2010年07月15日

知られざる中国スポーツ(3)

(2)国家スポーツへの傾倒

  1952年、中国は建国後初めての五輪に出場した。このヘルシンキ五輪は日本が第2次大戦後、久々に参加したものであり、またソ連が初めて参加し、米国に次ぐ2位となる71個のメダルを獲得した大会としても知られている。


  この華々しい国際スポーツの舞台で、当時すでにアスリートを国家が育てる体制を敷いていたソ連が次々とメダルを獲得し、国際社会の称賛を浴びているのを横目にみた中国は国家宣伝としてのオリンピックの有用性に気付いた。そして、これを機に、ソ連のアスリート育成システムに習い、中国の「エリートスポーツ」の仕組みがスタートするのだ。
 

  そのために参考にされたのは当時のソ連の「ステートアマ」育成システムだった。「ステートアマ」とはプロとして報酬を受けないものの、国家から報酬や身分保障をしてもらい、競技に専念できる環境を整えられたスポーツ選手を指す。


  政府はヘルシンキ以降、国家機関として中央体育運動委員会(のちの国家体育総局の前身)を設立した。これまでの“スポーツの分権化”路線を転換する出来事といえる。これ以降、スポーツと国家が大きく接近していくことになる。


  ただここで、興味深い点が指摘できる。

  
  たしかに強力な国家機関が出来上がったが、なぜか建国当初に設立された「中華全国体育総会」は廃止されなかった。


  これは次のような事情がある。ヘルシンキ五輪後、政府はスポーツが単なる宣伝道具というだけでなく、外交の道具としても重要だということを認識していた。西洋諸国はすでにこのころから「非政府」のスポーツ協会が“スポーツ外交”の中心となっており、中国も「非政府」的な窓口を残しておく必要があった。そのため、実質的な管理は国家機関が担うにしても、名義だけでも「中華全国体育総会」を残しておく必要があったというわけだ。


  これは地方組織も同様だ。競技別に作られたスポーツ協会の役割も「中央体育運動委員会」を頂点とする行政組織に取って代わられたのだが、やはり名目上は「協会」が残される結果となったのだ。現在も、「中華全国体育総会」のもとに67のスポーツ協会が活動を続けている。


  この“二重構造”は中国独特であり、実に半世紀以上たった今でも残っているのは興味深い。たとえばサッカーは「国家体育総局」のサッカー部門と「中国サッカー協会」の二重管理体制となっている。いずれも実質的なトップは同一人物であり、(現在は韋迪氏)上層部のメンバーはほぼ似通っている。限りなく同一組織に近いのだが、スポーツという“民”の分野に“政”が介入する不都合な現象がたびたび起きる。代表チームの選手選考や監督について、スポーツ官僚が自らの出世や評価のために、きわめて短期的な視点で人材探しをするということが、現実的に起きているのだ。これが中国スポーツの発展を阻害している要因にもなっているのは事実だろう。

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posted by asa8043 |15:35 | 論文 |
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2010年07月14日

知られざる中国スポーツ(2)

(1)“民主的な”中国スポーツ黎明期

  1949年10月1日、毛沢東が天安門広場で新中国が建国を高らかに宣言し、中華人民共和国が誕生した。近代中国スポーツの発展はここから始まる。一党独裁体制を敷いた共産党は一般市民の「体育活動」を非常に重視する考えを示した。

  彼らは、かつて国民党政府の下でのスポーツは“旧中国体育”であり、「富裕層のためのもの」だと考えた。そして、そこから脱却し、スポーツを国家を形成する人民全体のものにしようと呼びかけた。
 

  その姿勢は、建国後、わずか25日後の10月26日、スポーツの推進を議題にした「体育総会」が開かれ、全国に種目ごとに作られた「スポーツ協会」の集合体である「中華全国体育総会」の設立が決定したことからも分かる。

  この「中華全国体育総会」は一応、形式上は国家機関から独立した非営利の社団法人であり、日本でいえば体育協会のようなものである。


  席上、朱徳委員長は「新民主主義体育」の理念を提起。「かつて国民党時代の“反動的”なスポーツを人民へ取り戻そう」をキャッチフレーズに、「スポーツは人民のため、祖国建設のため、国防のためのものである」として、学生、労働者、農民、軍人など全ての階層がスポーツに参加すべきだと呼びかけた。


  中国全土は当時、いまだ内戦の傷跡を残しており、この呼びかけが現実的であったかはともかくとして、近代中国におけるスポーツは、決して現在のイメージのような「エリート主義」的なものではなかった。

  そのようなエリート志向を旧来のものと切り捨て、スポーツを庶民のものとして、各地域、各階層に普及していくことが、国家建設の急務であると考えられていたのだ。そしてこの普及の任務は14歳から28歳の若手党員エリート集団である「共産党青年団」が担うこととされた。


  ただこの「民主主義的体育」の理想はわずか数年で方向転換されることになる。
 

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posted by asa8043 |21:17 | 論文 |
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2010年07月12日

知られざる中国スポーツ(1)

はじめに

 中国のスポーツ選手育成システムが日本と異なることは、専門家でなくても感覚的に気づくであろう。

 日本は、基本的に小中高、そして大学へと進む学校単位のクラブ活動から優秀な選手が選抜される「学校スポーツシステム」、そして各地域や全国単位で選手を集め、独自のシステムで選手を育成する「クラブチームシステム」が存在する。

