完投」を見たいと思っているのだが、いまの若い野球ファンは、どうなのだろう? 知っている人は知っているが、私、古くは別所毅彦、杉下茂(古いなぁ)らの完投ピッチングを見ている身。稲尾和久、杉浦忠といつもピッチングを語り合ってきた世代。「白球の視点」再開ということで一つの問題提起。
posted by 田村大五 |00:00 |
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