2008年09月04日

回憶 北京五輪(9)やはり感じた“市民不在の五輪”

北京五輪の期間中、北京市内は大いに盛り上がった。だが、間違いなく今回の五輪は「市民不在」の大会だった。大会○○日前といったカウントダウンやマスコット、公式ソングの発表など、ここ2年あまりの間に様々なイベントが行われたが、いずれも出席者は「同じ人ばかり」。そしてその周囲をものものしい武装警官が取り囲み、その様子を少しでも目にしようと、押しかける市民がいる。だが、彼らには「意地悪なくらい」に中の様子を見せようとせず、高くて厚い衝立が置かれる・・・そんな風景を何度も目にした。

その「市民不在」ぶりが、より顕著に現れたのが、五輪開幕直前、北京市内で行われた聖火リレーだった。

8月6日、北京市内は中国国旗と五輪のミニ旗の大群に埋まり、「ジアヨウ(がんばれ)中国!」の太い歓声に包まれた。

3月31日に北京入りしたあと、世界19カ国を回り、5月初めからは全国100都市以上を巡った北京五輪の聖火は6日、北京でのリレーを行った。沿道には数多くの市民がつめかけ、大歓声でランナー400人あまりを迎えた。

この風景、一見すれば五輪を前にした市民の盛り上がりは最高潮、のようにも見えた。だが現場で見ている私には、相変わらずの「市民不在の五輪」という側面が垣間見えた聖火リレーとなった。まずは、その様子を簡単に振り返ってみたい。

聖火は北京の中心にある故宮(紫禁城)を朝8時にスタート。ぽつぽつと小雨が降る中、すでに朝5時から1000人以上の市民がつめかけ、ミニ「五星紅旗」を振りながら、スタートを待っていた。市内の大学生、趙君は昨夜11時に一番乗りしたのだとか。「昨日は眠れなかった」と興奮気味に語る。「他の都市での盛り上がりをテレビで見て、北京もぜひ盛り上げたいと思った」というのが参加の動機だそうだ。

そして7時ごろから、市民たちが掛け声の練習を始めた。「加油(がんばれ)、中国」、「中国万歳」などをリーダーを中心に練習し、それが徐々にそろってくる。

午前8時に式典がスタート。そして8時5分からリレーが始まった。第1走者は中国人初の宇宙飛行士、楊利偉さんで、故宮南側の「午門」を出発した。そして現場が大いに盛り上がったのは米プロバスケットボールNBAで活躍する国民的スターの姚明が第9走者として聖火を受け取ったとき。トーチを掲げる229センチの“アジアの巨人”を無数のメディアが囲み、現場は一時、騒然とした。

さて、この場にいた誰もが気づくのが、現場にやってきた市民全員が何らかの組織に所属している人たちであること。つまり日本で言う「動員」である。揃いのTシャツ、帽子、そして企業や組織の名前とスローガンが書かれた横断幕・・・。掛け声の練習もかなり統率が取れているのだが、彼らがおなじ組織ということならば当然のことだ。

実は、天安門広場周辺の一般市民の立ち入りは全く禁じられ、広場南側にある地下鉄「前門駅」は朝から臨時封鎖された。広場に集まったのは全て、企業、学校などの団体、団地ごとに組織された人々。そして広場前の大通りの両端には、警備スタッフが配置され、聖火の様子を一目見ようとやってきた一般市民はそこに足止めされることになった。

この「限られた市民」による熱烈歓迎は、その後、北京の西側、南側への移っていった聖火リレーでも同様だった。

昼3時ごろには、北京南側の豊台区をリレー。周辺の道路は完全封鎖され、2時間前から、続々と大型バスが“現地”に乗り入れてくる。広めの道路数百m分を駐車場に使い、バスからは揃いの帽子、シャツに身を固めた“一般市民”が次々と降りてくる。

彼らの向かうのは指定された応援場所。コースは細かく区分けされ、そこには「A8-10」のように番号が振ってある。各組織にはあらかじめ場所が割り当てされてあり、リーダーが引率して、そこに連れて行く。周囲は警戒線で囲まれ、予め配られているシールを胸に貼っている“市民”だけが聖火リレーのコースに入れるのだ。彼らは指定された場所で、旗を振り、声を限りに応援する。一方、“指定された組織”に所属していない大部分の市民は、華やかなリレーの様子がほとんど見えない場所で、遠巻きに立っているしかない。

報道によると、8月6日には国家体育場(愛称:鳥の巣)付近で英国人が政治的スローガンを掲げ、警察に拘束されたという。これらの厳重な警備は、聖火リレーの場を利用した何らかの「政治行動」を当局が恐れてのことであることは間違いない。

