2007年12月28日
目覚めの朝、軽く左足を動かしてみたが、やはりズキッと痛みが走る。歩けないほどではないものの、痛みは消えない。まぁ想定の範囲内と言ったところか。
まずは肉離れについて少し調べてみた。
どうやら3つの重傷度に大別されるらしい。
- 低度:筋肉組織に大きな損傷が無く、痛みこそ伴うが運動障害とはならない
- 中度:筋や腱などに損傷はないものの筋繊維に損傷が見られ、かなりの痛みを感じる。痛みを我慢して動くことは可能だが、無理をせずに休む方が良い。
- 重度:筋や腱が損傷してしまい、酷いときには剥離骨折が生じる場合もある。重度の肉離れに陥ったときは激痛を伴い、さらに動かす(動く)ことが出来ない状態になる。
自分の症状は中度と言えるだろう。では、その治療法とは?
- 中度や重度における肉離れ治療ではRICE処置が行われる。RICE処置とは、大きく分けて「安静」「氷冷」「圧迫」「高拳(心臓より高い位置に持っていき重力の力で止血する)」の4種類の行程がある。
- 中度の肉離れではRICE処置期間は1-2週間くらいが一般的。
つまり、患部に負担をかけず、よく冷やし、出血を抑えることが大切らしい。完治までに要する時間は個人差もあるだろうし、同じ中度でも怪我の重度にもよるだろうから、自分の体と相談しながら最短で復帰できるようにしたい。
痛めた筋肉はハムストリングスというらしい。確かに思い返してみれば、大腿四頭筋への意識は高かったが、ハムストリングスを鍛えようとはあまり考えたことがなかった。拮抗筋である大腿四頭筋との筋力比が大きいと肉離れが起きやすいらしい。完治したら重点的に鍛えようと思う。
肉離れになった翌々日、うずうずして練習に顔を出した。もちろん動けるわけではないが、ボールに触りたかったのと、ストレッチをしながら体を軽く動かした感じを確かめたかったからだ。
ストレッチをしていると、周りが「大丈夫!?」と驚きながら話しかけてきた。どうしてそう驚いているのか分からずキョトンとしていると、「太腿の裏!青アザがひどいよ!」。
自分でも全く気付いていなかったが、左太腿の、膝の裏に近い部分がかなり内出血していて巨大なアザとなっていた。さらに、その中心にはミミズのような一本の青線が浮かんでいた。
痛みを感じているのは同じ太腿の裏でも付け根の部分だったこともあり、これまで全く気付かなかった。それにしても、痛みを発している部分とは違う箇所に青アザができるとは…。
それを見たときから痛みが増したように感じる弱気な自分がいる。いつもは頭の中で大勢を占める楽観的思考は、随分と姿が見えなくなってしまっていた。
posted by athok |20:08 |
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2007年12月25日
ミックスの大会に参加した。ミックスとは男女混合を指し、女子の得点が倍になる特別ルール。つまり、女子の場合は通常のフィールドゴールが4点、3ポイントだと一気に6点が加点される。少なくとも何人かの女子がコートに立つことが条件であり、今回の試合ではその最低人数は一人だった。
初めてのミックスの試合だったが、結論から言えば、また違った感覚でバスケを楽しむことができた。普段、同じくらいの確率と思えば自らシュートに行くことが多いのだが(傍からみれば強引らしいが残念ながら本人はそこまでの自覚がない)、得点が倍となると話は別だ。チームとしてのリズムを保ちながらも、打ちやすいタイミングがあれば女子に積極的にシュートを打ってもらうことが重要。やはり4点、6点のインパクトは計り知れない。その代わり、女子に対しての手加減は一切なし。
ただ、試合数はなんと7試合。最初の3試合は7分x 4クォーターで、残り4試合が10分x 2ハーフだから、トータル164分…。
もちろん、フル出場するわけにはいかないので、皆と交代しながら出ることに。出場したのは半分ずつくらいだったと思う。フル出場しない分、全力で動いては休憩しての繰り返しで、体は温まった状態と冷えた状態とを繰り返し、そのたびに筋肉が硬直してくるのを感じた。
体は結構動いた。ここ一ヶ月あまり、バスケはよくやったし暇さえあればジムにも行って体作りに専念してきた。回数を増やすことでの再燃を恐れたかかとの痛みも、新しいバッシュが合うのだろうか、全く感じない。
何試合もこなすうち、足の筋肉に疲労感を覚え始めた一方で、呼吸はそれほど乱れていない。速攻は何回走っても楽しかった。
走りながら、昔を思い出した。そういえば、高校時代はこうやって速攻ばかりだった。走りこみとディフェンスの練習だけは相当こなしたあの頃。試合ではそれを爆発させることが何より楽しみだった。
このペースで行けば、いつか足がつってしまうだろうなという気もしたが、たまにはそこまで行き着くのもいいかなと思った。それくらい、全てを出し切りたかった。接触することによる怪我だけは避けようと思っていた一方で、つるくらいはどうってことない。
