2008年06月05日
ある試合中、ドリブルする相手に対してディフェンスしている自分。膝の具合が不安で、外からシュートを打たれるのを覚悟で距離を置いてディフェンスする。
それでも相手プレイヤーはドリブルを仕掛けてくる。あっさりと抜かれ、且つ転んで尻もちをついている自分がそこにいた…。
ハッと目が覚める。
嫌な夢だった。
手に取るように日々の回復がわかるのは嬉しかった。一歩一歩前に進んでいるのを実感できた。
手術の翌日には点滴と尿管が外れ、車いすに乗ることができた。二日後、溜まった血を流しだすパイプも外れた。足首も曲げることができるし、膝を固めたままなら右足を持ちあげることもできる。
三日後には松葉杖を使って歩きはじめた。右足を動かすたび、まだ抜糸していないため皮膚が引っ張られチクチクしたが、足の裏が床に接触する感触が新鮮だった。
まだまだ腫れているため常にアイシングが必要だし、膝もほとんど曲がらないけれども、リハビリは早速始まった。膝の曲げ伸ばしをゆっくりゆっくり行うとともに、腿の筋肉を復活させる必要がある。
たった数日間全く使わなかっただけで足から筋肉は消えてしまい、随分と細くなっていた。力を入れても筋肉が隆起してこない。太くするのに相当な月日が必要だろうに、細くなるのは悲しいほどにあっけない。
この筋肉が元に戻り、いやそれ以上に鍛えられたとしたら、あんな夢など見なくなるだろうか。
気持ちだけではどうにもならないことがある。目標に達するためには、それなりの覚悟をもって準備しなければならないことを改めて思い知る。
リハビリ後の自分、激しく動き回る自分を思い描きながらトレーニングしようと思う。
今度は絶対抜かせない。たとえ夢の中でも。
posted by athok |00:15 |
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2008年05月19日
NBAを生放送で観たのはいつ以来だろう。
ボストンで迎えた、ホームのセルティックスとキャバリアーズ(キャブス)の第7戦。そう、勝ったほうがプレイオフに勝ち残る。
しばらくNBAをじっくり観ることはなかったけれども、今年は例年になく面白い。スタープレイヤーが各チームに存在し、且つどのチームの戦力も拮抗している。どこが勝つか全く予想がつかない。勝負は紙一重のところで決まる。そして、その緊張感はテレビ画面を通しても伝わってくる。
ましてや第7戦ともなれば極限状態にまで達している。スターティングメンバーのアナウンスだけでも鳥肌が立つ。
開始直後から、激しいディフェンスを見せる両チーム。魂のぶつかり合い、激しい肉弾戦、これでこそプレイオフ。これを見たかったんだ。気持ちを惜しむことなく前面に押し出す、絶対止めてやろうという思いを。
結果的には、キャブスのレブロン・ジェームスが45得点、セルティックスのポール・ピアースが41得点と点の取り合いを演じ、セルティックスが序盤からのリードを守りとおしたまま終了した。
レブロンは1on1に無類の強さを発揮し、味方がスクリーンをかけるピックアンドロールを活用しながら持ち前のパワフルさで鋭いカットインを見せた。序盤こそミスが多かったものの、それ以降は、セルティックス ディフェンス陣からすれば、カットインすれば2、3人で囲んでもファールで止めるしかなく、外からのシュートは外れるのを祈るばかり。たまに他の選手も点を決めるが、それもレブロンのアシスト、もしくはレブロンから始まるプレイの流れから生まれた点がほとんどだった。
事実、少ない時間ながらもレブロンが休んでいたときには、キャバリアーズは攻め手を欠いていた。
バスケットにおいて、ディフェンスのときに手を抜くことは許されない。コート上で休むとするならば、オフェンスのときに味方に任せっきりにして休むしか方法はない。
そういう意味でレブロンに休む時間はなかった。レブロンがボールを触らなければ、キャブスのオフェンスが成り立たないからだ。激しいディフェンスを相手に最後まで挑み続けた彼の体力は計り知れないものがあると思う。
レブロンはチームメイトの全てを支えた存在だった。
一方のポール・ピアース。それほど瞬発力は感じさせないが、相手を一瞬かわすタイミングの取り方は際立っており、ことごとくネットに沈めた3ポイント、1on1からのミドルシュートは極限の域に達していたと思う。
レブロンとピアース、それぞれ同じくらいの得点だが、そこには大きな違いがある。レブロンはときには2人、3人が囲い込むなかの45得点。一方でピアースは1on1からの41得点。
キャブスはピアースに積極的にダブルチームを仕掛けることはしなかった。いや、できなかった。なぜなら、セルティックスはピアースだけのチームではないからだ。特に、要所でケビン・ガーネットが得点を決めていたことは、13得点という数字以上の存在感をキャブスに埋め込ませていたに違いない。