だが、それともに、残念ながら中国は、「一般市民」を信用していない。国が市民を信用していない・・・という事実は非常に残念だが、ここで生活していて、常に感じることでもある。

テレビ画面では多くの市民が映って、聖火リレーの「盛り上がり」を演出していたが、それはあくまで中国側の選んだ「お行儀の良い市民」だけだった、というわけだ。





  • 共通ジャンル:

posted by asa8043 |22:33 | 北京五輪 |
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年09月01日

回憶 北京五輪(8)井村シンクロ中国に感じたもの

以前、シンクロナイズドスイミングの中国代表ヘッドコーチ、井村雅代さんと北京市内の景山公園にご一緒したことがある。五輪まで、まだまだ時間があるころだったので、「最後のほっと一息」だったのだろう。非常にリラックスした表情で観光をしてらっしゃった。

景山公園は、あの「ラストエンペラー」の紫禁城を上から見下ろすことができる。井村さんは、北京ならではの、きっちりと左右に対称に立ち並んでいる建物群を見て、その「センターライン上」に立ちながら、「私は真ん中が好き。ぴしっと揃っていないと腹が立つのよ」と笑っておられた。そのとき、私は「この方は根っからのシンクロ人間だなあ」と思った。

今回の北京五輪で印象に残ったスポーツシーンはいくつかあるが、シンクロは確実にその一つだ。ただ、あの中国が銅メダルを取ったチームのフリールーチンは、別会場にちょうど移動中だったため、残念ながら、生で見ることができなかった。私はそれでも、何とか試合を見たいと、最寄の地下鉄駅でタクシーを降ろしてもらった。北京の地下鉄では大会期間中、ずっと街頭テレビが各所に置かれ、大会の様子を見ることができたのだ。

ちょうど中国代表の演技が始まっていた。長い足が見事に生えるスピン、天性の体が作り出す迫力はテレビでも伝わってきた。音声は聞こえないが、映像から、会場中が声援で後押ししていることは分かる。演技が終わって、井村コーチの姿が画面に映った。本当に優しい笑顔を浮かべながら、選手一人ひとりを抱きしめておられた。

結果は銅メダル。日本が初めてメダルを逃したこともあり、「中国が日本を押しのけてメダル」などという見方をする人もいる。

だが中国代表のコーチであるからには、もちろん日本にも負けたくないだろうが、ロシアにもスペインにも負けたくないのが当たり前だ。中国チームの全ての才能を引き出して、最高の成績に引き上げるのが彼女の仕事であり、「日中で火花」「裏切り行為」などと、ことさらに強調する一部の人は、何ともスケールが小さいものだと感じる。

試合後の井村さんのコメントを聞いて、「らしい」と感じた。彼女は、泣きじゃくる選手たちを横目に、まったく涙を流さなかったそうだ。そして「今はまだ涙を流すときではない。これは私にとって、驚きでも喜びでもなく、目標だったからだ」と語ったとのこと。

井村さんは中国代表の選手たちに12時間の猛烈なトレーニングを課した。食の細い選手たちに筋肉をつけさせようと無理やり食べさせた。選手たちに「日本流」の“あいさつ”の心を植え付け、スポーツ選手としての精神面を鍛えた。そして、大切な愛弟子を涙を飲んでメンバーから切り、故郷へ帰らせたこともあった。

全ては「メダル」という最高の喜びをもたらすためだった。

そして、それは、中国選手が天性に持つ有り余る才能を引き出し、豊かな身体能力を存分に生かして、最高の「結果」を出すためだった。

井村さんにとって、その対象となる選手は、日本人であろうが、中国人であろうが、また別の国であろうがどうでもいいのだろう。ただシンクロというスポーツを愛し、ひたむきに取り組む人たちであれば・・・。

指導者とはそういうものだろうし、井村さんはまさに、その指導者なのだと思う。そこから生まれた「結果」への反応は“驚き”でもなく、”感動“でもなく、一つの仕事をやり終えた「ほっと一息」なのだろう。

その“仕事”を見とどけた後、私は日本だ、中国だといっていることもばかばかしくなった。日本チームの演技も素晴らしかったが、確かに中国チームは本当に見ごたえある演技だった。良いものは良い・・・素晴らしいものには惜しみなく拍手を送ること・・・それが出来るからスポーツは素晴らしい。その当たり前のことを、国境を越えた挑戦をした井村さんの“仕事”をみて、改めて感じることができた。

31日は9月初めに、大きな任務を終えて、日本に帰国する井村ヘッドコーチを囲む送別会が行われた。私は残念ながら、所用で出席できなかったが、心から「感動をありがとうございました。そしてお疲れ様でした」といいたい。

  • 共通ジャンル:
  • 水泳

posted by asa8043 |06:32 | シンクロナイズドスイミング |
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加