そして6試合目。ペネトレイトから踏み込んで高く飛ぼうとした瞬間、、、
「ブチッ」
左太腿の裏の何かが切れた。たぶん音は鳴っていないだろうが、そのブチッという振動は体中に響きわたった。
すぐに実感した。これを肉離れというんだな、と。確かに、ピンと張った糸が切れるかのようだった。
迂闊だったのかもしれない。これまで、足がつったことは何回もあるが、肉離れはない。自分の体のノウハウとして、肉離れという経験は皆無だった。
何とか歩けたが、とても走って飛べるものではなく、ここで耐久レースをリタイアすることに…。何回かイメージ通りに動けた自分がいただけに、もっとそれを楽しみたかった。
チームは最後まで勝ち抜き、見事優勝したことは何より嬉しかった。一方で、せっかくここまで仕上がってきた状態が怪我によりまたゼロに戻ってしまうかもと思うと、ぞっとする。
いつもなら何があっても睡眠欲には勝てないのに、疲れは最高潮なのに、不思議とあまり眠たくならない。朝起きたらちゃんと動けるのだろうか。足は動くのか。そう思うと、目を閉じるのが怖かった。
posted by athok |23:12 |
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2007年12月21日
2回目のフリークライミング。とは言っても、最初に行ったのが10月初旬だったので、2か月以上ぶりだ。
前回は一から全て教えてもらい、一番易しい課題からこなしていったので、今回は前回達成できたなかで一番難しい課題からチャレンジしてみた。当然達成できて更に難しいレベルに挑戦しようと思っていたのだが、なぜか最後まで登りきれない。
確かに、体の動きは忘れてしまったかもしれない。だが、前回も初めてだったわけだし、それで登れたのだから、さすがに2回目も登れるだろうと思っていた。というより、登れないかもしれないという思いは一切頭になく、それだけにショックだった。この数カ月の間に体が衰えてしまったのか?いや、そうとも思わない。
スポーツをやるにあたっては、イメージはとても大事だと思う。どう体を動かすかをイメージし、意識的に体にその動きを染み込ませることで、そのうち考えずとも体が覚えてその動きをするようになる。
よく考えてみれば、自分の頭のなかには具体的な登るイメージがなかった。体をこう動かそうという考えは一切なく、ただ単に登ることしか考えていなかった。体が動きを覚えているのならばそれでも何とかなるだろう。ただ、2回目とは言っても2か月以上間隔があいてしまったがために、体も動きを忘れていたようだ。
そういえば、前回は一連の動きを丁寧に教えてもらい、その動きを頭でイメージしながら登ったような気がする。そのイメージと、易しいレベルで登って培った微々たる経験をもとに、少し難しいレベルもクリアできたのかもしれない。
フリークライミングもなかなか奥が深そうだ。次回は、あまり間をあけずにまた挑戦しようと思う。
それにしても、毎度のことながら、肘から先の腕の部分の筋肉痛がひどい。登り慣れた人は、指の腱が発達して、そのうち腕っぷしをあまり使わずに登るようになるらしいのだが、いったいいつになればその日が来るんだろうか。。
posted by athok |17:29 |
ロッククライミング |
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2007年12月10日
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慣性の法則:
静止している質点は、力を加えられない限り、静止を続ける。運動している質点は、力を加えられない限り、等速直線運動を続ける。
(by Wikipedia)
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本来は物質の法則を表した言葉だが、似たようなことを最近感じる。
少し前までは、しばらくバスケットをやっていなくても、ある程度集中的に練習すれば取り戻せる自分がいた。少なくとも、取り戻せる自信があった。2~3回、1週間で練習すれば、自分の動きは格段によくなった。
ところが最近はそうもいかない。1週間で2~3回やっても、高く飛んでいる気がしないし、ドリブルはしっくりこない。1対1で抜けない。息も切れる。
いくつか重なった(と言っても大したことではない)ケガをしている間、バスケットを控えたし、良くなってからもあまり無理しないようにしていた。当然パフォーマンスは落ちたが、意識的にセーブしていたので特に問題視していなかった。
その後、そろそろ本格的にやろうと思ったのだが、全く回復基調にない。むしろ、集中的にやったにも関わらずセーブしていたときとパフォーマンスがあまり変わらないため、精神的ダメージを負っている。