キャブスはもっと強くなる。レブロンには長い将来がある。
試合が終わった後、両チームの選手同士が健闘を称えあうなか、レブロンは一人すぐさまロッカールームへと下がっていった。
試合中も熱いハートを持ちつつ冷静沈着な男が、感情をむき出しにしたのは今シーズン最初で最後だったのかもしれない。
posted by athok |23:39 |
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2008年05月13日
自身のバスケ競技人生において、この2ヶ月間は時が止まっていた。
走れるようになっても、ジャンプできるようになっても、動きを制限せざるを得ない自分がいた。
4月下旬、時は再び刻みはじめた。動かない、腫れあがった右膝とともに。
手術前日、全身麻酔か下半身麻酔を選択できると言われ、下半身麻酔を選んだ。全身麻酔は寝ているだけだから楽だろうが、せっかくだから自分の体に何が起きているのかを少しでも感じ取りたかった。さすがに、手術しながら内視鏡のモニターを見ることも、手術している膝を見ることも出来なかったけれども。
手術当日、冷たく厚い、シルバーに光る手術室の扉を開けて歩いて入場する。流れ作業のように、足の洗浄から担架に乗せられて実際のオペ室に移動するまでが、テキパキと進む。
そこに麻酔科医登場。丸めた背中に麻酔用の痛み止め注射を打ったあと、太い針が差し込まれる。脊髄に何か熱いものが注入されるのを感じる。
しばらくして、その熱さは下半身へと広がり、熱さのあとにはしびれが広がってくる。正座を長時間したあとの感覚に似ている。足に氷をあて、冷たさが感じなくなることを確認するとともに、下半身がみえないように胸のあたりにカーテンが設置され、手術は始まった。
手術中は音楽プレイヤーを聞くこともできるというので持参していたが、やっぱり聞くのはやめた。ここまで来たら、とことん付き合ってやろう。
麻酔のせいか、眠気のせいか、若干薄まる意識の中で、骨に穴を空けているであろう、電動ドリルのような音や、とんかちのように骨をたたく音が耳に入る。どちらも足に全く感覚はないが、腰辺りで骨に響く感触を覚える。
手術は2時間くらいだったと思う。全く下半身が動かないことに一種のもどかしさを感じる頃にカーテンは外された。手術した足はともかく、早く真っすぐに伸ばしたいと思っていた左足は、すでに真っすぐに伸びていた。自分の感覚と実際の体とのベクトルが合っていない。
病室に戻ったが、どんなに叩いても、どんなにひねっても他人の足を触っている感覚は変わらない。動かしたいのに動かせない葛藤に苦しみながらも、それでも徐々に、左膝が動き、そして両足指、両足首が動かせるようになった。
痛み止めと共に点滴は管を通して腕から体内に入っている。動かないように固定している右膝には、溜まった血が外に流れるようにパイプがつながれている。垂れ流しにならないよう、尿管もつながっている。
けれども、気分は悪くない。
自分に言い聞かせる。やっとスタート地点。これからだ。
posted by athok |21:19 |
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2008年03月12日
手術は4月末、ゴールデンウィーク前に行うことにした。
手術ができる状態になってから1ヶ月半以上時間を空けるということは、復帰がその分だけ遅れることを意味する。けれども、取り巻く事情を考えればこれが最善策だと思う。所詮は、自己管理の問題から発生したのだから。
右膝は驚くくらい順調に回復している。腫れもひいたし、軽くジョギングができる程度にまでなった。昨日できなかったことが今日出来たりする。本当に靭帯が切れているのかと、時々思う。
改めて、怪我したときの状況を整理してみた。
なぜ怪我してしまったのか。人との接触があったわけではない。相手のドリブルを防ごうと、右から左にステップを切り替えようとしただけだ。そのような動きはきっとこれまで何万回も、全力でしてきた。変な動きがあったとも思えない。
全力でのディフェンスをやめて手を抜くならば、以下のどちらか1つを選択するしかない。
- 密着マークしてシュートを打たれるのを防ぐ代わりに、ドリブルで抜かれることを覚悟する。
- 少し距離を置いてディフェンスすることで抜かれることを防ぐ代わりに、シュートを打たれることを覚悟する。
つまり、シュートも打てるしドリブルも出来るプレイヤーに対しては手を抜いたディフェンスは通用しない。もちろん、最初から味方にカバーされることを前提としたディフェンスなどしたくない。
また本気でバスケットと向き合うためには、怪我してしまったディフェンスを今後も続ける必要がある。今回の怪我は、いくつもの偶然が重なって起きた、ほとんど有り得ない話なのだろうか?
