2009年07月03日
2016年夏季五輪について、アジア・オリンピック評議会(OCA)のアハマド会長は3日、シンガポールで開かれた総会で、「東京が10月のIOC総会で成功を収めるよう希望している」と東京での五輪開催を支持する意向を表明した。
総会の時間が予定より大幅にずれ込み、「東京支持が難航か?」などと思わせたが、結局、都議選告示日を横目にシンガポールに飛んだ石原都知事の面目もたったということだ。万が一、「不支持」「支持見送り」にでもなったりしたら、「アジアでも支持をとりつけられないなら」と10月のIOC総会を前に“不戦敗”にもなりかねないだけに、東京の招致関係者も「ほっと一息」というところだろう。選挙戦まっさかりの都議選にも多大な影響が出る可能性があった。(個人的にはそちらも面白かったと思うが)
さて、東京が招致する2016年五輪。日本では賛否両論、立候補4都市中、日本の支持率が一番低いということで、中国でも大きく報道されていた。都議選の争点の一つともいわれているが、私自身は以前もブログに書いたように、80パーセントの支持など必要なく、50パーセントずつの支持・不支持のなかで、厳しい都民・国民の目にさらされながら、粛々と五輪招致を進めるべきだと思う。
私はさまざまな問題があると思うが、五輪招致には賛成だ。
数百億単位の莫大な都・国家予算をつぎ込み、招致活動、そして実際の大会を実施するのは「無駄」という声も大きい。そんな予算があるのならば、雇用対策・福祉・教育をもっと充実させるべき・・・というのももっともな考え方だと思う。
だが・・・それでも、私は五輪をこの日本で、東京で開催する価値は十分にあると思う。
私はメディアの一人として、北京五輪の開催3年前から、五輪に向け変化を続ける北京をつぶさに見てきた・・・。世界中から多くのバッシングを受けながらも、一歩一歩、「五輪開催にふさわしい都市」となるべく進化し続けてきた街に身を置いた。
そして、大会中はメディアという立場に加えて、五輪の競技場の外国人スタッフという立場で、北京五輪を裏から見ることもできた。若いボランティアスタッフとともに、早朝から夜遅くまで、真夏の太陽がジンジンと照りつけるお椀型の競技場で、大会運営に携わってきた。その中で、北京五輪を支えた人たちが、決してお偉い官僚や経済人ではなく、名もない、身を粉にして尽くす一般の人たちであることを感じた。競技日程が全て終了したときの、彼らのあの充実した表情・・・一仕事終えた・・しかも国家の大事業を終えた・・・そんな充実感に満ちた顔。
いやいや・・・一つ一つ挙げていてはきりがないから、このブログを振り返って、みていただくことにしよう。
何はともあれ、五輪は都市を・・・そして人間を、若者を、子供を、大人たちを成長させてくれるし、喜びを与えてくれる。それは「五輪がきた街」に身を置いた人間でなければわからない気持ちだ。
あのわくわく感、期待感・・・そして一流のアスリートたちのパフォーマンスを「鳥の巣」で間近にみたときの感動、9万人の大観衆が起こす地鳴りのような歓声・・・。
私は異国の地に住みながら、あの北京五輪でたくさんの元気をもらったし、次の人生の目標を得ることができた。もちろん、私より若い世代、そして子供たちが、あの感動的な時間から、どれだけのものが得られるか・・・それは言葉では語りつくせないだろう。
もちろん、首都・東京は「お金の使い方」をしっかり考え、無駄なく、「誰もが幸せに暮らせる都市」を作ることは大切だ。だが、同時に、「目に見えない心のときめき」も感じさせてくれる都市であって欲しいと思うし、それが今回の五輪招致だと思う。
今後も五輪招致に向けた東京の動きをこのブログでレポートしていきたい。
posted by asa8043 |23:56 |
スポーツコラム |
2009年07月03日
7月1日、東京都庁で、障害を持った青少年のスポーツの祭典「アジアパラゲームズ」の東京大会が発表された。
