2011年01月13日
きのうから始まった全国体育局長会議。全国の省・市体育局の責任者が集まるこの会議で、上海市が大きな改革への意欲を見せた。
上海市体育局の李局長によると、今後、上海市内の体育学校では通常の小中学校の教育課程を実施するとともに、トレーニング時間を週12時間以内とする方針を発表した。
中国では、省・市の体育学校で幼少のころからトレーニングを課し、いわゆる「スポーツエリート」を育て、省・市代表、国家代表へと選手を送り出すシステムを採用している。これによって、国家・地方の潤沢な予算で選手を育成できることから、北京五輪では金メダル数世界一となるなど「スポーツ大国」となった。
だが一方で、早ければ6,7歳の小学校入学年代から体育学校に入学し、「スポーツ漬け」の生活を送るため、一般の児童・生徒よりも学力レベルが低く、「エリート」の選抜に残れなかった大多数の「退役アスリート」の再就職などに困難があった。
すでに体育学校で一般の学校と同様の教育課程を実施したり、有能な教員を招聘したりという工夫は、都市部の体育学校で実施されていたが、今回の「12時間制限」はさらに大きな改革となる。
この制限が実施されれば、スポーツエリートが集まる体育学校でも、正規のトレーニング時間は一日2,3時間に限られ、それ以外の時間は教科学習に当てられることになるわけだ。
いま「体教結合」が強く叫ばれている中国の教育界。体育学校が一般の学校に近づき、一方で、一般の学校では教育により効率的にスポーツが取り入れられる動きが広がっている。「ポスト北京五輪」、中国スポーツの発展の重要な方向性といえるだろう。
posted by asa8043 |07:10 |
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2010年03月03日
「土日に書く」というサブタイトルからすると、週末の暇なときに書いた記事なのだろうか。ただ中国メディアがこの記事を翻訳して転載し、中国全土の人たちが目にするから始末に悪い。この「スポーツ中国脅威論」が日本側の世論となっているかのように伝わってしまう・・・。
2014年のユース夏季五輪の開催都市が中国・南京市に決まった。またスピードスケートの元金メダリスト、楊楊氏がIOC選手委員に選ばれた。いずれも、中国のスポーツ界での「外交」が成功した結果だ。
夏季五輪の招致に失敗し、国際スポーツ界でも発言力を低下させている日本とは対照的。これもスポーツの国際競争力の強化を怠り、「井の中の蛙」になっていた島国・日本の「外交政策」の失敗だ。「今後、日本は中国の(ある意味での)“したたかさ”を見習って、スポーツ界での外交を強化していかなければならない」と私は思うし、この記事も、そのような締めくくりとなると思っていた。
だが、文末の結論は、やはりこの新聞お得意の論調だ。
(以下、引用)
腐敗の蔓延(まんえん)で国民の信頼を失いつつある中国政府にとって、愛国心を高揚させる国際大会は格好の隠れ蓑(みの)となる。中国が「スポーツ強国」となった暁には、ただでさえ政治と切り離せない存在となっている五輪の政治利用が、さらに加速しかねない。スポーツ界でも「中国脅威論」が語られる日が近づいている。
(引用終わり)
スポーツ史を見れば、「経済力のあるところに国際大会が集まる」のは自明のこと。多くの国が敬遠したがるユース夏季五輪を中国が開催できるのも、今の中国の他国を圧倒する経済力があってのことだ。もちろん、記事の言うように国際大会によって、国民の愛国心を高揚させる意味合いが大きいのは確か。その意図も大いにあろう。私もスポーツ大会を愛国心の高揚だけに利用するのは反対だ。
だが記事は「スポーツ強国」の意味を決定的に取り違えている。
中国が「スポーツ大国」から「スポーツ強国」への脱皮を目指しているのは確かにその通り。そのために、これまでスポーツオンリーのエリート教育を行っていた「体育学校」の改革やスポーツ選手の「引退後」のケア重視、野球・サッカーなどの学校体育化、社会スポーツ化などを図り、「草の根」スポーツの拡大を進めている。これまで国家代表を頂点とするピラミッド構造の頭でっかちな「エリートスポーツ」体制を作ってきただけに、これを改革するのは並大抵ではなく、時間もかかるだろうし、どうしても「政府主導」「行政主導」にならざるをえない。ただ、その歩みは一歩一歩進んでおり、この「結果重視」から「過程重視」への歩みこそ、「スポーツ強国」への道のりだ。この中国が目指す「スポーツ強国」の意味は取り違えてはならない。
ユース五輪の招致やIOC委員の輩出など、一連の動きは「スポーツ強国」への取り組みとはやや次元が異なる。それは日本が下手なスポーツ界での「外交」であり、それが目指すものは「スポーツ界での発言力強化」。それは「スポーツ強国化」と並行して、国家が取り組むべきものだ。
記事は「中国が「スポーツ強国」となった暁には、ただでさえ政治と切り離せない存在となっている五輪の政治利用が、さらに加速しかねない(引用)」という。
だがそもそも、そのような「政治利用」を行う国が「スポーツ強国」とはいえない。中国では今、スポーツを単なる「政治の道具」から、より多義的なものにしていく努力が積み重ねられている。(その中には過度な“商業化”の動きもあるが)
中国大陸で“胎動”のように起こりつつあるスポーツ改革は「腐敗政治の隠れ蓑」のような単純なものではないのだ。
結論ありき、の記事もいいのだが、「スポーツ強国になる→スポーツの政治利用→中国脅威論」のような単純な構造で物事を語るのは、日記か想像の中だけにしてほしい。
posted by asa8043 |08:21 |
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2010年02月11日
ある人が、中国で一人の「プロサッカー選手」を育てるのに、どれくらいの費用がかかるかを計算したら、100万元(1500万円)ということらしい。
小学校を出てすぐに「足校」と呼ばれるサッカー専門スクールに入り、23歳でプロリーグ入りするという計算だ。毎年平均10万元(150万円)、このうち3割は学費、そして半分近くは指導者への「付け届け」に消えていくという。
日本の学校スポーツでも、遠征費用や何やで、力のある選手が一人前に育つのには家庭に相当な負担がかかることが以前から問題視されている。私には経験がないから分からないが、下手をすれば、総額で数百万円というレベルになる場合もあるのだろう。