いや、違う。今回で2度目だ。前十字靭帯ではなかったが、左膝の内側側副靱帯を伸ばしたときも、相手との接触はなかった。ドリブルしている相手についてディフェンスしていただけだ。つまり、同じような状況で、同じような怪我が2回起きたことになる。
これからも自分は、同じリスクを背負いながらバスケを続けていかなければならない。怪我をしやすい膝の構造になっている、もしくは怪我しないほどの筋肉がついていない、という考えでしか自分自身を納得できない。
だとしたら、人並み以上にケアするしかない。まず何よりも膝周りの筋肉を十分つける必要がある。プレイスタイルの幅を広げることも必要だろう。膝を中心としたウォームアップを重点的に行い、そして、筋肉がつかないうちは両膝にサポーターを付ける必要もあるだろう。
もう言い訳は効かない。偶然では済まされない。
出来る限りのことはする、もう一度立ち上がるために。
posted by athok |23:48 |
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2008年02月26日
ドゥンドゥンドゥンドゥン・・・
不気味な重低音を発するMRI室、それに合わせるかのように自分の鼓動も速度を増してくる。20分ほど身動きしない状態の後、MRIは終了し診断室へと向かう。
まずはMRIの前に撮ったレントゲンのチェック。幸いにも骨には異常は見られないようだ。
次にMRIの画像。医師による解説が始まる。
「ここに黒く映し出された一本の太い線があるでしょう。これが後十字靭帯です。きれいにハッキリと見えるね。一方、こちらの画像を見てください。これが前十字靭帯ですが、黒い部分から始まっている一本の線が途中で見えなくなっているのがわかると思います。つまり、断裂しています。」
覚悟はしていた。
でも、ひょっとしたら、と期待する自分も、確かにいた。
この画像を見る限りでは靱帯はつながっていない。受け入れなければならない現実がそこにはあった。
医師「またこれまで通りバスケットを続けるためには手術が必要だけれども、手術を行うのは腫れがひいてからになります。少なくとも2週間は待つ必要があるね。それから手術するかの決断をしてもらって構いません。」
参考までに聞いてみた。
「サーフィンもするんですが、手術しないままだとサーフィンにも支障ありますか?」
医師「バスケットは床の上で行う衝撃の多いスポーツであり、それに比べれば海で受ける衝撃は小さい。また接触も少ないため、サーフィンだけを行う分には今のままでも大丈夫でしょう。」
続けてこうも言われた。
「これからはサーフィンに専念する、という選択肢もあるね。」
2週間後に改めて診察することとし、テーピングを巻き替えてもらってから病院を出た。
心は決まっていた。結果的にバスケットをやれない状況になったならば仕方ないものの、自らバスケットを出来なくする選択肢は取れない。やりたいときに、やれる環境があるのに、大好きなことができないのは我慢できない。手術することによる代償は少なからずあるだろうが、バスケットができないことに比べたら天地の差に感じる。
バスケ仲間に会った。やはり断裂していたことを告げたら、彼等はこう言った。
「復帰まで半年か。リハビリのときは温泉通うと回復早いよ、たぶん。」
「手術は出来るだけ早くやっちゃいなよ。」
思わず笑ってしまった。彼等の中には、手術しないという選択肢すらない。
こんな仲間とまたバスケットをやることが、自分にとっての最大のモチベーションとなる。
29歳、手術を決意。自分らしくあるために。
posted by athok |01:45 |
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