プロレス文藝

タケシマケンヂインタビュー【05】その男、暗中模索につき

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——バトラーツに入ってからは順調でしたか?
まったく……。

——まったくとは?
もともとレスリングもやっていたし、将来プロレスラーか総合格闘家になりたいという希望もあったんですよ。でも、高3の時に山本KID徳郁さんを見て、KIDさんは当時の僕と同じ体格でしたが、その突き抜けすぎた強さを見てしまって、これはやばい、強さってやばいなと。それから僕はある種の強さに対して諦めるところがあったんですよ。強さとは生もので、さらにキリがないと。あの試合を見て、自分の才能の限界が見えてしまった気がしました。 とはいえ、結局バトラーツに入って強さを目指すことになるんですけど。 吉川さんが一番怖かった。礼儀にもとても厳しくて。でも、今思えば一番ありがたい経験でした。 矢野さんと澤さんに格闘技的な練習からプロレスの練習、受け身の練習まで教わって、ゼロワン道場におじゃまして習って、リアルジャパン道場で石川雄規からひたすらガチガチにやられるという、1時間ぶっ通しでスパーリングをひたすらやるみたいな感じのサイクルでした。 それでも、自分の中で高3の時点で決定的な絶望を見たという意識は拭えませんでした。 練習生の期間は1年と4〜5か月くらいですけど、大学行きながら練習に通っていた時期もあるので、卒業から考えたら、デビューまでは9か月でした。

——デビュー戦はいかがでしたか。
何もできなかったというか、プロレスの受け身はできたかもしれないけど、まだプロレスはできていなかった。そういう感じですかね。 よその団体でいうと、デビューできる状態ではなかったかもしれません。 自分が培ってきたレスリングという下地と、プロレスの技術がうまくシンクロしなくて、自分自身が何をしていいかわからない……。 表現の部分がわかっていなくて、デビューして1年くらいはもう、苦悶の日々でした。

——具体的にはどのあたりがシンクロしなかったのでしょう?

例えば、レスリングでいうと、力を出す時は声出さないです。 声を出すとよけいやられるんで。 相手を殴るときだって声出したら相手にばれますし。 澤さんからは、組む瞬間わーっと声出せと言われたけれど、声を出すという癖がないすから。 プロレスって、単に勝てばいいというわけではないですよね。お客さんに伝わらないといけない。相手との間合いの取り方も重要ですし、技を出すだけでなくあえて受けることも必要です。そのために声を出すことは重要なんですが、それがうまくいかない。 さらに入ったのがバトラーツだったので格闘魂が燃え上がって、変なプライドも湧いていました。 レスリングの部分とプロレスの部分が僕の中で消化できていなかったんです。 とにかくプロレスがわからなかった。

——それは辛いですね。
ずっと辛かったです。 試合があると思うと、その前日は嫌で嫌でたまらなくて。 試合当日も、勝ちたいではなくて、自分の出番なくてもいい、ただ早く終わればいいと考えてました。 楽しくないですよね。 その頃は、試合終わるたびに矢野さんから「今日はここがダメだった」「ここができてなかった」って長文のメールをいただいていて、ありがたい反面辛かったです。 やる気がついていかない。 でも、頑固プロレスと地下プロレスはやりやすかった。 その2つのプロレスは無理強いしない。僕の素材を活かすような試合組んでくれて、レスリングスタイルでやっていいよ、自由にやっていいよ、という試合が多かったんです。

——どのあたりからプロレスと融合できたのでしょう?
わからないまま、それでもデビュー1年目で年間50〜60試合くらいさせて頂いて。 若いし経験積ませようと、みなさん僕を捨てずに使い続けてくれたってことを、ありがたく思いました。 2011年の2月のバトラーツで竜司ウォルターさんと組んで、澤さんと矢野さんと闘うタッグマッチがあったんです。 そこで僕、撲殺されるくらい殴られて潰されたんですけど、その時何かつかんだ。 なんか素が出た。本性というかなんか出た。 澤さんや矢野さんに殴られて殴り返している時に、すごい自分の何かが出たんですよ。 そこでわかったんです。今まで僕はリングで気持ちが出てなかったんですよ。 それこそ声を出さなければいけないのと同じことで、それまでは気持ちの出し方もわからないし、出す理由もわからなかった。 自分の中ではなんとなく出しているつもりだったんですけど、見ている人からしたら全然出てない、全然声出してない。 そういう中で、何かその試合でこうパーっと視界が開けました。 澤さんたちもボロボロにすることで、タケシマ頑張れという空気作ってくれて。 あの試合は忘れられません。



※写真は2011年2月27日バトラーツ北千住大会

——それ以降はあまり迷わなくなった?
そうですね、感情を出せるようになったのはでかかったです。 試合に気持ちが乗せられるようになった、そこからプロレスが苦痛だとは思わなくなりました。 地元でもなんでもないのに、名古屋でもタケシマ頑張れみたいな戦いやらせてもらって、スポルティーバエンターテイメントがオファーくれて、週の半分は名古屋で試合して土日は東京で試合。 これが結構いい経験で、まだ少しあったモヤモヤも、試合のやり方を模索しながら数打っていけたことで変わっていけました。 このときの縁でバトラーツ解散後にスポルティーバに移籍することになります。 僕はよくスピアー使ってますけども、本当はスピアーやりたいなんて思ってなかったんすよ。 「お前レスリングやってんだから、スピアーやれ」って言われたんですが、レスリングにはスピアーなんてないですから。なんとなく雰囲気でスピアーだろうなみたいな(笑) 本当は吊りパンも着たくなかったんですけど、これは逆にもはや愛着湧いてるんでいいです(笑)

——本当はどんなスタイルがよかったんですか?
本当は僕は昭和のレスラーみたいなショートタイプの黒でいきたかったんです。 でもそこまで正統派でもないんで。そしたら「君は田吾作スタイルが似合うよ」っていう人がいて、一時期田吾作やっていたんですけど、そのスタイルでやってることと、吊りパンでやってることと、スタイル的にはなんも変わらないなーって思ってた。 そしたらちょうどその頃、オリンピックで米満選手が金メダルとって、高校のときから同い年の有名なやつだったんで、その応援の意味も込めて吊りパンに戻したんです。

次回・最終回 『未来の想い出』に続く。
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タケシマケンヂ卒業興行 テクノブレイク ~さよならの向こう側~

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