だが費用はともかくとして、その内訳は中国独特だ。
半分以上が指導者への「付け届け」・・・要は「うちの子をよろしく」とばかりに、贈り物(多くは現金だろう。日本人ほど現金を送ることに抵抗感は感じていない)を指導者に送るということなのだろう。医者にまともに診てもらうのに「贈り物」は当然・・という社会だから、各年代のチームの指導者にしっかり面倒を見てもらうためには、現金を送るのは当然、という文化なのかもしれない。
指導者の給与は驚くほど安いから、そうでもしなければやっていけない、というのも正直なところなのかもしれないが、そんなやり方が続けば、本当に才能のある子どもも、貧乏な家庭に育てば、決して日の目をみないことになる。
日本でも多かれ少なかれ、そういう部分はあるが、さすがに費用の半分が「付け届け」ということはないだろう。日本人がそれを聞けば信じられない数字かもしれないが、中国生活が長かった私は決して驚かない。(個人的な話だが、婚姻届の受理に賄賂を要求された経験がある)
さて、話はサッカーに戻す。プロリーグの勝敗を莫大な金銭で買い取る・・・チームの役員、選手、そしてサッカー協会の役員までもそれに加担していた・・・驚くべき、そして悲しむべきニュースだが、「金で才能を育てる」文化が根付いている中国サッカー界では、決して意外な話ではない。そしてこの構造を改善せよ、といえば、それは「中国社会そのものの改革」につながってくるのであり、実は容易ではないのだ。
だが、このような体質が今の中国サッカーの低迷を招いていることはいうまでもない。かつて軍人中心の中国代表がアジア一の力を誇った・・・そのころに戻れ、というわけではないが、プロリーグを「金では買えない何か」の魅力があるものにしていかないと、「金脈」にアリたちがたかる、今の構造のままでは、この低迷は今後も続いていくことになろう。
確かに、この「拝金サッカー」を変えていくのは容易ではない。なぜなら中国社会そのものの「重力」に引きずられずに、プロスポーツ界のモラルを築いていくには長い時間がかかるだろう。だから即効性の薬はない。
だが中国5千年の「漢方薬」がある。漢方薬は決して即効性はないが、体の内面からじわっと効いて、長い時間をかけて、健康な体を作っていく。学校スポーツ、組織のあり方、スポーツ選手のモラリティなど変えていくべき点は多い。
今回の悲しい出来事を通じて、サッカー界にきちっとした「漢方薬」を処方して、新しい第一歩を歩んでほしい。
posted by asa8043 |21:25 |
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2009年07月03日
2016年夏季五輪について、アジア・オリンピック評議会(OCA)のアハマド会長は3日、シンガポールで開かれた総会で、「東京が10月のIOC総会で成功を収めるよう希望している」と東京での五輪開催を支持する意向を表明した。
総会の時間が予定より大幅にずれ込み、「東京支持が難航か?」などと思わせたが、結局、都議選告示日を横目にシンガポールに飛んだ石原都知事の面目もたったということだ。万が一、「不支持」「支持見送り」にでもなったりしたら、「アジアでも支持をとりつけられないなら」と10月のIOC総会を前に“不戦敗”にもなりかねないだけに、東京の招致関係者も「ほっと一息」というところだろう。選挙戦まっさかりの都議選にも多大な影響が出る可能性があった。(個人的にはそちらも面白かったと思うが)
さて、東京が招致する2016年五輪。日本では賛否両論、立候補4都市中、日本の支持率が一番低いということで、中国でも大きく報道されていた。都議選の争点の一つともいわれているが、私自身は以前もブログに書いたように、80パーセントの支持など必要なく、50パーセントずつの支持・不支持のなかで、厳しい都民・国民の目にさらされながら、粛々と五輪招致を進めるべきだと思う。
私はさまざまな問題があると思うが、五輪招致には賛成だ。
数百億単位の莫大な都・国家予算をつぎ込み、招致活動、そして実際の大会を実施するのは「無駄」という声も大きい。そんな予算があるのならば、雇用対策・福祉・教育をもっと充実させるべき・・・というのももっともな考え方だと思う。
だが・・・それでも、私は五輪をこの日本で、東京で開催する価値は十分にあると思う。
私はメディアの一人として、北京五輪の開催3年前から、五輪に向け変化を続ける北京をつぶさに見てきた・・・。世界中から多くのバッシングを受けながらも、一歩一歩、「五輪開催にふさわしい都市」となるべく進化し続けてきた街に身を置いた。
そして、大会中はメディアという立場に加えて、五輪の競技場の外国人スタッフという立場で、北京五輪を裏から見ることもできた。若いボランティアスタッフとともに、早朝から夜遅くまで、真夏の太陽がジンジンと照りつけるお椀型の競技場で、大会運営に携わってきた。その中で、北京五輪を支えた人たちが、決してお偉い官僚や経済人ではなく、名もない、身を粉にして尽くす一般の人たちであることを感じた。競技日程が全て終了したときの、彼らのあの充実した表情・・・一仕事終えた・・しかも国家の大事業を終えた・・・そんな充実感に満ちた顔。
いやいや・・・一つ一つ挙げていてはきりがないから、このブログを振り返って、みていただくことにしよう。
何はともあれ、五輪は都市を・・・そして人間を、若者を、子供を、大人たちを成長させてくれるし、喜びを与えてくれる。それは「五輪がきた街」に身を置いた人間でなければわからない気持ちだ。
あのわくわく感、期待感・・・そして一流のアスリートたちのパフォーマンスを「鳥の巣」で間近にみたときの感動、9万人の大観衆が起こす地鳴りのような歓声・・・。
私は異国の地に住みながら、あの北京五輪でたくさんの元気をもらったし、次の人生の目標を得ることができた。もちろん、私より若い世代、そして子供たちが、あの感動的な時間から、どれだけのものが得られるか・・・それは言葉では語りつくせないだろう。
もちろん、首都・東京は「お金の使い方」をしっかり考え、無駄なく、「誰もが幸せに暮らせる都市」を作ることは大切だ。だが、同時に、「目に見えない心のときめき」も感じさせてくれる都市であって欲しいと思うし、それが今回の五輪招致だと思う。
今後も五輪招致に向けた東京の動きをこのブログでレポートしていきたい。
posted by asa8043 |23:56 |
