2007年12月06日
10月最後の日曜日、8月に続いて宮崎・恋ヶ浦を目指した。
雲一つない夜空だったが満月のため、前回のような満天の星空を見ることはできなかった。でも、月がこれほど明るい感じたことはなかった。友達が持つカメラのシャッターを3秒ほど開きっぱなしにしただけで、満月の光を吸収して映し出された写真は、真っ昼間に撮られた写真に変貌していた。
真夏でさえ恋ヶ浦は人が少なかったことだし、今回はもっと人が少ないだろうと思っていたが、夜明け前に着いたときには随分と車が並んでいてビックリ。台風通過後で波はかなり高かったが、それは宮崎全体に言えることで恋ヶ浦に限った話ではない。聞いてみたところ、なんとその日は大会があるとのこと。大会開始は6時半。その前に海に入る時間もほとんどない。なんという悪運。。
かなり落胆したけども、波が高かったので、近くの別のポイントをチェックしてみることに。恋ヶ浦から宮崎方面に少し戻ったところに、約2kmにわたる長いビーチがあり、そこで入ることにした。入っているのは4~5人。肩~頭サイズ、波を選べば横にも滑れる感じ。
よっしゃ、ここで入ろう。
入ってみると波はかなりパワフルで、ゲットアウトするだけで、幾度となくドルフィンスルーを繰り返した後に既に腕はパンパンに。それでも、人がほとんどいないところでこれだけのサイズの波に乗れるのはやっぱり楽しい。そのうち今度は足がパンパンに。。
今回、一つ失敗したことがある。友達にスプリング(二の腕から太腿までのサイズ)のウェットスーツを貸したので、まぁ海パンじゃあ寒いだろうと思い3mmのフルスーツ(手首から足首までのサイズ)で臨んだんだけども、暑くて仕方がない。気温はぐんぐん上昇し、たぶん25℃は超えていたんじゃないかな。
というわけで、フルスーツの上半身を脱いでみたはいいが、やはりそれだと動きづらい。一方で友達は浜辺でスプリング着たまま爆睡中。周りを見渡せば、さっきまでいた数人のサーファーももう引き揚げたよう。ちなみにこのビーチは、崖沿いの道から垂直方向に伸びており、道から1kmほど歩いたところで波乗りしていたので、道から自分たちは米粒ほどにしか見えない(と勝手に判断)。
ふと、頭に浮かんだ。全部脱いじゃってもいいんじゃない?
どうせ誰もいないことだし、ならば格好を気にする必要もないし。海水は暖かいし、何の問題もなし!
ということで、素っ裸サーフィンが始まった。波待ちのとき、海パンではなくお尻で座るために板が滑りそうになる感覚も、裸で波乗りした人じゃなければわからないだろうなぁ。
気分はまさに爽快そのもの!普段サーフィンするときも、一人でボーっとする瞑想状態を心地よく感じるけれども、誰もいない海で、生まれてきたままの姿でそれをやるとまた数段階増すらしい。もちろん、たまには誰かが来る気配ないかはチェックしたけども。でもビーチを1kmも歩く人もなかなかいないっしょ…。
そんなわけで、My Favorite恋ヶ浦では波乗りできなかったけども、生涯一度しかないような経験ができたわけで、またまた大満足して宮崎を発ったわけです。宮崎とは相性いいかも。
次回狙うは初日の出サーフィンin恋ヶ浦。どんなことが待っているのか、今から待ち遠しくてたまらない。
P.S.
それにしても途中の道の駅にあるチキン南蛮定食は激ウマ!!ミシュラン殿、一度行ってみてはいかが?
(Photograph by M.N.)