人間は慣れるのが得意な動物だと思う。逆に言えば、慣れがあるからこそ、ここまでの文明社会を築き上げたのではないだろうか。例えば電話一つとってみても、固定電話ができたときには、何て便利なものだと思ったことだろう。遠く離れている人とでも、直接話せる手段ができたのだ。では、ずっと便利だと思っていたとしたら、果たして携帯電話が生まれたのかは疑問だ。固定電話に慣れたからこそ、それが当たり前になったからこそ、もっと良いもの、もっと便利なもの、という意識が働いたのだと思う。
意識というものは、体にも大きな影響を与えると思う。意識的にセーブしていたことが体にとっては当たり前のことになっていたりしないだろうか?意識的にパフォーマンスを落とすことにより、肉体的にはそのパフォーマンスが普通となり、逆にそれ以上のことをやるときになかなか反応しなかったりするのではないだろうか。
試合など、問答無用に全力でやる意識が働く機会が限られているのならば、練習においても意識的に限界、もしくは限界と思っているところを超えるまでやる覚悟が必要だと思う。
慣性を打ち破れ。
posted by athok |17:44 |
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2007年12月06日
10月最後の日曜日、8月に続いて宮崎・恋ヶ浦を目指した。
雲一つない夜空だったが満月のため、前回のような満天の星空を見ることはできなかった。でも、月がこれほど明るい感じたことはなかった。友達が持つカメラのシャッターを3秒ほど開きっぱなしにしただけで、満月の光を吸収して映し出された写真は、真っ昼間に撮られた写真に変貌していた。
真夏でさえ恋ヶ浦は人が少なかったことだし、今回はもっと人が少ないだろうと思っていたが、夜明け前に着いたときには随分と車が並んでいてビックリ。台風通過後で波はかなり高かったが、それは宮崎全体に言えることで恋ヶ浦に限った話ではない。聞いてみたところ、なんとその日は大会があるとのこと。大会開始は6時半。その前に海に入る時間もほとんどない。なんという悪運。。
かなり落胆したけども、波が高かったので、近くの別のポイントをチェックしてみることに。恋ヶ浦から宮崎方面に少し戻ったところに、約2kmにわたる長いビーチがあり、そこで入ることにした。入っているのは4~5人。肩~頭サイズ、波を選べば横にも滑れる感じ。
よっしゃ、ここで入ろう。
入ってみると波はかなりパワフルで、ゲットアウトするだけで、幾度となくドルフィンスルーを繰り返した後に既に腕はパンパンに。それでも、人がほとんどいないところでこれだけのサイズの波に乗れるのはやっぱり楽しい。そのうち今度は足がパンパンに。。
今回、一つ失敗したことがある。友達にスプリング(二の腕から太腿までのサイズ)のウェットスーツを貸したので、まぁ海パンじゃあ寒いだろうと思い3mmのフルスーツ(手首から足首までのサイズ)で臨んだんだけども、暑くて仕方がない。気温はぐんぐん上昇し、たぶん25℃は超えていたんじゃないかな。
というわけで、フルスーツの上半身を脱いでみたはいいが、やはりそれだと動きづらい。一方で友達は浜辺でスプリング着たまま爆睡中。周りを見渡せば、さっきまでいた数人のサーファーももう引き揚げたよう。ちなみにこのビーチは、崖沿いの道から垂直方向に伸びており、道から1kmほど歩いたところで波乗りしていたので、道から自分たちは米粒ほどにしか見えない(と勝手に判断)。
ふと、頭に浮かんだ。全部脱いじゃってもいいんじゃない?
どうせ誰もいないことだし、ならば格好を気にする必要もないし。海水は暖かいし、何の問題もなし!
ということで、素っ裸サーフィンが始まった。波待ちのとき、海パンではなくお尻で座るために板が滑りそうになる感覚も、裸で波乗りした人じゃなければわからないだろうなぁ。
気分はまさに爽快そのもの!普段サーフィンするときも、一人でボーっとする瞑想状態を心地よく感じるけれども、誰もいない海で、生まれてきたままの姿でそれをやるとまた数段階増すらしい。もちろん、たまには誰かが来る気配ないかはチェックしたけども。でもビーチを1kmも歩く人もなかなかいないっしょ…。
そんなわけで、My Favorite恋ヶ浦では波乗りできなかったけども、生涯一度しかないような経験ができたわけで、またまた大満足して宮崎を発ったわけです。宮崎とは相性いいかも。
次回狙うは初日の出サーフィンin恋ヶ浦。どんなことが待っているのか、今から待ち遠しくてたまらない。
P.S.
それにしても途中の道の駅にあるチキン南蛮定食は激ウマ!!ミシュラン殿、一度行ってみてはいかが?
(Photograph by M.N.)
posted by athok |13:57 |
サーフィン |
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