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2009年04月30日
16年東京五輪の支持率は55%・・・
共同通信社が28,29日に実施した全国世論調査で、東京都民の2016年東京五輪に対する支持率が55%だったことが分かった。
この数字について、同記事では「支持率伸び悩む」と見出しがついているし、今後、他メディアも否定的に伝えることは間違いない。
だが私は全く、そうは思わない。むしろ都民のバランス感覚が非常に健全であることがわかったし、今後の招致活動に大きなプラスになる考える。
まず大切なことは、55%とは至極まっとうな数字であり、前回、怪しげな「世論調査」で出てきた「7割の賛成」よりも、よっぽどまともな数字だということだ。
そして都と日本政府が切に感じなくてはならないのは、今もって半数近くの人が、五輪招致に決して賛成していないという事実である。
五輪開催するということは、国体と訳が違う。政府や自治体にとってもそうだが、そこに住む住民にとんでもなく大きな負担が伴う。それは私自身も、北京五輪に向けて準備を続ける北京に身を置いて実感したことだ。北京と東京は事情が違う・・・などというなかれ。おそらく今とそれほど変わらない国際情勢、同じアジア圏内で行われる五輪にともなう困難はそれほど変わらないはずだ。
テロに対する厳重な警備、物価の上昇、交通機関の制限など、どれも地元の市民にとっては不便きわまりない。「世界の一流のアスリートを間近に」などというが、現実問題として、都民全員がチケットを入手して、会場に入れるわけではない。好きな競技を見られる確率は一般市民にとって限りなく低いといっていいだろう。
だが、それでも五輪を自分たちの町で開くということは魅力的なことだ。ある一時期、世界のあらゆる賑やかですばらしいものが、一気に自分たちの周りに集まってきたような、そんな高揚感を感じることができる。多くの国籍の人たちと出会う機会もあるし、彼らに東京という都市をPRする最高の機会となる。これは「五輪」を開催してみないと絶対に得られないものだ。
だから、オリンピックは想像しているほど良いものではないし、それほど悪いものではない。また、価値観が異なる一人ひとりが想像し、期待するものは違って当然だ。
もとより、東京は日本中からさまざまな境遇を持ち、経済状況も異なる人たちが集まる都市だ。
これほど大きなイベントの開催に賛否両論があるのは当然のこと。以前の調査では、マドリードが89%、リオデジャネイロは82%だったそうだ。東京も「それくらいなければ・・・」などとメディアが騒ぎ立てるが、冗談じゃない。そんな「全体主義」志向は真っ平だ。
声をそろえて、「支持率の低さ」を強調する日本のメディアは非常に滑稽だ。
北京はどうだったのだろう。招致成功前後から「反対」の声は、とてつもなく大きな何かにかき消されていた。海外からみれば、あたかも人民全てが、もろ手を挙げて五輪を迎えているように見えていたかもしれない。
だが、私が実感するに、恐らく相当数の庶民は五輪開催に疑問を抱いていたし、期待もしていなかったと思う。
では、日本も彼らと同じように、あたかも少数者の反対がいないかのように、“大多数”の賛成で、「シャンシャン」と五輪を招致しようというのだろうか。
私は決して五輪招致に反対ではない。むしろ、東京が元気になるチャンスとして、大きな期待を寄せているし、楽しみでもある。
だが、五輪招致を目指す東京都、政府、そしてJOCは、今回の調査で表面に出た「45%」の存在をかき消そうとしたりしてはならない。
その存在を背負いながら、時として、その声に怯え、時としてその声を振り払いながら、粛々と招致活動を進めるべきだ。そして、その意見を率直に反映した世論をIOCに示せばよい。
それらを踏まえたうえで、五輪を開催する地としてどこがふさわしいかを考えてもらえばよい。
IOC評価委員は開催都市の「支持率の高さ」を指標にする、などというらしい。
だが、果たして、この五輪なるものは“誰もが賛成すべき”そんな「完全無欠」にすばらしいものなのだろうか。そう彼らが信じ込んでいるとすれば、それはあまりにもナンセンスだ。
仮に「偽り」でもいいから、70%以上の“高支持率”が必要なのだというのならば・・・そんな「全体主義」的な都市でなければ五輪を開催できないというのならば、五輪など願い下げだと私は思う。
支持率55%でも十分・・・それでもスポーツの最高峰、五輪を東京で開催する価値はあるはず・・・
都と政府、JOCは、その意識のもとで、都民におもねることなく、しかし、懸命に五輪開催の魅力を訴え、理解を求めるべきだ。そしてそれでも、半分に近い都民が五輪開催に疑問をもっていることの“重み”をしっかりと感じながら、招致活動を続けていくべきだと思う。
posted by asa8043 |22:29 |
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2009年04月26日
「オリンピック後」の競技場がどうなっているのか・・・大会前に各方面が心配したことだが、今、あるネット上の書き込みから、その“使い道”について、大きな議論が起きている。
北京五輪では、開閉幕式と陸上、サッカー決勝などが行われたメインスタジアム「鳥の巣」は今、観光客に開放されている。その中で、ちょっとした商売が行われているという。
それは毎日2008人の観光客が120元(1800円)を払えば、競技場のメインスタンドの前に設置された表彰台で、写真を取れるというサービスだ。しかもコンパニオンが花を送ってくれ、なぜか聖火を持たせてくれる?というおまけ付き。この光景を目にした人が今月17日、インターネット上の掲示板に書き込みをし、すでに17万アクセスが殺到して、この事実が多くの人に知れ渡ったというわけだ。
掲示板には現在も賛否両論の意見が飛び交っている。「鳥の巣を商売の道具にするなんて許せない」「オリンピックも“ニセモノ”か」「中国ならではの観光だからいいのでは?」などなど。ただ大部分の人はこの「商売」に疑問を持っているようだ。
メインスタジアム「鳥の巣」は全国の中国人民にとって憧れの場所。この場所に一度は入ってみたいと考えている人は多い。そしてオリンピックは人々にとって、中国の「誇り」でもあり、「鳥の巣」はそのシンボルでもある。それを商売に・・・とは何事、というわけである。