posted by athok |13:57 |
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2007年10月03日
今更ながら「不都合な真実」を見た。ご存知の通り、主演はアル・ゴア元米国副大統領、地球温暖化をテーマとした長編ドキュメンタリー映画である。
詳細は省略するけども、まだ見ていない人は是非見て欲しい。間違いなく今、地球は悲鳴を上げている。
温暖化により北極・南極などの氷が融け、海面が上昇すれば、海岸の景色も一変するに違いない。今、日本中、地球上さまざまなポイントで素敵な波がブレイクしているのに、その波模様も一変することだろう。もちろん、新たなポイントで波が立つかもしれないが、そんな波に乗るのは若干の抵抗感と、大きな虚しさを感じることになると思う。
技術革新が進む文明社会において、生きてくうえではバランスが必要だと思う。地球温暖化の原因となっているCO2を減らしたければ、極論を言えば人間活動をやめれば、つまり人間がいなくなれば一番効果が見込めるだろう。でも目指すべきなのはそうではなく、やはり地球での共存だと思う。
今の生活の便利さがなくなったら誰もが嫌だと思う。ほとんどの人は、自給自足の生活に後戻りしようという気持ちはないだろう。排気ガスを出す車に乗れないならば、大好きなサーフィンにも自由に行けなくなる。それは私も避けたい。
けれども、現代の人間活動が地球温暖化につながっていることが明らかであるならば、無視するばかりではいけない。できることはやるべきだと思う。小さいことでもいい。ゴミの分別をきちんと行い、リサイクルを心がけることから始めてもいい。金額が若干高くても、省エネ製品を率先して買うことでもいい。電気をこまめに消したり、水の無駄遣いをやめたりすることでもいいと思う。
一人がやっても何も変わらない、と思う人もいるだろう。けれども、現在の世界はもとはと言えば、これまでの一人ひとりがもたらしてきた結果だ。一人ひとりがやってきたことに対して、一人ひとりが対応していくことで、必ず状況は改善されていく。地球を劇的に変えてきた人間だからこそ、いい意味でこれからの地球を劇的に変えることもできるはずだ。
まずは意識することから始めよう。目の前にいる子供が泣いているとき、お金がないからお菓子すら買ってあげられないと思うのではなく、まずは抱きしめてあげよう。まずは行動してみよう。
月探査機「かぐや」から撮られた地球は、今もとてもきれいだった。
何十年後であっても、今と変わらない場所でサーフィンしていたい。
posted by athok |10:51 |
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2007年08月20日
サーフトリップで得るものは、波のみならず。
特に今回は、心を大きく揺さぶり、刺激する旅となった。
宮崎には何度かサーフィンで訪れたことがあるが、今回目指すのは行ったことのない宮崎最南端ポイント、恋ヶ浦だ。福岡からの、車での長旅となる。
夜10時に出発して熊本・高千穂の涼しい風を駆け抜けてしばらく走ると、南国リゾート模様と潮の香りがただよう宮崎市に辿り着く。恋ヶ浦はここからさらに車で約2時間南下する、宮崎南端の都井岬の手前に位置する。
鹿児島県につながる国道から都井岬を目指す道に入るあたりから景色はさらに一変した。周囲に人の気配がなく、あるのは亜熱帯系の木々も含まれる森林と、道沿いの崖から見える海のみとなった。ときどき道端にはタヌキやら猿やらが顔を出し、辺りが真っ暗であることからも車のスピードは落とさざるを得ない。
この時点で時刻は夜中の4時。休憩がてら、ちょっと車を止めてみることにした。
空を見上げると、!!! そこには文字通り満天の星空が広がっているではないか。プラネタリウムにたまに行く私は、室内で描かれている架空の星空は誇張されて多めに作られているものだとばかり勝手に思っていたが、それは大きな誤解だったことに気付いた。
星の数は無数だとよく言われるが、確かに正しい。見渡す限りに広がる星空から、空には一つの雲もないことがわかる。
他に車が走る気配がないアスファルトに寝転がってみる。流れ星が、一つ、また一つ。はて、はるか遠いところにあるはず流れ星の光が、なぜあれほどの速さではかなくも消えてしまうのだろうか。そんな素朴な疑問も東京では浮かぶことはないだろう。
携帯電話の液晶画面の光ですら消えてしまう多くの星を眺めていると、見えないところにも確かに存在する大事なものがあることを実感させられる。
あなたは満点の星空を見たことはありますか?
