2005年11月01日
白球の視点 第179回
スポーツ紙のプロ野球担当記者として、千葉ロッテ・マリーンズの前身、毎日オリオンズ担当でスタートした身には、05年のロッテの日本シリーズ制覇にいささかならない感慨があった。MVPに選ばれた今江といい、タイガース打線を寄せつけなかった投手陣といい、あの屈託のない明るさは、どうだ。ビールをかけあってハシャぎまわる05年の若い選手たちをテレビ画面で見ながら、このチームの波乱万丈の歴史を思った。 そもそも第1回の日本シリーズの覇者が毎日オリオンズだった。第1戦の勝利投手がハワイ生まれの“ボゾ”こと若林忠志投手。戦前のタイガースのエースであり兼任監督のときもあった。タイガースといえば、2リーグ分立のとき、ホームラン王になった別当薫らタイガースの主力選手がごっそり新生・オリオンズに走って、それがタイガースへの同情論になり、“強いオリオンズ”への反発を招いたともいわれた。 タイガースとの因縁は、まだある。1936年、「ロッテ」となる前、「東京オリオンズ」を名乗っている頃、「世紀のトレード」といわれた4番打者・山内一弘とタイガースのエース・小山正明との交換トレード。野球への情熱をたぎらせながらも晩年、事業に失敗して挫折した悲運のオーナー・永田雄一がみずから大阪へ出向いて交渉したものだった。東京スタジアム建設からロッテへの身売り。球場内の会議室に全選手を集めて声涙くだる別れのあいさつには、同席してもらい泣きしたものだった。 金田正一監督になったとき、“仙台が本拠地”といいながら自前の球場がなく流浪の旅また旅。74年、やっと“日本一の座”をつかみとったら、そのときが「巨人・長嶋茂雄引退の日」で話題をそっちにとられてしまった。 川崎球場に腰を落ち着けてからも、いい試合をするのだが客が集まらず、記者席からよく「ヒトリ、フタリ……」と数えてみたものだった。落合博満の三冠王達成があったり、90年の村田兆治の引退の日は川崎駅から球場まで人、人、人であふれ、それだけで感動した。 92年、千葉に本拠地を移してからも、95年の1年だけでバレンタイン監督で2位になっただけ、あとは6位、5位、6位……。球団の赤字額が大きく宣伝され、昨年は「1リーグ制論議」の中で合併論がまことしやかに伝えられた。そこからの立ち上がり。そこに注目したい。 フロント陣の血の入れ替え、地域ファンとの濃厚な結びつきは、これまでの日本プロ球界には見たことがないユニークな色彩があった。「合併」まで取沙汰された球団が、ここまで生まれ変わった、その道程を、いまこそあらためて球界あげて見直し、参考にすべきではないか。聞けば、選手の総年俸は巨人の半分にも満たないという。それでいて、あの明るさ、攻守ともに攻撃性に満ちた溌剌さ。 パ・リーグは、ひとつの“光”を得た。
posted by 田村大五 |00:00 |
第161回~第180回 |
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