だが、そもそも中国にはこの手の商売は多い。代表的なものとしてはラストエンペラーの紫禁城。ここには清朝の衣装を身に着けさせて写真を撮る専門の業者がいる。中国建国の地である天安門から入ってすぐのところで行われているこの商売に批判の声はあまり聞かない。だから、私自身は特に驚きもしないのだが、やはり中国の人たちにとって「鳥の巣」は別物らしい。
この商売ついて、スタジアムの広報担当者は「電話による取材には答えられない」としているが、場内で堂々と行われている「商売」だから、広報部が知らないということはありえない。世間に湧き上がった批判に戸惑っているというところだろう。
関係者によると、表彰台は場内の中央。費用は4枚120元。表彰台は、写真撮影のときだけ運んできて、お金を払った人だけが上ることができるという。業者は恐らくスタジアム関係者ではなく、外部の者ではないかということだ。
おそらくスタジアムの関係者は業者との関係を否定するだろうし、しばらくすると、彼らも追い出されていなくなってしまうだろう。中国ではこういったことはよくある。むしろ、この件に対し、多くの人たちが批判の声を挙げている、というところに、中国の人たちの五輪への思いが表れているような気がする。私からすれば、「いかにも中国らしい」などと思ってしまうのだが。
posted by asa8043 |00:03 |
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2009年04月18日
「祭り」が終わって、はや8ヶ月・・・去年9月からブログの更新もとまり、幾人かの方から「その後」のお問い合わせをいただいた。
あれから8ヶ月・・・東京が五輪招致を目指し、3億円というとてつもない額の予算をつぎ込んで、IOCの「お偉いさん」を饗応する様子に接し、またまた五輪を追いかけてみようという思いが沸いてきて、キーボードの前に座った。
150億とも言われる招致費用、町中に飾りたくられた「招致ポスター」・・・IOCの視察中は6000人あまりの幼稚園から中学生までが「動員」されて江東区で「交流イベント」が行われた。その前日には、小学生たちは「総合学習」の時間を使って「オリンピック学習」をやったそうだ。五輪に向けての北京を取材しているときに、幾度となく「子供をだしに使った動員」を目にして苦笑していたが、日本も何も変わらないということがよくわかった・・。
いや・・・東京五輪の招致問題はとりあえずここまで。
私自身の興味はやはり中国スポーツに向いている。
今後は「ポスト北京五輪」だ。何をいまさら・・・という声もあるかもしれないが、「五輪が何をもたらしたか」が今少しずつ見えてきているような気がする。「五輪1年」を3ヶ月あまり後に控え、現地メディアの報道と私自身が見聞きしたことをふまえて、少しずつ書き連ねていきたい。ただ、以前とは異なり、常時現地から情報を発信できる立場にはない。ただそれだけに、「あのときの北京」を少し鳥瞰して見る・・・日本のメディアとは少し違った見方を書いていけるのではと思っている。
posted by asa8043 |22:37 |
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2008年08月25日
「日本の記者は凶暴だ!(中国語で「凶」)」
ある競技場で、メディア担当の大学生ボランティアが私に漏らした言葉だ。
穏やかでないことをいうので、事の真相を聞くとこうだ。
記者席に座っている某日本の新聞記者に試合の資料を配ろうとしたところ、その記者にシッシという手振りをされた上に、英語で「×××」という“文字にはできない”罵りの言葉を浴びせかけられたというのだ。恐らく、その記者も、試合中に周りをうろうろされて、いらだっていたのだろう。その記者はサングラスをつけてかなり強面の形相で、「ボランティアの態度が悪い」と同業の記者たちに大声で叫んだり、資料を配るタイミングが遅いとクレームをつけたりし、ボランティアたちに“恐れられて”いた。
僕は「記者は忙しい仕事。連日の取材で、彼らもいらだっているんだよ」となだめたものの、同時に、その記者の人間性を疑わざるを得なかった。
北京五輪の会場で、日本人記者の評判がよろしくない。そう言うと「そんなこと報道されていない」と思うかもしれないが、報道する本人たちの評判だから、それは当然のことだ。他にも、試合が終わってスタジアムを出るよう何度もアナウンスが聞こえているのに席を立とうとしなかったり、大学生ボランティアをまるで手下のようにアゴで使うような態度を見せたりと、ボランティアたちの口から次々と愚痴が出てくる。
また私が直接目にしたところでいうと、試合が終わった後の記者席が最も散らかっていたのは、日本人の記者が集団で座っていたエリアだった。飲みかけのペットボトル飲料や必要のなかった資料などが散在し、散々な状況だった。
記者たちからすれば、忙しい仕事が終わって、ゴミを拾って帰るなんて“暇”なことはできない、ということなのだろうが、その程度のことは社会人として当然の礼儀ではないか。それをあとで掃除するのは、金銭的な見返りも求めずに大会運営に身をささげるボランティアたちなのだ。記者たちに素晴らしい環境を提供するために働いている彼らだが、それは別に記者たちのアシスタントや部下として下働きをするためではない。記者は「サービスを受けて当然」という立場ではないのだが、残念ながら、国際大会の華やかな舞台で、彼らの目は曇ってしまっているようだ。
もちろん、中にはボランティアや会場スタッフに丁寧に接し、素晴らしい印象を残していった日本人記者もいる。だが、少数の記者の行動によって、「日本人記者は怖い」「態度が悪い」というイメージが若い彼らの中に根付いてしまったのは、同じ日本人の取材者として残念で仕方がない。
ちなみに、冒頭の記者は日本の大手新聞社の特派員。その新聞社は、今回の北京五輪の報道方針について、「中国がオリンピックを開く資格があるかどうかを検証する」ことに置いているという。
うがった見方をすれば、敢えて“理不尽な”行動を取って、ボランティアの対応や大会運営の様子を試そうとした、なんて可能性も考えられるが、そうだとすれば、とんだ勘違い行動だ。
そして、その“北京五輪を検証”しにきた記者さんに言いたい。「あなたもまたスタッフから“検証”されているんですよ」と。
中国人のマナー向上を呼びかけるのもいいが、自らのマナー向上も大切ではないか。自戒を込めて、問いかけたい。
posted by 朝倉浩之 |00:10 |