9月10日から13日まで、国立競技場、代々木体育館などを舞台に6競技が行われる。アジア30カ国の選手・役員1000人が出場。障害者スポーツの将来をしょって立つ14歳から19歳までの若人たちの大会だ。
私自身、この大会については不勉強でまったく知らず、今回の東京開催で初めてその存在を耳にした。2003年に香港で第1回大会が開催され、今回が2回目ということで、障害者スポーツのすそ野の広がりを示すものといえよう。
障害者スポーツについて、まだまだ不勉強な私が言うのもなんだが、パラリンピックへの世界的な注目で少しは発展しつつある障害者スポーツであるものの、まだまだ認知度は低い。今大会も、都とパラリンピック協会が非常に力を入れているものだが、残念ながら、都民・国民の関心は低い。
1日に行われた記者会見にも、TBSの「朝ズバ!」とTOKYO MX以外は来場しておらず(朝ズバはみのもんたさんがパラリンピックのPRに一役買っていることがあるのだろうか)テレビメディアは無関心・・・という感じだった。
まだまだ「障害者のための福祉」という意識の強い障害者スポーツ。だが、このブログでも再三取り上げたように、スポーツとしての面白さは他の健常者スポーツに決して劣らない、ということを改めて強調したい。
ここでも取り上げた車椅子バスケットは、車椅子をたくみに動かして、ゴールを狙うのだが、その迫力と面白さは、ここでも何度も取り上げた。車椅子をたくみに操りながら、相手ディフェンスをすり抜けるハンドルさばき、時にはお互いにぶつかって転倒することも厭わない迫力ある接触プレー・・・。いずれも、このスポーツが「バスケットの障害者版」ではなく、「車椅子バスケット」という競技の一種であることを実感させてくれる。
ただ観戦するのに、少し分かりにくいスポーツがあるのも事実だ。「ゴールボール」という競技は、ハンドボールより一回り小さなコートで、相手ゴールに向かって、ボールを転がし、ゴールすれば得点・・・というもの。ただ見ているだけだと、ボールをお互いに転がしあって、それをぎこちない動作でキャッチし、また相手のゴールに向けて投げ込む・・・という「スポーツ性」を感じにくい競技だ。
だが、彼らは、少し見えている「弱視」の選手も含めて、全員が完全に外界をシャットアウトしたアイマスクをつけて、コートに立つ。そして、コートにわずかに作られた凹凸を手で触って自分の位置を確認し、ボールが転がるときに出る「鈴」の音を頼りにキャッチする。会場は、彼らの「聴力」を邪魔しないよう、わずかな雑音を発することも許されない。
このスポーツを鑑賞するには「想像力」が必要だ。自分がもし何も見えない状態となったら、果たしてこのボールをキャッチできるか・・・どう転がして相手ゴールを狙うか・・・自分をその選手の身において「想像」しなければ、「傍観者」でいる限りは、単なるボールの転がし合い・・・子供の遊び(昔、“転がしドッチボール”というのをしたことがあるだろうか。なんだかそれに似ている)にしか見えない。
障害者スポーツを私たちが楽しむときはこの「想像力」が必要になる。単なるスターリズムや見た目の分かりやすさだけがスポーツの面白さだとしてしまうと、障害者スポーツは亜流の世界にとどまってしまうというわけだ。
さて、そんな障害者スポーツの祭典が9月にやってくる。
東京が進める2016年オリンピック・パラリンピックの招致に向けても、私は、この大会の成功が非常に大きな意味を持つと考える。ボランティアを中心とした大会運営、各国からやってくる選手たちへのホスピタリティ、そして障害者スポーツであることから必然的に要求される設備面の充実・・・いずれも、この日本が優れた「スポーツ立国」に成長するための大きな試金石といえよう。
今後は、このブログでも、この大会に向けた準備状況をお伝えしていきたいと思う。
posted by asa8043 |08:22 |
パラリンピック種目 |