2008年01月25日

サッカーは「偽」ではなく「粋」な演出を

世の中にうんざりするものは山ほどある。
一歩家を出れば、お母さんの暴走自転車にひかれそうになり、女の子の車両内メイクを見せつけられるとほとんど定年間際の気分になる。駅の改札をくぐればお父さんの歩き煙草で窒息しそうになって、ところかまわずしゃがみ込む男の子につまずけば、大事な足をポキっと折ってしまいそうだ。そんなことになったら走れなくなるしボールが蹴れなくなる。どうしてくれるんだ、日本社会!? と言うより、どうしちゃったんだ、と言った方が感覚的には正しいかもしれないが。

最近とりわけ取りざたされるものといえば、去年の漢字一文字。「偽」だろう。そもそもこの種のスキャンダル続出の発端は、乳製品の賞味期限切れ問題あたりだろうか。鉄筋の量を偽った建築偽装問題のインパクトも強烈だった。食肉偽装事件が明るみに出てから外食の頻度を減らしたのは、きっと僕だけではないだろう。
色んな業界の数々の「偽」が、「あぁ、もう限界……」とばかりに臨界点を超えたのが昨今の「偽装ブーム」であった、と、ひとまずまとめておこう。悪いことはできないものである。
最近では食品業界に加えて製紙業界までもが参入。日本にはびこる恥の露見はとどまることを知らない様子だ。

他人の問題を訳知り顔に批判するのは簡単だ。翻って自分のところはどうだろう? 情報を発信する側の「偽」はタチが悪い。実態を持たないものが不特定多数の不安を煽り、扇動する。これは今さら歴史の悲劇を持ち出すまでもない。
結局のところ、プライドの問題である。NHK職員によるインサイダー取引も然り。霊能師を起用した問題番組もまた然り。作り手としてメディアに携わる者が、本気で「いいもの」(視聴者・読者にとって有益な情報)を届けようと思うなら、やっていいこと、やっちゃまずいことの一線は、それぞれの仕事に対するプライドによって計るしかない。行き過ぎた演出によって視聴者や読者に媚を売ることばかりに執心するメディアなど、毒にはなっても薬にはならない。それはいずれ、必ず視聴者や読者の質を下げることになるから淘汰されて然るべきだろう。この論理はそっくりそのまま自分のところに返ってくる訳だが。

いつも『footballista』読者の皆さんからの声に接して感じることは、多くの方が「過剰な演出を快く思わない」ということだ。ともすれば制作サイドは「演出」に対して感覚麻痺になりやすい。
スポーツニュースで流される海外サッカーのダイジェストを見てみよう。すでに90分を通して見て感じた試合の印象が、「格下相手にボロボロのミラン、カカーの一発で辛勝」だったとする。だが、それがダイジェストではあたかも「ミラン、格下相手に順当勝ち」なのである。弱小クラブの名前も知れない選手がジダを攻め立てているシーンでは視聴率が取れないのはわかる。視聴者はカカーやメッシの超絶プレーを見たい。それもわかる。ただ、それが実際の試合を極端に歪めた形で伝えた場合、それは果たして「演出」だろうか?
そして自分は読者に対して、それと同じことをしていないだろうか? お世辞にも品行方正とは言えない僕だが、そんなことはしたくないし、これからもしないつもりです。

上に列挙した様々な業種と同じように、サッカーが大きなビジネスであることは間違いない。が、一つ違うところは、それが常にファンの「夢」の部分に関わるものである、ということだ。
「夢」を歪めてお金を稼ぐのは罪である。サッカーを伝える時、その演出は「偽」ではなく、あくまでも「粋」であるべきだろう。
その一線があやふやになった時には、もう商売替えするしかないでしょう。

posted by 『footballista』編集部・池田孝 |19:49 | トラックバック(0)
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