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2008年08月02日
北京五輪に向け、続々と北京入りする日本選手の先鋒を切ったのが、競泳男子平泳ぎの北島康介(日本コカ・コーラ)。その彼が選手村での食事について「今まで(の選手村)で一番うまい」と発言した。これについては、日本でも大いに話題になったそうだし、中国でも、現地メディアが取り上げ、大きく報道された。飯は粘り気があり日本人好み、味噌汁もダシが効いていて・・・ということで、各選手にも評判がいいようだ。
さて、私が一連の「北島発言」で疑問に思ったのはメディアの取り上げ方である。
事前にJOCが選手村の“レシピ”を入手し、作った味噌汁がダシの入っていない酷いものだったそうだ。これと「比較して」うまかったという・・・
この「日本側が(ある意味)“勝手に”作った味噌汁」に比べて、「選手村の“本物の”味噌汁」が「意外にうまかった」というのは、比較するものが本末転倒で、何だか論理的におかしいような気がするが、それはさておき、指摘したいのは別の点だ。
この発言についての各新聞の報道を見ていると、一様に「意外に好評」「不安があったが・・」などなど、「思いもかけず」“うまかった”という取り上げ方がほとんど。直接はその不安に言及しなくとも、概して、中国側のサービスに対して、「否定的」なイメージが先行した伝え方ばかりだった。
確かに、ここ最近、中国食品に対する安全問題が取りざたされており、日本国内でも深刻な不安が広がっている。食品流通のグローバル化が進む中、他国の食品安全の問題は、決して他人事では済まされないのは当然だ。もともと持っている「中国食品への不安」が今回の報道の視点が生み出したのだろうが、私は非常に視野の狭い見方だと感じた。
実は、中国では米飯は食べるが、どちらかというと南方地域(上海以南)が主で、特に北京や河北省、山東省などでは、あまり一般的な主食とはいえない。また南方で食べられる米は日本の米とは異なり、少しパサパサした感じのものが多い。中国国内では東北部で、日本米に近い粘り気のある米を生産しているが、決して普遍的なものとはいえない。
そして、もちろんのこと、味噌汁など全く食べられない。最近、北京などの都市部で日本料理店が多く見られ、日本食がかなり一般的になってきたが、それでも味噌汁は「塩っ辛い」といって嫌う中国人が多いのだ。
ここで、我々がはっきりとさせておかなければならないのは、世界各国から数多くの国々がやってくる北京五輪で、たった一国の選手団が食するに過ぎないであろう「味噌汁」を選手村が用意し、それを北島選手らに「うまい」と言わせたことの意味合いである。
私がこの発言を聞いたときに、真っ先に感じたのは、決して全ての日本メディアが伝える「意外だ」という感覚ではなかった。それは、中国側の徹底したホスピタリティー(もてなし)の心である。
アテネ五輪では、極東の小さな島国のために、わざわざ「おいしい味噌汁」を用意することなど、運営側は微塵も考えていなかった。
では、中国はお隣の国だから、「味噌汁」を用意するのが当然のことなのだろうか・・・。中国の「もてなし」の結果である味噌汁を“上から目線”で「“意外に”うまい」と講評することが妥当なのだろうか。それを日本を代表する大メディアが軒並み、おなじ視点で語っているところに、今の日本のオリンピック報道、そして中国報道のいびつさを感じるのは私だけだろうか。記事のうち、一つとして、中国側が「おいしい味噌汁」を用意したホスピタリティに敬意を表する視点から書かれた記事がなかったことが私にとっては意外であり、残念に思うのだ。
私は過去3年間、五輪の運営スタッフが各方面で、懸命の準備を進めてきたことを知っている。もちろん、五輪を開催する以上、懸命の準備をするのは当然だ。だが、「だから味噌汁くらい用意して当然」なのだろうか。
おそらく、日本メディアからすれば、北京五輪を通して見えてくるのは(見たいのは)「五輪を国威発揚に利用しようとする脅威の大国、中国」という“国家像”だけなのかもしれない。けれども、日本の皆さんには、ぜひ想像力を働かしてほしい。この北京五輪の向こう側、表に出てこない場所にどれだけの人たちがいるのかを。
実は、北京五輪もやっぱり“人”が作り上げているのだ。人が努力し、悩む・・・。五輪テスト大会を運営するスタッフの昼夜を問わない努力、改善への工夫の連続、毎日の苦心の過程の一端を見てきて、私は心から敬意を表する気持ちで一杯となった。
そして、お隣の国、日本の選手たちに最大のもてなしをしたい、という思いで、一杯の味噌汁を作り上げる・・・もちろん味噌汁を作るのは人間・・・日本メディアが矛先を向ける「国家権力」ではないことを改めて指摘しておきたい。
念のために言っておくが、北島選手は自ら「“意外に”うまい」などという不遜なことはいわない。一流のアスリートが主催側の用意した食事をそんな失礼な表現で形容するはずがない。それを伝え手の側で歪めたニュアンスで伝えることは、外国報道の本質を損なうのだが、なぜか中国報道では、「それがよし」とされているように思えてならない。
たかが味噌汁、されど味噌汁・・・この北島発言は非常に単純な例だが、これに象徴される問題の根は深い。もちろん、ネガティブ報道をするなという気など全くない。中国は国際基準に照らして、改善すべき問題が山ほどあり、それを外国メディアが指摘することは「中国市民のため」にも非常にプラスになる。
だが、一連の中国報道にかかっている得体の知れないフィルターは今すぐにでも取り外すべきだ。近視眼的に先入観を持って見るのではなく、もう少し広い目で見てはどうか。国内報道なら当然の、この視点が、こと中国報道になると、一辺倒の「上から目線」になるのはどうしてだろう・・・。
8月8日から、中国の人たちが懸命に作り出そうとしている大イベントを世界のみんなで見守り、良き点には素直に拍手し、そうでない点は、あるがままに言おうではないか・・・。決して省くことなく、歪めることなく・・・。それこそが両国の理解につながると思うのだが、どうだろう。
posted by asa8043 |23:14 |
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2008年05月25日
今日の北京も連日の暑さが続いている。
日中の予想最高気温は32度。朝夕も20度近くまで上がり、寝苦しい熱帯夜ももうすぐという感じ。