日本において、最もオーソドックスなのが、いわゆる部活動・学校スポーツであるが、これは各級学校への進学時に指導が断絶するという欠点があった。この欠点を補う存在として生まれたのがクラブチームである。指導者が、進学等に影響されず、各年齢に見合ったトレーニング方法を課す点で、より“効率的”な選手育成が行えるとされる。前者は教育の一環であり、後者は選手から「クラブ費」を調整することが一般的で、商業的活動の一環であることが根本的な違いだ。

そして、各競技別に競技団体(協会・連盟)が存在し、オリンピックや世界大会の出場選手選抜は彼らがそれぞれ行う。競技によっては彼らが主催する地域・全国級のトレセン(サッカー等に代表される)が設置されることもあるが、それらは一時的なもので、基本的には選手はそれぞれの学校・大学・チームに所属する。

また選手たちは、基本的には、金銭的に全て自己責任でまかなうことになっている。現在は五輪出場選手の強化を狙って、「強化金」の支給等が行われるが、原則的には、大会参加や日ごろのトレーニング、指導者の選択等、全て自己責任が貫かれる。よって、彼らが五輪や世界大会に出場するのも個人の資格であるし、そこで優れた成績を収めれば、それは彼ら個人の功績となる。アマチュア選手として一定の制限はあるものの、商業活動が許されるし、海外の組織に転属するのも自由なのは、この「個人責任」という原則に基づくものである。

だが、中国は異なる。中国におけるスポーツ選手は国家が育て、国家のために競技を戦い、その成果は国家に帰することが原則となる。そのために、国家は彼らに基本的な衣食住と豊かな練習環境、指導者を提供する。最終目標はオリンピックであり、そこで金メダルを取って、中国の威光を世界に示すことである。その点については一切異論はない。選手たちがしばしば口にする「祖国争光」という言葉がそれである。

彼らいわゆるスポーツエリートは幼いころに選抜される。ある指導者に聞くと、彼は休日などに公園などを訪れ、遊んでいる子供たちを観察するそうだ。子供たちが跳んだり、走ったりする様子を見れば、その筋肉の使い方で、才能の有無はすぐに分かる。これだという子供を見つければ、保護者とコンタクトをとるのである。

この指導者は一般に地方の「業余体育学校」といわれるスポーツ専門学校のコーチである。「業余」とは「アマチュア」くらいの意味だ。この体育学校、そして体育技術学校と呼ばれる専門学校に入学すれば、彼らはスポーツエリートへの第一歩を踏み出したことになる。以前は、この体育学校は毎日休みなく、運動教育のみが行われていたようだが、現在は、午前中、教科教育を行い、午後から体育(すなわち彼らの専門)の授業というパターンが多い。

そこで優秀な選手は、今度は体育学校を抜け出て、地域ごとに集められ、地域代表選手として指導を受ける。いわゆる省・市代表チームである。そしてさらに優秀な選手が今度は北京に召集され、栄えある「国家チーム」の一員として、超一流のスポーツ英才教育を受ける。オリンピック、世界選手権などに出場できるのは、基本的にはこの国家チームの選手であり、アスリートを志す若者は、一握りのこのグループを目指して、日夜努力するというわけである。

この「体育学校」→「省・市代表」→「国家代表」というピラミッド型の選手育成システムを「三級制度」と呼んでおり、中国のアスリート養成の基本となっている。この三級制度は、何をおいてもオリンピックで金メダルを取るためのものであり、そのための「挙国体制」といえる。そして、このピラミッドに入れない者は、基本的にはアスリートの道から遮断され、スポーツとはほとんど縁のない生活を送ることになる。

かなりの割合の生徒が中学、高校時代に体育クラブに所属し、程度の差はあれ、チャンピオンシップ形式の大会に出場する経験を持つことができる日本とはかなり異なっている。すなわち、基本的には中学、高校には部活動といわれるものはなく、スポーツといっても、休み時間に遊び程度で体を動かすものであり、大学入試に向けた勉学に励むというのが中国人の若者の一般的な姿となるのだ。

つまり、日本はある程度スポーツの普遍化が進んでいるのに対し、中国はエリート化しているといえる。「三級体制」は例え、「その他大勢」のスポーツを楽しむ権利を奪ったとしても、「一人の天才」を見つけ出すのに非常に適している。一方、日本の学校・クラブを中心とするシステムは、間口が広く、誰もがアスリートの入り口に立てるが、一方で、資源の分散を招き、「天才」を見過ごし、埋もれさせてしまうこともある。だが、「1億人に一人」の「超天才アスリート」は日本には1人しかいないとしても、人口13億の中国には13人いるわけだ。中国がエリートシステムをとり、日本が学校・クラブスポーツシステムをとるのは、政治・経済体制の違いという国情の違いはもちろんだが、物理的な要因もあるだろう。

では、この中国の「挙国体制」はどのようにして形成されたのであろう。次の章では、その歴史的過程に触れてみたい。

 参考文献:胡小明 “挙国体制”的改革 華南師範大学、2002年1月
      薫兆祥 中国改革解放20年紀事 上海人民出版社 1998年
      赤勤  当代中国専業競技体制的特征与評価 体育科学 1999年
      韓丹 概述我国体育運行机制和管理体制的演化、ハルビン体育学報 1999年

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posted by asa8043 |21:14 | 論文 |
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