東京で数えるほどしか星が見えない理由が圧倒的な人工の光によるものだとしたら、年に一日だけでもみんなですべての光を消し、いつもとは違う夜空を一緒に眺めてみる、そんなことを提案するのも粋だと思う。
いつまでもそこに居座りたいという衝動にかられながらも、一時間強で必ずや太陽が昇ってくることを知っている私たちは、朝日という新たな感動をもとめるために先に進むこととした。
しばらく進むと波の音とともに数軒の民宿が目に入り、恋ヶ浦に到着したことを教えてくれる。暗くてまだ波の高さもわからないが、波の音を聞いていると胸がだんだん小刻みに鼓動してくるのを感じる。まだ日の出には時間があったため、その先の都井岬まで足をのばすことにした。野生の馬があちこちにいる岬へ到着すると、東の空はずいぶんと明るくなり、徐々に星空が消えていくのがわかる。
そして、周囲の空を赤く染めていきながら、ゆっくりと、しかし着実に昇ってくる太陽。まさに、この地球の聖なる母という言葉がふさわしい。彼女は誰も歯向かうことはできない絶対的な存在であることは、全ての姿を一変させるその影響力からもみてとれる。
しばしその偉大な姿に見とれてしまったため、恋ヶ浦にもどったときには既に10人くらいのサーファーが海のなかに入っていた。波の高さは胸ときどき肩、といったところ。
うん、悪くない。
ウォーミングアップもそこそこに、海へ駆け足で飛び込む。水はずいぶんと温かい。ボトムは沖に向かって右側に行くほど砂から岩に変わるようで、そのせいか右側のポイントのほうが波質もいい。波は、そのサイズからは想像つかないくらいのパワフルさだ。まるで、自分たちを歓迎してくれているかのように、テイクオフもスムーズにさせてくれる。
なにより、ここでは波の取り合いをすることもない。ほどよい人数で、一本乗り終えて定位置に戻ってくると、また自分の順番が来たかのようにうねりが入ってくる。周囲を見渡しても、どこかみんな穏かな表情をうかべている。きっと、同じような気持ちなのだろう。
日の出直後には気付かなかったことだが、波待ちしているときに水の中を見つめると海底に黒い影があることに気付いた。なにかと思えば、自分の影である。2~2.5mほどあるであろう水深でも、光はそれほど屈折することなく、吸収されることなく海底に私の姿を映し出していた。
日本でもこんな場所でサーフィンができるんだ。そう思うと、まだまだ日本も美しいところがたくさんあると思う一方で、これ以上このような場所を失ってはいけないと心に留める。
今回の旅は全てが想像以上だったが、唯一の心残りは自分のショートボードを東京から持ってくることができずに、友人のファンボードでしかこの波を体験できなかったこと。自分の板だったらこの波をどう感じるのだろうか、改めてここを訪れる必要がある理由ができたなぁと、心の中で密かに思う。
宮崎では、時間に追われることなく、自分の流れで生活している人がいた。
バーベキューやるからと言って海水を汲み上げ蒸発させて塩から作り出す人。川沿いに手作りの小屋を作って夏でも涼しそうにハンモックで音楽を流しながらウトウトしている人。彼らの目は、恋ヶ浦の海のように透き通って輝いていた。
(photograph by M.N.)
posted by athok |23:53 |
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2006年09月03日
目の前には、水平線まで果てしなく続く海が広がっている。
水平線まで、一体どれくらいあるのだろう。
そんな疑問を頭に浮かべつつ、しばらく目を閉じてみる。呼吸を整える。ゆっくり、深呼吸を一つ。そして、頭のなかで、イメージしてみる。
遥か遠くで起きる風。その風が海を揺らし、徐々に形を整えながら、この海岸まで辿り着くのだ。形整ったその波たちは規則正しい。そう、まるで地球の鼓動のように。
一見、呼吸は規則的、全てが同じかのようにも思われるが、そうではない。ある一定周期のなかで4~5回、その呼吸は大きさを増す。
目を開ける。もう一度、深呼吸を一つ。意識の全ては、この波、この地球と一体化することにのみ集中させる。目の前に来る一つのうねりが、いつの間にか水平線を見えなくしてしまっている。
上体を倒し、今度は全身をサーフボードと一体化させる。肩を回し、パドリングを始める。一度、ちらっと後ろを振り返る。うねりはさらに大きさを増している。波は、自身がブレイクする直前、前面部分に斜面を作り出す。そう、波と一体化できるポイントはそこにある。まだ形となっていないその部分がどこでできるかを頭でイメージしつつ、その動く斜面のスピードに合わせるよう、手のひらで水をしっかりと捉えパドリングを加速させる。
パドリングで加速したスピードは、波の斜面も手伝ってさらに勢いを増す。最後に、上半身を板に押し付け、板の角度を斜面に合わせる。自分が波と同じスピードになり、斜面を降りていくのを感じる。そう、このとき、波と一体化するのだ。
板に立つ。最初にブレイクした部分から、あるときは左に、またあるときは右に、波がどんどん続いて出来上がってくるのがわかる。あとは波との共演だ。波の斜面が出来てくるのにワクワクしながら、その斜面とひとときの至福のときを過ごすのだ。
Welcome to the earth & wave!!
posted by athok |23:06 |
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