北京一の繁華街・王府井も日傘をさす人が目立った
昨日、レースを終えた日本人選手たちが取材ゾーンで、まず必ず口にする言葉が「暑かった・・とにかく暑かった」。別に北京という地や、競技場に文句をつけているわけではない。春が短い北京は5月下旬から真夏日が続くのは当たり前。だが、日本のこの時期と比べて、相当の暑さだから、思わず恨み節を言ってしまうのだろう。
北京の夏は相当暑い。7月8月にはいると、40度近い“真熱日”が連日続く。40度を超えると、国営企業は職員に対して一定の手当てを支払わなくてはならないため、なぜか、この時期の気象当局の発表は「38度、39度」が多くなる。国営企業の不意な出費?を防ぐため、とでもいうのだろうか。
だが、北京の夏の体感気温は、実はそれほど高くはない。私は以前、日本海側の地域に住んでいたことがあるが、一年を通じて、湿気が多く、夏はサウナのような“重たい”暑さを感じていた。だが、北京の暑さは、日本の多くの地方とは違って、大陸性の乾燥した暑さだ。
こちらでは、真夏の暑さを「サウナ天気」などと呼んだりするが、「サウナ」加減でいうならば、日本の、特に海辺の地区のほうが圧倒的に上だ。そして、暑さの中に、時折、涼しい風がスッと通っていく。この清涼感のある風も北京の夏の特徴だと思う。だから、私にとっては、北京の夏の暑さは決して不快なものではない。(むしろ、冬場の氷点下10度を越える寒さのほうが恐怖だ。)
25日まで陸上の五輪テスト大会が行われている
ところが、この競技場は、形状からいって、風通しはあまりよくない。その分、短距離の選手たちがいうように「変な風が吹かないから、気を使わなくていい」のだが、フィールド上のムッとした感じはより強くなる。「真夏のそよ風」がもたらす一服の清涼感を感じることができないのだ。
ということで、冒頭の“恨み節”が選手から出てくる。確かに、この時期、お椀型の熱がこもる競技場、しかも北京の暑さの中で競技をすることは非常に過酷だ。だが、いうまでもなく、アスリートにとって自然条件を克服することも大切な要素の一つ。地球上に数ある国家の中で、2008年はたまたま、ここ北京がスポーツ祭典の舞台に選ばれた。せっかくならば、北京の暑さ、食や町の環境、空気、人々など全てを「感じながら」、また慣れないことは「克服しながら」8月の大会に臨んで欲しいと思う。
posted by 朝倉浩之 |17:27 |
スポーツコラム |
2008年04月30日
北京五輪開幕まで、あと100日となった。
だが、北京にいる私たち生活者にとっては、「あと100日」といっても実感が沸かないのが正直なところだ。
スポーツの取材者として、オリンピックを迎える街がどう変貌するかをこの目で見たいと、この地にわたって4年。いよいよ“本番”がやってくるのに、まだ実感が沸かない。北京の街は、さまざまな動きを見せているが、まだまだ「雲の上」のことが多く、私自身の身の回りで「オリンピックが踊りだした」という雰囲気ではない。世紀の大イベントを迎える前というのはこういうものなのか。これが「嵐の前の静けさ」なのだろうか。
朝起きて、いつものように出勤のため、マンションを出る。
ここで“空気が悪いため”ゴホゴホとやっているといえば、喜ぶ人もいるかもしれないが、残念ながらそんなことはない。歩いていて、服が真っ黒になることなど“絶対”にない。(笑)
団地の中庭では、お年寄り達が太極拳の練習に勤しみ、聞きなれた音楽が耳に入ってくる。満員電車は毎日のことだ。押し合いへしあいしながら、事務所に出勤し、いつもの仕事が始まる。取材、原稿書き、チェック・・・。時間がくれば、地下鉄に乗って、また家路に着く。
北京の暮らしなどそんなものだ。政治や権力の世界が何だかんだと大騒ぎし、ギョーザだ、独立だと騒動が起きるが、市民の生活は、それらの喧騒と全くかけ離れたところにある。街を歩く人たちの様子も、ここ4年何も変わらないし、住宅のベンチではお母さん達が子供を連れて、ペチャクチャと四方山話に花を咲かせている・・・それは日本の庶民の暮らしと全く同じ。それは、ある意味、色々なことへの無関心ではあるのだが、それが現実というものだろう。
僕の生活上の困ったことといえば、「今月の懐具合が寂しくなった」なんて、これも日本にいる時と同じ。「日本人と知られないようビクビクしている」「食べ物が悪くて、お腹壊してばっかり」ということもない。
日本メディアが嬉々として伝える「五輪前の北京の問題点」は結局、生活者にとっては、インターネットの文字情報だけに存在するフィクションに過ぎない。「生活」なんて、そんなものだろう。
だが、そんな日常の中で、時折、五輪に向けた街の変化の息吹を感じることがある。それは、ちょっとした変化や新しい物事のスタートなのだが、僕はそれを目にした時、今このとき、北京にいて良かったと感じる。恐らく、その小さな変化の積み重ねで、少しずつ、この街は「オリンピック色」に染まっていくのだろう。
僕は中国メディアに職場は持っているが、このブログやその他、執筆しているコラムはあくまで日本人のメディアとして、限りなく個人の身分で書いている。僕は他のどの大メディアよりも早くから、五輪に向けた北京の街の様子を見つめてきたし、この街で“生活”することで、本当の市民の暮らしに接してきた。
このブログでは、これから北京が迎える「熱き100日間」を、プロの伝え手として、だがあくまで市民の目線でお伝えしていく。
批判すべきところは批判するし、素晴らしいと思うところは素直にその良さを、感動を伝えようと思う。
口先だけで「政治とスポーツは別」という論理を振りかざすのではなく、本当にそんな生臭いものとは全く違うところに、「北京市民が迎える五輪」があることをこのブログを通じて、日本の皆さんに伝えたい。
大学生が中心となったボランティアが北京五輪を支える
posted by 朝倉浩之 |10:10 |
スポーツコラム |
2008年04月13日
毎年、春の到来は、北京の街をフワフワと漂う白い『わたぼうし』から感じる。
13日、北京はあちこちで、この『わたぼうし』が飛び交った。「柳絮(リウシュー)」と呼ばれる“春の使者”たちだ。柳の綿が風に吹かれて空中に投げ出され、町中を飛び回る。さながら小雪が舞うようだ。バスやタクシーの中にも入ってきたり、時には部屋の中にも浸入してきたりして、北京の人たちは厄介がるが、私にとっては、長く厳しい北京の冬からやっと開放されたことを実感できるワクワクする風景だ。
