2007年04月26日
悲劇のチーム、グラナダCF
以前よく顔を出していた飲み屋の店長から、電話があった。 「今、グラナダに留学するってやつが来てんだよ。サッカーチームはないみたいなんだけど、他に何かアドバイスはあるかな?」 “グラナダ”。記憶の引き出しから情報を寄せ集めてみる。「えぇと、グラナダはいいところですよ。強くはないけど、たしか、クラブはあるはずです」 数年前、溜め込んだ小銭を財布に、スペインを放浪したことがある。 「リーガでも観るか」という目的の他、これといった計画もないままバルセロナに到着したのは夜だった。バルセロナでは、当時ようやく低迷期から抜け出しつつあったバルサ戦を2試合観た。旅行ガイドで得た情報では、バレンシアを楽しむのはサッカーを含めて3日で十分。バレンシアに入るのは金曜でいい。その前に、ちょっと遠回りだけどグラナダへ行ってみよう。 グラナダでは、アルバイシンの丘をてくてく登り、アルハンブラ宮殿を一日中見て回った。何もやることがなくなると、ガイドブックに載っていた日本人ガイドの事務所を訪ねた。その頃スペインはセマナ・サンタ(復活祭)のレジャーシーズン。片言のスペイン語では、バレンシアの次の目的地であるトレドの宿が予約できなかったのだ。 事務所には、口ひげをたたえた紳士と、一匹の猫。壁一面にはギターが吊るされている。20本くらいはあっただろうか。用件を伝えると、紳士はすかさず電話帳を開き、流暢なスペイン語で矢継ぎ早に電話をかける。その間、僕の肩の上には猫が乗っている。 「このペンシオンには日本人の選手が住んでいるそうだ。サッカー好きの日本人だと言ったら、うれしそうに『来い』と言ってたよ」 もののついでにグラナダにサッカーチームがあるのか、と尋ねてみると、なぜか紳士は大笑いする。 「あるよ。それも悲劇的なチームがね」 彼によると、かつてグラナダの地元クラブ、グラナダCFにはかなりの有望期があったそうだ。2部Aで戦っていたシーズンの最終節のロスタイム、このCKさえ耐えれば昇格決定という刺激的なシチュエーション。しかし、グラナダはドーハの悲劇級の失点を喫してしまう。 昇格を逃したショックはそれほど耐え難いものだったのだろうか。翌シーズンは低迷の末に降格。現在も2部B(実質3部)に甘んじているという悲劇のチームである。 あれから数年の後、断片的な記憶を頼りにグラナダCFの歴史を紐解くと、これがれっきとした古豪である。設立1931年。1部在籍17シーズン。歴史的なクラブの格付けでは、サラマンカ(27位)、アラベス(28位)、ビジャレアル(29位)より上の24位。1959年にはバルセロナとコパ・デルレイ決勝を戦い、準優勝に輝いている。どうやら“悲劇”が起こったのは、最終的に昇格ラインから3ポイント差の8位でフィニッシュした1983-84シーズンのことだったようだ(1位レアル・マドリーB、2位ビルバオBには昇格権がなかった)。 このような秀逸なエピソードに出会えるのも、そこにサッカーが根づいているからこそ。世界中をくまなく探したら、どれだけのサッカー談義を掘り起こせることだろうか。考えただけでも気が遠くなる。 さて、壁にかかっていたギターは、スペイン国内の才能あるクラフトマンの制作によるものだった。ガットギターとフラメンコギターを1本ずつ試奏したが、湿気のない気候のせいか、圧倒的な鳴り方をする。気に入ったガットギターの値段を聞くと、200ユーロ(当時のレートで約2万5000円)とのこと。あまりの驚きで買ってしまった。 去年の夏、久しぶりに手入れをしようとギターケースのカバーを開くと、スペインギターが壊れていた。日本の湿気にやられたのだろう。僕の保存の仕方もまずかった。そのうち直そうと思いながら、日々の生活に追われ、今もギターは壊れたままだ。 比べちゃまずいけれど、スペインからやって来た編集長は、緩やかなあちら時間と、せわしない東京時間の時差にも見事に順応してくれたようだ。山手線に揺られ、編集部に通う毎日は楽しいだけのものではないかもしれない。それでも、編集長の『footballista』 生活が、彼にとっても、編集部にとっても、それから読者の皆さんにとっても、価値のあるものになることを願っている。
posted by 編集部・池田孝 |01:02 |
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