午後から、射撃の五輪テスト大会の取材が控えていたが、春の陽気に誘われて、ちょっと早めに外出し、国家体育場(鳥の巣)や国家水泳センターが立ち並ぶオリンピック公園に足を運んでみた。
北京の郊外の街をぐるりと結ぶ環状道路「4環路」から北に広い直線道路が延びていて、その沿いに選手村やメイン競技場など、五輪の各主要施設が並ぶ。
五輪向けに美しく整備されたその道路を久々に歩いた。そういえば、去年も同じ『わたぼうし』の時期も、同じように、ここを歩いたのを思い出しす。その頃は、まだ鳥の巣も水立方も工事の真最中。その前に高くそびえるホテルと商店が一緒になった複合ビルも建設中で、敷地のただっ広さと、工事のために辺り一面に巻き起こる砂ぼこりばかりが印象に残る場所だった。
そして、辺りを行き交う人々は100パーセント全て、黄色い安全ヘルメットをかぶった工事作業員だった。お昼時には昼飯のマントウと炒め物をかきこみながら談笑する人、その脇で故郷の新疆の音楽を聞きながら休憩する人・・・色々な言葉が飛び交っていて、北京語がある程度分かる私にとっても、ちょっとした異国感を感じる場所だった。その大きな声はさながら、『このオリンピック公園の今の主人公は俺たち』と主張しているかのようだった。確かに、この時、ここの主人公は彼ら「工人(ゴンレン)」だった。
あれから1年。工事を終えた作業員の宿舎は全て取り壊され、一部を除いて、作業員の多くは故郷に帰っていった。
ここの主人公は、鳥の巣や水立方という新しい観光名所をバックに記念写真を撮る「おのぼりさん」や北京市民たちに代わっていた。今日の北京はお出かけには絶好の陽気。オリンピック公園周辺には、大勢の人たちが詰めかけ、鳥の巣の独特のデザインと自分の姿がうまく写せる『絶好のカメラポジション』を探して回っていた。
そして、あと4ヶ月足らずで、いよいよオリンピック本番がやってくる。その時の主役は、世界各国からやってきた選手や観客たちとなるのだろう。オリンピック公園の風景もまた今とは全く違った様子となるに違いない。
では、その「夏の盛会」が終わった後は、いったい誰がここの主役になるのだろう。それを考えるのはまだ早い!と北京市民から叱られそうだが、そろそろ、それを心配してもいい時期でもある。来年の「わたぼうし」は、どんなオリンピック公園を漂っているのだろう。
スタジアム見学の絶好の場所はここ(中央奥は国家水泳センター)
posted by 朝倉浩之 |21:32 |
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2008年04月08日
3月末から、所用のため、日本に一時帰国したため、ブログの更新がストップした。記事をごらん頂いている各方面の方にご心配のメール等を頂いたが、本人はいたって元気・・・。日本では、ちょうど見ごろを迎えていた桜を存分に味わって、無事、帰国し、本日からまた、北京五輪に向けた中国スポーツ界のあれこれを引き続きレポートしていく。
私が北京を留守にしている間、ギリシャから聖火が北京に運ばれ、大々的な式典が行われた。残念ながら、これを生で見ることはできず、日本のニュース報道で、式典の一部分を見るのみとなった。
チベットの生臭い問題とともに伝えられる日本の聖火報道を見ながら、恐らく中国では、これとは全く異なる角度からの報道がされているのだろうなあと、当然のことではあるが、日中の五輪報道のスタンスにおける違いを感じさせられた。
その後の世界を巡る聖火リレーに関する報道についても、中国のインターネットメディアと日本側の異なる方向性は明らか。ただ、いずれにしても、これまでのオリンピックとは全く異なる、異様な空気の中で行われる大会であり、そして本当に様々な意味で注目されている大会なのだと実感した。
そういえば、今回の日本滞在を通じて、日本における「反“中国食品”感情」というのも相当なものだと良くわかった。日本にお住まいの皆様なら「何をいまさら」という感じだろうが、ここ北京で生活していると、例の「毒ギョウザ事件」を始めとする中国食品に関する日本側の動きについては非常に疎くなる。
各スーパーやレストランのあちこちで、「当店では中国食品を扱っていません」という張り紙を目にした。知人や友人に会うたびに「大変な国にいるなあ」と半ば同情のような声をかけられる。
日本の消費者がかなり中国食品に対して過敏になっていることを改めて知ることができた。恥ずかしながら、これは中国からネットメディアをウォッチするだけでは知ることができなかったことである。
大阪にある中国食品専門のスーパーは閑古鳥が鳴いていて、「お客さんが激減した」という店員の悲鳴も聞こえてきた。中国で生活している我々からすると、非常にさびしい思いもあるのだが、事が食品に関する事件だけに、これもやむをえないことだろう。
北京五輪はあくまでスポーツ大会であり、それ以外の要素をあまり強調しすぎるのは危険だと筆者は考えている。だが、それでもやはり、五輪を機に、食品を含めた『対中国感情』が少しでも良くなることを願わずにはいれない。北京五輪に向けた「食」「環境」といった日本の人々が大いに興味を持つ事項についても、今後、出来る限り、現地の生活者の立場から、発信していこう・・・・そう改めて決意を固めることができた日本滞在であった。
posted by 朝倉浩之 |17:18 |
スポーツコラム |
2008年02月15日
少し内輪ネタを。
私が籍を置いている中国の国営放送局では今、「五輪記者オーディション」が行われている。
これは、全ての中国人スタッフを対象にしたオーディションで、私の同僚も、アナウンサー、記者はもちろん、日ごろはインターネットの管理などをしているスタッフまでも、大挙して、「受験」しにいっている。
内容は、筆記試験と面接の2つ。2日間に渡って行われ、120人の参加者のうち、筆記試験を通った80人と『特別推薦』の10人、計90人が面接に臨んだそうだ。
イベントの取材記者を筆記試験で選ぶ・・・というのは、日本ではとても考えられないが、『科挙』文化の中国では、試験が何よりも公平・・・という観念が残っているのか、今でもよく、何でも試験で決める、ということがある。
さて、その筆記試験の内容だが、参加したスタッフに聞いたところでは、前半がオリンピックに関する基礎知識で、続いて、取材の具体的な実践に関する問題、そして最後がなんと『英語』によるレポートだったそう。
ちなみに、『基礎知識』は
・ オリンピックの3大理念は何?
・ 五輪テーマ曲の作者は?
・ 陸上100mの世界記録保持者の名前とその記録は?
などという問題。
続く、「取材の実践問題」は
・ 五輪期間中、イランの女子重量挙げチームの選手とショッピングセンターで出会った。あなたは何を質問しますか?
・ 水泳で最下位でフィニッシュした南アフリカの選手がいる。どのような取材をしますか?
・ 3人のアスリートを招いて、番組を制作する。誰をゲストにしますか?
と、ある意味「実践的」な問題が続く。
スポーツ取材を続けている私からすると、インタビューの内容なんて、その場で、実際に会ってみないと分からない・・という気がするのだが、(相手の雰囲気や話しぶりなどで取材の内容は全く変わる)『取材適性』を筆記試験で試そうとするならば、こういった問題しかないのだろう。
ちなみに、今日は面接が行われ、例のギョーザ問題や、各国のチームが日本で事前キャンプを張ろうとしていることについて、意見を求められたそうだ。その点では、なかなかの時事問題が出ていると思う。
他の国営メディアでは、どのように記者を選抜しているのか分からないが、少なくとも、これまで全くスポーツ取材を行ったことのない人までを選考の対象にするということはないだろう。
ただ、私自身は、こういうやり方もまた、面白い取材ができるのかもしれない・・・などと、積極的な方向で捉えている。8月の本番では、こんな「適性試験」を経た現地の中国人記者がオリンピックを取材する。もちろん、日本からの記者の記事も大切だが、そんな彼らの地元発信記事もなかなか面白そうである。
posted by 朝倉浩之 |17:51 |
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2008年02月10日
中国は今月7日から、旧正月『春節』の連休に入っている。
この春節の過ごし方には色々と伝統的なものがあるが、最もメジャーなものは「廟会(ミャオフイ)」に行くというものだろう。日本語では『縁日』と訳されており、市内の各公園などで、中国伝統の食べ物や工芸品などを売る屋台が並んだり、獅子舞や龍踊りといった伝統芸能が披露されたりという『お祭り』である。
人々もお祭り気分で、財布の紐も緩むため、商売人にとっては絶好の機会。各廟会には、無数のお店が軒を連ね、大声で呼び込みを行っている。廟会自体の数も、年を追うごとに増えており、私が知っているだけでも、北京市内では20箇所以上で行われている。
さて、今年は北京市民が待ちに待ったオリンピックイヤー。当然、この廟会も、オリンピックにちなんだものが多くなっている。私はこの『3が日』、『廟会を通じた五輪ムードの高まり』を取材しようと、5ヶ所の廟会を回った。旧正月前は「廟会の見所」のような宣伝記事が載るのだが、今年は何と言っても『オリンピック』が全体を貫くテーマだと口を揃える。
このうち、映画「紅楼夢」の撮影の舞台となった「大観園」は、入場門の前に五輪マスコットの福蛙(フーワー)の巨大人形が並び、オリンピックマークも各エリアに並び、「五輪イヤーならではの廟会」を演出していた。
さて、場内には「オリンピック体験ゾーン」なるものが設けられ、私も「どのように体験できるのか」と期待を膨らませて、入っていった。だが、体験ゾーンで行われていたのを見て、がっかり・・・。ここでは、例のゲーム機Wiiの『ニセモノ』と自転車マシンが置かれ、子供達が、さまざまな「オリンピック競技」の“疑似体験”に励んでいた。春節前に大々的に宣伝が行われていた「オリンピック競技の体験」ってこういうことだった・・というわけだ。ゲームについては、時間制限が設けられており、一回5元(75円)で「思う存分、体験を」というわけだが、もう少し他に企画はないのかとがっかりした。その周囲には、オリンピック施設や競技の紹介などがパネル展示されていたが、誰も見向きもしないし、見る価値もあまりない。
実は、私が訪れた5つの廟会はいずれも北京五輪を大きなテーマとしている・・と銘打ったものだったのだが、残念ながら、「それほどでもなかった」というのが正直なところだ。はっきりいって、『お金儲け』の最大の機会である廟会において、「五輪ムードの高揚」などお金にならない・・・ということだろう。
いやいや・・北京市民は毎年の『食べて、飲んで』の楽しみである廟会に五輪ムードなど別に期待していないのかもしれない。だが、「2008年ならではの廟会」に期待して、訪れただけに、何となく残念・・と思ったというわけだ。
以下のAFP通信の記事によると、市内の竜潭公園で、五輪に関する催しが行われ、好評を得ているということだ。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2347631/2605336#blogbtn
スポーツの話題が少なくなる今、五輪に関するちょっとした話題でも・・・と思い、このコラムを書いているわけだが、「行ってみたら、宣伝ほどでもない」という中国でよくある催しでないことを祈りながら、明日は、竜潭公園に足を運んでみようと思う。
posted by 朝倉浩之 |16:45 |
スポーツコラム |